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旅行大好き、ブログで旅日記を作りたい

東京を歩く・・泉岳寺&隅田川クルーズ

2014年05月29日 | 東京を歩く

泉岳寺

東京に行く用あり、以前行けなかった泉岳寺を観光し,隅田川をクルーズした

泉岳寺は忠臣蔵の赤穂浪士の墓のあるところ 地下鉄「泉岳寺駅」から歩いてすぐ、立派なお寺だった
右は大石内蔵助の像
   

浅野長矩が切腹の時に血染めになった石が移されていた 
吉良の首洗いの井戸もあった
   

お寺の横の浅野家の墓地の隣に四十七士墓がある
アプローチの石碑には建立者の名が記入されていた
大石家子孫、歌舞伎役者、東宝、松竹、東映の映画会社、長嶋茂雄、高橋秀樹等・・忠臣蔵の関係者?
 

線香を買ってお墓へ供えながら廻った
左が浅野長矩の墓  右が大石内蔵助の墓
   

両国の吉良下屋敷で仇討ちをした後、
12km歩いて浅野家の菩提寺の泉岳寺に来て、墓前に首を備えて報告したそうだ

そのあと 細川家、水野家、松平家、毛利家に分けて預けられ、一か月半後に全員切腹
墓も4家に別けられて並んでいた

  クリック

 

 

義士記念館に入り資料を見る (撮影禁止)
赤穂浪士が有名になったのは50年後に物語になり、その後に歌舞伎に上演されるようになったから・・

ここにある資料はそれ以前の「義士連盟書状」「口上書」「四十七士遺像」など
吉良邸から寺宛の「首受取書状」まであった

木像館にはほぼ等身大の坐像と歌舞伎の場面の押絵が飾られていた
私たち以外にも参拝者は多く、忠臣蔵は今でも人気があるようだ

 

隅田川クルーズ

 浅草雷門横から隅田川水上バスに乗る
向かいにアサヒビールの泡のビル、スカイツリーが見える所が発着場
  

舟の内部はツアーバスの観光客も一緒で一杯だった
  

駒形橋をくぐり、両国の国技館(高架下の緑の屋根)、総武線が見える

    

神田川が合流する

清州橋はドイツ・ライ川に架かるケルン橋を模したそうだ

吊り橋の新大橋を過ぎると「深川」、芭蕉が奥の細道に出発した所
(ここも訪ねたい所だが、またの機会に)
  

永代橋 赤穂浪士が仇討ちの後 吉良の首を携えて、上杉家の追っ手を気にしながら渡った橋
当時は目立ちにくい裏道の橋だった由

中央大橋の前には、セーヌ川との友好のしるし、フランスから送られたという像がある
  

工場跡地に出来た「リバーシティ」は高層マンション群だ
対岸の聖路加ガーデンのビルは空中でつながっている
  

水門を通り、浜離宮公園で停泊 降りる人と乗る人がある
  

再び出発して、勝時橋をくぐる もう跳ね上げることは出来ないそうだ
その横が築地市場 東京の胃袋
  

レインボーブリッジを遠くに見て「日の出桟橋」で下船する
    

約40分の川下りだったが、船内放送の説明を聞きながら左右を見るのは楽しかった
東京の歴史を知ることが出来るので、お勧めだと思う

おわり 


大阪を歩く・・大坂環状線ウォーク 2014年5月・12月・1月

2014年05月23日 | 大阪を歩く

大阪環状線ぐるり一周ウォーク

1月・寺田町~新今宮 

雨の日だったが寺田町駅に集合 傘を差しながら西へ向かって歩く

河堀町の名前は文字通り川を掘ったからと、案内人の西俣氏の説明
和気清麿が上町台地周辺の湿地の排水にホリを掘った、その跡が道路に残ると言う

確かに平らでなく窪んだ道があちこちにあった 奈良時代の跡が残るとは凄い
読みにくい名の「河堀口 こぼれぐち」はその名残り

日本初の庚申社 「四天王寺庚申堂」
横には七福神が祭られていた

   

近くに「竹本義太夫」の墓所があり、前で彼の生い立ちを聞く

四天王寺はさすがに立派なお寺だった
堂々とした門から入り 南北に直線に並ぶ正面からの写真を撮った

   

