タビトリプ

旅行大好き、ブログで旅日記を作りたい

熊野古道を歩く・・伊勢路編 ①~⑤

2014年03月27日 | 熊野古道を歩く

熊野古道を歩く(伊勢路編)

 5回目(7月)  馬越峠 

 台風が接近中で天気を心配したが、降られずに歩くことが出来た

今回のスタートは道の駅「海山(みやま)」から 弁当を食べてスタートする
ねじり花が咲いていた

   クリック

世界遺産熊野古道の標識と今回の案内人 ここから石畳がつづく
昨日の雨で濡れていて滑らぬように気を遣いながら歩き始める
   

「夜泣き地蔵」 旅の安全を祈る地蔵が赤子の夜泣き封じになったとか 哺乳瓶が供えてある

ごろごろの石畳が続く 雨の時はここが川になるそうだ
途中に石を抱え込んだユニークな大木があった 撫ぜると子宝に恵まれるという
   

やっと見晴らしが開けるが頂上ではない

約2時間登って、海抜325mの馬越峠に到着 句碑が建つ ここでスタンプを押す
     

この道には八鬼山越えのような「町石」は無い 平成の道標が新しい
   

下ったところに展望所があり、尾鷲の町を見下す 

馬越不動尊の横を下り、滝を見る 雨の後で数量が多く美しかった
   

下る途中に安政の津波の被害の碑があった こんない高いところまでと思う場所だったが
尾鷲は津波被害を受けやすい地形だそうだ 

尾鷲駅まで商店街を歩くが、シャッター通りだった 3万人を超えていた人口が2万人を割ったそうだ
「津波は逃げるが勝ち」の旗が目立っている
  

尾鷲駅に到着して、汗びっしょりの長そでシャツをTシャツに着替えてほっとする

距離:4km 高低差320m レベル2
歩数計:15000歩 


  4回目(6月)  八鬼山越え 

今回の八鬼山越えは伊勢路の中で一番の難所というので、自分の体力がを試すつもりで参加する

いつもより早い7:30集合で新大阪に行く
塀で囲ってあったところがレストラン街できれいになっていた
   

今まで通りに名神、新名神、伊勢道を通って尾鷲へ11:30着 バスの中で弁当等を食べる

語り部さんと合流 準備体操、注意事項を聞いて、12:00出発 6時間の行程という
しばらく尾鷲の町を見ながら歩く 関電の原油タンクが見える

世界遺産の標識から石畳の熊野古道に入る
  

音が鳴るゴトン石は昔ら有名だったらしい
 クリック

湧水があり 飲んでみるがやわらかい味だった
 

町石 1町目毎に建てられてあり、ほとんどは地蔵さん
  

でも現代の道標はkm表示で 八鬼山630mなので
1からスタートして1/63、2/63・・・62/63、63/63となる

石畳は苔むしていて、昨日の雨でぬれて滑る 慎重に気を使って歩く
  

周囲は手入れされた林と 枝打ちもされていない放置林と差がある
   

石畳の石をどこから運んだかと思ったが周囲には石がごろごろしていた
えぼし岩 と 玉ねぎ石
   

15:00 3時間歩いてやっとスタンプ場所に着く 神社があり拝んで記帳する
でもここが頂上ではない
  

二つ目の湧水で休憩の後、急な道を頂上に向かう
  

展望台に着き、尾鷲湾を見下ろす
  

登りより下りの方が怖かった 滑らないように綱につかまりながら下る
 

16:45 十五郎茶屋跡で休憩 ここからも急なくだりがあるという
  

下る途中で幹にペンキで反対の文字が書かれていた 世界遺産に反対する人もいる
  

終点の町石には世界遺産の道標がない この落書きで許可されなかった由
 

しばらく平坦な林道を歩き、18:00名柄湾の海にでる ここにバスが待っていた
本当に6時間歩いた

距離:8.5km 高低差630m レベル3
歩数計:17500歩

無事歩けたことに満足だが、翌日から3日間足が痛かった 


  3回目(5月)  熊谷道・三浦峠

「今回は、一番やさしいコースですよ」
と添乗員に言われて、浜大根の花、ミカンの花を見ながらスタートする
  

しばらく歩くとトンネルに来た 
海辺の町で道がなかったのを大正年間に赤レンガを使ってイギリス式に作られたそうだ
そのトンネルを通るのかと思ったのに、私たちは展望台に向かう山道に入る
    

