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タビトリプ

旅行大好き、ブログで旅日記を作りたい

山口県を歩く・・下関駅付近

2020年02月23日 | 山口県を歩く

下関駅周辺を歩く  (2020.2)

下関駅周辺を歩いてみた。
壇之浦、唐戸市場付近は有名であるが、駅付近を見たかった

JR下関駅はふぐ提灯で迎えてくれた

  クリックで拡大

下関駅ビルは船のイメージ、歩行者は歩道橋で移動だった

駅前の看板に維新の遺跡の案内を見つけ、歩いてみた

現在の駅周辺とは反対側、海に面した所だった
高杉晋作が追ってから隠れた井戸 と 終焉の地の碑

 

駅の山手側の商店街はシャッター通りになっていた(駅ビルにイオンが入ったから)
姉妹都市の説明があった 
イスタンブール、サントス、ピッツバーグ、釜山、青島
 

駅前の歩道橋から国際ターミナルに行き、関釜フェリー乗り場に行ってみた
フェリーは夜乗って朝着く一便のみ 乗客が荷造りしていた
   クリック

下関のシンボル「海峡ゆめタワー」に上って見た
最上階は高さ143m 天気は快晴で360度見渡せた 

関門海峡の潮の動きが見えて、行き交う船の登りは潮に向かって波を立てていた
大型船や小型船 その間にモーターボートなど狭い海峡を通っていた
巌流島も見える

 

   

展望に満足して帰宅した

終り


山口県を歩く・・萩往還⑥明木~萩城(最終)

2020年01月16日 | 山口県を歩く

萩往還⑥・・明木~萩城(最終) (2020.1)

明木の萩往還の施設「乳母の茶屋」からスタートする

   

バス通りから外れ明木橋を渡り、旧道を歩く
萩往還の表示がある

 

吉田松陰が明木川で読んだ詩が書かれる石碑

川沿いの道が垰に向かう(垰タオとは尾根の低い部分)
萩まではもう一つ峠を越えねばならない

  

萩往還の石畳の道が始まる
落ち葉に埋まるが石がきちんと並べられ、
道端には排水溝が石組みで作られている

  

峠を越えるつもりが明治に出来たトンネルの道だった

鹿背阪(かせざか)隧道は真っ暗で、足元をスマホの明かりを頼りに歩く
この隧道は石作りで登録有形文化財

  

道の駅「萩往還」に出る
勤王の志士達の像や松陰記念館がある

 

  

ここで一休みして、自動車道路をわたり再び往還道に入るが
そこは昔の処刑場、女囚人を解剖したとあり 女性の地蔵が立てられていた

 

倅(かせが)坂一里塚

 

梅林では花がほころんでいた

 

涙松跡 松陰が萩の町と別れを告げた処
私はもっと高い位置かと想像していたが、村はずれだった

 

市内に入りJR萩駅と駅構内の展示
  

駅前からまっすぐに伸びる道路が昔の本通り
現在は東萩の方が栄えてこの通りは昭和の家が残る

 

唐樋札場跡

ここから萩城に向かうがこれが遠かった 途中で見た不思議な空

武家屋敷のエリアに入る 萩焼の土産物が並ぶ

 

高杉晋作の生家と公園の銅像

  

世界遺産の区域に入ると昔のままの武家屋敷が直線に並ぶ

公開している大きな屋敷の門の中は夏ミカン畑だった
このミカンの収入で明治後の武家は暮らしを建てたから屋敷を売らずに済んだそうだ
お陰で整然と来た武家屋敷が残った

 

海へ続く外堀を渡り 萩城に到着した
萩城は明治維新の廃藩置県で率先して城を壊したので石垣のみ残る

 

町中に戻りバスセンターからバスで帰る

萩往還は防府市三田尻のお船場から萩城まで約53km
これを6回に分けて歩いた 無事終了したことに感謝

本日の歩行距離 25,000歩


山口県を歩く・・湯田温泉・松田家に泊まる

2020年01月11日 | 山口県を歩く

湯田温泉・松田家に泊まる (2019.12)

松田家は湯田温泉では老舗旅館、明治維新の長州の志士たちが利用したという
温泉街に面しているが木が茂り外から様子がわからない

一度泊まってみたいと思っていた

 

