タビトリプ

旅行大好き、ブログで旅日記を作りたい

京都を歩く・・北部(鞍馬寺、寂光院・・)

2015年01月22日 | 京都を歩く

鞍馬寺 (2015・1)

鞍馬山は京都の鬼門を守る寺、牛若丸や鞍馬天狗でも有名

山門の前に駐車して石段を登る 横にある修養道場「歓喜院」の建物は貫禄があった

    

階段を上り ケーブルカーに乗る 切符は散華の花びらだった

     

ケーブルから降りて参道を歩く

   

急な階段が続く 火祭りの時はこの階段を駆け上るのだろう

本殿には雪が残っていた 狛犬ではなく虎が守る

   

京都を見下ろす正面「翔雲台」に大きな石がある これは平安時代に京の平安を祈り経巻を納めていた蓋石

本殿後方にある「鞍馬山霊宝殿」は冬季休館中で見れず残念 


岩倉具視̬幽棲旧宅 

明治維新の時に王政復古に奔走した公家 皇女和宮降嫁を推進した事で佐幕派とみられ失墜
自分の領地である岩倉村に隠棲した
王政復古後は政治の表舞台に出て「岩倉使節団」として欧米諸国を訪問した

5年間の隠棲時に住んでいた家 数年前に修復されたとかで、かなりきれいだった

 

  

遺髪碑
 

「対岳文庫」 内部は写真禁止だった、明治維新関係の資料が展示されていた
下の写真はインターネットから借用 中央の和服が岩倉具視
 

   
 

寂光院

大原野にある寂光院に行く 平清盛の娘、建礼門院が壇ノ浦の後に隠棲したお寺
2000年に放火により全焼、再建されたもの

本殿の六万体地蔵菩薩立像は色彩鮮やかで新しかった 
建礼門院座像、阿波内侍像も復元されていた

 

本殿前の「汀の池」は昔のままで、平家物語ではここで鳥羽上皇と歌を交わし合ったという
千年生きていた「姫小松」は火事の後枯れ、無残な姿だった

  

秀吉が寄贈した鉄製の雪見灯籠

本殿から奥にまわると建礼門院が住んだ屋敷跡と井戸が残る

  

「孤雲」の庭は入れなかったが、入口の門は苔むして趣があった

  


大原西陵

建礼門院のお墓は高倉天皇皇后徳子の御陵として宮内庁の管轄だった
寂光院の横から石段を登る

   

 

三千院

紅葉で有名な三千院を見る 緑の苔がきれいだった

  

往生極楽院の阿弥陀如来は建物の中で大きかった 天井は船底天井
脇侍の観音菩薩、勢至菩薩が座っているのも興味深い

  

展示館で船底天井の復元模写を見るが極彩色の来迎図に、名前通りに往生極楽を思った

おわり


奈良を歩く・・大和三山初詣ハイク  ・ 東大寺周辺 ・ 柳生街道

2015年01月12日 | 奈良を歩く

奈良を歩く・・柳生街道 (園城寺~春日大社) (2015/5)

 柳生街道を円成寺から西へ歩くハイキングに参加した
東海自然歩道になっている道で、新緑の木立の中を気持ちよく歩いた

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歩き始めの前にボランティアの案内さんから地図をもらい、説明を聞いてスタートする

野仏が並ぶ東海自然歩道を歩く

    

木漏れ日の木立の中を歩く

  

早苗を植えた水田の向こうに茶畑 この中にある野仏を見に行く

   

峠の茶屋は昔はにぎわっただろうと思う建物だった

春日山石窟仏を見る 昔の僧侶たちが祈りを込めて彫った仏が、今は網で保護されて並ぶ

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有料ドライブウェーの入口 若草山に登る「奈良奥山ドライブウェー」に続くそうだ

  

首切り地蔵は首に割れ目があった 荒木又衛門が試し切りしたとか
ここで昼食弁当を開く

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この辺りから春日山原生林にはいり、巨木があちこちにある

    

朝日観音 夕日観音 上の方にある
標識がなければ気づかずに通り過ぎそうに判りにくい場所だ

  

  

春日神社には禰宜道を歩いて東から参拝 遷宮で神殿を作っている所だった
修学旅行生がいっぱい

  

参道にあるムクロジの古木には 竹が入り込んでいた

このバスツアーには入浴がついていて 汗を流して着替えてさっぱりとして帰る

12km 4時間歩き  


 

大和三山ハイキング  (2015/1)

今年の初歩きは大和三山だった 橿原神宮駅現地集合で参加する
地図はクリックで拡大

大和三山とは畝傍山、香具山、耳成山で飛鳥盆地にあり、万葉集に出て有名
橿原神宮前駅に約50人が集合、4班に分かれてボランティアガイドと一緒に歩く

先ずは橿原神宮に参拝 正月なので拝殿近くまで入れた
  

神社横の道から背後にそびえる畝傍山に登る

   