展望台からは紀伊松島と言われる海が見えた
    

登った後には下り坂で、そこには若宮神社があった
語り部さんから、昔の天皇の系譜を聞いたが誰の神社かを聞き忘れた
覚えていたのは 近くにいる大きな大木が「鹿子の木」で小鹿の模様があり固いので昔は車輪の軸に使われた事
  

海岸に出てトイレ休憩の後、語り部さんからこのあたりの話を聞く 
後ろに干してある黒いものは「ヒジキ」 ここの砂利は丸くかわいかった
   

 三浦峠に向かう
ヒノキはまっすぐで、シダの若芽がきれいに伸びている

   

イノシシの「ヌタバ」(ダニを落とす為に体をこする場所) と ここでも「野面積」の石垣があった
   

熊ケ谷橋を渡る この橋は流されたままになっていたが、世界遺産の指定を受けて
昔の土台の上に昔の工法で作られた木製の橋である
支柱は樹齢150年のヒノキを使い、2200万円かかったと書いてあった

この橋のふもとに熊野古道のスタンプ台があり、並んでスタンプを押す
   

山道には100mごとに位置表示の標がある 迷った時にはこの標識を読めば良いそうだ
紀勢本線の三野瀬駅にバスが待っていてウォーキング終了
  

距離:6km  高低差:100m  レベル1
歩数計:13,000歩
  


 2回目(4月)  始神峠

今回は晴れ&曇りの天気で、伊勢自動車道沿線は桜の花が歓迎してくれた

三浦のさくら公園で弁当昼食 花吹雪の中で食べる

    

昼食後バスで移動して、大舟川側の「明治道」から歩き始める 「明治道」とは 明治に整備された広めでなだらかな道の事
山間の水田はすでに代掻きが始まっていた 枝垂紅桜もきれいだった

   

   

今回の語り部さんは女性で途中の植物の説明が多かった
マムシ草 一両(アリトオシ) 馬酔木
    

のずら積みの崖には丸太橋がかけられて、滑らないように歩く
  

崖に木の根が露出した「盤根」が見れた
    

始神峠では、三浦湾とさくら公園が見下ろせた 紀伊松島と言われる島々も見えて気持ち良かった

    

下りは12曲りの江戸道を下る ここは石畳ではなく 階段状になっていた
本来はこの急な道を登るようで 降りたところに世界遺産の石の表示が建っていた
  

ウラジロの新芽が音符のように並んで面白い さくら公園に戻って終了 バスに乗る
 

距離:5km  高低差:150m  レベル2
歩数計:13,000歩
 


 1回目(3月)  ツヅラト峠・荷坂峠付近

  

春から何か新しい事をしたいと思っていたところへ、このパンフが目に入り参加を決めた
毎月一回 自由参加で12回で、熊野古道・伊勢路を歩くという企画
http://www.jtb.co.jp/med/kansai/feature/domestic/kumano2014/

平地を歩くのは好きだが、登山経験のない私はトレッキング用の装備なし、
また熊野古道のどのルートが楽なのかも知らないままで参加した
それなのに当日は雨だった!!

 新大阪でバスに乗り、名神、新名神から伊勢道に入るがその間ずーと雨・・
添乗員の説明では各地から8台のバスが出ているという 熊野古道の人気に驚く

紀勢大内山ICで降りて、ツヅラト峠道へ まだ雨が止まず車内で弁当を食べる
  

先着バスが止まっていた
  

語り部さんから歩く時の注意事項を聞いて出発する 参加者は登山用雨具をしっかり用意していた
   

杉の木には花粉の素が重そうに実っていた 雨だから舞っていない
   

手入れされた杉やヒノキの林を足元を気にしながら歩く
   

展望台で説明を聞くがキリで何にも見えない
   

途中 「野面積み」の説明を聞く
       

 石畳の道が残るが雨で滑りやすく 気を付けて下ばかり見て歩いた
   

紀伊長島まで下り やっと雨が止んだが 振り返ってもツヅラト峠は雲の中だった

荷坂峠はバスで移動して、峠に行き説明を聞く
観音堂跡、峠の茶屋跡があった 昭和の初期まで店があったそうだ
  

距離:約6km  高低差:350m  歩行コース難易度:レベル2
歩数計 15,000歩

 後から聞くと伊勢路編で2番目にシンドイコースとのこと 初参加で無事歩けたから、次回も行けると自信がついた
帰宅後 さっそく次回に備えてトレッキングシューズを買った 


