タビトリプ

旅行大好き、ブログで旅日記を作りたい

京都を歩く・・2015冬特別公開・妙心寺、仁和寺

2015年02月23日 | 京都を歩く

京都の特別公開を今回は見たいところだけ自分で行ってみた

JR山陰線 花園駅で下車して妙心寺へ行く
この山門の荘厳の素晴らしさを聞いていたのでぜひ見たいと思ったのだ

    

      

山門右手から入り、急な階段を登ると 回廊に出る 写真左の黒く見える所から中にはいる
説明員が居て、詳しく説明を聞く 

正面に観音菩薩 左右に8体づつの16羅漢 天井中心に龍が描かれ 他には天女たちが舞う 柱や梁も彩色
色彩が見事に残っていて美しかった

     

 

次は仁和寺へ

ここでは金堂と経蔵が公開されている

     

仁和寺は門跡寺院で住職は皇室から下る この金堂は御所の紫宸殿を移築したもの
桃山時代の宮殿建築を伝える国宝指定の建物 

中の梁は太く 蟇股が支える二重構造 蔀戸には菊の御紋が入っている
  

経蔵もすごかった
   

1面に5X12のお経を入れた引き出しがあり、8面で八角形を造る
この全体が回転式の輪蔵になっている 昔は動かしていたらしい
周囲の壁には羅漢や浄土が描かれる

仁和寺前からのバスの待ち時間が長いので花園駅まで歩く 下り坂だった

途中オムロン発祥地の石碑 オムロンは御室のネーミングだった

花園西陵  鳥羽天皇皇后璋子の墓

  

花園東稜 鳥羽天皇 皇女 統子内親王の墓

  

京都は歩けばいろんな物に出会うと改めて思う

 


関西を歩く・・淀川鵜殿の葦焼き ・ 近江ヴォーリズ建築 ・ 近江八幡特別公開

2015年02月22日 | 関西を歩く

 

近江八幡ヴォーリズ特別公開 (2016.11)

 

特別公開の日を選んで近江八幡へ個人で行く
駅前の観光案内で道順を聞いて、隣でレンタサイクルを借りる

 

  

 

 駅前の道は電柱埋設で整備されていた

 

 

地図を見ながら、先ずは特別公開のウォーターハウス(個人名)に向かう
古いレンガ造りの中にあった (ここは「池田町洋館街」と言われ外観のみしか見れない)

 

   

 

このレンガ塀の中にヴォーリズの建築が建つ
ヴォーリズは宣教師として近江八幡に来たので、仲間のウォーターハウスに建てた家がこの公開の家
中まで見れたが写真は禁止 

 

ヴォーリズの建築の基本は家は家族が健康に楽しく過ごす為造る
健康の基は食事、台所を中心に考えたそうだ
このウォーターハウスの家も台所は明るく、収納が多く、動線が考えられて、大正時代に建てられたことに驚く

 

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隣にある吉田邸 母親の為に和風の離れがある 
この敷地の中で、幼稚園、料理教室など、地域の人との交流があった様子がパンフの写真にあった

 

  

 

 

 

次はこれも特別公開のアンドリュース記念館
ヴォーリズの宣教の基礎となった初期建築の教会(内部撮影禁止)
近江兄弟社が保存再生をして現在に至った

 

ヴォーリズは「一柳米来留」で近江で宣教に教育に尽くした人 すごい人だと思う

 

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これでヴォーリズは終わり、前回見れなかった日牟禮神社に行く 
門前の休み処「たねや」で名物の「つぶら餅」を食べて一休み

 

 

   

 

日牟禮神社は立派だった 護摩焚の準備がしてあり山伏達がいた

 

  

 

ロープウェーで八幡山に登る 紅葉がきれいだった

 

  

 

ここは豊臣秀次が作った八幡山城の跡 西の丸からの琵琶湖が見渡せた

 

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城跡に「瑞龍寺」がある 秀次は高野山で割腹、母親の日秀尼が我子を弔うための建てた
内部を拝見したが、庭にあった立派な瓦が目を引いた

 

    

 

 

この山城を囲む「八間掘り」は外堀だったと日牟禮神社の堀の横に書いてあった

 

