タビトリプ

旅行大好き、ブログで旅日記を作りたい

関東を歩く①・・海老名,厚木、小田原、大山、横浜

2013年10月23日 | 関東を歩く

再び関東に来ている しばらく滞在して娘宅の家事応援の予定
せっかくの関東なので、時間を作って周辺を歩いてみるつもり、その記録をここに残したい

海老名

海老名はJR線と相鉄線と小田急線の交差で発展した町、初めて行ってみる
駅前は陸橋で続き、テーマパークのようにカラフルだった

  

これだけの店を支えるのは巨大な駐車場があるからと納得する
ポスターに海老名の「えびーにゃ」が”ゆるキャラ・グランプリ20013” にエントリー「5位内を目標」とあった
  

どんな町かと思いながら歩いて市役所へ 思ったより地味だった
駅前のビルから想像して、立派な市庁舎を作っていると思ったので意外だった
人口、1010年で127,700人

地図をもらって旧道を歩いていたら、変わったミカンを見た 名前はなんだろう?
   

その近くの家には大きなサボテンに実がなっていた 海老名は冬も暖かいのだと思う
  

市立郷土資料館を見つけて入る 旧海老名村役場庁舎だそうだ
ここでこの場所が奈良時代の「相模国分寺跡」と知る
  クリック

法隆寺様式の伽藍配置の大きな建物だったと説明を聞く
今は七重塔の基壇が復元された広場の公園になっている
この塔が駅前に十分の一の大きさで復元されていたのだった テーマパークに見えたのはこの歴史だった


 

資料館の展示に縄文土器があった 
この形は東北のものと思っていたので、相模平野にあったことを初めて知った
    

 

厚木

海老名の説明員に厚木の資料館に立派な埴輪があると聞いたので日を変えて行ってみた

先ずは市役所を目指して駅前の繁華街を通り抜ける
厚木市のゆるきゃらは「あゆコロちゃん」、アユが頭に乗った変わった形だった
人口 2010年で224,400人 
   

市役所前の公園の噴水はユニークだった
石の球の列があり、球の中央から水が少しずつ流れている だから球は汚れずきれいだ
  クリック

期待していった郷土資料館だったが、埴輪はそれほど立派でなかった
今城塚古墳の発掘品がいかにすごいかを改めて思う だけど、関西にはこのような土器は無いようだ
  

   

厚木はここを見ただけだったが、この「あつぎ国際大道芸」のポスターが気になって再度出かけた

駅前や公園、通りに人の輪が出来て大道芸を楽しんでいた
ゆるきゃらも子供たちに囲まれていた
   

かなり危険なパーフォームもやっていてハラハラする
  

  

 厚木 おわり 


小田原

小田原は以前「東海道を歩く」で通った事があるが、通り過ぎただけなので町を歩いてみた

新幹線側の駅前には「北条早雲」の立派な騎馬像があった 牛と一緒の像を不思議に思って調べたら
「火牛の計」と言う牛の角に松明を付けて、軍勢を多く見せて小田原を手に入れたそうである
早雲から四代北条氏がここ小田原を治めることになる
  

駅から小田原城に向かい赤い「学橋」で堀を渡って城内に入る 手入れされた公園になっている
小田原城は1970年にコンクリート構造で再建されて、中は北条関連の展示場になっている(写真禁止)
展示を読んで関東の武士の誇りをみる 戦国時代は命を懸けての競争だったと改めて思う
  

北条が滅びたのは秀吉の小田原攻め これで天下統一がなされたという 城に戦図があった

小田原合戦図で船で囲んだ小田原海岸を見たいと思って海岸線に行って見たが、砂浜は無かった
海岸には高速道路が作られていて少しの松並木が残る程度だった
  

海のすぐ近くだから、津波警戒の海抜表示があちこちにあった
  

小田原城の横に「二宮神社」があり、あの二宮金次郎はここ小田原生まれの人だと知る
神社には七五三の祝いの晴れ着の子が沢山いた
 

報徳博物館で尊徳の業績を読むが、小学校の校庭で薪を担いで本を読む銅像を刷り込まれていた私はこのおじさんの姿に驚いた
昔見た「一円札」の写真が二宮尊徳だったことも知らなかった
この相模で神様になった尊徳. 娘宅の近くに二宮神社があるのを納得した
  