関西を歩く・・友ヶ島ハイク・万博公園のハス・福知山廃線ハイク・鈴鹿・スカイライン&白浜

2014年03月26日 | 関西を歩く

友ヶ島ウォーク

友ヶ島ウォークのバスツアーに参加した

友ヶ島は和歌山の加太、淡路島の由良の間 紀伊水道にある島
二つの島からなっているが今回歩いたのは西側の沖ノ島の半分、淡路島に近い部分だった

新大阪と難波で参加者を拾って出発、阿倍野ハルカスが見えた

阪和道を南下してSAでトイレ休憩の後、道の駅「とっとパーク」へ
このあたりの土が関西空港の埋め立てに使われたそうで、そこに釣り公園を作った
  

釣りの成果が展示され、沢山の釣り人がいた
  

加太港から「友ヶ島」行きのボートに乗る
    

虎島の赤印に「五所の額」のあるという 20分で到着
  

観光ボランティアガイドの案内で島を歩く
クリック
(地図は北が下になっているので注意)
現在は住民は無し 夏場の観光シーズンのみ「海の家」が開くそうである

昔は、日本陸軍、海軍が紀伊水道を守る為の軍事要塞として沢山の軍人が住んでいたそうで、
その遺跡と道路が今ではハイキングの観光になっている
そんな説明を聞いてから歩き始めた

  

第2砲台跡 しっかりしたレンガの建物が残っていた
   

友ヶ島灯台に向かって登る 椿の幹の傷はリスの「食み痕」だそうだ
   

灯台に到着 この上に水道を見張る監視所があった ここから通る船を見張ったそうだ
今は木が生えているが真下に海が見える
  
対岸が淡路島の由良

灯台前の広場に日本標準に135度の子午線が通っている 明石の真南に位置する訳だ
   

ここで昼食弁当「柿の葉寿司」
     

説明によると、昔は軍事的に重要な地だったが、今でも重要な地であると言う
灯台は海の安全 気象観測「アメダス」 関空に着陸する飛行機のレーダー基地だそうだ
   

ここから登ってタカノス山(119m)の展望台へ 途中椿が咲いてきれいだった
今回は霞んで見えなかったが、関空、明石大橋、淡路島の観音が見える由
    

第三砲台跡へ
パンフレットに出ている軍の砲台跡 しっかりしたレンガで作られていて驚く
  クリック

  

  

将校宿舎跡は壊れかけていたが、煉瓦の建物はしっかり残っていた

  

私は友ヶ島にこんな施設があるとは知らなかったので、このウォーキングは期待以上だった
ツアーはこの後和歌山へ行き、黒潮温泉で入浴 疲れを取って帰宅した

歩数計は12,500歩   おわり 


 万博公園のハス

EXPO記念の日本庭園に蓮池がある ハスは7月に開花 早朝に咲くという
早朝観蓮会に行ってみた 入園は朝6時に開場
   

ハスの花はきれいだったが人の多さに驚く
立派なカメラに三脚を立て、熱心に写真を撮っていた 私のようなコンパクトカメラではない
   

そんなカメラでもそれなりに撮れた
  

象鼻杯というハスの葉に酒を入れて茎から飲むのをやっていた
ここも行列だった トライして見るには長いので止める
     

おわり


関西を歩く・・福知山線 廃線ウォーキング

面白いウォーキングに参加した 武庫川沿いの旧福知山線を歩くという企画

JR西宮名塩駅で降りて、中国道の高架下を通る
高速道から見ていた住宅街がすぐ近くだった
  

自己責任のハイキングコース JR西日本は「責任は負えない」をしっかり書いている

武庫川沿いの線路後は絶景のハイキングコースだった
昔の鉄路の蒸気機関車はこんな川沿いぎりぎりで走っていたのだ
  

あちこちに鉄道の名残が残る 枕木 見張り台 側壁など 
  

対岸の岩山 紅葉時には見事だろうなと思う
   

この夏の台風の豪雨の時の水位を示すごみが高い位置に残っている
こんなに所までの水は凄かっただろうと思う

   