通された部屋は純和風 

 

ロビーに続く部屋に維新の資料が展示されている

 

官軍が使用した「錦の御旗」 薩長同盟の記念グラス 透明が長州、紺色が薩摩

   

ケースには萩焼、赤間硯の展示

「維新の湯」
この湯には勤王の志士たち、高杉晋作、木戸孝允、西郷隆盛、大久保利光、大村益次郎、
伊藤博文、山形有朋、井上肇、坂本龍馬、七郷落ちの三条実朝などが入浴したそうだ

今は家族風呂として泊り客が利用している
私はここに入ってみたかった

 

懐石料理の中に、山口名物 瓦そば、フグのから揚げ いとこ煮が出た

 
いとこ煮とは小豆のぜんざいに南瓜、牛蒡、人参、椎茸、蒲鉾、白玉団子を入れて
醤油味にした甘い汁物 

外からは木の林に見えた、お庭も立派だった

 
西郷、大久保、木戸が会見した東屋

 

七卿落ちの手植えの松もあった

  

松田家の屋外には足湯の設備がある
 

道路を隔てた向かいに詩人「中原中也」の生家があった、今は記念館
 

おわり


山口県を歩く・・萩往還⑤佐々並~明木 

2019年12月14日 | 山口県を歩く

萩往還⑤佐々並~明木 (2019.12)

萩と山口間にはJRバスが通っている
今回はこのバスを利用して「板橋口」バス停で降りて歩きを開始する


佐々並道入り口から入るが、イノシシが土中の虫を食べ掘り返していた
佐々並市は伝統的建造物保存地区になっている

 

村の入り口に祭られる「道祖神」外から疫病などが入らぬ守り神

 
一里塚の石組みを見て村に入る

赤瓦の家が並ぶ 山越えの後の休憩地になっていた

各家には説明版が付けられている 
   

川のたもとに昔、高札が建てられていた
 
佐々並の村から国道262をしばらく歩くと「落合の石橋」表示
  
下りていくと石組みの支えに一枚石が架けられた橋だった

    

再び国道262に戻り、萩往還の表示に旧道をに入る
  

ここにも一里塚の石組みが残り、石畳も続く

 

通行止めかと思ったら、害獣防止の柵だった 金具を開けて入り閉めて歩く

  

道路に上がる前にも防護柵 

今まで国道262の右側を歩いていたが、
往還道は道路を渡り左側の山道となる

「七賢堂の展望台」
ここからはるか山並みの向こうに萩港の漁火が見えるという
私はかすんで海は見えなかった

 

山道だから狭いかと思ったが歩きやすい下り坂 石組みの側溝が立派

 

村に入る前にも害獣防止の柵があり 数軒の家がある

  

萩市 コミュニティバスの表示はあったが時間は書いてなかった
すぐ上に国道が通る

 

再び防護柵を開けて一升谷の山道に入る 「ここから3kmは携帯不感エリア」という

  

登るとすぐに一升谷の頂上、十合目346m高さだった

  

石畳は滑るの注意書きがあり ここから下りが続く

道の両側は石作りの側溝がある 携帯不感は杉檜林だからと思う

  

下り坂が続き 九合目、八合目と下っていく

萩から登ってくる人は大変だったろうと思う
登りきるまでに一升の豆を食べきるから「一升谷」の名が付いたと言う

 

トイレのある休憩所

根の迫の石橋 

 

やっと二合目まで下りて来た 国道も見える 

  

国道下をくぐると少しの距離で、明木の村に着いた
ここも赤瓦の家並み

 

山口行のバスを待って帰宅する

4時間30分 20,000歩


山口県を歩く・・萩往還④瑠璃光寺~道の駅あさひ(佐々並)

2019年12月06日 | 山口県を歩く

萩往還④瑠璃光寺~道の駅あさひ(佐々並)    (2019.11)

前回の瑠璃光寺前からスタートする

今回は山越えで途中リタイアは無理 頑張ってバス停のある道まで歩かねばならない
県道26山越え道路沿いを歩く 紅葉が残り車もあまり通らない

 

一の坂ダム と 錦鶏湖
ダムは市内を流れる一の坂川の水量確保のために作られた

 

子安観音 人々が安産を願う小さなお堂が建っていた

   