 

小田原 おわり


このポスターを見たとき、「関東の人が鳥取の大山に行くの?」と思ったが
この山は「ダイセンではなくオオヤマ」と読む丹沢山系の山だった!
紅葉が見ごろと聞いてフリーパスを買って行ってみた

最寄りの「伊勢原駅」に着いて驚いた、ハイキングスタイルの人で一杯!
ケーブル下行のバスに乗るのに20分待ちの行列だった

バスを降りてケーブルまでの参道を登って、ケーブル乗車待ちの列がまた50分
土曜日で快晴だったが人の多さに圧倒される

 大山阿夫利神社周辺は紅葉が美しかったが、神社参拝も行列
 

せっかくここまで来たのだからと「見晴台」まで30分歩いてみたが
歩いている人の殆どが本格的な登山スタイル
踏み固められたハイキング道だった
      

見晴らし台に着いたらここも満員、ほとんどの人が携帯コンロを使って食事しているのにまた驚く
ここの見晴らし台からはるかに東京方面が見える
 

下りケーブルの途中駅で降りて、大山寺へいく
期待以上に紅葉が見事だった
 

 

帰りもケーブル待ち、バス待ちをして下山する
美しい紅葉見を堪能したが待ち時間も長かった

おわり 


横浜5回目

開港記念館講堂

前回行った時に使用中で見学で講堂が
毎月15日は一般公開していると聞いて、再度出かけてみた
大阪中の島の公会堂と同じ時代で雰囲気が似ている 二階から見たほうが舞台が間近でいい感じだった
  

ビルの横に岡倉天心の生誕の地の記念碑があった

 


 

横浜4回目

関内

横浜の周辺を歩いたが肝心の発祥の地を詳しく見て無いので日を変えて行く
「関内」の地名は浮世絵にあるこの地が所のにあったので付いたそうだ
今では川の上に高速道が通り、中央の大通りの先に大桟橋がある
 

当時のままの地名が残り、日本が外国に向けて開港した歴史が残っている
馬車道、汽車道と言う名に昔を感じていたら、馬用の水飲み場が保存されていた あちこちに石造りや煉瓦の建物がある

後で知ったが「関東大震災」でほとんどの建物が倒壊。今あるのはほぼ全部が再建されたもの
      

県立歴史博物館を見たいと行ったが、年末で休館で残念 もう一度訪ねようと思う

県庁は堂々とした建物だった上に載った塔は「キングの塔」呼ぶそうだ

県庁の向かいにあった「横浜市開港記念会館」を見る ここの塔は「ジャックの塔」と呼ぶ
無料の上、ボランティアのガイドさんが詳しく説明してくれた
ステンドグラスが美しかった 講堂が使用中で見れなかったのが残念
  

   

横浜開港資料館の中庭に「玉楠の木」がある
この楠木の下で、1854年「日米和親条約」が締結されたそうで、説明と写真がついていた
楠木は関東大震災で焼けたが、根元から新芽が出て成長したそうだ 
    

シルク博物館へ行く 開港後の横浜はシルクの輸出を盛んに行った そんな歴史を復習する
   

横浜税関も初期から出来たユニークな建物、税関の塔は「クイーンの塔」と呼ぶそうだ
資料展示室で税関の仕事を見る
初期の官吏、明治時代の官吏 水煮筍缶の麻薬を摘発 偽ブランド品など


  

横浜の3個の塔、キング、ジャック、クイーンを一度に見るポイントがあると
先ほどのボランティアさんが教えてくれたので行ってみた
県庁の向かい側の歩道の上にプレートがあり、見る事が出来た
  

