タビトリプ

旅行大好き、ブログで旅日記を作りたい

関東を歩く・・美保の松原&青木ヶ原

2014年08月22日 | 関東を歩く

富士山の世界文化遺産の「美保の松原と青木ヶ原を歩く」 ハイキングバスツアーに参加した

美保の松原
美保神社からスタートして半島を4.5km歩くコース
先ずは美保神社に参拝して、海岸へ向かう
  クリック

ここから海岸への道は「神の道」 両側の松のトンネルが500mも続く
    

天女が掛けたという「羽衣の松」老齢で幹だけだったが、近くの松の枝ぶりは立派だった
   

海岸は黒い砂 太平洋が広がる

松並木を半島先に向かって歩くと視界が開けて、ここから富士が見えるはずだったが雲の中
  

松の苗木を植えている近くに、サボテンが自生していた ここは暖かいのだろう
     

清水灯台 日本最古のコンクリートで作られた灯台
てっぺんの風見鶏は天女だった
   

海岸に飛行場があった 太平洋戦争の時に海兵隊の飛行訓練場があったという像が建つ
  

飛行場を過ぎると「真崎海水浴場」があり、家族連れが泳いでいた
日に焼けた監視員がしっかり見守っている
  

半島の先に東海大学の水族館があったので入ってみる
歩いて暑かったから冷房が心地よかった
   

「竜宮の使い」と言う大きな標本をみる 深海魚で4mもあるのに幼魚だ
駿河湾の沖は深海になっているから、不思議な姿の深海魚が時に捕獲されるそうだ

この水族館では熱帯魚の「クマノミ」の孵化に成功、育てている 
クマノミのコーナーがあって円筒の水槽に沢山泳いでいた
     

沼津のホテルに泊まる。 富士山ビューの部屋だったのに、窓からの写真は雲の中だった
翌日、富士吉田側の鳴沢氷穴に向かうバスの中から、夏富士を見ることが出来た
  


氷穴&青木ヶ原

鳴沢氷穴に到着後、二つのグループ別れてガイドの案内で、鳴沢氷穴、青木ヶ原樹海、富岳風穴を歩く4kmのハイキング

先ずガイドの説明を聞く
  

氷穴とは富士山が噴火の時にガスが抜ける事で出来た穴
この鳴沢氷穴は縦型で階段で下まで降りる  
   

穴の中は途中屈んで通る狭いところもあったが、下まで降りたら広く氷があり寒かった
昔はこの氷を江戸まで運んで殿様に献上したと説明してあった
  

青木ヶ原の樹海を歩く。昭和34年に整備された大阪の箕面から続く東海道自然歩道だそうだ。
  

この樹海は栄養のない溶岩の上に苔が生えて、草が生えて、樹の種子が運ばれた出来た
表面の少しの土に木の根が絡み合って支え合って育っている 木の幹は細い
  

苔があるのに水たまりは無い すべて下の溶岩に吸い込まれている 
林の中はどこも同じように見えて、歩道を離れて迷い込んだら帰れないのも本当と思う
また、溶岩の穴だらけなので小動物が住んでいて、夜は徘徊しているという

      

夏なのに木陰で涼しく 平坦な4kmを歩き終わり 「富岳風穴」に着く
    

樹海の下にある風穴は横長で坑道のように歩けた
氷もあり、天然冷蔵庫として使われていた棚が残っていた 種子や繭を保存していたという

    

樹海ハイキングは不思議な体験だった。熊野古道の山と違って全くの自然林。
樹木達が絡み合って支え合って生きていた。

おわり


関東を歩く・・鎌倉&江の島 ①②③

2014年01月29日 | 関東を歩く

  鎌倉3回目

2回目で行けなかった鎌倉を歩いた
有名な「江ノ電」に乗る 2両又は4両で走る単線の電車が住宅地ぎりぎりで走る
田舎ならどこでもあるのに、鎌倉だから味があると言うのだろう 七里ケ浜駅で降りる
  

夏は賑やかだろう海岸は波が打ち寄せ砂浜はきれいだった こんなに寒いのにサーファーがいた
海岸沿いに歩く、はるか遠くに船影がみえて海の広さを感じる  江の島が右手に見える
    

