タビトリプ

旅行大好き、ブログで旅日記を作りたい

京都を歩く・・大文字山

2018年12月08日 | 京都を歩く

京都、大文字山を歩く (2018.12)

山歩き好きな友人の案内で大文字山を歩いた

阪急河原町で下りて、八坂神社参道から蹴上に向かう
都ホテルが「ウェスティン都ホテル」になって大きく改装されていた

  

蹴上のインクラインを登りつめた所から登り始める

   

日向大神宮に来て、ここは以前歩いた記憶を思い出す
数年前に「京都トレイル」参加したルートだった

   

台風で倒れた木を片付けて、とりあえずトレイル道を確保した様子だ
京都もまた台風被害は大きかった

  

大文字山の三角点から京都の町を見下ろす

   クリック(拡大の後、左上の→で戻す)

夏の「大文字」の火床に行く 
私はこれが見たかったが近くで見ると大きすぎて全体がつかめなかった
快晴で京都全体が見れたのは良かった
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大の字の中心の火床と点々と並ぶ文字を描く火床

     

銀閣寺から大文字に登る入口の登山道に下りてきた
「行者の森」の岩が銀閣寺から登山の目印

 

銀閣寺入り口に下りて終了 バスで京都駅に向かう

歩行数  18,500歩 


関西を歩く・・大阪湾を歩く⑪工業公園~浜寺公園

2018年12月07日 | 関西を歩く

大阪湾を歩く⑪浜工業公園~浜寺公園 (2018.12)

 

前回の終了地 浜工業公園から歩き始める

 

岸和田のベイサイドモールは立派だった

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(クリックの後は左上の→で戻る)

この前の交差点が「だんじり回し」の場所だそうだ

浪切神社だんじりの安全祈願の碑が立っている

    

阪神高速4号湾岸線のアーチの橋をくぐり 海に出ると公園が整備されていた

   

     

府道29号 車が通る横を歩く

朝陽公園に入る この周辺の壁には人影の絵が描かれてユニークだった

  

岸和田渡船 何処に渡す船かと調べたら「一文字」という釣り場に運ぶ船のようだ
でもその一文字がどこなのか判らない

府道29沿いに歩いて 忠岡町の公園で休憩
忠岡町は日本で一番面積の小さな町 人口約17,000 
平成の大合併の時に住民反対で町として残ったそうだ

阪神高速湾岸線を見ながら「大津川大橋」を渡る

泉大津 ホテルきららリゾートの最上階のレストランで昼食

  

見下ろす眺めは素晴らしかった
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ホテルと高速をまたぐ通路を歩いてみる 踏み台があるのにすりガラスで下の高速道は見ない 

 

午後からは府道から離れて 紀州街道を歩く

街道らしい歴史を語る家が並ぶ
  

南溟寺(なんめいじ) この寺を中心に寺内町が発展した
境内に「真鍋城址」と「戎小学校創建の地」の碑がある
真鍋城は信長に仕えた真鍋氏の城

 

上品寺横の墓地 この墓地には日露戦争の捕虜になったロシア兵が葬られているそうだ

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紀州本陣だった田中家の広い屋敷

助松公園に入る ここも台風倒木の処理中だ

   

高石大橋と阪神高速がクロスする

臨海スポーツセンター
 通年のスケートリンクでオリンピック選手達も練習しているそうだ

 浜寺公園に入る ここにロシア兵の碑がある
日露戦争後 浜寺には捕虜収容所があったそうだ 
ここで89人のロシア兵が亡くなり先ほどの墓地に埋葬された

  

浜寺公園の長い道も倒木で一杯 被害はとても大きかったと思う

 

南海浜公園駅旧社の前にバスが待っていて 歩きは終了
次回はこの駅に現地集合となる



歩行距離  26,500歩  13km


関西を歩く・・富田林

2018年12月02日 | 関西を歩く

富田林 寺内町 (2018.11)

富田林のウォーキングに参加した
私は初めての地である


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近鉄長野線を「川西」で下車して歩き始める 総勢約25名

先ずは「錦織神社」を目指すがその手前の川西小学校の旧校舎は有形文化財だった
「擬洋風建築」と言うそうだ 
文明開化の頃、日本の大工棟梁が西洋建築を真似て日本の技術で作られた建築

錦織神社
参道は直線で昔は流鏑馬が行われたそうだ
  

 天誅組の碑

錦織神社は2016年に屋根を葺き替えたそうで檜皮葺が美しかった
千鳥破風と唐破風が重なる珍しい形
  

拝殿の天井には古い絵馬と改装の寄付者名が掲げられていた

 

水郡邸 (にごり) 天誅組旗揚げの舞台 
天誅組とは尊王攘夷を掲げて大和の変を起こし、明治維新の先駆けと言われた

その水郡邸の屋敷は旧態のままなので史跡指定を受けている
樹木が生い茂り、土塀も壊れていたが今も住んでいるので内部は見れない

  

 水郡邸は荒れていたが周囲の家は立派な瓦の家が多い
   

富田林寺内町に入る
寺内町とは一向宗(浄土真宗)寺院を中心に作られた自治組織の町
普通は環濠集落だが富田林の寺内町は高台にある
水の便が悪いので入口に「町中 くわえきせる ひなわ無用」の標識がある

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道路が整備されて旧家が並んでいた

 

  

 

旧杉山家住宅を見学
富田林八人衆の富豪の家 娘は「石上露子」 与謝野鉄幹の明星に詩作を出す美貌の才媛

造り酒屋もやっていて使用人は70人も居た由 立派な家だった

 

説明を聞いてから内部を見る
現在は富田林市が管理しているから手入れが出来ている
お庭もきれいだった
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娘の石上露子の希望で作られた洋風の廻り階段 と 大きな仏間

  

ヒノキの一枚板の舞台 と 書院

  

寺内町の中心の興正寺別院

 

じないまち交流館で自由解散 JR富田林駅から帰宅する

歩行距離  8,500歩

河内平野がこんなに昔から文化の中心だったことが判ったウォーキングだった

おわり