道は二つに分かれる 左側は西鳳翩山への道
またしばらく26道路を歩く

 次の分かれ道で26道路と旧萩往還道へ分岐
 左の道を登ると駐車場があり ハイキング客が歩く準備をしていた

 

地図で見るとここから山越え「四十二の曲がり」となる
後ろからハイキングのグループが追いかけてくると思うと独り歩きも安心する

昔の人はよく頑張ったと思う ジグザクの登り路が続く

   

前方が明るく開けたら26の車道に出る ここを横切って萩往還道が続く 

    

休憩所「六軒茶屋」に着く 昔茶屋あった場所に休憩所が復元されている

   

殿様が一番高い場所で 籠置き場もあった
右は殿様のお休みどころがあった場所 右はお籠の置き場所

  

一休みして再び登ると「一の坂一里塚」 江戸時代幕府は主要道に一里毎に石積み塚を作った
毛利藩もこれを模して造られた名残り
 萩往還は全長53kmあるがここが中間点、まだ半分しか歩いてない事になる

説明版の前にある石が一貫目石
萩からお伊勢参りに行った人がこの石の上に財布を忘れたそうで、
阪を登って取りに帰るのも面倒とそのまま伊勢参りをした。
無事に参拝をして萩に帰る時、その財布はそのまま石の上にあったという

 

中国自然歩道と合流して山道を歩くと三差路
まだ登るのかと思ったら左は「東鳳翩山」登山の道だった
私は右側を下る

  

「国境の碑」北長門国阿武郡 南周防国吉敷郡 と書かれる
道路で削られたので階段の上に碑は建てられていた

  
 

 ここからは県道26の舗装道を下る
途中に松陰公園があった 昭和に建てた石碑の文字は岸伸介だった

下り坂の26道路沿いをひたすら歩く

途中からまた往還道に入ると「首切れ地蔵」がある

出た処は国道262、バス停を見つけてほっとする 

  道の駅「あさひ」の表示

東萩発 湯田温泉行きのバスを待って帰宅する

約5時間  26,000歩


山口県を歩く・・萩往還③鰐石~瑠璃光寺

2019年11月22日 | 山口県を歩く

萩往還③鰐石~瑠璃光寺 (2019.11)


今回は山口市の中心部を歩く短いコース

前回の続き「鰐石」からスタートする
鰐石は椹野川に架かる橋のたもとにあり、昔から旅人の目安であった
この橋わたると山口の街に入る JR山口駅もすぐ近くにある

旧街道には古い醤油屋の店、曲がり角の家も旧家

  

山口駅前通りにある裁判所 この中の庭に「山口客館跡」の石碑がある
客館とは藩庁が萩から山口に移った時に賓客をもてなすために作られた

  

駅前通りには「八坂神社御旅所」がある
室町時代 大内氏は京文化を移したが八坂神社もその一つで
毎年山口祇園祭が行われる

この向かい側に「正福寺」があり
カイヅカイブキは県内最大で天然記念物指定

  

駅前通りを右折して商店街に入る 
10時前だったので店はまだ開いてない

 

商店街を出ると右折 山側へ向かう直線道となる

「十朋亭」維新の志士たちが集まった処
以前は裏から入っていたが、ミュージアムとして改装されいた

https://jippotei-ishinkan.jp/

 

 

旧民家には特産の大内塗人形が展示してあった
同じと思っていた人形の顔がこんなに違うとは知らなかった

 

龍福寺は大内義孝の菩提寺 
紅葉の美しい時に来ることが出来た

 

  

酒樽茶室 見学自由だったので入ってみた

 

八坂神社の大鳥居 本殿は台風17号の暴風雨で屋根は傷み、後ろの大木も倒壊処分
重要文化財の神社だったのに惜しい

 

瑠璃光寺で今回の歩きを終了とする
檜皮葺の五重塔が紅葉に囲まれて美しかった

  

歩行距離 8,500歩


山口県を歩く・・防府天満宮&天神ハモ

2019年07月07日 | 山口県を歩く

防府天満宮&天神ハモ (2019.7)

 「しあわせます」は山口県の方言で「幸せです」の意味
防府市のブランドとして商標登録されている

防府天満宮の駐車場は無料だった
天満宮前の道路は歩道を広くして車を制限の観光地にしているところだった

天満宮は七夕飾りをしていた参拝者で賑わっていた

  

