タビトリプ

旅行大好き、ブログで旅日記を作りたい

国内旅行・・宮崎 ・ 三徳山投入堂 ・ 穂高上高地

2016年04月26日 | 国内旅行

 

国内旅行・・穂高上高地    2016・07

人気のこのエリアのツアーを楽しみにしていたが当日は雨の予想の天気だった

クリック

新品のバスで内部はカラフル ドライバーが新人の添乗員をフォローするのが感じ良かった

  

バスは東名一の宮ICから 東海北陸道へ 飛騨清見ICで降りて高山へ ここで昼食

  

穂高へ向かう 雨は止んだが上空の雲がかかる
しらかば平の二階建てロープウェーに乗る 

  

案内板には「上空16℃ 視界不良」とあるがお客はいっぱい 半分は言葉の違う人たちだった

    

第2鉄塔越えると霧の中で本当に視界不良 展望台からは何も見えなかった

     

   

ここは穂高の登山口 外へ出る所に登山届の提出所があった
自己申請だけのようだが、遭難で大騒動になるのを思うと提出は義務と思う 

  

宿泊は奥飛騨温泉郷の平湯温泉 古い旅館だった

  

翌日は上高地へ 大正池から希望者は歩き、残りはバス 私は歩きに参加する
大正池は昔 立ち枯れの木の写真で有名だったが 今は静かな澄んだ池だった

  

遊歩道は整備されていて 熊笹林を歩くのは気持ちよかった

  

雲が晴れて焼岳が正面に見える この火山の噴火で大正池などが出来た

田代橋から対岸に渡る 川の水は澄んでいて流れは速い 
緑と白樺と澄んだ川と高い山・・人々に上高地が人気なのが判った気がした

  

  

 やっと河童橋が見えてきた 橋からの山の風景は見えなかった

  

上高地のトイレはチップ制の有料 

  

上高地にはマイカーは乗り入れ不可 駐車場には観光バスがならんでいた

乗鞍スカイラインを走る
 窓側の席だったので天気が良ければ風景が見えた筈と思うと残念

 

乗鞍岳畳平 2702m 日本で一番高所にあるバスターミナル
雲が晴れた時に鶴ヶ池が見えたが いきなり土砂降りも来た

   

これで観光は終わり 5時間かけて大阪に帰る
終わり 


 

三徳山 投入堂 (2016.5)

一度見てみたいと思っていた三徳山 投入堂を拝むことが出来た
参加者38名 大型バスだった

 クリック

 三徳山は修行の山なので危険防止の工作はしていない
天候によりお寺の判断で入山を禁止するそうだ

 天気予報では西から雨雲が来ている 登山出来る事を祈りながらバスに乗る
中国道を通り、院庄ICからR482へ バスの中で弁当を食べる

  

雨が降る前に着く 階段の前で説明を聞いた後 トイレ使用後雨支度する

  

途中の輪光寺で数珠を回して安全祈願

   

再び階段を上り、本殿下へ着く 

お不動様像の前の足跡から 遠くに屋根が見える

  

本堂に参拝後、見取り図の前で注意事項を聞く
高低差は200mだが途中は木の根道 クサリ登りがあるそうだ
死者も出ていると脅かされる 「落ちる時は一人で、他人を巻こまぬこと」と注意

  

 入山前に靴の裏をチェック 登山用でないときは草履を買わされるそうだ
「六根清浄」のたすきを貰い掛けて登る 

    

 いよいよ入山 いきなり上り坂 そして木の根登り

  

掴まる所も無い様な急な坂を登る 滑った時に巻き込まないように一人が登り切ってから、次が登る
 行者屋敷跡の広場で一息

  

再び岩場を登って 重要文化財の文殊堂の舞台作りに着く

  

 この横の岩を一人づつ鎖に掴まって登る 怖かった

     