七里ヶ浜と由比ガ浜を区切るのは稲村ケ崎のようだ 江ノ電はこの岬付近はトンネルになる
  

由比ガ浜から内陸に入り、長谷観音へ行く 門前の「椨の木・タブノキ」の古木は異様だった
   

本殿は賑わっていた 長谷観音はアジアの国で見るような大きな立像だった(写真禁止)
裏にある宝物館の銅製の「懸仏」は美しかった、33体の応現身立像がずらりと並んでいたのは迫力だった
 

見晴らし台から鎌倉の町が展望できた 対岸の麓が「葉山」 御用邸がある高級別荘地だ

弁天窟に入ってみる 岩屋の中に沢山の仏様が彫られていた
  

 

横須賀線で大船に出て大船観音を見に行く
大船駅の陸橋から白い観音像が見えたので、そこを目指して登った
 

パンフによると昭和2年に発願したが、社会状況の変化でやっと戦後の35年に完成したそうである
半身像の後ろから体内に入ることが出来て、木造観音像が祀られていた
       


 

 鎌倉2回目

前回はハイキングだったのでもう一度鎌倉を訪ねる
関東に大雪が降った数日後に鎌倉駅から歩く、みんな寒そうだ
  

鶴岡八幡宮の有名な大銀杏は平成22年の強風で倒れて、大きな根元のみだった 二代目を養成中
  

受験期で合格祈願のお札がいっぱいだった

この鶴岡八幡に来たのは、前回見れなかった「鎌倉国宝館」を見たかったから・・
なのに、今回もまた閉館だった クーラー設備のために7月まで休館とは! 調べて来なかったのが悪いけど残念だ
 

鶴岡八幡の裏から北鎌倉に向かって歩き、建長寺に行く
鎌倉五山の第一位、鎌倉幕府・北条時頼が建立した、我が国初の禅寺 想像以上に立派だった
  

三門から仏殿へ行く途中の参道にある「柏槇・びゃくしん」の古木の迫力に驚く 創建当時からのもので760年の樹齢。
     

仏殿のご本尊は地蔵菩薩坐像 大きなお姿だった 
      

法堂には千手観音菩薩とパキスタンから送られたという釈迦苦行像があり、天井画は小泉淳作の八方睨みの龍図がある
    

途中に古民家美術館があって、吊るし雛を開催中のポスターに入ってみた
民家を改装した中に雛人形、吊るし雛がいっぱいだった 庭の梅も咲いていて寒いけど春は近い
    
残念ながら室内の写真は禁止

    

横須賀線で境内を分断されたように見える「円覚寺」は蒙古襲来で戦没した霊を祭るために創建されたそうだ

仏殿に祀られているのは宝冠釈迦如来坐像 宝冠飾りを付けた堂々とした如来像だった
   

お庭の池は氷が張っていたけれど・・境内には満開の梅の木があった 
   
 

寒かったけど、北鎌倉を歩けて楽しかった 途中で食べた暖かい「けんちん汁」は建長寺から始まったというが本当?


 江の島

ずいぶん昔に行った事のある江の島へ 天気のいい日に行ってみた
以前と違って観光用に整備されていた 片瀬江の島駅は竜宮みたいだった

観光案内所で江の島の地図を貰って出発する
江の島に向かう歩行者用道路から富士山が遠くに見えていた 天気を選んで良かったと思う
 

青銅の鳥居をくぐって、仲見世通りを通って江島神社に向かう
  

昔はこの瑞心門の階段を登っていったが今は有料の上りエスカレーターが出来ていた
   

江の島神社とは三人の女神を祀る「辺津宮」、「中津宮」、「奥津宮」の総称
最初の「辺津宮・へつのみや」に着く 茅の輪が作られていた

双樹の銀杏の古木は縁結びのご神木とか 願掛けの札がいっぱいだった
  

再びエスカレーターで「中津宮・なかつのみや」に行く
歌舞伎の中村座が寄進したとか 役者の手形もあった
 

ここからの見晴らしはよく、ヨットハーバーが見えた

展望灯台(シーキャンドル)に上る 快晴の中、360度見渡せて最高の展望だった
左には有名な湘南海岸が富士山を背景に見えて、右は七里ヶ浜から鎌倉の山見える
反対の南側の海から、 はるかに大島の影も見えた
  