大きな風船と思ったら、透明ビニール傘で作ったオブジェ

「春風楼」は毛利斉熙が五重塔を建てる予定が防府を見下ろす楼閣になった
だから基礎部分が塔作りになっている

 

ここから街並みを見渡す

  

防府は「天神鱧」が有名なので昼食は鱧コースを楽しんだ
友人が勧めた「和加奈」

突き出し 鱧スープ、鱧卵、骨せんべい

刺身、 胆

鱧のフライ タルタルソース 鱧寿司

 

鱧ソーメン 炊き合わせ

鱧しゃぶ 〆の雑炊

 

防府を堪能した一日だった


山口県を歩く・・萩往還②佐波山峠~鰐石

2019年02月15日 | 山口県を歩く

萩往還②佐波山峠~鰐石 (2019.2)

萩往還とは毛利藩が萩にあった時に、日本海側の萩から瀬戸内側の防府三田尻港まで人々が歩いた道
私この道を三田尻港から萩に向かって歩こうとしている
https://www.travel.co.jp/guide/article/2137/

2回目の今回は、佐波山峠の山口側のバス停「洞道北口」より山口に向かってスタートした

国道262は山口と防府をつなぐつ左右2車線道路 この東側に旧道がある

しばらく歩くと萩往還の道路標示と禅昌寺の松が見える

  

曹洞宗の禅昌寺は大内氏時代に創建され、その後は毛利氏が保護したという
立派なお寺だった

  

吉岡一味斎遺跡
この地で暗殺された一味斎の仇を妻と娘が果たした事が
文楽の浄瑠璃なったそうだ

 

鳴滝へ行く交差点に「山口地ビール」の広告がある
ここを東に行くと「地ビールレストラン」「鳴滝河川プール」「中原中也の句碑」があるが
先を急いで寄らなかった

ここから旧道を歩くが 道路は狭くなり 昔の往還道の雰囲気が残る
  

旧道沿いには鳴滝から引かれた石組みの用水路 きれいな水が流れていた

 

大師原公園 鳥居と灯籠が残っているが社はなかった 奥に藤棚がある

    

 萩往還沿いにある 馬頭観音や地蔵を集めて祭ってある

   

柊神社 女性の病に聞くとかでミニ鳥居が収められていた

    

中国道の山口IC の下をくぐる

  

ここの地名「柊」は江戸時代は刑場だったそうで、
明治維新後、騎兵隊の残党の反乱を抑え処刑した「脱藩諸士招魂碑」がある 大村益次郎が女囚を解剖した地でもある 

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仁保川を渡る

大内氏の氏寺だった 興隆寺参道を登る

  

鐘楼は朝鮮半島影響を受けた大内文化を代表する重要文化財

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山根観音堂の後ろの山に、生木に彫った木喰仏があるとマップにあり行ってみた

  

大きなクスノキの大木の幹に仏が彫られていた
樹が成長して奥に巻き込んでいる

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「福田屋」 山口名物外郎の発祥の地

椹野川と仁保川が合流する手前 鰐石橋を渡る
大きな岩は「鰐石の重ね岩」と言われ室町の頃からの名所

  

ここで終了 

 約16㎞  27,000歩 


山口県を歩く・・萩往還①御船倉跡~佐波山峠

2018年11月21日 | 山口県を歩く

萩往還①御船倉跡~佐波山峠 (2018.11)

萩往還は毛利氏が萩城を築城時に作られた
日本海の萩から瀬戸内の三田尻港を結ぶほぼ直線の道で全長53km
参勤交代の「御成道」であり、山陰と山陽を結ぶ交通路だった

いつかこの道を歩きたいと思っていたが、やっとスタートすることが出来た

三田尻の御船倉跡
御船倉は藩主が乗船する船を係留し修理をしていた船溜まり 
参勤交代はここから船で瀬戸内海を大阪まで行き、淀川を登り、伏見から陸路を使ったようである

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英雲荘は三田尻御茶屋として藩主の滞在や賓客の接待場所として使われた
内部は公開されている

 

ここからは防府天満宮までほぼ直線道を歩く
途中にあるのは「楫取素彦・美和子」の終焉の地

  

