タビトリプ

旅行大好き、ブログで旅日記を作りたい

国内旅行・・信州桜めぐり ・ 蒜山高原桜巡り

2015年04月19日 | 国内旅行

信州桜めぐり(1504)

高遠城址の桜は見事だと聞いていたのでぜひ見たいと思っていた そんなバスツアーに参加した

 

名神高速小牧から中央道に入る 駒ヶ岳ICで降りたところに最初の桜観光地、光前寺に着く
ここはしだれ桜の名所 立派な枝ぶりの大木があったが桜の花はまだ蕾だった

   

    

光前寺は杉の林の中にあり、樹齢数百年の巨木に囲まれる古い寺だった

   

延命水と言う清水が裏にあり やわらかい味だった

    

早太郎と言う犬の伝説がある 像と墓まであった
人身御供の娘の身代わりになり怪物を倒した山犬だそうだ

  

周囲の苔がきれいで、「光コケ」といって光を反射して光って見える

   


高遠城址のコヒガンサクラは満開で今が盛り 観光客もいっぱいだった
ソメイヨシノと違う、ピンク色のトンネルを傘をさして歩いた

  

  

江戸時代 大奥に仕えた「絵島」は芝居見物で帰宅の門限に遅れた事で処罰される
その流刑先がこの高遠城だった その家が残る

     クリック


宿泊は車高原のホテル 高原のホテルは白樺に囲まれ、まで雪が残っていた
スキーリゾート地でイチローが泊まったとかで奥さんとの写真があった

  

    


翌日はR152を北上して上田市に向かう
上田市は千曲川沿いにあり、北陸新幹線と上信越自動車道が通る

先ずは前山寺の桜を見る 門前のけやきの巨木は凄い太さだった

    

       

前山寺の本堂は茅葺屋根で厚みが深く どっしりと貫禄だった 三重の塔は重要文化財

   

ここで「くるみおはぎ」を頂く おはぎの名から潰したくるみをかぶせたものかと思ったが
天皇陛下も食べられたという上品な品だった

塗のお椀にくるみの甘いタレを敷き、蒸した餅米の白いコメを崩しながら食べる 梅干と刻菜が添えられている

  

 

信州国際音楽村は近年作られた建物 室内音楽堂と野外音楽堂があり、周囲は花が植えられている
私たちが楽しんだのは野外の花、桜、レンギョウ、水仙がきれいだった

  

 

  

 

つぎに行ったのは信州上田城 ここの桜も今が満開

   

   

上田城は真田幸村の出身城 (私はどうしてここに六文銭?と驚いたが)
神社として祭られ 裏に抜け穴として有名な「真田井戸」があった

    

この上田市は来年の大河ドラマ「真田丸」決定で盛り上がっている

  

 

桜の満開を楽しんだツアーだったが、信州は大阪からは遠い 
帰りは阪城ICから、上信越道に入り、更科JCTで長野道で南下、岡谷JCTで中央道に入る
小牧JCTでやっと名神道へ  2回のトイレ休憩で、約6時間半バスの中 500kmを走った


蒜山高原桜巡り  (1504)

仲間と一緒に岡山県、蒜山高原の桜めぐりを楽しんだ
中国道の落合ICから、R181出雲街道を北上する

   クリック

途中のレストランで岡山名物の「祭り寿司」と「ヨモギうどん」を頂く

  

勝山町の街並み保存地区を歩く

JR勝山駅から保存地区までの商店街は「桧舞台」と名付けて木組みがしてあった
シャッター街を隠す工夫だと思うが雰囲気を作っていた

  

江戸時代 勝山藩として栄えたこの地は高田用水が流れる城下町だった
今は軒先に暖簾を飾る 「暖簾の町」として観光名所になっている

          

意匠を凝らした「のれん」を眺めて散策

 
 
   

酒屋の立派な屋敷と蔵 コテ絵が見事

   

出雲街道 R181を北上して「新庄宿」へ ここの「がいせん桜通り」は古木の桜が見事だった
凱旋通りとは日露戦争(1905)の凱旋を祝って植えられた桜木

      

宿場 本陣

    

 各戸の前に用水路があり 昔の水場が残っていた

  

新庄川沿いには紅枝垂れ桜の若木が植えられていた


泊まりは「蒜山国民休暇村」 部屋からは緑の牧場が広がり
駐車場からは雪の大仙が見える 雄大な風景を楽しんだ

  

翌日は茅野神社に行く
天孫降臨の歴史を伝える古い神社だ

  

