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タビトリプ

旅行大好き、ブログで旅日記を作りたい

ミネアポリス訪問

2013年09月24日 | 海外旅行

ミネアポリス訪問

 

姉妹都市訪問団に参加してミネアポリスに行く
ミネアポリスはアメリカの中央北部のミネソタ州の商都である(州都はセントポール)
「State of 10,000 Lake」と表現されるほど、湖が多く山がなく平原の州である

ここで行われた姉妹都市交流会に参加し、パレードでは鳴る子を振りながら歩いた

 

 英語学習 

 ツアーの中に英語学習も含まれていたが、日本でのイメージとは違っていた
初日は野外でのレクチャー 聞き取るのが精一杯だった

室内のクラスはデスク学習だったが、コーヒーとスナックが用意されていて
食べながらの授業がOK!!

バスの中の体験も学習である

ローン・レンジャーの映画を原画で見るのも学習
アクションが多いので楽しんだが、会話の中で説明される内容が判らない
帰国後、字幕付きの同じものを見てやっと理解できた(パンフは日本のもの)

 

ミネアポリス発祥

アメリカで一番長い川、 ミシシッピ川はミネソタ州で始まり、
ウイスコンシン、アイオワ、イリノイ、ミズーリ、テネシー、アーカンソー、ミシッピ州を両側に見て
ルイジアナのニューオーリンズで終わる

この間で滝があるのはミネアポリスだけだった
この滝の無料のエネルギーを水車で利用して製粉事業が始まった
こうしてミネアポリスが栄えたそうである

昔の港の遺跡が残る
  

滝の水量は多く流れも速い

当時、製品を運ぶ列車が通った線路が今は歩道橋になっている

この歩道橋を歩いたがかなり距離がある 橋の上から見る広大な風景は気分良かった

両岸に現在もアメリカで有名な製粉会社がある

 

中心街(ニコレットモール)

中心街はニコレットモールと言う
冬場用にビルは空中通路でがつながっている
  

   

金曜日に朝市が立つ、野菜や花が新鮮できれいだった
近隣に住むベトナム人が店を出しているとか 楽しんで眺めた


  


  

 

ミネアポリス美術館

 充実した美術館だった 広くて沢山のコレクションがあって、私は二回通ったが全部は見れなかった

印象派の絵画室
 

緻密で繊細な工芸品
   

日本、中国、韓国も充実


   

インデアンのビーズを使った衣装がすごかった
  

 

スエーデンハウス

 ミネアポリスには北欧からの移住者が多いそうだ
この家を建てた人もスエーデンから来た人で木材商で成功したと言う
フランスのシャトー風に建てた家である

各部屋の天井は白い漆喰を使ったロココ調の絵柄で飾られていた
 

さすが木材商で柱や階段は高級木材が使われ、凝った彫刻がしてある
  

各部屋にある暖炉がすごかった 手作りのタイルで作られた芸術品なのだ
現代ではもう作れないタイルだと思う
  

  

 

バーベキュー

英語の教師が私たちを自宅バーベキューに招待してくれた
自宅は木立と芝生に囲まれた住宅街にあった
ミネアポリスは公園の町と言われるほど樹に囲まれた芝生の場所が多い
  

バーベキューの肉は骨付きの冷凍固まり肉、これを戻して切る
  

これを野外のバーベキューコンロで豪快に焼く
この焼く仕事は男性の仕事らしい(私たちは面白がって焼いたけど)
どこの家も室内の台所はきれいに片づけられていて、煙の立つ料理は戸外となるのも判る
   

別の日に行ったアウトドアーの店の前にもコンロがずらりと展示してあった
300ドル ~ 500ドルだった
 

 

アルバム作り

姉妹都市交流の私達をボランティアで世話してくれたメアリーさんは大の日本好き
ご自分の庭を本格的な日本風に作っていた
  

メアリーさんはペーパ―クラフトを得意としていて私達にマジックのようなアルバム作りをさせてくれた

   

完成品と帰国後に写真を貼ってアルバムにしたもの 素敵な思い出に感謝!

 

野球観戦

帰国前日に私達は野球観戦をした 「ミネアポリス 対 インディアナ」だった
大きなターゲット球場はほぼ満員だったが 
日本のように風船などの旗など、太鼓や楽器の鳴り物はなく歓声のみの応援だった
   

前の席の大きな男性は選手と同じTシャツで熱心に応援していたが 「ミネアポリス」は勝てなかった
   

おわり 


欧州鉄道旅行 ②

2012年08月07日 | 海外旅行

鉄道旅行記①から続く

7日目 ベルリンへ 市内観光

ワルシャワ駅から ベルリン行き一等車に乗り込む 6人掛けコーチの窓側席だった
    

窓の外へいつもの落書きがある どこの国へ行っても同じような文字の落書きだ
風景や漫画がないのが不思議 

途中から父と息子が乗ってくる  父親は携帯で大声で話をし、息子はタブレットでゲームを開始
こんなコーチ型よりも日本の2人掛けのほうがプライバシーがあっていいと思う  
時間が早いが食堂車に逃げだす

私はポーランドの餃子、夫はラムのステーキをビールと一緒に窓の風景を見ながら楽しむ

3時過ぎ、ベルリン中央駅に着く でもホテルは三つ先のZoo駅前だった
乗り換えてたどり着く


ホテルに荷物を置くとすぐに 「ドイツ技術博物館」へすべりこむ
5時閉館までの時間を大急ぎで見て回る

  

ベルリンは二人とも以前来たことがあるので1泊のみの観光
周辺を歩いてみて、ポツダム広場を探す 多分ここだと思うが記念碑的なものは判らなかった
 クリック

地図を見るとすぐ近くに「ソーニーセンター」とあったので行ってみる
ガラスの大屋根の広場があった
 クリック

この辺りは再開発が進み新しいビルが建ち道路も広い
そんな道路に「ベルリン壁」のパネルがあった

そのまま少し行くと今度は異様な感じの公園
ユダヤ人犠牲者記念でお墓のイメージである(花火や飲酒禁止の指示があった) 