 この眺めを見ながら思ったのは3.11の事、 この相模湾にあんな津波が襲ったら、ここから見える街並みはどうなるのだろう
あの津波以来、高級住宅地のこのあたりの地価が下がったそうである 人の思うことは同じかと納得した

次は最後の「奥津宮・おくつのみや」 拝殿に絵しゃもじがある
  

 ここから江の島の発祥地の「岩屋」に向かう
稚児が淵まで下りて、海岸沿いに歩くが穏やかな海で波が岩に砕けて白くきれいだった
 

岩屋は第一岩屋と第二があり、第一岩屋では「手燭」をもって、両側に仏像が並んでいる坑道を歩く
  

発祥の地は第二岩屋の中で祠造られていた 奥から風が吹くという 富士山と繋がっているとか??

 

江戸時代から江の島詣でが盛んだったようで、浮世絵にも描かれていた
      

 帰りの参道でここはシラス料理が名物と思い、昼食にシラス丼を食べる、お土産に釜揚げシラスを買って帰った


 

鎌倉ハイキング

横浜に住んでいる友人が鎌倉を歩く「市民ハイキング」に誘ってくれた
気軽な服で参加したが、北鎌倉の駅はハイキングスタイルで一杯だった

参加料はボランティア保険の500円だけ、だから東慶寺(駆け込み尼寺で有名)は門前のみを通過する
  

次の浄智寺も、鎌倉十井の一つ「甘露の井戸」と門を見ただけでハイキング道へ入る
  

葛原岡ハイキング道を歩いて着いたのは「源氏山公園」 源頼朝の銅像がある ここで弁当昼食

昼食後は裏大仏ハイキングコースを歩く
銭洗弁天は賑わっていた ここの湧水でお金を清めれば、お金を使い果たすことなく過ごせるそうだ
現物利益で私も試してみた

受付で100円払うとザルと線香をくれる この線香に火をつけて神社にお参りしたあと
横の祠の中の湧水でザルに入れたお金を洗う 私はコインだったが万円札を洗う人もいた

 

  

次は「佐助稲荷神社」 赤い鳥居を通って参拝 狐の願掛けが沢山飾ってあった
   

山道を登って、下って、鎌倉大仏の「高徳院」でハイキングは解散
  

私たちは折角だからと大仏を拝観する

鎌倉大仏は大きかった 奈良の大仏と違い野ざらしは惜しい気がした
横から大仏の体内が観光出来たが料金20円とは驚きだ
銅の繋ぎ目が見えて750年前によく作ったものと思う

  

鎌倉ハイキング おわり


関東を歩く・・バスツアー(三嶋大社&身延山初詣)・(袋田の滝)・(栃木イチゴ狩り)・(南房総)

2014年01月13日 | 関東を歩く

初詣のバスツアーに参加した
1月を10日も過ぎたから、人出が少ないだろうと期待したが、どちらも参拝客が多く賑わっていた

三嶋大社

三嶋大社は古代は三島大明神として富士火山の神であったが
鎌倉時代からは武士、特に源頼朝に尊崇されたそうである古く立派なお寺だった
東海道と下田街道の起点の交通の要所にある
  

私達一般人は手前に作られた賽銭箱に投げ入れて遠くから拝んだが、
拝殿に上がる人達は袈裟を着て、これも順番待ちの様だった

境内には古木が多く、天然記念物の「金木犀」の大樹、600年のケヤキもあった
   

しだれ桜の樹が両側にあって、桜の時期は見ごたえがあるから、もう一度どうぞと添乗員が言っていた

 ここから身延山へ向かうのに、新東名を走る 富士山がきれいに見えた

 

身延山・久遠寺

 鎌倉時代に日蓮上人によって開かれた久遠寺
「身延山はしんどかった」と祖母から聞いていたので、是非行きたいと思っていたお寺である
昔は山門から287段の階段を登ったそうだが、今は本殿のすぐ下に団体バスの駐車場があり、エレベーターがついている
本殿の前から階段を見下ろしたがすごく急な石段だった
    