頂上にある「畝火山口神社社殿跡」と三角点(199m)
神社は「神武天皇御陵を見下ろしてはならぬ」と麓に下されたそうだ

  

御神体の樹 ここの土を大阪住吉大社の神事に使うそうだ
http://www.sumiyoshitaisha.net/calender/no11.html

 

登山途中で耳成山、山頂から葛城山系が見える
    

下った所に「殉国の碑」と「瑞鶴の碑」があった

 

神武天皇淩

次に行った神武天皇淩は立派だった 当時は近鉄路線変更や神社を移す程の神格化だった
  

 

元薬師寺

本薬師寺跡は奈良へ移る前の薬師寺があった所 その後ここから奈良に移した
金堂の礎石や東塔、西塔の礎石が残る 立派な大きな石だ

 

左が西塔跡 右東塔跡
 

周囲の田んぼの様子が違う ホテイアオイの枯れたのが一杯なのだ

これは初夏に花を咲かせる為だそうだ
稲作には雑草であるホテイアオイもこんなに咲くと観光になる

 

 (画像を拝借)東塔周辺のホテイアオイの花 木の後ろに見えるのは畝傍山


藤原宮跡

持統、文武、元明の3代16年間、藤原京宮殿があった所

朱雀大路跡には門の礎石が残る
 

広い平原に立つと大和三山が見える
昔は今のように高い建物がなかったのだから、歌に詠むのも当然だと思った
左は香具山

 

大極殿跡には御神木が建つ、ここでお弁当開くが風が冷たく寒かった!

  


藤原宮跡資料館

食後はトイレ休憩を兼ねて奈良文化財研究所館内へ行く
寒い所を歩いて室内に入りほっとする

館内には藤原時代の資料が展示されていた

 


香具山

香具山向かう 低い山なのに急な登りがきつかった
   

山頂(152m)は見晴らしは良くなく、小さな祠があるだけだった

 

降りた所に香具山神社がある 
境内に「波波迦の木」、天の岩戸を開くときにこの木の枝を使ったとか

 


耳成山

時雨が来て風が冷たい! その中を田園地帯を歩いて耳成山を目指す

耳成山の参道には石灯籠が並んでいた
  

耳成山口神社に参拝する 絵馬が沢山おさめられている
  

山頂の三角点は小さかった(140m)

 耳成山を下山して、橿原文化会館前を通って、近鉄八木駅で解散する

  

寒かったが念願の大和三山がどの山か判り、実際に登れたことが嬉しかった

歩行距離 14km 5時間


奈良・東大寺 

 

奈良と言えば大仏と鹿の言葉通りに、東大寺参道には修学旅行生と鹿でいっぱいだった

        

南大門を入った左手に新しくできた「東大寺ミュージアム」がある
「東大寺の歴史と美術」を展示中(写真禁止) 館内は人も少なくゆっくり鑑賞できた

     

四月堂に祭られていたという千手観音菩薩は立派な体躯の迫力ある像だった
脇侍は三月堂にあった日光、月光菩薩
他にも、花祭りの釈迦誕生象 試の大仏など東大寺の秘宝が並んで見ごたえあった

大仏殿はいつ見ても大きい そして観光客でいっぱい 
  

写真禁止でないから、尊像を写す 見下されている感じだった
後ろの脊光も大きい 
    

裏手の「柱くぐり」は小学生の行列だ この体験が思い出になるのだろう
  

 

二月堂

お水取りで有名な二月堂に行く
石段を登るとTVで見る二月堂があった
   

松明を振る上まで自由に上がれた 小学生が説明を聞いていた
松明を担いで上がる階段の天井は黒くすすけている
  

この建物の中に「若狭井」がある
3月12日の修二会の行事に仏様に備える水を汲むところ
横の家に使った松明が展示してあった

   

 

関野ホール特別公開

奈良博物館、仏像館が正倉院展準備のために休館 代わりの公開されていた
関野ホールは明治中期に建てられた「旧奈良県物産陳列所」関野貞設計による建築


  

お庭は、いつも博物館から見ていたから、中を歩けるとはラッキーだ
江戸時代中期に作られた織部好みの茶室「八窓庵」がある
  

  

 

旧大乗院庭園

奈良ホテルの横にある庭園を見る 広がる感じの庭だった
 


  

若草山

ドライブウェーで若草山の上に行く 奈良を見下ろす展望だった
この山を三重目、二重目と表現しているのは面白い
     

   

    

遠くまで山並みが見えて、昔の奈良の都の人々も広がる平野を見ていた事を想った

おわり