ここからの見晴らしは見事だそうだが 今日は雨雲

今度は岩の尾根を歩く 両側は木で見えないが絶壁だそうだ

 鐘つき堂では賽銭をあげてから1打する

 観音堂の裏をくぐり 元結掛堂の前を通る

    

大きな岩を一回りしたら目の前に「投入堂」が見えた 参拝はここから 
やっとここまで来たと感慨に浸っていたら、待っていたように大粒の雨が降り出した

  

 濡れながらカメラどころではなく、雨水が小川になって下る中を滑らぬように必死で下りた
行者屋敷まで下りた広場で一息 カメラを出して雨のしずくの中で水の流れを撮った

  

 本堂にお参り 無事を感謝する

 
 
土砂降りの雨で、防水服でも中のあちこちが濡れて 靴の中も裾から水が入り 帰りのバスは寒かった

 おわり   


 国内旅行・・・宮崎 (2016.4)

宮崎県出身で、自称宮崎応援隊の友人から「宮崎県人会ふるさと訪問旅行団」に誘われて参加した
フェリー利用の3泊4日の旅 毎年開催されているそうで今回は宮崎市北部周辺

神戸港19時発の宮崎エクスプレス 12,000トンの大きな船だった
2等ベットの下段に泊まる ほとんど揺れなかった

 

翌日着いたら歓迎の横断幕で迎えてくれた
宮崎は南国だった 水田の田植えも終わっている

 

佐土原歴史資料館へ向かう
島津家の佐土原藩のあった所が復元されている

  

佐土原人形が有名 伏見人形を模した土人形
古い人形は貫禄と味があった 土産用は「饅頭喰」一個の饅頭を割って、父母は同じと言った故事

    

次は焼酎の「正晴酒造」見学と試飲
醸造所は雑菌を嫌うというのに中まで見学させてくれた

  

雨が降り出す 県立妻高校に向かう 宮崎の名門校だそうだ 
土曜日なのに生徒たちがバスを待ってくれていた

講堂で生徒たちの女性コーラスを聞く
小人数の女の子達が目の前で澄んだきれいな声で歌ってくれた
全国大会で賞を取る歌声

  

剣道部の練習を見る このクラブもまた優勝経験がずらり 
見事に的を当てていた
どちらも大阪の高校とは違う 純朴で真面目な高校生に感激だった

    

 西都原古墳群 雨の中を広い古墳の周辺をバスで巡る
県立西都原考古博物館は充実していたが時間がないのが惜しい
縄文、弥生の土器を触っても良いというユニークな展示 もっと見たかった

  

夜は宮崎観光ホテルで「交流会」
宮崎の偉いさん達の挨拶が続いた後、アトラクション 私は宮崎牛を味わった

 

  

2日目も雨 
オリックス スタジアムは立派だった 選手ロッカー、グランドなどを見る
野球場だけでなくスポーツ公園として整備されている

 

  

平和台公園 紀元2600年を記念して昭和15年に造られた石造りの塔
戦意高揚として神武天皇を祀った  二次大戦後にGHQから「八紘一宇」の文字と武人像を取り外されたが
現在は復元され観光地になっている  埴輪公演は雨で断念した

  

基壇の石には運ばれてきた場所の名が書かれる「河南省、上海」など
これを最近中国から返せとクレームがあったそうだ

 

綾城 島津家に滅ぼされた伊東家の居城 
この孫が「伊東マンショ」 少年キリシタン使節でヨーロッパに渡った人物だそうだ

  

綾町の「雲海」そば焼酎の酒造で昼食

  

ここでガラス工芸の黒木国昭の作品展をやっていた
私は初めて見たが、ガラスで日本の琳派や五十三次の作品に驚く
カメラ禁止なので窓から撮る

   

 

照葉樹林の国立公園に作られた吊橋を渡る 霧が出て高さがあまり判らなかった 

   

142mが最高の高さ 下を見るとはるかだが、橋は頑丈で十津川村の揺れて透ける怖さはなかった

   

最後は宮崎県庁横の宮崎物産館でのお土産買い物

 