  クリック

大鳥居は文久3年の古さで迫力あった
近江の多賀神社より大きいものを作ったそうだ  この地は鉄鉱山で栄えていた

 

帰りは蒜山ICから、米子道、中国道で帰阪した

おわり 


熊野古道を歩く・・伊勢路編 12回目(最終) ・ 果無、本宮秘境ツアー

2015年04月08日 | 熊野古道を歩く

伊勢路 から続く

熊野古道を歩く(伊勢路編)

12回目(4月) 風伝峠・通り峠・丸山千枚田
熊野速玉神社・熊野那智神社・熊野大社参拝

一泊二日の最終回なのに雨の日となった 一回目のツヅラト峠が雨だったので雨で始まり、閉めた事になる

今回のバスは西名阪経由で伊勢道に入り、前回の花の窟の茶屋で駐車 雨の茶屋で弁当昼食

 風伝峠

雨歩きの用意をしてスタートする マムシ草が咲いていた

    

牛小屋跡 この辺りまで田んぼで耕作に使っていた 寺子屋跡の石垣も残る

    

石畳は濡れると滑りやすい スタンプは傘をさしながら押す

    

風伝峠は風の通り道で、この法界塔は太閤地検の一揆の処罰など重い歴史を語る
この辺りが交差点で要所だった 

   クリック

登った後は急な下り坂、滑らぬように気遣いながら下りる 15/15の標識で風伝峠は終了

    


浜街道 

バスに乗り 浜街道へ
 
峠のない七里ヶ浜を歩くのは楽に見えるが実は大変だったそうだ
 昔は橋がなかったから、海へ注ぎこむ川の河口を潮の引きを待たねばならなかった

  

  

熊野速玉神社参拝

再びバスに乗り 最初の参拝神社 熊野速玉神社へ行く
歩いた時よりも雨は強く 傘をさしながら参拝する

 

境内にはなぎの木の大木があった

    

弁慶の出自は熊野三党の一族だったとかで像があった 佐藤春夫の記念館も境内にある

     

この後、宿泊地勝浦温泉「浦島」に向かう

  

部屋から海が見下ろせる 夕食はバイキングでマグロの解体ショーをやっていた

   

洞窟温泉が有名なホテル 折角だから入ってみる

  

熊野那智神社参拝

翌日、雨は止んだが霧の中の参拝となる 

  

楠の大木も屋根の千木も霞んでいた もちろん有名な滝は見えない

   

隣に並ぶ西国一番札所の青岸渡寺もお参りする
この寺の方が庶民的だった

    

通り峠

最後の古道歩きで、三重県に戻る 途中から晴れてきて、快適にスタートする

  

石畳の道 木漏れ日の中を歩く

   

峠に子安地蔵が祭られている

  

ここでスタンプするが、一つ残る「横垣峠」は土砂崩れで通行止めだそうだ

 

ここから 千枚田を見るための階段をのぼる 170段もある

   

息を切らしながら登り あと25段を過ぎてやっと見晴らし場所に着く

   

丸山千枚田を見下ろす  山並みの中に人の力で作られた段々田んぼ
江戸時代には2240枚あったそうだが、今は保存会で復帰させても1340枚と言う

   

 

登ったら下るで千枚田の上側に着く

  

近くで見る田圃は水を張り、田植えの準備が進む

  

3株しか植えない最小の田んぼの説明  

真ん中にある大きな岩 千枚田の中心地? 大型機械が入らぬ田んぼで働く人の姿

  

波板で防水した田んぼ(左) と 土で防水(右)した田んぼ

  


熊野本社参拝

最後の参拝 熊野大社に着く

  

八咫烏のシンボルがある社殿で正式満願参拝、 太鼓が鳴りお祓いを受ける
この後、大社作りの神殿を参拝する

一年かかり熊野古道 伊勢路を完歩できたことに感謝したい

毎回もらった木札 と 完歩の大札 と スタンプ帳

   

おわり


果無、本宮秘境ツアー 

熊野古道を含む秘境ツアー1泊2日に参加した
伊勢路や中辺路を歩いているが、目的地の付くのはまだ先なので、楽に行けるツアーも試そうと思った 

谷瀬の吊り橋 

バスは大坂から南阪奈道路を通り、金剛山を右に見てR168を走る
川沿いの道路は山が迫り谷が深い 新しい道路を作っていた
   

曲がりくねった十津川街道を走り、谷瀬の吊り橋に着く
長さ297m 高さ54mの吊り橋は凄かった!
   