 

 

総門から山門までは、門前町の商店がつづき、山門からは両側に僧坊が並ぶ大きなお寺であった
ここも道路の両側にしだれ桜の樹が並び、桜の名所と判る
山頂にある奥の院へは本殿後ろから、ロープウェーがついていたが、私たちは時間がなくて行けなかった

帰りにバスは新東名の名所「駿河湾沼津SA」でトイレ休憩
ここのトイレが凄かった!! 五つ星ホテルに来たのかと思うほどでびっくりする

  

帰りはいつも通り渋滞に入って帰着が遅れた

おわり


袋田の滝 

三大名瀑の一つ 「袋田の滝」の凍結観光のバスツアーに参加した 

朝早い出発で、昼食は常磐自動車で降りて、那珂湊の「おさかなセンター」で握りずし頂く
食事の後、市場を見るが新鮮な魚を卸値で売っていて、思わず買いたくなったけど、
生ものは持って帰れないので、生ガキ一つを開いてもらって食べる
  

  

 

   

袋田の滝は久慈川の上流にあり、紅葉の季節は観光客が詰めかけるそうだが、
滝が凍る寒い冬は待ち時間なく見る事が出来る
トンネルとエレベーターで簡単に見れるようになって、第一展望台からの滝は間近に見れて迫力があった  

   

エレベーターで上ると滝の全体が見れて、4段の滝になっていることが判る
   

吊り橋を渡った所に滝の上流まで登れる階段があり、トライしてみた
かなりの急階段でフーフー言いながら、集合時間を気にしながら登る
    

頑張ったおかげで、上流のもう一つの滝まで見る事が出来た
     

三大滝とは
華厳の滝 那智の滝 袋田の滝 だそうで私はおかげで全部見る事が出来た

おわり 


栃木のイチゴ狩りと日光観光 

 栃木のイチゴ狩りと日光観光のバスツアーに参加する

ビニールハウスがずらりと並ぶ「イチゴの里」には車やバスがいっぱいだった
 

  

イチゴは「とちおとめ」、ハウスの中は地植えのイチゴ畑だった
持ち帰りなしでハウス内で食べ放題、紙コップを貰らうがヘタを入れだ
     

ジューシーで甘く、美味しかったが、大きさと味は関係ない様だった
    

日光は雪が残っていた
街中のひな飾りを見ながら歩くが、先日の目黒雅叙園程の豪華さはなかった
   

    

東照宮は、昔々に来た事がある その記憶をたどってもう一度観光する
 

三猿や眠り猫はこんなに小さかったのだと思いながら・・
    

 

どの建物も豪華絢爛 「日光を見ずして結構と言うな」を思い出す
   

期待の陽明門は修理中でカバーが掛っていて残念
 

奥の院 家康公の墓所に登る 一枚石の立派な石段が続く
息を切らしながら登った所へ 例の遺訓「人の一生は重荷を背負うて行くが如し・・」の立札
    

樹木に囲まれた中に青銅製の宝塔があった 重要文化財
 

輪王寺もまた改修中 足場が組まれた中を説明を聞きなら見て回る
 三体の仏像の内二体は京都へ貸出し中  残りの一体も台座から降ろされていた
でも、間近にいろいろ見れてよかったと思う 写真禁止
 