    

ここで念願すると叶うという
 


 

横浜3回目

三溪園

富岡製紙で財を成した原家が作った自宅と庭園が公開されたもの
原三奚は文化人との交流が深い人物だった

横浜の中心から離れているが見ておきたい公園と思い行くが期待通りだった
 クリック

庭には松の木が多く 庭師が手入れをしていた
手前が手入れ後ですっきり 奥が茂ったままの松である
  

園内にある「鶴翔閣」は原三奚が自宅として、また、ゲストを招く為に作った建物
  

内部を解説付きで見て回った
内部は欄間や襖絵もなくすっきりとした設えだったが、飛騨の匠が作ったと言うしっかりした作りだった
明治時代に建てられたのに天井が高く、身長が高くても鴨居に頭が当たらない
作った当時から、外国人のゲストを想定していたそうだ
   

 ガラス戸の外に雨戸を閉めるのに、戸袋や角の回転に工夫してあり感心する
廊下の梁も一本柱が通っている
 

   

原三渓を尊敬する解説員が熱弁で説明してくれる
ここの椅子に明治大正の著名人、歴代の総理が座ったとそうで「試しに座りなさい」と皆に勧めた
  

部屋の中に分厚い扉の蔵があった この中に国宝級の品があり、ゲストたちに見せたという

この3間続きの和室は岡倉天心の依頼で支援した日本初期の画家達が使ったという
横山大観、下村観山、前田青邨が滞在 秘蔵品を鑑賞したり、作品を描いたという
後日、片岡球子が来たときは「恐れ多い」と室内に入れなかったと解説員が説明した
私たちはズカズカと上り込んだけれど・・

外苑の庭園内には、由緒ある建物が移築され保存されていた
戦火に合わなかったから、今に残っている
 

京都 燈明寺を移築した 本堂と三重の塔
 

白川郷にあった合掌造りの豪商の民家
  

紅葉に沢山のカメラマンが来ていた 結婚式の花嫁姿もあった
四季折々に楽しめる庭園である 季節を変えてもう一度行ってみたいと思う


横浜1、2回目 

桜木町で降りて、横浜の観光地を歩いてみた

汽車道と表示されて、生糸貿易で栄えた時に使われていた鉄路が歩道になっていた
ミネアポリスでミシシッピ川に架けられていた歩道橋と同じ時代の流れだ
   

昔の倉庫が保存された赤レンガから、大桟橋を見ると豪華客船「飛鳥」が留まっていた
  

板張りの大桟橋は観光地になっていて修学旅行生も楽しんでいた
近くで見る「飛鳥」はビルのように大きかった 

  

山下公園は今は花で埋まり市民の憩いの場になっているが、関東大震災の瓦礫を埋めて作られたという
赤い靴の女の子の像もあった
  

 

海外移住資料館

赤レンガ国際間の中にある移住資料館を見る
国が指導した日本人の移住は100年以上前から始まっていたそうで、多くの人ががこの横浜港から出発していった
ハワイ、アメリカ、ブラジルへ渡った人達の様子が展示されていた

  

積み上げられた当時のスーツケースが日本の生活習慣や伝統を運んだのだと思う
今では6世が生まれたという成功した大家族の写真もあった

 

山の手・洋館・外人墓地

石川町駅で降りて山の手に上る石段はすごく急な坂だった
登り上がると洋館が次々と現れて異次元の雰囲気だった
   

山手カトリック教会  フェリス女学園
  

ベーリックホールは公開されていて、室内を見学できた

  

 

外人墓地・港の見える丘

外人墓地は保存用の寄付金を払って見学をする 日本墓地とは違う雰囲気
日本の近代化に尽くした人が眠っている
初めて鉄道を引いた技師たちのお墓もあった
   

 

