処暑は朝の冷気に感じられる。現代が熱帯夜などと気温の下がらないことを強調すると、エアコンのタイマーが伸びる、それはまた、気温の変化を知るかどうかを生活から、その時機を逸している。気候は旬日であるから、徐々にも変化する気に祖先はやはり時間をとらえたことであろう、この斜めになると感じさせる陽の光に、影が見える。 . . . 本文を読む
宗教は信仰にある。信心とも言っている。信じる、信ずる、と、漢語動詞として日本語で成立する。言は誓言、神に誓う語であると、字通に見える。また、〔説文〕三上に「誠なり」という、と引く。信仰は帰依と語釈する。 . . . 本文を読む
そのもとに立ち返ればいまがわかる。因果を言うのはそのことを愛雌。そのもとから、ただせば、こういうことが起こるとなると、それは論理によるか、なすがまま、なるままのことかを知るkとである。自然法爾は真理探究の絶対を拠るべきにゆだねている。そのもとから、ゆがめられ、作為が加わり、さらには引き起こすその結果をもとにして、次を画策し展開するということがあるので、その拠って来るところを、いくつにも見ることになるが、それもまた、そのもとに立ち返れば明らかになることである。人間の記憶はそこにかえることをするが、その記憶の原点が異なることがあるのは、人それぞれの思いは異なるからである。先祖に何を持つか、その後の世代に、世代を交代してまた、なにを持つか、祖先がえりをするものではない、時代を生きてそこで経たものが時代へと受け継がれて、新たになることがある。 . . . 本文を読む
雑節はいつからか。暦にとりれたのは1873年、太陽暦が採用されたときのことであると説明がある。24節気を含めてと言うが、それ以外の日本独自の節目と考えて、加えられたものである。その名称は江戸時代になく、すると、これもまた、節分、八十八夜、入梅、半夏生、二百十日、土用、彼岸などと、それぞれのいわれが、一つ一つのことにもなる。雑の意味内容が、さまざま、いろいろとなるが、草草のニュアンスがある。2017年8月23日は、節気のうち、次である。>処暑(しょしょ)は、二十四節気の第14。七月中(通常旧暦7月内)。 現在広まっている定気法では太陽黄経が150度のときで8月23日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。恒気法では冬至から2/3年(約243.4906日)後で8月23日ごろ。 . . . 本文を読む
政治は選挙によって行われる代議員の行動である。政治行動とするのはその目的、目標にあってどのような内容を作り上げていくかを選挙民によって付託されている。国の政治をまかなうものは税金である。政党が掲げるのは人々の代表としての進め方であるが、そこには民主主義の名のもとに現代の政治行動が行われている。政治は自らに利益誘導をする結果となるので、政党とその賛同者が抱える目標はどのようなものであるかが問われる。政府与党であるのは自民党、公明党、対する野党は政党が民進党、共産党、社民党、自由党、維新の会、日本のこころ、沖縄社会大衆党、新党大地、日本ファーストの会 となっている、2017年8月現在。保守革新の2大政党というとらえ方があった時代から、保守による2大政党、そして複数の政党がよる連合政権が生まれて、日本の政治には国民が何を望み、政党が何を進めたいのか、その目的、目標がはっきりしない。まだまだ、政治の成熟が必要なところ、それは選挙民の自覚するところかどうかにかかる。 . . . 本文を読む
軍事演習がもたらすものは、これほど、現実であったのであるから、いまひとつその関心を持たないのは、不思議なことである。日米韓の合同訓練があってもそのような受け止め方だ。米韓軍事演習に挑発を続けた北朝鮮である。演習に向けて潜水艦からミサイルを発射して見せたりしてきた。それはこれまで、3日目のこと、続いてきた戦争の準備はアジアの南北問題に最終決着となるような、戦いか、話し合いか、トランプ政権内の異動、2107年の変が起こっている日本、そして核開発をすることで緊張高まる近海周辺、そこには米、中、ロの思惑がからむ。 . . . 本文を読む
米韓軍事演習が始まる。この時期、南北境界をはさんで休戦のままである朝鮮半島が、戦争の終わっていない国として映る。そこでの対立を休戦ラインから、グアムを射程にするミサイル発射を威嚇して、緊張の場を拡大した状況がある。専守防衛の術をもって戦争になるかと身をすくめる。すでに発射準備をして命令を待つだけだと将軍は宣告通知したか、それを最高指導者としてもう少し様子を見るという発表にとどめて伝えるなどして、この時期のせめぎあいが日本に及ぶ。地勢に利するのは軍事か、経済か、一帯一路を経済圏として構想を打ち出した3年前から、近海の様相が2010年から実効支配という名のもとにそれを目指す動きとなって強まっている。 . . . 本文を読む
思想は考えることである。漢字文字の思想は心に思い浮かべること、思いをめぐらすことととらえる辞書義がある。白川漢字学に、思字について、人の思惟するはたらきのあるところ、深く思慮することをいう字である。また同じく、想字について、その形容を思いうかべることをいう、その人を慕う意がある、と解説する。考えるのは、彼我の対照に在り、思うのはイメージにつながるから、思想の語を見て、具象があることがわかる。近代思想、戦後思想と言えば、日本の思想をその内容においてとらえることができる。古来、日本民族は思想を生きている。その思想とは、現代になって、思想と良心の自由という概念を与えられ国民のうちに獲得することて、そのより良き実現のために向かっていることである。いま、それをもって、激しく思想の状況を作り出しているのが2017年である。考えを、かむかうとするごとく、国論を2分している。 . . . 本文を読む
倫理を問うとは人の生き方を明らかにすることである。その生き方は、人として正しい生き方持ことであり、それを問うとは何かを目指して正しく生きることであるから、その何かを設定してそれに向けた人間の行為を明らかにすることになる。道徳が実践にあるなら、倫理はそれを跡付けた、やだしい生き方の行為の論理となる。しかし多くは、議論を通してこれからを見据えようとするので、その目標によって、人倫についての基本、それが人間性とも呼ばれ、人権ともとらえられる。人間が正しく生きることは倫理に添うことであるが、それを主張することは人間としての義務であるから、その権利を据えることにまる。生き方の目標は何に在るのだろうか。思い起こせば、倫理としての実践に哲学的思索を始めて、君たちはどう生きるか、というのを、読みあさったのは思春期の入り口にあったころである。10代になって中学生のころ、おなじく、ラジオ放送の倫理学入門の話に耳を傾け、いまいうところの生涯学習の講座には公民館に出かけて青い坊主頭をみせていたし、読む本は禅の名言集だったりして、座禅を組む真似をしては兄弟をあきれせた。 . . . 本文を読む
1991年の湾岸戦争で、日本は多国籍軍への協力などで130億ドルを出したが、資金だけだとも批判された。
クウェート政府は米紙への広告で30カ国に謝意を示しながら日本を挙げなかった・・・
湾岸戦争と日本の拠出金 - GEOCITIES.ws
www.geocities.ws/ceasefire_anet/misc/tax_1.htm
湾岸戦争と日本の拠出金. 湾岸戦争で日本政府は、イ . . . 本文を読む