  

 

 

 

瓦ミュージアムに行く 瑞龍寺で見たのと同じ立派な瓦が沢山展示(写真不可)
近江商人が瓦で競った様子が見れて面白かった

 

  

 

 

瓦を使ったアプローチもそれぞれ工夫されていた 

 

   

 

まだまだ見る所があると思うが、近江八幡が判ったような気がする

 

終わり

 

 


 

関西の歩く・・・近江のヴォ―リズ建築 (2016・5)

保存問題で有名になった、ヴォーリズ建築の小学校を見たくて、講師同行のお屋敷ツアーに参加した
川島教授はカルチャーセンターで有名らしく フォロアーが沢山居たのに驚いた

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水口小学校図書館は特別に内部まで見れた

  

入口のアーチ、屋上のランタンが可愛らしかった

  

宿場町だった水口、門の前は旧東海道が続き、校内には学校林の石碑がある
昔は小学校は各村の責任で作られたそうだ その為の学校林

  

そのまま歩いて、水口キリスト教教会 

 

横に畳の部屋があるのが珍しい 正面の祭壇は傾斜をつけて奥行きを出している

   

昼食は近江スエヒロ 建物は大阪曽根崎から移築された

 

火災にあった梁の焦げ目をそのままデザインとして使っている

   

食事会場は松下の政経塾の移築した部屋でステーキを食べる

 

甲良町立図書館(旧東甲良小学校) ここは凄かった
戦前の学校は町村の自己責任だったから、村長ががんばって日本一の学校を作る目標で
村民がお金をだし、労力を出して 村民総出で、総ヒノキ造りの学校を作ったという

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木材の立派な廊下、作法室は本格的な和室

  

格天井の大広間 ここでハプニング
戦時中に大阪からこの学校に学童疎開をしてこの部屋に住んだという男性名乗りを上げてみんなびくっり
写真の右がその人、左が講師

  

驚いたのはこの校舎を「曳家」方法で移動してここに移して保存した事

60年代政府は木造小学校をコンクリートに建て替えを進めていて、この学校も対象になる
保存運動がおこり 広大な学校の前の一棟を二つに切ってレールを曳いて今の場所に移動した
その様子の写真が展示されていた

  

天井に継ぎ目が残る  模型通りの建物が残っていたら見事だったろうにと惜しい

次は

保存で裁判にまで行き話題になった旧豊郷小学校

  

TVでよく見たウサギとカメの手すりをやっと見る

1Fのスタートにウサギとカメが並んで、途中は亀が登っている踊り場の手すりにウサギが眠っている

  

3Fの上には亀が座り下を見ている 物語通り

子供たちは歌を歌いながら上り下りをしていたのかと思い、私も楽しんだ
昔懐かしい手洗い場の横の手すりも同じ嗜好

  

唱歌室にはオルガン、窓の内板は大理石だった

  

講堂の正面に奉安殿が残る
カーテンを開けて講師が扉を開いていった 天皇家を高める仕組みを初めて見た

 

  

最後は補修中のヴォーリズ建築 ここは本当に痛んでいて内部は見れなかった
 保存も大変な事なのだ

  

これで終了 
初めてのお屋敷めぐりだったが、小学校建築の歴史を少し勉強した


 

高槻市・鵜殿の葦焼き (2015・2)

一度見たいと思っていた高槻市の葦原焼きを見に行った
天気予報は80%の雨、開催を確認せずに行くがかなりの人が集まっていた

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淀川のこの辺りの葦原は良好の葦の取れる場所として大切にされたそうだが、今は保存会が守っている
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E6%AE%BF%E3%81%AE%E3%83%A8%E3%82%B7%E5%8E%9F

高槻市長も参加していた(右の背の高い姿)

   

9:00に遠くに煙が出て始まる 川土手にはカメラマンや俳句同好会のシニアが見守っている
  

燃え始めたがこの程度 私はもっと壮大と期待したのだけど・・

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以前は火柱が凄かったと隣で見ていた人が話してくれたが、枚方側からの煙の苦情で今は殆どが倒した葦を燃やす状態だとか
なんだか焚火のようだった