妙見神社の前に力石があり若者が祭りで競争をしたという

 

本殿の裏に古墳の石室入口がある 6世紀頃の古墳時代後期のもの

交差点を渡り 天満宮に向かう商店街になる
昭和の映画館の後が残る
 

防府天満宮の鳥居の前は,萩往還道と山陽道交差点である
ここからは山陽を歩く

 

この山陽道沿いに新しく「山頭火のふるさと館」作られた 山頭火は防府出身の放浪の歌人
  

 宮市本陣跡 西国大名や上級役人の宿泊に使われた

山陽道を離れて北へ折れて萩往還を佐波川に向かう 川から分水溝は大がかりだった

  

佐波川土手からの見晴らしは良かった
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舟橋跡
佐波川は度々氾濫して木造の橋は流されたので、船でつなぐ橋が作られた
洪水のときは船と橋を陸に上げて保管したという
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橋の上から両岸の舟橋跡を見る 今は中州が出来て草が生える

   

橋を渡ってしばらくして、山陽高速自動車道と国道2号線をくぐる
岩の多いこの山は「右田ヶ岳」と言い剣神社の御神体でもある

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剣神社 

  

この境内の中に2009年に起きた豪雨による土砂崩れの犠牲者の碑があった
今は復帰しているが、山口と防府を結ぶ道路は遮断された
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明治天皇休憩所 天皇の視察があった時の立派な屋敷である

  

おろく塚
美人で人気の茶屋娘は武士の横恋慕により切り殺されたという
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262号線の道路は峠に向かい上り坂 車道はこの先トンネルになるが
萩往還はこの道路の上を歩く  下に車道が見える

 

明治天皇のこの坂を馬で越えたそうで「御休憩所跡」

峠の頂上に郡境の碑 「南佐波郡」と「北吉敷」の文字が刻まれている

下り坂を歩いて佐波山北側に下りる 

  

今回はここまで
262道を1時間2本走るJRのバスに乗る

約15㎞ 21,000歩


山口県を歩く・・宇部・仙崎・美祢

2017年10月15日 | 山口県を歩く

UBEビエンナーレ センザキキッチン 長登銅山跡  (2017.10)

UBEビエンナーレ

宇部市の常盤公園で2年ごとに野外彫刻展が行われている
雨の中をこの展示会見に行った
下の写真は実物指定作品

   

公園にはユニークな作品が並ぶ

  

   

 

もっと沢山見たかったが、雨が強く降るので諦めた
参加作品の詳細は下記のURL
https://www.tokiwapark.jp/museum/ubebiennale/27ube.html

 

センザキキッチン

有名な金子みすず記念館の近くに長門旬市場があった これがリニューアルされて「センザキキッチン」が出来たとTVでやっていたので行ってみた
駐車場は車で一杯だったが、大阪ナンバーは無かった

レストランではマグロが食べ放題 並んで食事をした
待ち時間にマグロの頭が並び、イカの水槽を見るがこんなに近くでイカの泳ぎを見たのは初めてで面白かった

   

仙崎港が見える席でランチを取るが食事はシンプル、マグロの造りとカニの味噌汁だけ
都会のきれいな盛り付けではないが、マグロは赤みもトロも美味しかった
お代わり自由で3皿も食べる 地元の味は大間のマグロより勝ると思った

   

仙崎港は島に囲まれた湾で波静かな港である
終戦後の海外引上げ港になっていたそうで、海外から41万人の引き上げ者
日本から朝鮮に帰る人34万人を送る出していたとか そんな記念碑が建っていた

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長登銅山跡 

美祢市に「長登り」という銅山跡がある 言い伝えで「奈良登り」が変化したと言われていた
周辺で須恵器などの遺物が見つかり昔は栄えていたらしいと思われていた

昭和60年代に奈良東大寺周辺が発掘調査された時に銅の調査で長門からの銅と判り
長登り=奈良登りとなり長門の発掘調査が行われて、多数の木簡が見つかり歴史の再発見となっている

長登り銅山文化記念館が作られ資料展示がされていた

 

日本最大の銅鉱石   山のあちこちに鉱山の発掘跡がありハイキングコースになっている

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ここはまた平安時代の絵具「緑=緑青」「青=コバルト」の産地でもあったそうだ 

おわり