このハイキングコースは真っ暗なトンネルを5個通るから、ライトは必携
私も首にかけるLEDと手にもう一つ持って歩く
   

みんなで歩くからこそ怖くないが 一人ではとても歩けないと思った

  

トンネルを出ると鉄橋だった 線路ではなく、側道をあるく
  

  

しばらく行くとがけ崩れの跡が残る やはりあの大雨は凄かった
   

周囲の雑木林の紅葉を想像しながら 河原で弁当を食べる

最後のトンネルを通って武田尾駅に向かう
  

 武田尾温泉が川の対岸にあるという

 

武田尾駅は福知山線のトンネルとトンネルの間にある
  

ここからJRの電車に乗って帰る

川沿いのこの廃線は絶好のハイキングコースになのに手入れされていないのが惜しい
JR西日本、宝塚市ともにメンテンスの予算がないし、責任を取りたくない
何か事故が起きたら通行止めになりそうな気がした

おわり 


和歌山ドライブ  

 高野竜神スカイラインをドライブしようと出かける
途中で観光しながら、目的地は白浜 

聖徳太子御廟 

 太子町の叡福寺が太子を祀るお寺 法隆寺に感じが似ている 

    

 宮内庁管轄の聖徳太子の御廟はこの寺の背後にある 

  

 御廟は母(穴穂部間人皇后)と妻(膳部太郎女)との三者が一緒の三骨一廟形式だそうだ
屋根が三層になっているのがユニーク
 

    

一万円札でおなじみの聖徳太子の御廟である  しっかりお参りして常に傍に居て下さいと祈る? 

高野山金剛峰寺 

R371 高野街道を下り 高野山へ向かう
奥ノ院のお墓の並ぶ所は何回か行ったが、金剛峰寺は初めて
 
本堂の書院のふすま絵に弘法大師の中国での様子や帰国後の伝導の様子が
白描線画で描かれてるのに吸い込まれて見る(写真禁止)

      

庭のみの写真となるが見事な枯山水だった

  
 

大人数の僧侶を支える庫裏は広かった

   
 

待望の「高野竜神スカイライン」を走ったが、曇りで霞んでいた残念 

  

着いた白浜も小雨模様だった 

   

南方熊楠記念館 

翌日雨の中を南方熊楠記念館に行く  駐車場は上にあり、信号付の片道通行 

       

登った所に昭和天皇訪問の記念碑があった 生物学者だった天皇が熊楠の偉業を認めたという
ここはまた徳川時代は紀伊藩の見張り番所で常時30余人が駐在して
禁制のポルトガル船を見張っていたそうだ
 

         

熊楠館内は写真禁止  展示を読んで驚いた
幼少の頃から近所の家の本を読んで暗記して それを自宅で筆記したという
そんなノートがずらりと並んでいた 
覚えて纏めたらすべて頭に入る・・ 歩く辞書と言われた知識はこの努力から  凄い!!
 

     


アメリカ村  

 日の岬近くのアメリカ村に行くが、ほとんど代が替ったのか建て替えられていた
資料館も閉鎖、ガラス窓から覗いたら展示写真が見えただけ
 

     

庭にはカナダを想う碑が建っていた
近くに国民宿舎もあり、ここは見晴らしが良い所 本日は雨で視界なしだがいつもは「朝日夕日100選」だそうだ
 

    

道成寺   

 安珍清姫で有名な道成寺に行く 

 

     

このお寺は本堂や三重塔は立派だが「鐘楼」がない
清姫が大蛇になって消えて以来。再建する毎に災害が起こって無くなるという
2か所も元鐘楼跡があった

   

 本堂内部の壁には道成寺の舞踊祈願の写真が華やかに飾れていた
公演成功祈願で芸能人が奉納するそうだ 

    

おわり


 