風で横揺れする吊り橋の板一枚の上を歩くのは、高い所が平気な私でも足がすくんでいた
この吊り橋は村民たちの力で作ったという 観光地になっているのに無料 申し訳ない気がした 

  クリック 


十津川ホテル「昴」
 

十津川ホテルに入る
川の中州を埋めて、宿泊施設、温泉プール、多目的広場 温泉保養館を第三セクターで作ったという

   

ホテルの中は木工で作られた家具があり、外には足湯や飲み湯もある

   

ホテルの近くに「野猿」と言う人力で綱を引き川を渡る橋があった TVで見たそのままだった 

     

果無(はてなし) 

TVでこの果無と言う名前と山の尾根に住む人々を見た時凄い所だと思った
ぜひ見たいと思ったのでこのツアー参加したわけ

 ホテルに着いた後、小型の車に乗り換えて登っていく
周りの山が下に見えるほどの高さに果無があった 

 

   

尾根の上に住んでいて、熊野古道「小辺路」が住居の中を通っている
    

歩く人のための水飲み場もある
    

こんな高地なのに稲田がある、昔はここで自給自足で暮らしていた
今は住んでいるのは高齢者だけで、子供達は町で生活しているそうだ 

 丸山千枚田 

日本棚田百選に選ばれている、紀和町丸山地区にある棚田を見る
段々畑が連なっていた 

    クリック

 一番小さな田圃は稲が3株のみ お茶わん2杯分のコメの取れる
水利の関係でこの田んぼも必要なのだ 

高齢化と人口減少で維持するのは大変で、オーナー制度やボランティアで頑張っているそうだ 

     

赤木城
 

竹田城と同じ山岳城跡 戦国武将の藤堂高虎が1573~築城した
この辺りは十津川街道と北山海道が通り 吉野の木材、鉱山資源で重要なところだった 

    

   

兵庫県の竹田城のブームのように この赤木城も人気になるだろうか?
城跡から見た村の棚田は荒れていた 
 

熊野大社本宮 

毎月一回伊勢路を歩いているから 最終回は熊野三山に参拝予定
その大社に歩かずにバスに乗って来た
 

    

両側は杉並木で、階段を登る
手洗いの後、本殿入り口前でお祓いを受けて中へ入る
 

     

    

私たちは右側の第三殿「証誠殿」の扉の中まで入り 祝詞を聞く 

参拝道の横に熊野古道の道があった
次に歩いて来る時にはどんな待遇なのだろう 楽しみ・・

   
 

昔の熊野大社は熊野川の中州にあったそうだ
中州なので何度も水害に会いながらも再建され続けたが 1889年の大洪水でほとんど流された為
今の山手に移されたという

 

元の場所は大斎原「おおゆのはら」として国の指定史跡になっていてコンクリートの大鳥居があった 

   

順光側から見ると 参道と鳥居が大きい
次回歩くときはここを通りたいなぁ

  

 鬼が城

帰る途中に熊野市の「鬼が城」に寄る こんな奇岩がある場所とは知らなかった 

波の浸食でこんな形が出来た・・
以前見た風による浸食の「モニュメントバレー」や「ウルル」と似ている
 クリック

    

トイレ休憩の少しの時間と夕日の逆光が残念 次のチャンスはゆっくり見たいと思う 

     

 おわり  


京都を歩く・・京都一周トレイル④ ⑤ ⑥

2015年04月02日 | 京都を歩く

京都トレイル③から続く

 6回目・・山幸橋~高尾白雲橋 

爽やかな5月の快晴の日、前回終了の山幸橋(No56)からスタートする
 北山杉のこもれ日の中を気持ちよく歩く

   

「盗人谷」と言う物騒な名前の谷沿いを一ノ橋、二の橋。三の橋と川を渡りながら歩く

  

見事な杉並木で語り部さんから、川端康成の「古都」のモデルになった話を聞く

   

杉と桧の見分け方は、葉の形ではっきりわかるけど、幹でもわかると聞く
木肌がきめ細かい方が杉だそうだ 下の写真で右がヒノキ、左が杉と確かに違う

この地方は寒く、平安時期からの氷室があったそうで田んぼの中を通って跡を見る
草に埋まった窪みだった

  

氷室神社で昼食 古代からの由緒ある神社だが、カバーで覆っていたがここも過疎化で荒れていた

  

途中のトイレ休憩の山小屋 休日だったので沢山の車が止まっていた
ログハウスの感じ良い小屋で、家族連れか楽しんでいた

  

少し登ってやっと京都市内が見える所に着く 大文字山、京都タワーが見えた

  

庭木用の武者作りの北山杉、床柱用に加工をしている林を通る
産業用の山だと思う

   

   

