同語反復は、トートロジー tautology のことである。類語反復ともいうらしい。同語反復は、通常ではおこり得ない。単純にそれと分かるからである。雨が降雨する 雪が積雪する 雷が落雷する とは、日本語で、表記から見てすぐにわかるのでこのような表現をすることはない。また、降雨する について、降るという動詞が含まれるので、する というふうにサ変動詞化することはないというような理屈もない。積雪する 落雷する も同様である。それは確かに、述語の繰り返しであるが、そこには漢語名詞としての語のとらえ方と、熟語は普通名詞扱いされる結果、サ変動詞を作るからである。とくにその表現は同語反復にはならない。そもそもトートロジーを起こすのは論理を追求してそこに説明のために同語を繰り返す論理を立てるからで、表現上にそれを厳密に求めると漢字語彙の場合には重言は避けるものの、日本語の表現にしたときの和語との干渉が起こる可能性はある。しかしほとんど下表現の整合において重言についてはゆるされるところがあるものの、起こり得ない。 . . . 本文を読む
おもてなしの日本語を五輪招致で紹介した滝川クリステルさん、見事なフランス語のスピーチに英語を加えて、この日本語が象徴された。おもてなしの語にはそれほどの歓待に意味があるわけもないと書いたりもしたが言葉は使い手によって意味を獲得していく。自分たちのパフォーマンスにふくめた情報もさることながら、いまや、おもてなしブームの前夜である。それでふと、その日本語を生かすためには、おもてなしをまた、日本語でさらにコミュニケーションのために使うならばどのような日本語がいるだろうかと考えたりもした。日本人のおもてなしは外来の方にはそれに合わせる工夫がある。外来の窓口の発想は長蛇の列か、それはコンピュータ受付で変わって来たし、エイリアンの看板用語で物議を醸した紅毛碧眼のそれはなくなったとしても、いまだ外来の方の言語にあわそうとする日本の文化受け入れのままである、おもてなしとなろう。それはそれであのパフォ-マンスに見られるところだ。 . . . 本文を読む
語の論で語について扱う。語は語誌を記述すると、その語についての情報があつめられる。語の発生から意味の変化または廃語に至るまで記述される。語誌には語源、語性、発音、意味、表記、派生、用法、慣用など、辞書の項目に表れる内容である。語誌について、 >一つのことばの語源や語形・語義・用法の変化などを記したもの。そのことばの使われる地域、使われる場面などによる違い、類義語との使い分け、使われる社会的・文化的背景などについても述べる時には、「語誌」を用いて「語史」と区別する時もある。「志」は「誌」と通用するので、「語志」とも書くが、現在はあまり用いられない。 というふうに、語誌の意味範囲を語の歴史と区別しようとして語史という用語をわざわざ解説するようになった。語誌/語志/語史というのが普通で、ある言葉の起源や意味・用法などについての変遷、また、それを書いたものということでよいだろう。 . . . 本文を読む