関東のバスツアーの帰路はいつも渋滞である 今回も予定より3時間遅れの帰宅となった 

 おわり


 南房総バスツアー 

関東の大雪で行けなかった南房総に再度申し込んだ
今回は天気に恵まれ楽しむ 

アクアラインの「海ほたる」に初めて降りる 船の形をしたサービスエリアだった
    

屋上に上がり周囲を見る 川崎側は海の中で船尾のイメージ、木更津側は船首で、ここからはトンネルではなく海上橋が続いている
    

 今回のツアーは房総半島の先の位置で春を楽しむ盛りだくさんの企画だ 
初めは利き酒試飲と讃岐うどんの試食だった
   

沢山の日本酒が自由に試飲出来て、男性は満足そうだった うどんの試食は女性向
    

次はイチゴ狩りに行く、前回の栃木は「とちおとめ」 ここは「さちのか」だそうだ 
   

ガイドさんが甘いイチゴの見分け方を教えてくれた
ヘタが跳ね返って、実との間に首が出来ているの良いとの事 本当に甘かった
   

イチゴ園の周囲には菜の花畑があった この辺りは関東の大雪の時はみぞれ程度でハウスに被害はなかった由
食べる菜の花は葉が大きく、飾る菜の花は花がきれいと違う畑だった
   

バスの留まった所で音がしているので行ってみると、
「石油発動機保存会」の幟の中で手入れの行き届いたモーターが唸っていた
クラシックカーを楽しんでいる男たちのようだった
   

太平洋側の千倉へ行き、お花摘み 一人4本を摘む 
 家で飾ったら香りが部屋中に広がる
    

南房総の海岸線は国定公園で千倉の海もユニークだった
  

   

昼食は「海鮮浜焼き」自分で魚介類を焼いて食べるが、焼き方は自己責任 牡蠣は縮んでしまい難しかった
サザエは焼き具合の見分けが簡単だった 頭から焼いて、乾いてきたら返して汁が出てきたら焼き上がり
  

 

この浜焼き会場の後ろの山は鋸山と言って、以前は良質の石材を採った石切り場とか
遠くからでも切り跡が見えた
http://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_of3_sa&p=%E9%8B%B8%E5%B1%B1
 

おわり 


関東を歩く・・バスツアー(奥多摩)・(南房総紅葉)・(富士屋ホテル&時の栖)

2013年11月13日 | 関東を歩く

奥多摩バスツアー

はとバスで奥多摩観光をする 
新宿集合で中央道、圏央道、青梅街道を通って御岳山の紅葉、御岳渓谷でゆず料理、秋川渓谷を見るという企画に参加した

 

御岳山は「みたけさん」と読むことを知った
麓の滝本駅からケーブルで山頂に登る 滝本駅では生わさび、焼き団子、焼きあゆ・ヤマメを売っていた
  

       

山頂まで行かずに展望台で紅葉を見るだけだった 少し時期が早かった?

  

御岳渓谷のせせらぎのそばでゆず料理を頂く 刺身はこんにゃく、ゆず釜は美味しかった


 

この地で「お山の杉の子」の歌が出来たという記念碑があった
   クリック

秋川渓谷のもみじ
 

奥多摩は八王子の北に位置する東京都
東京にもこんなに自然があるとガイドは説明していたが、私には物足りないバス旅行だった

おわり 


南房総紅葉バスツアー

紅葉めぐりのバスツアーに参加した
アクアラインを通れば川崎と木更津は向かい合わせで、日帰りバスツアーができる場所だった

館山市の小松寺、大喜多市の養老渓谷、ドイツ村のイルミネーションを観光した
バスツアーだからこそ、南房総を見る事が出来た

小松寺

房総半島の館山市まで走る 紅葉祭りの最中で大勢の人出だった
寺の前に大河ドラマ期待の鎧が飾られていた 関東エリアなのにここは田舎だった
  

銀杏の大木と紅葉が盛りできれいだった
  

 

養老渓谷

次に行ったのは養老渓谷は大喜多市から流れる養老川沿いの渓谷で川沿いの自然が美しくハイキングコース
紅葉の時期で観光バスや車で駐車場は一杯だった

道路から川沿いに降りていく

有名な「粟又の滝」を水量が少なくて迫力がなかった ここから川沿いに歩いて紅葉を眺める
雑木林の紅葉だった
  

  

 

東京ドイツ村 

千葉県袖ケ浦にある東京ドイツ村は花と緑のテーマパークでイルミネーションも有名
長島の「なばなの里」と並ぶようだ

 

 

見事なイルミネーションを堪能する

おわり


 

富士屋ホテル&時の栖(バスツアー)