急な下り坂を下ってNo87 高尾に到着

  

清滝川の白雲橋を渡り、高山寺の駐車場に帰りのバスが待っていた

    

歩行11.5km 5時間半  22,000歩 


5回目・・大原~山幸橋

 大原では桜が満開で快適な歩きでスタートする
今回のコースは「京都トレイル道標で、北山24~55」まで 
歩いてみて、地図と併用したこのトレイルは整備されていると感心する

 

山沿いの道は東海自然歩道と共用 植林に食害防止の囲いがしてある
カタクリの花が可憐

  

江文神社に寄る 平安時代からの古い神社で、
井原西鶴の「好色一代男」に「大原の雑魚寝(節分の夜に村の男女が雑魚寝)」で有名とか

   

手入れされた杉林を歩く

江文峠を越えて、琴平新宮社前で休憩

  

道路を渡り静原地域に入る 小学校の生徒は減って廃校寸前だそうだ
静原神社で弁当を開く  この神社も歴史は古く 平安時代以前からあった

   

再び山道に入るが、この辺りはバブル期に別荘開発されたそうで、使われてない家が残る
だから、道は車が通れる広さだ

   

二尊坂碑 
南北朝後期に妻が夫の菩提を弔うために立てった石碑 その赤松も今は枯れて立っている

  

薬王坂を過ぎて、鞍馬へ向かう 途中の「コバミツバツツジ」がきれいだった

  

  

鞍馬寺の前を通り、叡山電鉄の鞍馬駅へ ここから二ノ瀬までは電車となる

    

  

夜泣き峠への急な道を登る

    

夜泣き峠とは幼少の惟喬親王が泣いて名づけられたと言う
彼は第一皇子でありながら母が藤原の娘でないから皇位を継げなかった悲劇の親王と言われる

   

428mの向山で休憩 見晴らしは良くない

  

木の根道を歩いてやっと見晴らす 大文字山が下に見えた

  

ここから下り 洛北発電所まで下りて終了 いつも通りにバスが待っていた

   

歩行距離 約10km 5時間 2,100歩 


 

4回目・・比叡~大原

1月2月は雪のため休みだった京都トレイルが3月から始まる

今回は八瀬までバスで行き、叡山ケーブルで登った

 

歩き始めの「北山1」の標識辺りは前日の雪が残っていた

   

昔の叡山スキー場跡 なだらかな草原だった
京都の子供たちが楽しんだスキー場は雪不足で閉鎖されたそうだ

「北山4」は展望が良く、山並みが見渡せた ここで早めの弁当となる
食べたのは「六甲縦走弁当」?、小型だが中身のしっかり詰まった弁当だった

 

30分の食事時間でスタート 比叡山ドライブウェーを渡る

  

比叡山 延暦寺の寺領に入る 階段を下りると寺院が建っていた

   

最澄の御廟所と言う 浄土院 手入れの行き届いた建物とお庭だった
修行僧が籠って毎日掃除をしてお守りしているそうだ 案内人の田中さん何度もここを通るが
一度も姿を見た事がないと言う

   

椿堂と釈迦堂をハイキング道から見る

  

なだらかなハイキング道には牧水の碑や小さな石像が並ぶ

  

トイレ休憩でドライブインに寄る 大津側の琵琶湖、近江富士が見えた

   

古木の杉の木 「玉体杉」に着く この太木は下の町からも大杉として目印にされているそうだ

   

本日の目的、横高山に着く 767m 「北山13」 展望は効かないし、三角点もない

木の根道を歩き、水井山へ 794.1m 埋もれたように三角点があった
ここで三角点の説明を聞く

三角点は、明治時代に測量のために40km毎に、見通しの効く高い所に立てられた
から、山の頂上とは限らない 通常文字が書いてある方が南
 現在はGPSが埋め込まれたものもある

   

尾根越えのなだらかな道を気持ちよく歩いて、仰木峠に着く
この峠は昔は生活道で琵琶湖側の仰木の里と大原を結ぶ物資が往復していた その道も歩かれずに荒れているそうだ

   

大原へ下る急な長い道を歩く 「下りの方が怪我が多いから油断をしないように」と注意されながら歩く
ボーイスカウト道も急だった ケーブルで登った距離を下るわけだから長かった

   

やっと沢に出て 一休み

R367沿いの「ポン酢屋」でトイレと土産
堀川牛蒡の太さと値段の高いのに驚く 一本2800円とは!

   

戸寺バス停にバスが迎えに来て終了 夕方の京都市内はかなりの渋滞で通り抜けるのに時間がかった

歩行距離 10km 20,000歩