道はブランデンブルグ門に続き、再びこの門を見ることが出来たが、
今回も幕を張って、舞台を作っていてすっきり見通せなかった

近くにある重厚な連邦議会議事堂をみてタクシーでホテルへ帰る

この歩いている間に見たエコな乗り物
面白そうだが、道路の狭い日本には入ってこないだろうなぁ・・

 

8日目  フランクフルトへ &市内観光

 朝zoo駅からベルリンへ出て、昨日 座席指定を取って置いたICE817 ワゴン11号車に乗る
座席はテーブル付だった

昼過ぎにフランクフルト着 駅の感じはベルリンと似ていた

駅前のホテルにチェックインした後、街へ出る
二人とも昔来たことあるが感じが違う 欧州中央銀行のビルが目立っていた
  

ゲーテ広場もこんなに広かったかなぁと思い、ゲーテの家の入口が変わっていた
 

モダンアート美術館へ行き、ムゼウムスーハー・チケット(全館切符15€)を買う


モダンアートは写真展だったから、さっと見て近くのユダヤ人街記念館へ行く
ビルの中に町の様子が保存されていた
隣にあるユダヤ人墓地の塀には名前のブロックが並んでいた

マイン川沿いに博物館、美術館があるのでそちらへ向かう
河沿いは広々として緑が多く美しかった
クリックで拡大



応用工芸博物館でドイツの工芸品を見、 映画博物館を見て、シュテーデル美術館へ入る
ここの絵画はフラッシュなしのカメラ可で写真が撮れた

沢山の絵を見て満足してホテルへ向かう 途中駅で明日のケルン行きの座席指定を買う
順番券をとっての買い方にも慣れてきた

 

9日目 ケルン途中下車 ブルッセルへ

朝の列車でフランクフルトを発つ、ICEの一等車はテーブルのある同じ型
9時半へケルンへ着く スーツケースをコインBOXに預けるのが大変だった

私が見たかったケルン大聖堂は本当に壮大だった
日曜日だったのでミサをやっていて、澄んだ讃美歌を聞くことが出来た
クリック カメラに入らない大きさ

    


ケルンはこの大聖堂だけの観光、昼前の列車に昼食を買って乗り、車内で食べる
ベルギーへ入ったわけだが国境は判らなかった 風景も変わらない

1時半 ブルッセル着 ホテルに荷物を置いて 美術館へ急ぐ(明日月曜は休館だから)
ぜひ見たかった「マグリット美術館」へ直行するが、内容は期待外れだった
ゴッホ美術館と同じで有名品は他の美術館所有なのだ カメラも不可だった

隣の王立美術館へ入る ここは充実していた ゆったりとした展示を満足してみて閉館時間となる

王立美術館は高台にあってこのあたりの町の様子は素敵だった
クリックで拡大

クリック


ホテルへ帰る途中に立派な教会があり入ってみる ステンドグラスがきれいだった
王室の行事の結婚式や、戴冠式が行われる教会だそうだ 伝説の少女の像もあった
  

教会の前庭に何か展示してある
よく見たら福島の浪江町 津島の様子が写真と3か国語で書かれていた
 こんな所で日本の原発事故の事が!と驚く
 クリック

ホテルの近くに市庁舎前広場 グラン・プラスがあった
ベルギーの花祭りで「花の絨毯」が作られる所、周囲を美しい建物が囲む
昔のギルドは競って作った建物は見飽きなかった

   クリックで拡大

このグラン・プラスのすぐ近くに有名な「小便小僧」の像があり、人だかりしていた
前の店のベルギーワッフルはクリームゴテゴテ甘そうだった
 

夕食はホテル近くのレストラン街で名物のムール貝とパエリアのシーフードを白ワインと一緒に食べる
貝の粒は思ったより小さかったが味は良かった

 

10日目 終日ブルッセル観光

朝起きたら雷の鳴る土砂降りの雨 朝食はこの雨を見ながら取るが、8時過ぎたら止んで来た
hop・on & hop・offのバスで市内観光をすることにして、まずは一周乗って街全体を眺める 
バスには8日国語のイヤホンガイドがついていたがアジア系は中国語のみだった

      

 月曜日なのでミュージアムは休み、開館していた郊外の万博記念公園へ行く
1958年ベルギー万博の記念モニュメントに登り、見下ろす
その後、すぐ横に作られた「Mini・Europe」に行く
  

「ミニ・ヨーロッパ」は欧州の有名な建物をミニサイズで作った公園
建物は正確にしっかり出来ていて、本物そっくりだから歩くとガリバーになった気分で各国を楽しめる
グラン・プラスの花の絨毯のミニもあった

  

時間はあったのに、月曜で休館が残念なブルッセルだった


11日目  ロッテルダム途中下車  アムステルダムへ

朝の列車でアムステルダムの向う 列車の数は多く席はフリーだった

ヨーロッパの港といわれるロッテルダムをついでに見ようと予定外だが下車する
ロッテルダム駅は工事中で荷物預けが判りにくかった
駅前からトラムに乗って港へ行く
 

クルージングを勧められたので乗ってみる 中学生たちが乗っていてにぎやかだった

  

数時間の滞在でアムステルダムへ向かう
  

午後3時過ぎにアムステルダムに着く、初日と同じ駅前のホテルへチェックインする
前回行けなかったアンネの家に地図を頼りに歩いていく

観光客で一杯の行列にだった、荷物検査を受けて入る(カメラ不可)
この家の隠し部屋に2年間住んだと言う 昼はカーテンを閉めて話し声や音も立てない様にして・・
クラクフのアウシュビッツを見た後だけに悲惨さが身に浸みた

今回の旅行の最後の日なので食事は楽しもうとガイドブックに出ている店を探す
やっと見つけて入ったら、日本語のメニューが出てきた
おかげで選ぶのは楽だった ワインを頼んで美味しく頂く
 クリック