雨に降られけど、沢山の経験をした
宮崎県人の郷土愛にも圧倒された 若い時に離れてもふるさとは懐かしいものなのだ

終わり


京都を歩く・・仙洞御所 ・ 飛雲鶴 ・ 修学院離宮

2016年04月14日 | 京都を歩く

 修学院離宮 (2017・4)

 宮内庁管轄の修学院離宮は昨年までは予約申し込みが必要だったが
今年からは当日でも見学出来るようになった

 友人が申し込んでくれた予約で13:30コースに参加した
道順は地下鉄で国際会館まで行き、5番バスの京都駅行きに乗り、修学院道で下車、10分歩く

受付のテントは当日用 35名の当日予約が可能だった

 

  ここが入口 右側で受付をして、待合室で時間まで待つ
50名が一人の案内人の指示でぞろぞろと移動する

  

 下離宮の御幸門をくぐり、寿月観へ 扁額は後水尾上皇の宸筆
虎渓三笑の襖絵

   

 

 案内人の説明で石組みの庭を見る

  

 ここから中離宮に向かう 途中の松並木は天皇のお姿が見えない様に植えられたという
周囲に離宮所有の田んぼが広がる

   

50名の到着を待ってから、門をくぐり、石段を登って「楽只軒」(らくしけん)に向かう

  

 

 隣にある客殿は素晴らしかった 棚は「霞棚」 地袋の絵は友禅染が描かれる
板戸の鯉には逃げないようにと金の網が掛けられていた

    

  再び 松並木を歩き、大刈り込みで囲まれた上離宮まで登る

   

 隣雲亭の縁に座って説明を聞く 足元の小石の埋め込みを「一二三石」(ひふみいし)と呼ぶ
ここからの見晴らしが素晴らしい

  

下って池の周りを歩き、中の島にある「窮邃亭」(きゅうすてい)へ

   

小さく簡素ではあるが凝った作りの茶屋 
  

土橋を渡り 右に大刈り込みから都が見え、左は浴龍池をカメラで写しながら歩く

  クリック

  クリック

これで修学院は終了 

周辺の曼殊院  内部は写真禁止

 

詩仙堂 入口だけで入らなかった

 

一条下り松  武蔵と吉岡の決闘の地 

 白川通りに出て京都駅行きのバスに乗り帰宅
新緑の京都を楽しんだ
 おわり


 京都を歩く・・西本願寺飛雲閣・頼山陽書斎・紫織庵 (2016.10)

 以前からぜひ見たいと思っていた西本願寺の飛雲閣を見ることが出来た
西本願寺は第25代専如門主の伝灯奉告法要の特別公開中 この法要に参加するツアーである
38名 京都駅八条口集合

 
西本願寺は祝い幕が張られてお祝いムードだった
 クリック

 団体なので法要の時間が指定 先に国宝の寝殿と唐門を鑑賞する

 

 寝殿(龍虎殿)は国宝 そしてカメラ不可だが、初めて見る内部は素晴らしかった

 入ってすぐの虎と豹の絵は修復されはっきりした見えた 
能舞台を見る鴻に間は広く 奥に中国の山水と人物絵 前に秀吉が座ったそうだ

 各部屋の格天井の絵が違う 
太鼓の間 扇の間 書物の廊下 廬山を表した枯山水は大きな石組が凄かった 

 特に印象的だったのは廊下部屋側の壁あるススキの野辺風景 私は気に入った
菊の間の月が雁の間から欄間越しに見えるのという凝った工夫が面白かった

 もう一つの国宝 唐門は外にあるから写真を撮れた
唐獅子が群れる豪華絢爛の門

   

11時半から御影堂に入り法要に参加する
経文を一緒に唱えて 法話を聞く 門主の挨拶はビデオだった

法要はツアーのグループのみだったが、午後2時からは各地からの信者で
御影堂、阿弥陀堂共に二千人で埋まるそうだ

 