東京を歩く・・丸の内・神楽坂&早稲田・上野&根津・麻布十番「&乃木坂

2014年03月10日 | 東京を歩く

丸の内

東京駅前にある国際フォーラム会場で「ART FAIR TOKYO 2014」開催を知って見に行く

10時開場のつもりで行ったら、11時からの事
待つ間に「相田みつを美術館」を鑑賞した
 

人生の言葉を書で描いた作品を読みながら鑑賞する
どこかで見たことのある言葉がかなりあった

並んで待ってART FIIRの会場に入る
区切られたブースに各画廊が売り出す画家の作品を並べていた
  

入口にはベンツのペイントアートが迫っている

それぞれのブースには、 有名作家 現代アート 芸大若手アーチスト、古美術等々が並ぶ
この中のどんな人がデビューして行くのかと思いながら見る
鑑識眼があれば投機の対象として買うこともできるfairである
   

  

外に出ると、見上げるような高層ビルが並んでいる さすが東京の玄関、丸の内だ
       

よく見るとかなりのビルが、昔の5、6階建を前に残して後ろに超高層を建てている
  
 

昔の郵便局も「KITTE TOWER」にになっていて展望台があった
すぐ前に東京駅が見下ろせた
  
 

 

話題の「タニタ食堂」を探して、ランチ定食を食べる
 

かなりボリュームがあって483cl ヘルシーだった

 丸の内 おわり


 神楽坂~早稲田 

神楽坂が面白いよ」 と友達から聞いたので行ってみた
変わり映えしない街並みと思ったが、小さな路地裏が京都のような感じだった
裏通りには小粋な料理店が多かったから、夜はきっと賑わうのだろう
   

    

赤木神社を参拝する、横の赤木坂は昔は急な坂で車を引いては大変だったと書いてあった
   

江戸川橋まで坂を下って、音羽の鳩山会館に向かう

ここもまた坂が多いなあと登って行ったら、鳩山会館の裏口だった
携帯のナビは間違った道を教えるようである 前回の豪徳寺でも裏門で入れなくて大回りをしたから・・要注意 

目白通りの正面から坂を登り直して「鳩山会館」到着
   

 

この建物は鳩山一郎の時に建てられたそうで、鳩山家はここで生活したが、
威一郎の後を継いだ安子の時に、建て替えを止めて大改装し、記念館兼集会所として公開したもの
だから当時の生活空間ではない 

   

サンルーム  大広間
    

階段  ステンドグラス
     

庭から似た屋敷 屋根に鳩 フクロウが飾ってある
    

庭も立派で鳩山一郎の銅像がある 
超お金持ちの生活をしていたのだから、例の人に庶民感覚が無いのは当然だと思った 

神田川沿いの江戸川公園を歩く  ここも桜の木が川面に張り出して咲いた時は見事だろうと思う
神田上水が通っていた時の水門があった
    

椿山荘の入り口があって無料で入れたのには驚き
手入れの行き届いた庭で、名前通りに椿の花が咲いていた
 

   

手入れされた庭には、雪釣りの松、河津桜が咲いてきれいだった
建物前では結婚式の行われているようだった
    

 

立派な三重塔は広島から移築されたという
    

元の裏口から出て、再び川沿いを歩いて、永清文庫へ向かう
急な坂は「胸突坂」とか、急な石段を登った上に永清文庫はあった 
   

細川家の下屋敷があった所に細川家の宝物が展示されていた
建物は古く内部は時が留まった様な感じだった ここが元総理が理事長を務める場所かと意外だった
   

   

地図で早稲田が近いのでそちらへ向かい、広大なキャンパスの一部を歩いてみた


大隈重信の像の前にはキャンパスめぐりのブループが説明を聞いていた
   

会津八一記念博物館へ入ってみる 沢山のコレクションをゆっくり見たかったが時間が押していて残念
   

穴八幡宮の流鏑馬の像を見て、高田馬場駅まで歩き帰宅する
  
 

おわり


 上野~根津 

上野の東京都美術館 「世紀の日本画展」を見に行く
日本画の初期から現代までの沢山の絵画を見る事が出来た
  

去年修理中で垂れ幕だった上野東照宮に行く
今度は本殿近くまで拝観できた  

門からの道両側に桜の木の下に灯篭が並ぶ 修復された門が光っていた
    

拝観料を払って入るとピカピカの本殿だった 先日の日光を思い出す
   

門の裏も豪華だった
    

上野の山を下ってしばらく歩いたら 森鴎外の居住の跡があり
今は鴎外温泉 水月ホテルになっていた 

   