12日目  アムステルダム空港から 帰国
 

荷作りを飛行機用に詰め替えて、ホテルをチェックアウトする
中央駅から空港までは普通電車で行く
 

KLMのチェックインシステムは自分で座席指定までしなければならなかった
また荷物預けも機械相手に自分でする 初めてで戸惑う
安全チェックは待合室から飛行機に乗るときに行われ、腕をあげての透視の上ボディチェックまであった

11時間乗った後 無事関空へ帰着

追記
図書館で「トーマス・クック」の時間表を繰って、この計画を夫が立てた
予定時間通りに列車が来るかと心配で事前に駅へチェックに行ったりしたが、
この区間の列車運行は正確で、スムースに旅行出来た

旅行中危険を感じることはなかった。
人々は忙しそうに歩き、建築中の建物も多くてこれらの国の経済は好況だと思った
同じユーロでも違うようだった

列車旅行記  終わり


欧州鉄道旅行 ①

2012年08月02日 | 海外旅行

鉄道旅行記のTOPです

 一度はしてみたいと思っていた、ユーロパスを使っての個人鉄道旅行を実現。
下記がそのコース地図 

 クリックで拡大

関空から アムステルダム入り ここから個人列車旅行を開始する。
使用したパスは、ジャーマン・ベネルクスパス と ポーランドパスの一等車で、
オランダ、ポーランド、ドイツ、ベルギーの4か国を観光した
ホテルは10ヶ所は事前に、「駅近」を条件にして旅行社で予約手配した。

1日目  アムステルダム到着

  

 

 2日目  アムステルダム観光 

時差で早朝に目覚めたので、朝食前に散歩する
アムステルダムは地図の通りの運河の町だった
歩くごとに橋と運河が現れる、水は濁っているがゴミはなかった
建物は間口が狭く細長い、一軒つづ形が違うのに統一が取れているのが不思議だ



  

 トラム(路面電車)に乗って国立博物館へ行く(入場料14€)
重厚な建物でフェルメールやレンブラントの絵画で有名

    

でも私は沢山の浮世絵コレクションに驚く
またドールハウスも家のミニチュアで, いつまで見ても飽きない感じだった
    

広い公園を通り抜けて、ゴッホ美術館へ行く
途中、マレーシアから来たという家族連れと写真を取り合う

ゴッホ美術館は期待外れだった
彼の生い立ちや関係者の展示は多いが、有名な作品は他の美術館の所有なのだ
それより、地下の収蔵展の作品にいろんな作家が見れて面白かった
  

昼食後は運河クルーズボートで街を眺める
狭い運河の橋を次々とくぐって下から街を見た


帰国後TVでオランダの水位管理局の放送を見たが3cm単位で管理しているそうだ
日本のように豪雨のある国では不可能な風景と思った
  

駅へ行き、夕方乗る寝台列車の時刻とホームを確認する
個人旅行では欠かせない作業だ。
欧州の駅には改札口がないので勝手にホームまで上がれるので便利でもある
夕方、ホテルに預けて置いた荷物を受け取って寝台列車に乗る

3日目  寝台列車 クラフク着 ヴェリティカ岩塩鉱 

アムステルダム駅のホームで待っているとワルシャワ行の寝台列車が入って来た
コーチ番号を確認して乗り込む 上下2段の寝台だった
定刻になるとアナウンスも合図もなくて静かに動き出した すぐに車掌が切符をチェックに来た
         

郊外に出ると山が無い平原が続く どの土地も作物が植えられていてしっかり農業されている
山が無いから空がとても広く見える
  

夜9時過ぎてもまだ明るい、 翌朝も4時には明るくなった 樺太と同じ緯度である
いつ、オランダからドイツに入ったのか、途中ベルリンで止まり車両の付け替えがあったようだが
私は気づかず眠っていて、目覚めたら列車はポーランドに入っていた 田園風景は同じだ

11時ワルシャワに着く クラフク行きの列車を探して、ホームを移動する
ホームに人が少なくて不安になるが、表示通りに列車が入ってきた
今度は向い合せ6人掛けのコーチだった
  

クラクフは雨だった タクシーでホテルへ行く
ポーランドはユーロが使えないが運転手は受け取ってくれた

ホテルのチェックインの時、ヴィエリチカ岩塩鉱とアウシュビッツを申し込んだら、
岩塩鉱は夕方のコースに間に合う由で、タイミングよく観光出来る事になる

ヴィエリチカ岩塩鉱は
ポーランド王国の経済を支えた世界的に大規模な岩塩採掘鉱が観光化されたもの

地下に教会や塩のシャンデリアがあると聞いて期待したがまるで地下都市だった
グループごとに案内されて地下へと下がって行き帰りはエレベーターで昇った

馬も働いていた内部の様子
 

クリックで拡大 教会を見下ろす 正面が祭壇

周囲の壁の彫り物と塩のシャンデリア

4日目 アウシュビッツ終日  夕方・クラクフ観光 

8時半、ホテルへ来た迎えのバスに乗る
着いたら、駐車場はバスや車でいっぱい、観光客であふれていた

ユダヤ人の他、共産主義者 反ナチ活動家、同性愛者などがこの収容所に送られたそうだ
今は世界遺産の博物館として保存されている
本や映像で見る以上に、現場に立つと無残さが身に染みた

本によく出る 入口ゲート (クリックで拡大)

11号棟(死のブロック)と銃殺場
 

周囲は鉄条網で囲われる
 

この後、2km離れた第2アウシュビッツ(ビルケナウ)も見学
広大な場所にガス室の煙突が残され、殺人工場と言われた場所だそうだ
線路が引かれた広さがショックだった
クリックで拡大

  

クラクフ観光 
4時過ぎ、暗い気分でクラクフへもどり、切り替えて市内観光へ

クラクフはポーランド王国の都だった所、城壁がしっかり残る 
9時まで明るいのに、王宮は5時で閉館。美しいと言われる内部が見れなかったのが残念

中心の楕円が王城

歩いてみたクラクフは保存のよい古い建物が残る街だった
  

   