 法要終了後 国宝飛雲閣に向かう ここは入り口から写真禁止
だから自分の目で、池に浮かび、歌仙の絵がある3階建ての建物を眺める 舟入りの口も見える

 
画像のURL
http://image.search.yahoo.co.jp/search?p=%E8%A5%BF%E6%9C%AC%E9%A1%98%E5%AF%BA+%E9%A3%9B%E9%9B%B2%E9%96%A3&search.x=1&tid=top_of3_sa&ei=UTF-8&aq=1&oq=%E8%A5%BF%E6%9C%AC%E9%A1%98%E5%AF%BA&fr=top_of3_sa

 室内へ入り 慶讃茶席の接待 緋毛氈に座って、菓子と抹茶を頂いた 琴の演奏もあり良い雰囲気だった
憧れていた飛雲閣の室内まで入れたのは嬉しかった

 昼食は近くの京都東急ホテルの地下レストランで「たん熊の和懐石」

   

午後からの観光は鴨川沿いの「頼山陽書斎・山紫水明処」
こんな所に?と思うような場所だったが内部は風流で凝っていた

   

昔は生垣もなく鴨川に面していたそうだ
琵琶湖の葦の組み天井、障子の下も葦の網代組

  

 つぎに行ったのは「紫織庵」川崎家、京のじゅばん&町屋の美術館

   

内部の広い立派なお家だった 庭に織部のマリヤ灯籠 

蔵が展示場で長じゅばんや和服の生地 超高級品をを展していた

  

この後は島原の「角屋」ここには、2014年京のお屋敷めぐりで行ったことがあるhttp://blog.goo.ne.jp/goorosy/e/1d66381d39d0f17ade70aa6b5b3c7e3d

  

 その時は一階のみの鑑賞だったが
今回は二階に上がり解説付きで鑑賞することが出来た(写真不可)

 緞子の間・・一階の網代の間の上にある大広間 一階の天井がたわんでいるので入場不可
        緞子の意味は衾に緞子が使われていた 今は蝋燭の煤で判らない
御簾の間・・襖に御簾の絵が描かれる
扇の間・・・天井に扇面画が30枚 襖の取り手も扇型
 
青貝の間・・壁や建具に青貝が組み込まれ、ホタルの様に光る 額の文字まで青貝だった
桧垣の間・・天井は桧垣組み 襖は蕪村の夕立山水図 障子の桟もカ-ブして立体感を出す

 部屋ごとにテーマが凝っていて繊細 見ごたえある 
予約してでも見ること勧めたい

 新選組は刀を座敷にまで持ち込んだので二階の床柱にも刀傷があった


 京都を歩く・・仙洞御所 (2016/4)

仙洞御所は京都御所の敷地の東南に位置する 宮内庁管轄の上皇用の御所
往復はがきで申し込んで見学する

  クリック

受付で、返信はがきと身分証明を提示して待合所で待つ 約25人
時間になって説明員と後方に監視員がついて見学の開始

    

大宮御殿と南庭 
内部は洋室に作り替えられていて、現在でも皇族方の宿泊所として使われるそうである
だからガラス戸にカーテン 庭では蹴鞠が行われることもある

  

建物を越えてお庭にまわると
北池の新緑が美しく広がっていた 秋の紅葉が見事だそうだ
クリック

瀬古淵の飛び石を渡る
たった3個の飛び石なのに、以前ここで怪我した人がいたそうで説明員が手を取って渡してくれた

周囲の新緑を見ながら、紅葉橋と石橋をわたる 
苔が良く手入れされている

  

  クリック

南池の藤棚は蕾が膨らみ、もう少しで咲きそう
ここから州浜が見える

  クリック

州浜の石は10cm程度の楕円形で大きさが揃っている 一個を米一升で集めたそうだ

  

醒花亭(せいかてい)南庭を望む建物 ここで上皇は茶会や宴を催した
畳の縁の色がそれぞれ違っていたのが不思議

 