不忍通りを横切って東大方向へ行き 弥生美術館を探す 夢二美術館と一緒の入り口だった
    

あまり期待せずに入ったが、展示の「伊藤彦造」に驚いた
上野で見た日本画家たちと同時代に、現代の劇画、アニメのような絵を描く人がいたのだ すごい迫力の絵だった
写真不可なのでyohoo画像のURL
http://image.search.yahoo.co.jp/search?fr=top_of3_sa&p=%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%BD%A6%E9%80%A0+%E6%8C%BF%E7%B5%B5%E7%94%BB%E5%AE%B6&ei=UTF-8&xargs=2&b=21 

高畑華宵コーナーもあった 私が少女時代にあこがれた絵である
これもURLで・・
http://image.search.yahoo.co.jp/search?p=%E9%AB%98%E7%95%91%E8%8F%AF%E5%AE%B5+%E6%8C%BF%E7%B5%B5%E7%94%BB%E5%AE%B6&aq=-1&oq=&ei=UTF-8 

夢二美術館はすごろく特集だった 
当時の子供たちはこんなすごろくで時代を見ていたのだと感慨 今の子供たちは何を見てるのだろう 

地図を見ながら歩き、弥生式土器発掘の跡、根津教会を見つける
   

根津神社に行くが、立派な神社だった  本殿、楼門などが重要文化財
 

楼門の警護は仁王ではなく、検非違使だ
    

    

ここまで来たからと思って「大名時計博物館」を探して行く
旧勝山藩の下屋敷 ここが本当に博物館?と思うような寂れた建物だったが、内容は面白かった
     

江戸時代の日本の時刻は不定時法で昼と夜の一刻の時間が違う
この調整をお時計坊主がしていたそうだ

yahooの画像でどうぞ
http://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_of3_sa&p=%E5%A4%A7%E5%90%8D%E6%99%82%E8%A8%88 

もう一足を延ばして 安田楠雄庭園を期待していくが、週二回のみの開園で見れなかった
  

 このあたりのお屋敷が広く立派なのは、さすが文京区団子坂と思う 

おわり


 麻布十番~乃木坂 

お洒落な街と聞いた麻布十番へ行く 確かに電柱地中化ですっきりした街並みだった
  

 パティオ十番の広場に「きみちゃんの像」がある 野口雨情の「赤い靴」のモデルになった少女だそうだ
本当はアメリカに行かずに、十番稲荷神社の近くにあった孤児院にいたとか
詩のモデルとは違う様子だった
   

 

十番稲荷神社は若い人がお参りしていた
階段横にはカエルの置物 この辺りの火災の時に沼から出た大カエルが水を吹き出し類焼を防いだ由
カエルの頭に水をかけて「かえる」を願う願をかける
    

ここからの坂を「鳥居坂」と言うそうだ 六本木ヒルズのビルが見える
 

近づくと本当に大きい 今回は前の毛利庭園を見る 池のハートマークは不要と思う
    

 横の大きな丸いガラスビルはTV朝日本社 番組の写真が沢山貼ってあった(反射して見えにくいが)
 

芋洗坂、饂飩坂と名のついた坂を登ると外苑東通りに出て、首都高3号線をくぐる
金券ショップでは「両替」と「国際送金」の表示があり、外国人が出入りしている
    

 ミッドタウンに向かう 「サントリー美術館」では「伊万里展」をやっていたので入る
   

 美術館は3F 伊万里展は東インド会社の依頼で生産 ヨーロッパに輸出していた頃の品が展示されていた
かなりの展示が大阪の東洋陶磁器美術館所有品 大阪でもう一度見たいと思う
 

美術館から見えた公園へ行く 毛利の下屋敷だったそうで岩を組んでせせらぎの流れる庭園だった
リッツカールトンホテルがこの庭園前にある うまく庭を使っていると思う
  

   

坂を下って国立新美術館にいく 以前外観だけ見たが入るのは初めてだ
私の目的は中にあるレストラン「ポールボキューズ」のランチである 

  

 

 関東をかなり観光したが、数日後には大阪へ帰る
そんな記念を兼ねてのランチを楽しんだ 

おわり