5日目  ワルシャワへ &観光

朝の列車でワルシャワへ、昼前に到着する 駅で次のベルリン行きの座席指定を買う
ホテルはすぐ駅前 荷物を置いて観光へ出る

ポーランドの首都ワルシャワは大都会だった
 目の前にソ連時代の名残りの「文化科学宮殿」があり、展望台へ登り街を見渡す
  クリック

正面にサッカー場
 

ポーランドは今年のユーロカップ開催国で町全体がサッカーで盛り上っていた
広場には観戦場が作られていて沢山の人が楽しんでいた
  

歩き疲れてビアテラスでピープルウォッチングをする
長靴がここのトレンドで日本の夏の紐サンダルは無かった

  

6日目  終日ワルシャワ観光

  一日トラム券を買って、街を見ることにするが、ルートがよく判らない
適当に遠くまで行くのに乗ったら、旧ソ連が作った住宅地に着いた 日本の昔の団地に似ていた

サッカー場の前を通ったので降りてみる もちろん中には入れず外部だけを見る
持ち込み禁止の多いのに驚く きっとチェックも厳しいもだろう
    

ワルシャワの歴史地区へ行く
大戦で破壊された街を絵画を基にそっくり元の形に復興したそうだ
だから15世紀の街並みは新しく綺麗だった
クリック 1947の写真 破壊された街
    

王宮も再建されたもの 内部の調度品は疎開してあったそうだ

  

この旧市街に「キューリ夫人博物館」あると探すが、入口は普通のビルだった
2Fに写真や業績、実験道具などが展示してあった 
クリック 窓があいているテラスが展示室

 

この後、モスクワ大学、コペルニクス広場を通って歩いてホテルへ帰る

国立博物館、軍事博物館も見た
ワジェンキ公園はショパンの像を見ただけだったが見る価値ありそう・・

ワルシャワ、クラフクを観光しただけだが見る所が多いポーランドと思う
パック旅行にあまり入ってない国だが、これから多くなる気がする

鉄道旅行記②に続く


フランス周遊ー2

2012年05月13日 | 海外旅行

「フランス周遊ー1」 から続く

ロワール地方

フランス中部のロワール川沿いに、王族、貴族の別荘が並んでいたそうだ。
その一つのシャンボール城を観光する

     

宮殿の中央に作られた二重らせん階段は、ダヴィンチの作とかで、
相手に会わずに上り下りできることで有名
  

宮殿内の各部屋には、昔の豪華な暮らしの様子が見れた

    

    

川沿いには、立派なお城が建っていた。

  

そのお城を眺めるように、ダ・ヴィンチの像があった

 

フジェール

ロワールから 北上して、要塞都市フジェールへ行く
岩棚に作られた中世の要塞は頑丈な石壁で囲まれていて、
石垣の上に町がある

    

   

旧市街は石つくりの立派な街並みで、劇場や鐘楼もある

   

教会のステンドグラスが美しかった

    

この町は上に上流社会人が住んで、下には皮なめしと靴屋があったそうだ。
展望台からの眺めも素晴らしかった

        

 

モン・サン・ミッシェル

雨の中をモン・サン・ミッシェルに着く。
観光写真では海に浮かんで見える島なのに道路は車がたくさん駐車して違う印象。

昼食は島内のレストランで名物、ふわふわの「オムレツ」を食べる

     

食後、頂上の教会へ登っていくが狭い道を人が多く、傘をさして大変だった。

    

   

頂上から見ると、海に浮いているのがわかる。

   

「ホテルから、モン・サン・ミッシャルが見えます」が今回の旅行の目玉!
本当にテラスから見えて、夜中の夜景も楽しめた。
翌日、ホテル横の橋から撮った写真がパンフに出ている写真だった。

    

 

オンフール 

印象派の画家たちが愛した街だそうだ。
確かにそろった街並みが美しく、こんな絵を見たことある。

   

チョコレートが有名だとか、可愛いお店があった

   

港町だから、船大工が作ったという木造の教会はユニークで味があった。

  

昼食は「エスカルゴ」の前菜、パスタと魚がメインディッシュ

 

ジベルニー

この町にモネの館と庭がある。ここも傘をさしての鑑賞、
春で花がきれいだった。

  

スイレンで有名なモネの絵の庭は川の流れを変えて作ったそうだ。
回遊式になっていて広かった。

  

 

パリ 

最終日はパリ観光。
バスの車窓から、市内を見た後ルーブル美術館へ

地下駐車場から入ったので、例のガラスのピラミットは底部分を見たのみ。

中はいっぱいに人で混雑、ガイドの目印についていくだけで精一杯。
モナリザ、ビーナス、ニケは特に人だかり

     

画集で見た絵があちこちにある、フラッシュ無しなら写真OK

  

午後はオプションで、ベルサイユに行く
ここも、庭園の横門から入ったので、以前と印象が違う
木の選定が直線ですごい!

  

宮殿の内部は豪華絢爛!!でも多勢の人であふれていた

 

     

夕方、エッフェル塔の前の乗り場から、セーヌ川クルーズ船に乗る

   

セーヌ川の両岸に並ぶ建物を眺めるが、小雨で寒かった。
恋人たちが留めつけたという、錠がいっぱいついた橋をみる

   

    

その他のパリの写真
凱旋門、コンコルド広場ののオベリスク

  

 

フランス周遊  終わり 


フランス周遊-1

2012年05月10日 | 海外旅行

パリには行ったことがあるが、フランスの他の部分を見たくて、パック旅行「フランス周遊10日間」に参加した。
一つの国を10日間なのでゆっくりできるかと思ったが、連日バス旅行で忙しかった。
南部コートダジュールのニースから北上、パリで終る旅だった。 下記の地図を参照。

 旅程

 

  ニース&モナコ

有名なニースの海岸は朝の雨でぬれていた。
海岸沿いにマチスが滞在したホテルがあったが、彼の絵にある青い海と空は見れなかった

       

旧市街へ入り、花市場を見る 朝早くてまだ客が少なかったが、花や野菜が並べられていた

    

この後、バスで丘へ登り、シャガール美術館へいく。
旧約聖書を描いた絵ばかりで、日本へ来るシャガールのロマンティックな絵画とは違っていた

  

   