港の見える丘の高台から見下ろす 観光客がいっぱいだった
  

おわり 


国内旅行・・小豆島アートめぐり ・ 星野リゾート八ヶ岳&富士芝桜 ・ 鳥取

2013年10月11日 | 国内旅行

鳥取

 旅行パンフによく出ている、ミステリーツアーがどんなものかと参加してみた
昼食は海鮮料理、一か所の見物とクルージングがあるツアーだ

バスに乗っても添乗員はどこに行くかを言わない
「西に向かっています、これで和歌山は消えました」 
「中国道を走っています これで淡路島も消えました」
「舞鶴道にも乗りませんでした さて、目指すのは?」 

こんな調子で鳥取に着いた でも鳥取は私の行きたかった所、砂の美術館がある 

鳥取港にはイカ釣り船が止まっていて、いつも通りの市場で買い物時間
   

昼食は砂丘前の店での海鮮料理 写真はきれいに見えるが新鮮さは無かった
  

 2時間のフリータイムを歩きまわる 
鳥取砂丘は昔思い出と違う観光地になっていた 道路も駐車場も広い

 階段を上って砂丘に出る 昔のイメージは草が生えていて「これが砂丘?」と思ったが、今も同じだった
でも砂はサラサラでサンダルで来なくてよかったと思う
      

 

ラクダのまえで写真を撮っている家族 撮影だけでも有料
私も記念に写してもらった
 

近くの砂の美術館へ行く 展示テーマは「ロシアの歴史」だった
   

ロシアの様子が、歴史や文化の内容で説明的に描かれて見ごたえがあった
これが砂かと思うほど、彫刻的に見えた 作家はほとんど外国人だった 

 

   

美術館横の展望台から砂丘が見える
 

次のクルージングは浦富海岸だった 船乗り場にイカを干していた
回転させているのが面白い
    

浦富海岸は山陰ジオパークの一部で奇岩が並ぶ
小島の間を説明を聞きながらクルージング 海は青く、風は爽やかで気持ち良かった
 

  

白く見えるのは鳥たちのねぐらでフンの痕だそうだ
 

カモメ達にやる餌をもらう 舟を追いかけてついてきた
  

鳥取は行きたいと思っていた所だったから、思わぬチャンスで嬉しかった

 ミステリーツアーは今回は私にとって「当たり」だったが、期待外れも多いだろう
次回も参加する?? 

おわり


  星野リゾート八ヶ岳&富士芝桜

話題の星野リゾートを見たくてツアーに参加する
雨の予報に富士山は見えないと覚悟したが、幸運にも天気は良くて稜線くっきりの美しい富士を見ることが出来た

 クリック

新幹線で岐阜羽島へ ここからバスで中央道を走る
恵那山トンネル8650mを抜けると長野県 沿道には果樹園があり、中央アルプスの雪を被った山が見える
    

 諏訪湖を通り過ぎて、小淵沢のチーズケーキ工房へ ここで昼食「ほうとう」を食べる
初めての「ほうとう」だったが、きしめんのように平たくで腰のないうどんだった

   

 「美し森展望台」へ上る はるかに雪の富士山が見えた  ここではまだ桜が咲いていた
    

 息を切らして登った展望台でジャージー乳のソフトクリームを食べる 美味しかった!
日本TV番組でベッキーも食べたそうだ
   

 次は「清泉寮」 ここでポール・ラッシュとkeepの事を初めて知った
昭和の初期に清里の地にキリスト教の研修施設として作られたそうだが、今では宿泊・研修・観光場所になっている
   

広々と広がる平野 はるかに富士も見える 建物は木造で歴史を感じさせる
  

 宿泊地、星野リゾート・リゾナーレ八ケ岳に到着 普通のホテルと違って広いので周辺を歩いてみた
ヨーロッパをイメージしたピーマン通りはショップが連なる
    
 