クラシックホテルで有名な富士屋ホテルでのランチと観光のバスツアーに参加した

箱根宮ノ下の富士屋ホテルは、明治初めに横浜開港で来日する外国人を対象に作られたホテルという
だから、明治大正時代に来日した著名人が大勢宿泊したそうである
内部の雰囲気も 日本色を生かした威厳のあり、凝った作りの建物だった

   

格天井の大食堂でランチを食べた後、ホテル内をガイド案内で見る

 

  

芦ノ湖の西側の尾根沿いを通る芦ノ湖スカイラインを走る
正面に富士山が見えてきたが逆光が残念
   

御殿場近くにある「時之栖」へ日没後到着して、イルミネーションを見る
   

公園の奥の有料の噴水ショーは素晴らしかったが、寒かった
   

  

バスツアー 終り

 


関東を歩く①・・海老名,厚木、小田原、大山、横浜

2013年10月23日 | 関東を歩く

再び関東に来ている しばらく滞在して娘宅の家事応援の予定
せっかくの関東なので、時間を作って周辺を歩いてみるつもり、その記録をここに残したい

海老名

海老名はJR線と相鉄線と小田急線の交差で発展した町、初めて行ってみる
駅前は陸橋で続き、テーマパークのようにカラフルだった

  

これだけの店を支えるのは巨大な駐車場があるからと納得する
ポスターに海老名の「えびーにゃ」が”ゆるキャラ・グランプリ20013” にエントリー「5位内を目標」とあった
  

どんな町かと思いながら歩いて市役所へ 思ったより地味だった
駅前のビルから想像して、立派な市庁舎を作っていると思ったので意外だった
人口、1010年で127,700人

地図をもらって旧道を歩いていたら、変わったミカンを見た 名前はなんだろう?
   

その近くの家には大きなサボテンに実がなっていた 海老名は冬も暖かいのだと思う
  

市立郷土資料館を見つけて入る 旧海老名村役場庁舎だそうだ
ここでこの場所が奈良時代の「相模国分寺跡」と知る
  クリック

法隆寺様式の伽藍配置の大きな建物だったと説明を聞く
今は七重塔の基壇が復元された広場の公園になっている
この塔が駅前に十分の一の大きさで復元されていたのだった テーマパークに見えたのはこの歴史だった


 

資料館の展示に縄文土器があった 
この形は東北のものと思っていたので、相模平野にあったことを初めて知った
    

 

厚木

海老名の説明員に厚木の資料館に立派な埴輪があると聞いたので日を変えて行ってみた

先ずは市役所を目指して駅前の繁華街を通り抜ける
厚木市のゆるきゃらは「あゆコロちゃん」、アユが頭に乗った変わった形だった
人口 2010年で224,400人 
   

市役所前の公園の噴水はユニークだった
石の球の列があり、球の中央から水が少しずつ流れている だから球は汚れずきれいだ
  クリック

期待していった郷土資料館だったが、埴輪はそれほど立派でなかった
今城塚古墳の発掘品がいかにすごいかを改めて思う だけど、関西にはこのような土器は無いようだ
  

   

厚木はここを見ただけだったが、この「あつぎ国際大道芸」のポスターが気になって再度出かけた

駅前や公園、通りに人の輪が出来て大道芸を楽しんでいた
ゆるきゃらも子供たちに囲まれていた
   

かなり危険なパーフォームもやっていてハラハラする
  

  

 厚木 おわり 


小田原

小田原は以前「東海道を歩く」で通った事があるが、通り過ぎただけなので町を歩いてみた

新幹線側の駅前には「北条早雲」の立派な騎馬像があった 牛と一緒の像を不思議に思って調べたら
「火牛の計」と言う牛の角に松明を付けて、軍勢を多く見せて小田原を手に入れたそうである
早雲から四代北条氏がここ小田原を治めることになる
  

駅から小田原城に向かい赤い「学橋」で堀を渡って城内に入る 手入れされた公園になっている
小田原城は1970年にコンクリート構造で再建されて、中は北条関連の展示場になっている(写真禁止)
展示を読んで関東の武士の誇りをみる 戦国時代は命を懸けての競争だったと改めて思う
  

