式年遷宮に訪れる海外からの観光客は、日本語読みの、Jingu、Kami を知る。そして宗教体験をよびおこすようでもある。静かで満たされた気持ち、古代と同じことを繰り返す、シンプルな社殿、神道の伝統とその感想は、日本民族が大事にしているものを異口同音のように持つようだ。外国人の感性にも響く奥深さとCMを手掛けるインド人クリエータが語るのを中日新聞は伝える。そこに文化が現れる。その価値を思う。この土地に住む文化的に同質な社会集団であるわたしたちと、民族、民族集団 ethnos ethnic group のことなる人々に同じ思いがあるのだろう。そういう儀式である。文化とは民族や社会の風習、伝統、思考方法、価値観など、世代を通じて伝承されていくものであるなら、20年の節目はよくしてきたものだ。さてこの神宮であるが、その名称は社号であるとする。神宮号とは何か。格式の高い神社の称号とあったりする。また、その称号をもった神社。熱田神宮・平安神宮・明治神宮など。伊勢神宮神をまつった。そしてさらに神宮を名乗るところは・・・
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語彙論で基本語彙が明らかにされた。基本と基礎の語彙があるが、基礎語彙はそれなりに意味内容があった。基礎となるものに対して基本が用語としての内容を持つようになったようである。すなわち基本語彙の設定には語彙の選定に語の出現率が勘案される。重要語を基本とするようなときには計量をしてその重要度の選定に語彙における使用度数を加味するようなことである。したがって基本語彙には多く選定された語によって語彙を覆う範囲がとらえられる。語彙の延べ語と異なり語を設定することで得られる基本語彙である。出現頻度順に計量していくとその出現率の高い上位語を重要として基本語彙と呼ぶわけである。基本語彙のとらえ方は語の単位が共通すると資料に因っての偏りを解消しながら共通した語の項が得られて資料の総体をそれぞれに見ることができる。語彙調査を施し語彙量を決めて標本となる項目を見出し語とする延べと異なりの割合いを計る。基本語彙を選定しうるのはその数値の客観性にあると思われる。 . . . 本文を読む
第2次大戦後の日本語教育について見よう。1970年代から1980年代にかけて、日本語教育は隆盛期前夜を迎える。
日本語を、外国人のための日本語教育とした年代から外国語としての日本語教育へと転換する。
それは日本語教育学会の動きとなって表れる。
昭和51年、1976年に名称を日本語教育学会とする、The Society for Teaching Japanese as a Foreign Language
一方で、日本語教育研修会が始まる。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 873 出来心で男と知り合いになる を、例題にしている。コラムの解説では、出来心で男と知り合いになることができないようである。意図的、偶発的な出来心は悪事であったとしても、出来心で詐欺はできないと言うのだが、それは用意周到であると言うことのようだ。また、できごころで知り合いになると言うときに、出来心はその知り合うことについて悪事でもない、自分の意志だけではどうにもならないので、出来心にならないそうだ。なんともまあ、できごころが悪事へとおいやられてしまった解釈である。辞書の説明などに、あらかじめ計画していたのではなく、その場でふと起こした考えであり、もののはずみでふらふらと起こった考えとあるから、その程度のことで男と知り合うことはあるだろう。その結果が悪い場合、他に迷惑をかける場合にいうとなると、そうなってしまった場合、つまりその結果がよくない、知り合い方もあるわけで、そもそもこういうような表現が現れる場面や文脈があるのではないか。また計画的でなく、その場で急に起こったよくない考えとするのは、できごころがすべて盗みなどの結果を持つからだろうが、気軽に交際をすすめるようなサイトや情報の世の中で、起きた事件の結末などで、偶然男と知り合うばかりではない情況があるのである。 . . . 本文を読む
懐かしい響きがある。お使いに出かけた。クリの出店、恵那峡の物産展があってそこへ栗くらべを買うために懐かしくもお使いとなった。ところは名古屋オアシス、朝の10時から販売ということを前日土曜日に確かめていて日曜日に9時半に着いてもう並んでいた。行列につくとたちまちに膨れ上がってきて後ろに長蛇の列となった。前にと言えば30人は並んでいて限定700の販売は人気のあることだった。栗比べは2種類あって12のメーカーが競っている。老舗どころがどちらの箱にも入れているから2を減じるかな。それを手にれてしばし眺めて舞台の太鼓の音を聞いた。お使いはこれを無事に持ち帰らなくてはならない。栗きんとんは足がはやい。さてと、なぜに、きんとんというか。美濃東部名産の栗を使った高級和菓子、日本各地の和菓子屋でも作られ、京都ではこの形のものは茶巾と呼ぶ。栗きんとんは餡を裏ごしして、栗のイガのようにした生菓子のことを言うと解説にあるが、おせち料理の栗金団と違うというわけだ。栗金飩は・・・
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