2Fはアルプス広場 両側に高い山が見える
   

 食事はバッフェスタイル 部屋によって開始時間が指定されていた
普通のホテルと違って、カップに入った前菜風が多かったのに、ナプキンの上はお箸だけとは日本的
 

 お風呂もまた違っていた 「もくもく湯」は道路を隔てた森の中にあって、暗証番号でドアを開ける
  

 室内も凝った更衣室(誰もいなかったので撮る)
ここの湯は温泉でなく沸かし湯で、露天風呂は混浴
大型バスタオルが用意してあったので体に巻いてトライしてみた
誰もいず、一人で星空を楽しんでいたら、シニアの男性が入ってきたから、挨拶を交わして上がった
  

 風呂の外の森には、木の上に遊び場が作ってあって子供たちが喜びそうな場所だった(指導者付きで有料)
また、ビッグウェーブの室内プールもあるそうだ(ここも有料)
   

 翌日は富士スバルラインで五合目に向かう 途中からくっきり見えてラッキーな私たちだった
  

 五合目は観光バスでいっぱい アジアの観光客も多かった
間近で見る富士山は低く見えて、雪が残るが寒くはなかった

昼食は河口湖の印傳館で「そば定食」をいただく
  

 「印傳」とはインド伝来の皮革加工の技術で武士時代は武具に使われ 江戸時代には皮羽織、煙草入れとなり
現在では鹿皮を漆加工して鞄、財布の高級品が作られていた
  

 この店から見た富士山の方が五合目よりも美しい
 

次の予定地、本栖湖の芝桜に向かうが、途中から渋滞でバスは動かず時間かかる
でも柴桜はほぼ満開で美しく、パンフのようバックに富士山も見えて最高だった
 

 園内には芝桜で作った富士があったので並べて写真を撮る
    

 この後世界遺産の美保の松原に行く予定だったが、渋滞で時間を取られて割愛
東名高速を走り、浜松駅から新幹線で帰る
途中の静岡はお茶畑の緑がきれいだった
  

  おわり  


 瀬戸内国際芸術祭2013

電車内のポスターが気になり、行きたいと思っていた。 巡ってきたチャンスに参加する
神戸港から高松行のジャンボフェリーで明石大橋をくぐって小豆島の坂手港向かう
 

 これからのアートめぐりの手始めに船の上にはヤノベケンジ作の「トラやん」がいた
  クリック

「ヤノベケンジ作「The Star Anger」
坂手港の元灯台があった所に作られていた作品、角を突き出した巨大ミラーボールで上に怪獣が乗っている
夜はライトアップできらきら光るという

 「小豆島縁起絵巻・岡村美紀画」 
坂手港にある建物の壁、一面に描かれていた

 

 ビートタケシXヤノベケンジ作・「ANGER from the bottom」
元は醤油屋があった所へ作品を作ったそうだ
山を背景に古井戸がプラスチックの石で作られていて、1時間毎に大きな地霊神が現れるもの
   

 

民家を改装した おしゃれな店で昼食を頂く


  

 

「吉田夏菜作・花寿波島の秘密」
 三都半島の「小豆島ふるさと村」建物の中に作られた作品
三都半島の沖にある無人島の地形を海の中から描き、逆円錐形の空間に展開したのもという

青い空間に入ると島の様子が描かれていた
光に囲まれて幻想的だった
  
島の模型も作られていた
 

 


「越後正志作・火のないところに煙は立たず」
廃校になった小学校の講堂に作られていたのは、島の産業だったタバコ栽培の記録と記憶
たばこ産業が盛んだったころの様子が判り、その後”電照菊”に変わって行った歴史を知った
 

 


「大橋文男作・しろいいえ」
廃校の小学校の教室に小豆島の特産品「ソーメン」をイメージした作品が作られていた
  
糸の1本づつの先に陶器の破片を結び付けてある
この作品は美しかった!