国境を越えてモナコ王国へ行く。
「標識が見えますよ、はいモナコへ入りました」さすがユーロだと思う
展望台から、昔の砦の上に立つ王宮、豪華なヨットが停泊するモナコ湾を眺める
 

    

高台の王宮にはエレベーターとエスカレーターで上がる
教会の中は立派で、グレース王妃の墓には花かささげられていた

  

 

ニースへ帰る前に、鷲の巣村と言われる「エズ」に行く。
岩山の上に立つ中世そのままの村が、観光地として保存されていた。


頂上はサボテン公園になっていて、地中海の暖かさだらこそ。
村は芸術家や土産物店になって人が住んで保存に協力しているという。

       

 

            

 

プロヴァンス&アルル 

7:30に出発して、プロバンスに向かう
私はセザンヌの「サント・ヴィクトワール山」を期待していた。
朝霧が晴れて、車窓から見えた姿はなだらかで絵のイメージと違っていた。

ゴール広場のセザンヌの銅像に握手をする
    

ゴッホのアルルの橋はただ写真スポットの為だけにあった。
絵のモデルは大戦で無くなり、同形を残したそうだ。

   

 跳ね橋を見た後、アルルの町へ到着、町は復活祭でお祭り騒ぎだった。
ガイドによると、いつもは静かな町だそうだ。

内部見学の予定のローマ遺跡の円形闘技場が、闘牛開催のために入れなくて代わりに
古代劇場跡を見学する
   

ゴッホの「夜のカフェテラス」のモデルの広場は人でいっぱい
入院した精神病院の庭では音楽隊が練習をしていた

   

 アルルの衣装を着た女性が歩き、風船屋さんも出ていた

       

 

アビニョン

アビニョンにはローマから移された法王庁があったそうだ(1300年代)
歌で有名な「アビニョンの橋」はその法王庁へ渡るためにローヌ川にかけられていた橋
川の氾濫で何回もの崩壊で今は半分しか残っていない

法王庁の外観は壮大で立派だったが、内部の装飾は残っていない
昔はフレスコ画やタペストリーで飾られていたことを想像するだけだった。

  

  

アビニョン郊外にある「ポ・デ・ガール」は凄かった!3層のアーケードは見事だ。
スペインのゼコビアで同じ水道橋を見たが、ローマ人はこうまでして水を制するのかと驚く。

 

 

リヨン

絹織物で栄えた町、美食の町、フランス第2の工業都市だそうだが、観光は旧市街を見ただけ。

丘の上の大聖堂は黄金のマリア像が町を見おろして手を広げていた。
見下ろした町はこの日はかすんでいた
この大聖堂の内部のフレスコ画は黄金に輝いて見事だった

  

  

丘から降りて、旧市街のリヨン歴史地区を歩く、絹織物を担いで通ったと言う狭い通路が面白かった。
広場の中央にある「サン・ジャン教会」から、丘の聖堂が見えた。
この教会には、有名な天文時計があり、針が動いていた。

   

 

ブルージュ

7:30に出発して、382kmのロングドライブでフランスの中央部を走る。
広大な菜の花畑や林が続く、ヤドリギの付いた木が多かった。
丸い形も少しなら可愛いが、悩みの種の公害だそうだ。

  

ブルージュでは大聖堂を見学する。
日曜日だったので、本物の復活祭のミサを見ることが出来た。
大勢の人の中で厳粛な雰囲気だったのに、部外者の私たちが入ることを許したのはすごい。

  

 

「フランス周遊ー2」へ続く  


北京旅行

2011年11月16日 | 海外旅行

20年前に北京へ行ったので、オリンピック後の北京を見に行きたいと思っていたのがやっと実現する
JTB個人パック  北京3泊4日フリータイム
現地集合、空港で13名が集まり、バスでホテルに案内されるが、あとは帰りまで自由行動のパック
私たちは地下鉄を利用して北京市内を歩き回ったから、パック観光で見れない北京の様子を見ることが出来た。

街の様子
20年前と同じホテルに泊まり、周囲の変化を体験した。
当時は自転車が群団になって走り、車は日本からの中古車が社名が入りのまま走っていたのに
今は、道路は整備されホテルの横の道は立体交差になっていた、走る車は今の日本と同じセダン車。
日本に多い小型車やファミリーワゴン車はほとんどなかった。
また、アジアの都市に多い大型バイクに3~4人の家族が乗る風景もなかった

  

地下鉄
地下鉄は使いやすかったが、入口で必ず安全検査があり、飛行場のようにX線に荷物を通さねばならない
料金は全区間2元(30円)自動販売機で買う。 旧線は大阪の地下鉄と同じホームだったが、
後から作られた新線は京都の地下鉄のように線路とホームが区切られて、車両が来ると開く安全システムになっていた。
車内の案内は液晶画面表示、音声アナウンスもある 窓の外にも液晶広告が見えたのには驚いた
車内のほとんど人達が携帯を持っている、大声で話している人もいた。

    

天安門広場・故宮博物院
ホテルから近い位置にあったので、何回か行くが警備の厳重なのに驚く
到着した日に、まずは天安門へと思って行くが、広場は厳重に囲われていて、
広場に入る位置で、地下鉄と同じX線検査をされた 広場には公安、兵士、Policeが各所に立ち、
照明塔には監視カメラが7個もついて各方向を向いていた。中国国家の警戒はこんなに厳しいのかと思った
  

ガイドブックによると広場で行われる国旗掲揚 朝の掲揚と夕方の降下を見に集まるという
日没時に人が集まり衛兵の見守る中での国旗降下が行われた

故宮博物院へは早朝混まない内にと出かけたが、思いは同じでいっぱいの人だった
国内旅行が盛んのようで各地からきた観光団体が帽子やバッチの目印を付けてあふれていた。
私たちはあまりの多さに圧倒されて出直そうと引き返す 
  