境内では文化財保護の消防訓練をしていた 大事なことだと思う

門前町に大阪名物「釣鐘饅頭」の店があった 道路の向かい側に「堀越え神社」がある(和気掘を越える)

   

道路を渡って統国寺へ行く 変わったお寺と思ったら在日韓国人のお寺だった

  

境内の裏から入ると茶臼山や大阪を見下ろせる展望台があった

   

境内の入口にはベルリンの壁 母国の南北統一を願って奉納されたそうだ
こんな大きな壁を初めて見る

天王寺公園の横を通って新世界へ向かう ここから見るハルカスは全体が見れて素晴らしい

  周辺地図クリック

公園に黒田藩大坂屋敷の門が移築され保存されている 右は美術館の正面入り口

 

新世界入り 唯一残されている国際劇場 当時はショーが行われ、その後映画館になり、今は??

   

「ジャンジャン横丁」の商店街を歩く ほとんどが飲食店

   

昔の写真から、初代の通天閣はパリの凱旋門にエッフェル塔が乗った形だった知り、大阪らしいと思う

   

昼食は「二度漬け禁止」の串かつ定食 ビールは108円だった
3個150円のすし屋もあるそうだ

  

スパワールドの通路から正面に通天閣が見える

    

しかし目の前に壊れかけた建物 所有者が判らず放置されているとか
立札を読んだら、以前は相撲の大坂国技館があった場所との事

    

両側にコテコテの大阪の店を見ながら通天閣へ歩く あちこちにビリケンの像

    

王将、坂田三吉の顕彰碑

 

 新世界を離れて 広田神社へ 痔に効くアカエの神様とか 昔のこの辺りは海で魚が取れた
   

えびすさんで有名な今宮恵比寿神社に行く私は初めてだが、思ったより小さかった 
TVで大混雑の「えべっさん」を見るが、大混雑が判る

   

今回はここで終了  JR新今宮駅から帰宅する

別スレッド 2015年2月に続く


 

12月・玉造~桃谷

玉造駅に10:30集合 25人が案内人西俣氏と一緒に歩く 
先ずは北へ向かい 昔の猫間川にあった二軒茶屋跡の石碑の説明を聞く
奈良へ向かう街道の入口だったそうだ
   

川は暗渠となって橋のコンクリートのみ残る   近くの元映画館の建物は小さいが雰囲気を残していた
シネマパラダイスの映画館と比べて日本のは狭い

 

玉造の地名は勾玉を作っていたから・・ 出雲でも勾玉を作っていたから玉造温泉 
だから大阪にも玉造温泉がある?

  地図クリック

玉造稲荷神社は豊臣大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として奉られていた
江戸時代には伊勢参りの出発点として、ここで無事を祈ってから旅だったそうだ 

   

豊臣秀頼の銅像が建ち、淀君の胎盤が納められている祠があった
徳川の世にひそかに持ち出され別の場所にあったのを移したそうだ

  

玉造の基になった勾玉資料館もある

     

この鳥居は秀頼より1603年に奉納されたもので、その後のずっと健在で太平洋戦争でも大丈夫だったのが
1995年の阪神淡路の地震で折れた由 

境内には利休の井戸、秋田実の碑もあった

   

聖マリア大聖堂は修復中だった この中のステンドグラスは美しいと勧められた
正面左右に高山右近と細川がラシャの像が建つ 工事が終わったら見たいものと思う

     

大阪城近くの堀だった所が「空堀」の地名になったそうだ
ここにある「どんどろ寺・善福寺」で人形浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」のお弓・おつるの母子が逢ったという

    

 宰相山公園を通って、軍人墓地へ行く
大坂にこんな墓地があるのを知らなかった ワシントンのアーリントン墓地のように同じ形の墓石が整然と並んでいて驚く

   

墓名を読むとドイツ将校、台湾などもある
   地図クリック

下った所に三光神社がある 七福神めぐりの寿老人が祭られるそうだが今回は割愛
真田幸村の像と抜け穴を見る

  

     

ここから、玉造日之出商店街のアーケードを歩いて、鶴橋に向かい
鶴橋駅緒商店街  韓国の店が並ぶ迷路のような中を歩く

   