北条が滅びたのは秀吉の小田原攻め これで天下統一がなされたという 城に戦図があった

小田原合戦図で船で囲んだ小田原海岸を見たいと思って海岸線に行って見たが、砂浜は無かった
海岸には高速道路が作られていて少しの松並木が残る程度だった
  

海のすぐ近くだから、津波警戒の海抜表示があちこちにあった
  

小田原城の横に「二宮神社」があり、あの二宮金次郎はここ小田原生まれの人だと知る
神社には七五三の祝いの晴れ着の子が沢山いた
 

報徳博物館で尊徳の業績を読むが、小学校の校庭で薪を担いで本を読む銅像を刷り込まれていた私はこのおじさんの姿に驚いた
昔見た「一円札」の写真が二宮尊徳だったことも知らなかった
この相模で神様になった尊徳. 娘宅の近くに二宮神社があるのを納得した
  
 

小田原 おわり


このポスターを見たとき、「関東の人が鳥取の大山に行くの?」と思ったが
この山は「ダイセンではなくオオヤマ」と読む丹沢山系の山だった!
紅葉が見ごろと聞いてフリーパスを買って行ってみた

最寄りの「伊勢原駅」に着いて驚いた、ハイキングスタイルの人で一杯!
ケーブル下行のバスに乗るのに20分待ちの行列だった

バスを降りてケーブルまでの参道を登って、ケーブル乗車待ちの列がまた50分
土曜日で快晴だったが人の多さに圧倒される

 大山阿夫利神社周辺は紅葉が美しかったが、神社参拝も行列
 

せっかくここまで来たのだからと「見晴台」まで30分歩いてみたが
歩いている人の殆どが本格的な登山スタイル
踏み固められたハイキング道だった
      

見晴らし台に着いたらここも満員、ほとんどの人が携帯コンロを使って食事しているのにまた驚く
ここの見晴らし台からはるかに東京方面が見える
 

下りケーブルの途中駅で降りて、大山寺へいく
期待以上に紅葉が見事だった
 

 

帰りもケーブル待ち、バス待ちをして下山する
美しい紅葉見を堪能したが待ち時間も長かった

おわり 


横浜5回目

開港記念館講堂

前回行った時に使用中で見学で講堂が
毎月15日は一般公開していると聞いて、再度出かけてみた
大阪中の島の公会堂と同じ時代で雰囲気が似ている 二階から見たほうが舞台が間近でいい感じだった
  

ビルの横に岡倉天心の生誕の地の記念碑があった

 


 

横浜4回目

関内

横浜の周辺を歩いたが肝心の発祥の地を詳しく見て無いので日を変えて行く
「関内」の地名は浮世絵にあるこの地が所のにあったので付いたそうだ
今では川の上に高速道が通り、中央の大通りの先に大桟橋がある
 

当時のままの地名が残り、日本が外国に向けて開港した歴史が残っている
馬車道、汽車道と言う名に昔を感じていたら、馬用の水飲み場が保存されていた あちこちに石造りや煉瓦の建物がある

後で知ったが「関東大震災」でほとんどの建物が倒壊。今あるのはほぼ全部が再建されたもの
      

県立歴史博物館を見たいと行ったが、年末で休館で残念 もう一度訪ねようと思う

県庁は堂々とした建物だった上に載った塔は「キングの塔」呼ぶそうだ

県庁の向かいにあった「横浜市開港記念会館」を見る ここの塔は「ジャックの塔」と呼ぶ
無料の上、ボランティアのガイドさんが詳しく説明してくれた
ステンドグラスが美しかった 講堂が使用中で見れなかったのが残念
  

   

横浜開港資料館の中庭に「玉楠の木」がある
この楠木の下で、1854年「日米和親条約」が締結されたそうで、説明と写真がついていた
楠木は関東大震災で焼けたが、根元から新芽が出て成長したそうだ 
    

シルク博物館へ行く 開港後の横浜はシルクの輸出を盛んに行った そんな歴史を復習する
   

横浜税関も初期から出来たユニークな建物、税関の塔は「クイーンの塔」と呼ぶそうだ
資料展示室で税関の仕事を見る
初期の官吏、明治時代の官吏 水煮筍缶の麻薬を摘発 偽ブランド品など