昼過ぎ出直す、日本語の音声ガイド(使用料40元・デポジット100元)を借りて聞きながら歩く。
ポイントに来ると自動的に説明されるのだが、思うように作動せずイライラした
周囲は大人ばかりで、子供の姿がない あっても一人っ子を数人の大人が連れている、子供同士が騒ぐ姿がないのは異様だ
広い園内を本を片手に歩くが赤い壁に囲まれた道は同じに見えて迷ってしまう。気づいたら出口だった。
  

天壇公園
次の日の早朝、天壇公園へ行く そして驚いた!! 公園内はシニアでいっぱいだった
時間は朝の7時半、私たちは公園入場料15元を払ったが地元の人は無料なのだろう
広場で太極拳、輪踊り、バトミントン、社交ダンス、いろんなグループがいた
回廊に集まる人たちはトランプや駒ゲームでいっぱい
筆に水を付けて石の道路に達筆な文字を書いている人もいた。
天壇の建物よりも、この人たちのエネルギーの印象が私には強かった 

 

クリックで拡大してみてください
     

     

オリンピック公園・鳥の巣
地下鉄でオリンピック公園へ行く、広い敷地で水泳センター、体育館があった
陸上競技が行われた「鳥の巣」はあのユニークは形で立っていた 入場はシニアで無料で入れた(荷物のX線検査あり)
競技場に入ると中は広く、ここでオリンピックが行われたと感慨を持って観客席に座る
  

見るとトラックに何かが走っている? 
私が憧れている例の不思議な乗り物だった(小泉首相がDCで乗った二輪車)
一人200元(¥3000)でこれに乗って選手が走ったトラックを数周することが出来た
体の重心移動で動く乗り物を初体験、競技場のトラックは土ではなくプラスチックであることも知った
  

 その他
中国のデジタル化は進んでいた
北京ダックを食べようと入ったレストランのメニュー表は「ipat」で給仕は携帯で厨房と連絡取っていた
私たちはipatの使い方をウロウロしながら注文した
 

ホテルのTVはPC兼用だったので、試しにGoogleを検索したら噂通りに「百度」で
北京市内の地図も同じような表示だった
   

これで北京旅行 終わり

私はこの10月に中国・北京とフィリピン・マニラの二つの都市を見てきたが
どちらもセキュリティ・チェックが厳しいのに驚いた。乗り物入口、建物の入り口で必ず荷物を検査された
日本へ帰り、荷物検査の面倒は無くなったが、日本はそれだけ安全なのか、甘いのか、大丈夫かとも思う


マニラ旅行

2011年11月15日 | 海外旅行

フィリピン国・マニラへ3泊4日の短期旅行をする、飛行機とホテル予約の滞在型の個人旅行。
関空から3時間半 時差は1時間遅れの国 雨期が終わり乾季に入る快適な時期を、
を選んだつもりだったのに、ハローウィンを挟むHolidayweekで美術館・博物館の公的機関は休みだった。

高山右近
マニラといえば高山右近の像を見たいと到着した夕方見に行くが、下町の寂れた公園に立っていた。
ガイドブックにも小さくしか出ていなかったので観光地ではない

 

サンチャゴ要塞
スぺイン時代にパッシグ川の河口に作られた城壁都市、今もしっかり城壁が残っている
日本軍占領時代に要塞としても使われた所。スペイン王フェリペ2世の像があった。
川の対岸はチャイナタウン

  

 

街の様子
個人旅行なので、高架鉄道やメータータクシーを使って街をよく歩いた
道路に物売りの店が並び、くるま、ジプニー、三輪車雑多に走っていた、また子供が多いのも目に付く

 

 

高架鉄道は階段上で荷物検査をされる、そのあと切符を買ってホームへ出る
切符は距離で値段が違うので行き先を決めて買う

車内は混雑していてバックをしっかり押さえて立っていたら席を譲られた
階段の多い高架電車には高齢者は少ないから目立った?(エスカレーター無し)
FEMAL AREA(女性専用車)もあった。
  

歩いていたら市場が見えたので入ってみた。
いっぱいの人と沢山の品物、この豊富なアジアの食料品だった

  

ホテルとマニラ湾
ホテルはSランクを選んだので立派だった 
ここもガードが厳重で車で着くと、車体下を鏡で検査される。手荷物も開いて検査してやっとロビーに入る。
麻薬監視犬も毎回クンクンしてくれた
    

望みどおりに窓からマニラ湾が見える
ベットにクッション4個も置いてある、高級ホテルはこのように枕が沢山でどのように使うかといつも思う
  

毎晩、マニラ湾の夕日を楽しんだ

マニラ旅行記 終わり 


ムンバイ(インド)

2011年06月02日 | 海外旅行

世界遺産のエローラ、アジャンタを見たくて、インドのムンバイ(ボンベイ)を旅行する。
北部のパック旅行はよくあるが、ムンバイだけのパックを探すのは難しかった。


やっと見つけたのが、小規模の旅行者社の企画で二人催行OKのパックだった。
でもこれがよかった。
私達は二人だけで、運転手、現地案内人、観光ガイドが乗用車で案内してくれる快適な旅行が出来た。

 

エローラ

ムンバイ到着後 列車でオーランガバードへ。 列車はとても長く15両以上繋がっている。
インドの鉄道はイギリス統治時代に作られたもので、
ムンバイの「旧名ビクトリア駅」は教会のような重厚な建物だった。

しかし中に入ると・・人でいっぱい。鉄道は乗用車を買えない庶民の乗り物になっていた。



  

私たちは2等車の指定席だったが、普通車は荷物と人で満員だった。
 途中の駅もホームは人でいっぱいで、
駅に止まると昔の日本のように窓から物売りが来て、車内にも入って売っている。

  

 

エローラ石窟 

エローラの石窟遺跡はヒンズー教、仏教、ジャイナ教がお互いの寺院を破壊することなく共存している。
 お互いが自分たちの宗教を主張するように寺院は見事に作られている。

 
他の国に見られるように,首が落とされたり、顔が削られたりしていないから、
作られた時代の仏像がそのままの姿で残っているのが素晴らしい。

現代も信者がいるインドの包容力なのだろう。

何もない普通の崖の岩からすべてが掘り出して作られている
柱も仏像も外から運び込んだのではないのがすごい。

 