 

現在の仙洞御所は庭だけで、建物がない
明治に東京に遷都されたから、御殿の再建は無かった 下の写真が御殿のあった場所
近くに堀?井戸?が残る

 

柿本社 和歌の名人柿本人麻呂を祀る神社 「火止まる」から火伏神社としても信仰されたそうである

 入口へ戻り、又新亭(ゆうしんてい)茶室を見る
結界に小さな石が乗っている(ここから通行不可の標)

   

出口に戻り約1時間の見学が終わる 数名の外国人の観光客がいたがすべて日本語だった

 

 

この後、歩いて京都を散策する

夷発電所 明治に作られたのに今でも現役で発電しているそうだ

  

平安神宮周辺は観光客で一杯
自分たちは白川沿いを歩く 綺麗に手入れされ清らかな水が流れていた

  

「明智光秀の塚」が小さな路地にあった

  

一本橋
TVによく出るスポットだそうだが、私は知らなかった

  

「なすありの径」 なすあり地蔵の祠
なすありとは漢詩から来た言葉で「つらい事を耐え忍んで努力すれば報われる」の意味だそうだ

  

辰巳大明神前は結婚式の姿の人が3組も写真を撮っていた 

  

この辺りは観光地で、スカーフの女の子が人力車で写真を撮っていた

終わり

 


関西を歩く・・・京街道④⑤終了

2016年04月13日 | 関西を歩く

 京街道を歩く (2016.5)

 回目 大日~天神橋 終了

最終日は天気に恵まれたが暑い程だった
大日駅へ現地集合 29名の参加

クリック

地下駅に集合して モノレールや高速道の下を歩く

  

淀川堤防に出て、公園でストレッチ

 

守口宿を目指して歩くがマンションと住宅地の中

   

守口の一里塚に着く  一里は大阪からの距離を言う

 クリック

盛泉寺と難宋寺 二つの寺が並んで立つ 
明治天皇と大正天皇が宿泊されたという石碑がある

  

難宋寺の境内にある銀杏の木は樹齢400~500年 大阪府指定天然記念物 雄木だそうで銀杏は実らない

  クリック

大塩平八郎ゆかりの書院跡の新しい日がマクドナルドの横にあった

カラー舗装された秀吉名残の「文禄堤」を歩く 
この道路の右がは淀川、左に土手で守られた村が続いたそうだ
提灯屋さんがあった

 

大阪へ向かい、左側に船着き場から村に降りた名残りの石段があった

 kリック

この辺りの道路は京街道として整備されている 古い建物はカフェになっていた

  

守口駅にトイレ休憩で降りるが、文禄堤の高さを実感する

   

商店街を横に入って守居神社へ 千年を超える由緒ある神社だそうだ

 くりっく

太子橋今橋の地下鉄入口を見て京街道を歩く
菱形の舗装が大阪歴史街道の目印 京街道を説明するガイド

  

昼食はかごの屋だった 靴を脱いで椅子席で食事

  

関目まで来て、関根神社へ

   

「関目の七曲り」の道 確かに何回も曲った道だった

野江内代を通り、野江水三神社へ 

この地は何度も水害に会ったことから建てられた神社 
水と火除けの神として今でも水に関係する仕事の参拝者が多いそうだ

    

商店街アーケードに入り 休憩

  

出口の京橋駅に「京街道」の文字 でもこれは道路の案内

京橋駅を過ぎて歩くと左手に大阪城が見えた 昔はかなり遠くから見えていたのだと思う
寝屋川を渡る

  

老舗の「永田屋昆布店」の前に淀川沿いにあった「八軒屋船着き場跡」の碑がある
昔はここが乗り場だった

   クリック

昆布屋の横にある船着き場名残りの石段を登る
 
何度か来たことがあり、整備されていない階段と思っていたが歴史の証拠だったとは!
無知とは怖い 当時はここが大阪の入口だったのだ

登った公園で整理体操の後、5日連続の完歩賞の賞状を貰う
これで私は東海道を日本橋から天神橋まで繋いだ

賞状を貰っても終わりではなく、天神橋までビル街を歩いて、やっと京街道の起点に着いた

  