  

横浜の3個の塔、キング、ジャック、クイーンを一度に見るポイントがあると
先ほどのボランティアさんが教えてくれたので行ってみた
県庁の向かい側の歩道の上にプレートがあり、見る事が出来た
  

    

ここで念願すると叶うという
 


 

横浜3回目

三溪園

富岡製紙で財を成した原家が作った自宅と庭園が公開されたもの
原三奚は文化人との交流が深い人物だった

横浜の中心から離れているが見ておきたい公園と思い行くが期待通りだった
 クリック

庭には松の木が多く 庭師が手入れをしていた
手前が手入れ後ですっきり 奥が茂ったままの松である
  

園内にある「鶴翔閣」は原三奚が自宅として、また、ゲストを招く為に作った建物
  

内部を解説付きで見て回った
内部は欄間や襖絵もなくすっきりとした設えだったが、飛騨の匠が作ったと言うしっかりした作りだった
明治時代に建てられたのに天井が高く、身長が高くても鴨居に頭が当たらない
作った当時から、外国人のゲストを想定していたそうだ
   

 ガラス戸の外に雨戸を閉めるのに、戸袋や角の回転に工夫してあり感心する
廊下の梁も一本柱が通っている
 

   

原三渓を尊敬する解説員が熱弁で説明してくれる
ここの椅子に明治大正の著名人、歴代の総理が座ったとそうで「試しに座りなさい」と皆に勧めた
  

部屋の中に分厚い扉の蔵があった この中に国宝級の品があり、ゲストたちに見せたという

この3間続きの和室は岡倉天心の依頼で支援した日本初期の画家達が使ったという
横山大観、下村観山、前田青邨が滞在 秘蔵品を鑑賞したり、作品を描いたという
後日、片岡球子が来たときは「恐れ多い」と室内に入れなかったと解説員が説明した
私たちはズカズカと上り込んだけれど・・

外苑の庭園内には、由緒ある建物が移築され保存されていた
戦火に合わなかったから、今に残っている
 

京都 燈明寺を移築した 本堂と三重の塔
 

白川郷にあった合掌造りの豪商の民家
  

紅葉に沢山のカメラマンが来ていた 結婚式の花嫁姿もあった
四季折々に楽しめる庭園である 季節を変えてもう一度行ってみたいと思う


横浜1、2回目 

桜木町で降りて、横浜の観光地を歩いてみた

汽車道と表示されて、生糸貿易で栄えた時に使われていた鉄路が歩道になっていた
ミネアポリスでミシシッピ川に架けられていた歩道橋と同じ時代の流れだ
   

昔の倉庫が保存された赤レンガから、大桟橋を見ると豪華客船「飛鳥」が留まっていた
  

板張りの大桟橋は観光地になっていて修学旅行生も楽しんでいた
近くで見る「飛鳥」はビルのように大きかった 

  

山下公園は今は花で埋まり市民の憩いの場になっているが、関東大震災の瓦礫を埋めて作られたという
赤い靴の女の子の像もあった
  

 

海外移住資料館

赤レンガ国際間の中にある移住資料館を見る
国が指導した日本人の移住は100年以上前から始まっていたそうで、多くの人ががこの横浜港から出発していった
ハワイ、アメリカ、ブラジルへ渡った人達の様子が展示されていた

  

積み上げられた当時のスーツケースが日本の生活習慣や伝統を運んだのだと思う
今では6世が生まれたという成功した大家族の写真もあった

 

山の手・洋館・外人墓地

石川町駅で降りて山の手に上る石段はすごく急な坂だった
登り上がると洋館が次々と現れて異次元の雰囲気だった
   

山手カトリック教会  フェリス女学園
  

ベーリックホールは公開されていて、室内を見学できた

  

 

外人墓地・港の見える丘

外人墓地は保存用の寄付金を払って見学をする 日本墓地とは違う雰囲気
日本の近代化に尽くした人が眠っている
初めて鉄道を引いた技師たちのお墓もあった
   

 

港の見える丘の高台から見下ろす 観光客がいっぱいだった
  

おわり