物語の背景を理解するために、歴史と時代、風俗、習慣、因習などを含めた社会のあり方が、いあまなら問われるであろう。この系図にあらわされた当時の状況はそれなりに、社会のようすをうかがわせる。
江戸時代の学者あるいは読者にとってみれば、はたしてどのような解釈があったか、そしていまのわたしたちにはどうであるか、理解するために現実に生きている時代状況を考える必要がある。
系図の表層では宮廷の中で行われたことがらとして、後宮にかかわる人たちの、それが物語り中の出来事なのである。
これを生きた自裁に合わせて想像することはそれほど簡単ではない。
いまのわたしたちのまわりには、朝廷はもはやないし、宮廷は現実にはない。
ある時代の貴族となるく姓を得る王族の話となれば、物語を知るためにも歴史理解がなければならない。 . . . 本文を読む
語彙論で基本語彙の実験実証が明らかにされてそれまでの基礎語彙に対するとらえ方が明確になったのは、議論をするための用語のそれぞれの定義による。それはまた基本語彙が手法としてそこに現わされ、その成果を次々に示したことによる。語彙調査は継続して行われ、基礎語彙は日本語学習用にも示されるようになってきた。この基礎語彙、基本語彙がわかってきたことを受けて、加えられたのが基幹語彙というとらえ方である。基本語彙と基礎語彙とを合わせたような解説がある。語彙調査をもとに分野ごとに出てくる共通する語彙とその使用率によってそれぞれの語が広く深いとするものであるが、語彙を分野相互に眺め渡した基幹度の高いものという語はデータを理論的に組み合わせようとしたものであったかと思われるが、基幹外来語という語彙選定に研究が進められている。また、この基幹語彙について、ある集団の基幹部として存在する語彙として、頻度が高く、使用分布が広いものといった説明がなされ、基本語彙と変わらないことになってしまうと、基幹語彙としての扱いに注意がいる。 . . . 本文を読む
紅葉が黄葉であったというのはよく知られている、ことではなくなってきたが、どちらも、こうよう である。葉の色が赤くなるなるから紅葉として、かえで とある。葉の色が黄色くなるから黄葉として、いちょう とある。紅葉は もみじ という語を、もみつ という語から説明する。すると、もみ・つ 紅葉つ/黄葉つ と表記することになるが、現代語で、もみず 《「もみつ」の変化した語》秋になり草木の葉が紅や黄色に色づく、という説明になる。黄葉が用いられたのは万葉集で、もっぱら紅葉になったのは平安時代以降として、楓の繁殖とともに山野の風景を目にすることにある。褐色に変わる、褐葉もある。こうよう おうよう、かつよう である。 落葉広葉樹が落葉の前に葉の色が変わる現象のことである。秋の紅葉がいいか、山の風景を争った額田王の歌を鑑賞する。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 875 わたしは都会の喧騒を離れた を、例題にしている。まず例題が、おかしいと言うので、これが日本語で意味をなさないかどうか。喧騒から離れた、と言えば、それでどうしたかなと、思うような表現ではあるが、それでも、その状態にあることを理解する。コラムの解説は、喧騒を離れた場所 というふうに、状態の表現ならあると言っているのだから、これが表現として成立する。眼鏡をかける 眼鏡をかけた かけた眼鏡 かけている眼鏡 それぞれに意味内容がある。例題を、喧騒を避けた というふうに言えばよいとする説明は、語の違いで意味情が異なるが、それはそれで言えるということだけである。 . . . 本文を読む
北海道で生態系に変化があって、異常となるような、それは紅葉がない、なくなってしまった季節の移り変わりらしい。緯度が高いところなので本州よりは秋の到来も早く紅葉もそれなりにある。それはもう知床では9月に始まっていまは終わるころなのだろう。緑のままに落葉して移り変わる。そういう状況だそうだ。葉に虫もついているようだけれど、その変化は例年にないとか、気象の影響を言うようだ。 >世界自然遺産の知床では先月末から紅葉が進んでいますが、一部の地域では黄色く色づくはずのダケカンバの葉に、直径1ミリから5ミリ程度の黄色の斑点が出来て、紅葉しないまま葉が枯れたり落ちたりしてることが専門家の調査で分かりました。知床の夏の降水量が極端に少なかったことがダケカンバの生育に影響を与えた可能性があるとしながらも、初めての事態で原因ははっきりしないとしています。 . . . 本文を読む