13.5km  27,000歩

無事完歩できたが、一人参加の男性の中に歩きなれていて自分勝手に行動する人が居て
添乗員やガイドが振り回されていたのが嫌だった


 京街道を歩く

 4回目  枚方 ~大日

淀川沿いの堤防歩、地図は全体と部分に分けた

 全体図 クリック

       部分図 クリック

     クリック 

京阪枚方へ現地集合、改札前で受付する 参加者26名
京阪枚方の改札前には京阪バスの乗り場案内があり便利と思った

駅前に枚方宿の説明版
淀川に沿った細長い宿場町だった 淀川は埋められて今では川沿いではない

 駅すぐ近くの道標  「大坂街道 京街道」、 

「宗左の辻」は唄の基になったとか
「送りましょうか♪ 送られましょうか♪ せめて宗左の辻までも・・♪  」

  

岡本公園で準備体操してハイキングスタート
公園に枚方宿、くらわんか舟の説明がある 歩道の色違いのレンガは昔の京街道の中心を表す

 クリック

枚方市はこの京街道を歴史街道として道路をカラー舗装をして建物の復元を応援しているそうだ

万年寺山に登る 「御茶屋御殿跡展望台」から淀川を見下ろす視界広がる
昔の古墳の跡地 遺跡が出たそうだ

  

梅林を通り抜ける

  

意賀美神社が祀らている

山を下りて淀川沿いにある国土省管理の「淀川資料館」で説明を聞く

   

屋外にあった「くらわんか舟」は思ったより小さかった
桂川にあった「大山崎 レンガ造樋管遺構」移されていた

  クリック

枚方本陣跡は公園になっていた

  

鍵屋資料館 昔の宿場が残されている

    
 

堤防に上がると 「郵便屋渡し跡」 昔淀川には船がなく 明治時代に左岸に鉄道が出来ると右岸の郵便物を船で対岸には運んだ
渡しは540m上流だがここに記念碑を移した由

淀川氾濫時の犠牲者の慰霊碑も近くにある

  

早めの昼食は「お刺身定食」だった

光善寺 蓮如上人開祖の寺 門前のみを見る 
高い樹は龍女がこの樹から昇天したと伝えられる「サイカチの木」大阪府の天然記念物

 

蓮如の腰かけ石 小さな丸い石が飾られていた 桜が散っている

  

枚方の蔵は洪水に備えて石組みが高い

秀吉が築いた文禄堤のそばの旧街道を歩き、堤防に上がる 

   

灌漑用取り入れ口

 

 河川敷は野球やサッカーを楽しむ人でいっぱい

 国道1号線の陸橋を渡る川沿いの桜が満開できれい

  

鞆呂岐神社は桃山文化の本殿、 
奥の「寄進の鳥居」は赤穂義士の遺族が寄進したものと銘が残る

   

茨田(まんだ)の堤の碑
日本書紀に出ている最初の堤 人柱を立てて作られたそうだ

 淀川新橋の高架下をくぐる為に河川敷に降りる

鳥飼仁和寺大橋は有料とか 料金所があり 車が少ない

  

再び国道1号を渡り 佐田天神宮へ行く
菅原道真が恩赦の「沙汰」を期待して自分の荘園のこの地にしばらく居たという

  

来迎時の松は見事だった 桜吹雪の中にいる

外の石垣に「佐田陣屋跡」の立札がある
美濃の国加納藩 永井氏の陣屋があったそうだ 交通の要所だった

 

終点の鳥飼大橋 モノレールが通るのが見える 駅前のビルも近くなった

 

大阪湾まで17.2kmの標識を見て堤防から下りて大日駅へ

  

13km 5時間 23,000歩