  

着いた観光料理店で昼食 料理はキムチ各種とすき焼きだった

  

食後再び歩く、北鶴橋小学校の横を通って 「七福の辻」へ行く
以前は「六道の辻」だったのを縁起が良くないと有志で細い道を作って七道にしたそうだ

 地図クリック

平野川は曲がっていたのを付け替えたから今は直線だ
昔の名前を付けた「猪飼野新橋」を渡る 勾玉の飾りがつく

   

コリアタウンの入口は百済門が立っていて韓国の店が並ぶ

  

商店街を通り抜けて 御幸森天神宮に入るここも立派な神社だった

  

次の彌栄神社で私は探していたものを見つけた 尻を上げた狛犬である
出雲型の狛犬が本殿ではなく隅の方にあるのはなぜだろうか・・

    

本殿は座った狛犬が守っていた

昔の雰囲気を残す桃谷の中心でこの辺りの話を聞く

   

最後は昔の平野川があった場所に残る「つるのはしあと」に行く
昔は蛇行した川に架かる鶴の舞う橋だったのだ

  

これで終了 桃谷商店街を通って環状線桃谷駅から帰宅

  


 

5月・桜ノ宮~森ノ宮

大阪環状線ぐるり一周ウォークに参加する
東京をあちこち歩いたが、地元の大阪を知らないので案内人付のウォークに期待したのだ
JR京橋駅前広場集合 案内人 西俣稔氏でスタートする

最初は京橋駅横の「大和街道」に面する「蒲生墓地」
こんな場所に墓地が有るなんて!と驚いた

お寺管理の墓地でなく幕府管理だったので公営 戦後の混乱期に墓地に住宅が入り込んだと言う
私たちが行った時も墓石の上に梯子をまたがして店舗裏の工事をしていた
    

この中のお墓に不思議な文字があった
大正時代に立てられた「大笹家」の墓で横に「人二ハ|一」が縦書きで彫られている

読み方は「人には辛抱が一番」で、意味は「金」の文字をばらして「金欲に走らず辛抱して働くの大事」という
墓石にこんな文字を入れるなんてユニーク。案内人の西俣さんはこの墓の孫を探して会えたそうだ
   

商店街を抜けて京橋駅周辺を歩く
このあたりの道が複雑なのは「京街道」と「大和街道」分かれ道で川に囲まれた所だったからだそうだ
  

 桜ノ宮小学校横を通り 太閤園に向かう
太閤園は明治の藤田財閥の屋敷跡 藤田美術館は明治後の日本美術の海外流失を抑えるために買い取った美術コレクション

東西線が通る現在、屋敷跡は公園として無料開放されている
またここは近松門左衛門の「心中天網島」で小春・治平心中した場所でもあるそうだ
  

ここから淀川にでる
新淀川が作られる前は何度も氾濫して災害が多かったそうだ
また昔は防備のために橋はかけずに「渡し舟」で行き来していた 
現在つり橋がかかっている所が「川崎の渡し」
  

もう一度京橋に戻って京橋モールの中の「大北京」で昼食
  

食後は森ノ宮に向かって歩く 昔のレンガ工場

環状線の横に大阪空襲で亡くなった人々を祈る碑がある
砲兵工場近辺は空襲で沢山の民間人が被災した

砲兵工場の後の建物かと思ったが、古代ローマ風に作られたものと西俣さんは憤慨した口調で説明
  

鴫野西交差点にある石碑 この辺りは田んぼ、野原だったそうだ


第二寝屋川を渡り 大阪城公園に入る ここには水上バス乗り場の川の駅がある

  

大阪城公園は広々しているが戦前は砲兵工場だった
  

砲兵工場は企業秘密の工場。 だから、森ノ宮駅と桜ノ宮駅間の環状線は高架でない
戦前はここを通る時は電車のカーテンを閉めたそうだ

私は何度か環状線に乗ったがこの間が高架でないことに気付かなかった
左が公園前の線路 右が森ノ宮駅 高さが違う
 

森ノ宮駅前で今回のウォークは終了 解散する

大阪の歴史を知れて楽しいウォーキングだった 約5㎞ 3時間