日本語は語序にSOVとなる。言語類型論の古典的な見方である。漢語はSVOであると言われ、英語もまたSVOで同型である。文法はこの語序によって説明されることとなるが、ここに漢語がVSもあり、多くはまたVOであるので、その文法を取り入れた日本語は、文においてはSOVとなり、語の構成には漢語を熟語としているためにVS、VOを持つ。つまり文構造と語構成が異なるのである。何が異なるか、文法の語序に表れる規則が文法の下位において逆になることがおこっている。これはどのように考えればよいだろう。英語を取り入れたのは単語を語構成のままにカタカナとし部分であったりしたため、語にある文法は影響されない。カタカナ語は発音に於いて日本語の単語である。文法規則だけはそれを取りいれたので文における主語述語の関係を分析している。日本語は日本語の文法を持ちながら語の構成において漢語をもちその文法をもって理解し、英語の文法範疇を理論としようとするところがあった。屈折現象は分析しないが、活用現象は得ることであった。 . . . 本文を読む
祭りの季節だ。神は神輿に乗って町内を渡御する。何ゆえか。その神輿が電飾となって光り輝くさまは神々しい。祭りは、肉(肉)+又(又)(ゆう)+示。示は祭卓の象。その上に牲肉を供えて祭る、と字通は解釈する。まつる、まつり、先祖・祖神をまつる。 察と通じ、神意をおしはかる。 際と通じ、まじわる。などである。それで、神をまつることを、まつりごととして、神を敬い慰撫、鎮魂し、祈願感謝することと辞書義となる。祀るという。それでまた、古代においては、神をまつり、神の意を知ってそれを行なうことが、そのまま国を統治することであったところから、転じて、君主、主権者が、その国の領土、人民を統一し治めることのようである。それが政治である。神をまつることは、政治、つまり政であったのかどうか。政字は、正は他邑を征服すること、これに攴撃ぼくげき を加えて、支配することを政というと、また字通は解釈する。正は征服、征は征取、政は支配することをいう。 . . . 本文を読む
語義について、語の意味を記述するときに、反義、類義、同義の説明を意味の領域に分けて行うことがある。その領域を意味の範囲とし、それで語における反義関係はその語の意味の領域を対にして示すもので二つの語をとってそれぞれを円で示し円の接戦でふたつの円が隣り合う関係である。また、類義関係はその円が部分的に重なり合う関係となり、重なりをもたないぶ部分が類義とはならない。そして同義関係は同心円として重なり合う関係であるが、言語の経済性から同義語は原則としてないものである。このようにして語の論での意味領域はその語について、語義を反義語などで明らかにしようとする方法であった。語彙論における意味領域は semantic field として、単語をその意味によってある方法でグループ化したとき、その一群の語彙を意味領域というように捉えられ、意味領域という観念は多義語の概念と関連しているがより大雑把に定義され意味領域は一組の関連する語彙によって表されるようなひとまとまりの実在を表す、同じ意味領域に含まれる語彙は共通の意味的要素を持つ、とウイキペディアは述べる。Brinton で意味領域:semantic field or semantic domain)の定義が与えられている。 . . . 本文を読む
デジタイズとは離散的な値にして表現することである。離散量 デジタル量と、連続量 アナログ量のふたつを変換している。オブジェクト、画像、信号の認識において、人間がわかるのは何か。デジタイズが人間の知覚の分解能より小さいサンプリング間隔で行われると、人間にはデータがアナログかデジタルかの区別がつかないと言われる。音楽、映画、放送のデジタル化はこれにあたるというわけで、アナログで記録出来て、そうしてきたのを、そのままでよいものをと思う向きは、劣化があることを知る。アナログ情報の記録媒体は物質であるため、時間とともに変質し、このため、記録されたアナログ情報の質も素材の変質に伴い劣化するというわけだ。だから劣化はアナログ記録である限り避けられないと説明できる。アナログ情報はデジタル化すると大幅に改善される。デジタル信号の伝送は電磁気的、光学的な状態の違いとなってビットを取り扱う。パルスと言う。 . . . 本文を読む