 

石窟なのに、天井が木造つくりの梁のように作られている、ここは仏教寺院。
  

エローラ第16窟、カイラーサータ寺院。100年かかって作られたシバ神を祭るヒンズー教の寺院。
 

 

 アジャンタ

日はアジャンタの石窟群を観光、オーランガバードから車で3時間走る。
 途中インドの田舎の様子が見れた。道路は表面のみ舗装してあるが中央線がない対面通行である。
ここを牛車、荷車、トラック、乗用車、バイク、自転車、人が歩く、その中を「追い越し」をかけるから怖い・・
 車の後ろの窓から写した写真は窓のフィルターで青い。

  

アジャンタ石窟

アジャンタの石窟群は仏教遺跡の壁画で有名、
3~5世紀に描かれたもの。
変化しやすい壁画が、雨の多いインドに残っていたのは1000年以上もジャングルに覆われていたから。 
1819年にイギリスの兵士が虎狩に来た時に発見したそうだ。

この遺跡の保存に日本のODAが協力したという。
道路を舗装し、駐車場を作りエコシャトルバスで石窟へ行くシステム、
石窟には蝙蝠が入らぬように扉も作られていた。 
石窟内の照明も最小限にし、フラッシュも禁止で壁画保存に努力していた。
 仏教が日本へ伝わる前の仏教画がこうして残っているのはすごいことだと思う。

   

  

石窟の中は寺院の内部のように立派な部屋で中央に仏像が祭られ、
周囲は壁画で囲まれていた。
 どんな設計図を基に1000年以上も前人々は掘り出していったか、不思議思う。

 
  


観光中のインドの女の子が手にヘナのきれい模様を描いていたので写真を撮らせてもらう。
これがインドのおしゃれだろう、サンダルを履く足にも描いている女性もいた。

   

ビービ・カ・マクバラー寺院

観光パックには入っていなかったが、
近くにタージマハールと似たイスラムの寺院へ追加オプションで行く。
本当にそっくりな作りだったが、大理石はドームと墓標間まわりのみで、あとは漆喰仕上げだった。

 


この庭にはマンゴーの樹が沢山あって、実を穫り入れているところだった。
私はマンゴーがこんな形で実るとは知らなかった。
もぎたてを食べさせてもらったが、固い柿のようだった。1週間ほど熟成させてから売るそうだ

   

 

エレファンタ島

インド湾に浮かぶ島でインドの門の波止場から船で1時間、ヒンズー教の石窟寺院を観光する。
6~8世紀に作られシバ神を祭る彫刻が沢山ある。
16世紀に上陸したポルトガル人に邪教としてかなりが破壊されたのが惜しい。
シバ神の三面半身像が有名。

     

船から見たインドの門とダージマハルホテル

 

ムンバイ

 1日フリータイムで自分たちで観光する。
 ホテルがビクトリア駅の近くだったので旧市街を歩いて観光することが出来た。

イギリスの統治下だった時代の石造りの建物と大きな街路樹が枝を張り雰囲気のある町だ。
 手入れをすればよい観光地になるのにと惜しい気がした。

   

  

これら立派な建物の下で、サトウキビのジュース絞りや揚げ物など食べ物屋が出ている
  

 

食事

二人だけのパックだから、食事はいつも現地食のカレーだった。
 インドのカレーは日本のように肉や野菜を一緒に入れない。

チキンカレー、ラムカレー、ホウレンソウのカレー、豆のカレーと
具は一つだけでそれぞれが別の味と辛さで作られていた。 

カレーと一緒に出てくるのは、茶色のチャパティと長粒米のぱらぱらのライス、
日本で見る白く柔らかなナンは一度もなかった。

水はボトル入りを買って飲み
サラダなどの生ものを避けたので二人とも下痢なしで元気に帰ることが出来た。

  

ムンバイ旅行記 終わり 


アジアンクルーズ 

2011年04月13日 | 海外旅行

ブームで人気のクルーズ旅行がどんなものか体験したくて、アジアンクルーズに参加する
パンフレットのうたい文句は、~お手ごろな価格で豪華な船旅の雰囲気を味わう~
スーパースターヴァーゴ、総トン数76,800t 全長268m 乗客定員1,870人

シンガポール発着で、観光はシンガポール、ペナン島、プーケット島の3か所、
ホテル2泊、船3泊の行程だった

 

★ シンガポール観光

シンガポールのチャンギ空港は乗り換えで何度か行った事があるが、市内観光は今回が初めて、
マレーシアの先端、日本の淡路島と同じ規模の島が国家なのだ
緑が多く、高層ビルの林立、活気を感じる街

シンボルのマーライオンは「シンガポールビエンナーレ2011」のアート作品になっていた
対岸に屋上に船が乗ったビルがあって、その大胆さに驚く
 

 街のビルのデザインは様々で、日本やアメリカの箱型ではないから、機能的ではないと思うが
これは風水を気にする中国系が「吉」を呼ぶという三角や八角を好むからだそうだ
日本の丹下健三、黒川紀章のデザインのビルもあった
 

最終日に「セントーサ島」を観光する、ここは島全体がレジャーランド だった
マーライオンがあり、ユニバーサルスタジオ、水族館、博物館、プライベートビーチを持ったホテルなどなど・・

  

でも、回転展望台から見た海には50隻ものタンカーが入港待ちしていたから、
この国は観光だけでなく貿易が主体が本当だと思った

 

★客船内の様子

  船内は立派だった 13F 床は絨毯が敷かれ、エレベーターが前、中、後と3か所ある
設備もレストラン、カジノ、バー、フィットネス、図書館、プール、映画、カラオケ、など沢山で迷うほど・・ 

私は「窓なし」 の部屋だったので、寝る以外は部屋の外で過ごしていた
船内新聞でその日の行事と予定を読んでしたいことを選んで楽しんだ

 

 