部屋の中央に長持ちが置いてあり、フィルムをから作られた蝶が留まっている
長持ちの中には本物のソーメンで編んだ織物が入っている
  

 

「寺木南作・《Full tide⇄Edd tide》」
小屋の中に作られた水槽に水を入れて船を浮かべたもの
部屋の中に船が浮かんでいてびっくりする
 

 

「古川弓子作・眺望絶景」
島の民話や伝説から得たイメージを陶器で表現した作品、作者本人がいて説明してくれた
 

 

「柚木恵介作・瀬戸の島景」
木彫りの島を廃屋になった瓦工場に浮かべてあった 瀬戸内海に点在する島のイメージだ
暗い部屋に照明の影があるのは小豆島シルエット
私には瓦工場がそのまま残している道具や棚が興味深かった 崩れそうな廃屋にこんな催しだからこそ入れた
  

 

「ジェームス・ジャック作 ・夕焼けハウス:言語が宿る家」
村の集会所を改装 庭の石には不満や不平の言葉をかけて敷き詰め、
周囲の黒壁の下に喜びや幸福な言葉を書いて埋め込んであるという

室内の壁は夕日と日の出、庭と家の周囲も円のイメージが表現されている

 

 

「白井英之作・神様のおなら」
二つの山を借景とする美しい海に、波紋を起こして神様のおならとする発想の作品
本来なら時間ごとにあぶくが出る予定が、海底の地形で一回の”おなら”しか出来なかったそうだ
 クリック

 

「赤坂有芽作・storis-House」
空き家になった農家の旧家の母屋や倉庫、牛小屋を使った映像によるインスタレーション
暗い部屋の中の板戸やふすまに幻のように時間をおいて画像が現れる
静かに座って眺めれば何か心に沁みるだろうが、私たちはちょっと座っただけで次に急いだ

  

 

「ワン・ウェンチー(王 文志)作・小豆島の光」
5,000本の竹を使った巨大な作品 台湾から職人を呼び、地元のボランティアが参加して組み立てたという
この作品のある中山は小豆島でも山の多い地区で段々畑が連なる 映画”八日目の蝉”の虫送りはここでロケされたそうだ

 

竹で編んだ通路を歩いて行くと広い空間に出た
高床に寝そべって見上げると中央に空が見えた 日が照ると木漏れ日できらきら光るそうだ
  

竹でこれほどの建物を組み立てる技術はすごいと思った
暑かった夏にはここで昼寝をする人が多かったそうである

   

 

私たちは現代アートを楽しんだが、観光している間に地元の人とほとんど会わなかった
過疎化が進んでいて、中学校も統合されるそうある 

小豆島アートめぐり  おわり


京都を歩く・・夏の特別公開2013(庭園と建築)・(パワースポット)

2013年10月01日 | 京都を歩く

京都を歩く・・夏の特別公開

京都の特別公開は普段入れない所を見せてもらいるので便利
行きたいと思いながらやっと9月の下旬に実現した
私は予約なしで京都観光バス乗り場に行き、空いているコースで楽しんだ
参加コースは「京都の美・名園と建築を訪ねて」昼食込みで¥9,000

大雲院・祇園閣

円山公園を歩いた時に、「祇園祭の鉾に似たあの塔はなんだろう」と思っていた塔を内部まで見る事が出来た

  

大雲院は織田信長父子を弔うために創建されたお寺
もとは寺町にあったのをここへ移築されたそうだ

祇園閣は移築前の大倉財閥の別邸の一部で国の重要文化財に指定されている
内部まで入ることができたが写真は禁止
階段の壁には敦煌壁画の模写が描かれていた
塔の展望からは京都市内が見渡せたが、個人宅が映るので禁止だった

裏の墓所には「信長父子の供養の碑」と「石川五右衛門の墓」がある
   

 

無鄰菴(山形有朋の別邸)も行ったがこのブログで以前紹介しているのでパス

白川院

昼食の場所の白川院は五代目小川治平庭園と武田吾一の数寄屋作りの建物があり
今は和風旅館として営業している お昼の会席を頂く

回遊式のお庭は手入れが行き届いて素晴らしかった 週に2回庭師が入るそうである

数寄屋建築の広間の襖絵は豪華で近代的、庭を見渡すガラス戸は建築当時の手作りのもの
外がゆがんで見えるのが味がある 現在の工業生産ではこの味は出せない


  
 

