タビトリプ

旅行大好き、ブログで旅日記を作りたい

エジプト旅行 ④

2009年01月30日 | 海外旅行

ブログ下 エジプト旅行③ から続く

アレキサンドリア

カイロから列車でアレクサンドリアに行きました 地中海に面したアレキサンダーが作ったローマ時代からの都市です 
列車はイギリス方式で 一等車でしたが綺麗ではなかったです 冷房が効きすぎてみんな震えあがりました これがサービスらしいです
観光はポンペイの柱、カタコンベ、と美術館を見ました

 

 

 エジプトその他

エジプトは農業国だそうです ナイル川沿いに手入れされた畑が広がっていました 必ず水路作られていて、水を大事に使っている様子が判りました 農作業にはロバが使われていて、畑や道路を歩いていました

エジプトはほとんど雨が降りません だから屋根がいらない?と思うほど家の屋根は粗末でした  
左はホテルから見下ろした街並みで、スモッグひどくてはっきり撮れていませんが、屋上は雑然としてました
右は 田舎の民家で完成した感じのない家です ロバや牛を飼って一緒に生活をしているそうです
 

   

イスラムの国なので男性はゆったりした長い服を着て、女性は必ずスカーフをしています
写真左は客待ちのロバ車(簡易タクシー) 右の写真の女性が伝統的な服装です

 

 

これでエジプト旅行記を終わります


エジプト旅行 ③

2009年01月29日 | 海外旅行

ブログ下の エジプト旅行② から続く

ピラミット

ピラミットはやはり壮大でした 多くの観光地は写真よりも迫力なくてがっかりすることが多いのに、想像以上の大きさに圧倒されました 一個の石の大きさが凄い! これが4500年も前に作られた? 本当に謎と思いました

クフ王の墓の内部に入りました 1日300人の限定だそうです 細い階段を下って、登ってたどり着いた所に、写真で見る小さなふちが欠けた石棺がありました  下の写真が内部に入る入口です

隣のカフラー王のピラミットには石灰岩の化粧石が残っていて、昔のピラミットは美しかっただろうと思いました ピラミットの石は年月を経て砦や住居に使われて今の形になったそうです

 

下の写真はサッカラの階段ピラミットと屈折ピラミットです 階段ピラミットは 4660年前に作られた一番古いもので、日干し煉瓦が見えていました この他にも沢山のピラミットが残っていて、それぞれのファラオ達が工夫した様子が見れました

   

私が驚いたのは、この階段ピラミットの付属の祭殿でした きっちりした石組の建物は最近建てたと言ってよいほど美しかったです これが4600年も前のものなら、メキシコのティオティワカン、クスコの町の石組もこの技術が伝わったはずと確信しました

 

ピラミットのスフィンクスはエジプト観光の目玉なので、一緒に写せるカメラポイントは観光客で一杯でした
「ここで撮らなきゃ来たと言えない」と私達もしっかり写真をとりました

 

ブログ上 エジプト旅行④ に続く 


エジプト旅行 ②

2009年01月29日 | 海外旅行

ブログ下の エジプト旅行① から続く

ルクソールからバスで途中を観光しながらの移動しました アスワンへの観光客の移動はクルージング、寝台列車、観光警察付きのコンボを組んでのバスだけにされています(アスワンダムのテロ防止のため?)

途中のナイル川にはホテルを兼ねた立派な船が止まっていました

 

 エドフ ホルス神殿

ホルス神殿はハヤブサの神を祭った神殿で、繊細な浮彫が美しい神殿でした 紀元前250から建てられた他に比べると新しい?遺跡でした ここの列柱もまた見事です

 

 

オム・コンボ

昔ナイル川には沢山のワニが居たそうです 人々は犠牲が多いのでワニを神様にして祭りました 新王国時代(3500年前)からです ワニのミイラが大切に保管してありました この神殿にはクレオパトラのレリーフもあり、最古のカレンダーもありました

  

 

 切りかけのオベリスク

アスワン地区は美しい石灰岩が採れる場所として有名でした その石切り場に、途中で割れてしまった切りかけの大きなオベリスクが横たわっていました 以前の本で見ると人が上がっても良かったのに、今回は鎖が張られて入れませんでした、でもこの大きな石を道具もない昔によくも切り出したと感動しました

  

 

  アスワンダム

 エジプト国の命のアスワンダムは警戒が厳重でした バスの中から全体を見て、観光スポットで写真を撮るだけでした もしこの琵琶湖の7倍のダムが決壊したら、カイロ市は3mの洪水になるそうだから当然かもしれません また発電電力を売って外貨を得ているそうですから、貴重なダムなのです

 

 

アブシンベル神殿

次の日は空路でアブシンベルに行きました
アスワンダムによって沈没する遺跡を、ユネスコがパーツに分けて移築工事をして現在の場所に移したもの 大変な工事だったと思うがパーツの繋ぎ目が見えて少し興ざめでした 移築前のラムセス2世の迫力はもっと凄かったと思いました

目の前に海の様なアスワンダムの水が光っていました この辺りから南はヌビア地方 昔は南部との交流が多かったそうです

 

ブログ上 エジプト旅行③ に続く