食事もおいしかった 朝、昼はバフェスタイルのレストランで好きなものを食べ、
夕食はコース料理をワインやビールで頂き、夜は有料、無料のショーを楽しんだ
 

船内のシステムはパスポートを乗船時に預けて、アクセスカードをもらう
このカードが部屋のキー、有料の支払いを兼ねていて、船内での現金使用はなく、最終日に決済
憎いのは、カードの色が部屋のランク・バルコニー、窓あり、窓なしで区別されていて、優待条件が違う事だった

また、春休みで子供ずれのアジア人が多かった事が雰囲気を半減させていた。
250人の子供がいたそうで、
行事の内容が子供向きであり、他の場所でも子供が走ったり騒いだりしていた

しかし3泊で私は船には向いてないと実感する
デッキの長いすで「
ぼーっと何もせず」に居ることが、どうしても出来なかったから・・
自分にとって「至福の時間」はなんだろうかと考えてしまった

 

★ペナン島観光

(写真はクリックで拡大、矢印キーで戻る)

船から降りて、バスでペナン島観光する(中国系の日本語ガイド)
初めは、水上民家 海に杭を立ててその上に家を建てた住宅
日本のように津波が来たらすぐに流されてしまいそうな家だった

ペナン最古の中国寺院「クーコンシー」は立派なお寺だった
屋根の上に飾り立てた宝船が乗っている、柱の彫り物、天井周辺も見事、福建省様式だそうだ

  

1900年に作られた新しい寝釈迦仏寺院を観光
寝姿の仏様は大きくて、ピカピカだった お顔もマレーシアタイプ 真剣にお参りしている人が沢山いた

  

観光で定番の見学と販売のバッティック工場へ行く
手作業で生地を染めていた 京都の友禅染めに似ている

  

この後、トライショー(人力車)人乗る、ここの人力車はお客を前に乗せるので、見晴らしは良いが怖い
車が走る横を対向車を縫っていくのだから・・ 快適とは言えない

 

 

 

★プーケット島観光 

 プーケットの海岸は遠浅だから、船は沖に泊まってボートに乗り換えて島に上がる
途中の海には30~50㎝もあるクラゲが沢山浮いていた、海岸にはビーチパラソルが開き海を楽しむ人でいっぱいだった
 

船客はオプションに参加したり自由に観光する
私はプーケットランドマーク(英語)に参加、大半の日本人客はゾウ乗り体験に参加していたが・・
相客はインドの家族、インドの若いカップル、シンガポールから4人でライトバンでビューポイントに案内される
初めは灯台から島を見る、英語の説明は半分もわからなかったが、景色はすばらしかった
願いが叶ったら象を供えるという神様はいっぱいの象さんで囲まれていた
   


次も山の頂上に建築中のすごく大きなブッダの像、タイの国と世界の平和を願って作っているという
これから、内部や寺の建物を作るとかで、巨大な姿の下は仮住まいの寺だった
  

プーケット中心の仏教寺院ワットシャロンに行く、仏舎利を祭る塔が中心だが周辺にもたくさんの寺院があり、
観光バスもたくさん止まっていて賑わっていた
  

この後いつものお土産屋さんは、 カシュナッツ店
入口に実際に実がなっている木があった、私はカシュナッツがこんな形でなると知ってびっくりする
皮が固いらしく、手作業で割る実演もしていて面白かった
   

 

これで、クルージング旅行記は終わり

今回の旅行で思ったこと、日本人は時間を守るけど、他の国の人は自分時間があるという事だ
私など集合時間前から準備して、時間厳守で場所に行くのに、他の国の人は平気で遅れてくる
これが日本人のストレスになると聞いたことがあるけど、実際に体験して私もイライラした 


USA北西部ドライブ 4

2011年01月12日 | 海外旅行

USAドライブ 3 から続く

⑥シアトル観光

到着した時、市内の南にあるタコマ空港からレンタカーで南下したので、シアトルに入るのはこれが初めてだ
道路の車線場多くなってビルが見えてくる 今回も雨模様

市内の観光案内所に行き地図やパンフを探す、日本からの観光客も多いようで日本語のパンフもあった
ここで駐車場付きのホテルを紹介してもらう ホテルはモノレール近くの便利な場所だった

 

   

翌日は北部のボーイング社を見学する
9時の見学ツアーに参加したいと通勤時間に走るが街から出る方向なので楽だった
見学はすべての荷物をロッカーに預けて手ぶらとなったので写真は建物と受付横の展示しか撮れなかった


シアトルに戻り、水族館に行くが古い感じだった 世界でも珍しい「Fish Ladder」鮭の川登りの設備がある

   

昼食は近くのシーフードレストランで山盛りの貝やカニを木槌で叩きながら食べた
豪快で面白かったが、手が魚臭くなる
  

シドニータワーを見る モノレールが中に入り科学館、遊園地が併設されている
私たちは周辺を見ただけで帰る
      

次に行ったのは、一郎で有名な野球場「Safeco」
これも外回りを見ただけだったが、一郎の写真が大きく出ていた
  

 

⑦カナダ バンクーバーへ日帰り
 

翌日は国境を越えて、カナダのバンクーバーヘ行く
入国はパスポート検査のみでOKだった 人々の行き来が盛んなようで専用通過レーンがあった
カナダ側の観光案内所で見どころを教えてもらいそこへ向かう
   

カナダへ入ったら、道路標示がmile からkmに変わる
入国ゲートから約1時間半走ってバンクーバー発祥のエリアに着く、大きなビルが立ち並ぶ大都会だ。
街を歩いている人々にアジア人が多い、オーストラリアのシドニーと雰囲気が似ている
同じイギリス系で移民を受け入れた国だからだろうか?
  

イギリスの雰囲気はオールドタウンに色濃く残っていた
  

中華街へ行く ここで昼食して、久しぶりに米粒を食べた
どこの国でも中国人は中華街を作って商売をする、この逞しさに感心する
  
 

湾には水上飛行機の発着場があった、ここにはオリンピックの聖火台が飾られていた
  
 

 

シアトルに戻り、翌日空港でレンタカーを返して、関空行きの飛行機で帰国する
トラブルなくドライブできたことに感謝して・・・

USAドライブ記 終わり