祇園甲部歌舞練場庭園

私はまだ「都をどり」を見たことないのでここは初めてだった
四条通から歩いていく祇園の道は外国人(アジア系)のグループであふれていた
写真は途切れた時にとったもの

祇園甲部歌舞練場は本館、別館共に国のとうろく有形文化財 大正2年に良質のヒノキ材が使われている
内部も重厚な作りだった
  

横にある弥生会館は姫路城を模したというコンクリート作りの目立つ建物だ

 

長谷川家住宅

南区東九条にある長谷川住宅は農家なのに京町屋の建築様式で「登録有形文化財」に指定されている
今回の公開のために住んでいる住宅を見せてもらった感じで内部の写真は禁止だった
 

11代当主が長谷川良雄で水彩画家であり、浅井忠に師事したという
室内には付き合いの広さを示す 書画がたくさん展示されていた

http://www.museum.or.jp/modules/im_event/?controller=event_dtl&input%5Bid%5D=655

http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=141541

おわり 


京都を歩く・・定期観光バス:パワースポット

前回の夏の特別公開がよかったので、再度観光バスに乗る
今回は「パワースポット」で、隋心院、雲龍院、神泉苑、晴明神社を観光した

隋心院

山科にある隋心院はご本尊を如意輪観音菩薩とする真言宗のお寺、小野小町由緒で有名
   

書院や奥書院は徳川初期の建築、各部屋の襖絵は狩野派などで見ごたえがあった(写真禁止)

お庭は手入れがよく、シャクナゲや皐月の植え込みにシーズンには見事だろうと思った
  

境内に小野町ゆかりの化粧井戸、文塚がある
室外の井戸は化粧するには寒かっただろうと思ってしまう

  

文塚には深草の少将が99日通って小町に贈った文が埋められているそうだ
お寺には「こまちふみ」と言って¥500で想い文を相手の届けてくれるそうである

 

泉涌寺派 別格本山 雲龍院

泉涌寺は皇室北朝の歴代天皇が祀られているので「御寺」と呼ばれるそうだ
菊の砂庭の前の黎明殿には等身大の坐像も祀られている
 

説明を聞きながら来たことあるなと思ったら、辰年めぐりに龍を見た寺だった
入口の龍図は見る方向で顔の表情が違うと言われて
左と右から写してみたが、どうかなぁ~
    

前回は見なかった部屋からの窓を見る
右が「悟りの窓」 左が「蓮華の窓」で障子窓から椿、灯篭、もみじ、松が見える
   

庭も見事で中央の紅葉は秋には真っ赤に染まるという

ここでは写経もできる 机は江戸時代のものを使い、朱筆での写経だそうだ

 

神泉苑 

昼食は神泉苑内の「平八」で京懐石 一人参加なので会話なしで頂く
   

食後に園内を観光する 御池通り側が正面、
神泉苑と言うから水が湧いてきれいかと思ったが池の水は期待外れだった 
  

赤い「法成橋」で願い事をひとつして渡ると叶うとか・・
 

弁財天の屋根の瓦はお使いのナマズがあった
  

 

晴明神社

晴明神社は陰陽師安倍晴明を祭る神社で有名だが、私は初めてだった
桔梗印という星形があちこちにある
  

本殿に行列して厄除けを祈る

厄除けの桃は皆が触ってピカピカ、楠を抱いて樹のパワーをもらう
    

壁に安倍晴明が行った奇跡の説明を読んで、 神や祟り恐れていた昔の時代を思う

晴明井は中央から水が湧いていた 利休もこの水でお茶を点てたとか

最後は「俵屋吉冨」で京菓子の歴史を見て、お抹茶を頂く

 

どこにパワーがあったのかよく判らなかったけれど、1日楽しんだ

京都観光 おわり