日本語文章を歴史書に求めて、古事記にさかのぼる。西暦712年、和銅5年の撰述とする。その序文に、>帝紀を撰録し、旧辞を討覈して 撰録帝紀 討覈舊辭 これに続けて >削僞定實 欲流後葉 と見えることから、さらに文章については彫琢したことが知られている。文体を変体漢文と見て、漢文書きではあるが、日本書紀の漢文、これも分析によって、その部分に比べて、正格ではないとして、スタイルが異なるとしている。上代歌謡と、古事記日本書紀などに見える日本語に工夫しようとした書き方もあって、和歌を編纂して日本語で書こうとした万葉仮名によるスタイルもある。一方で、物語文学に求めて、源氏物語を文章にして、歌物語また詞書の流れに和文を捉える。仮名文字で書かれる勅撰集の編纂には、西暦905年、延喜5年の撰となる。歌の制作から、912年ころの成立とする説もあり、漢文で書かれた文章と、和文と漢文だ書かれた序文を見ると、そこに、ざっと言って、300年をおいて、日本語が書かれるようになる。 . . . 本文を読む