色好みと系図は、何の関係もないが、色好みといわれることに、いささか注釈を施す。
源氏物語がともすれば色好みの文学と規定され、それに異を唱えるのではないが、その色好みの語義の解釈に偏った見方がなされている。
この語をおえば、やはりそういう見方の文学だろうと思うが、若き日の光源氏の行状がもちろん長じても、かならずしも色好みとは限らない。
それは風流心、風雅に関心を寄せることへの理解からである。
というのも、源氏物語に影響する物語の彩は色好みによってあらわされていた。
それは伊勢物語の色好みそのものが描かれ、色好みを解する女に会うのも伊勢の主人公であった。
物語りの祖なる竹取物語には求婚者が色好みの5人と評される。
そして若紫に登場する光る源氏は色好みそのものである。
文学の影響と享受とを議論していけば源氏物語は色好みの物語としての系譜がある。
そこには雅と遊びと風趣と管弦の才がある。
さらには色好みの家に伝わる歌の伝統があった。
和歌にすぐれた色好みは貴族の文化であり、技術でもあったのである。
. . . 本文を読む
アンパンマンの歌、そうだ うれしいんだ 生きる喜び たとえ胸の傷が痛んでも と中日春秋は書き出す。何のために生まれて何をして生きるのか 答えられないなんて そんなのは嫌だ これも子供が歌う。正義の味方は、格好悪い方がいい インタビューのときのことばだ。勝ち組や負け組がはっきりする社会はだめだ あんぱんまんは、ばいきんまんを徹底的にやっつけない。生き物は、ばいきんと戦いながら強く成長する側面もある。強い人が弱い人を徹底的にいじめる社会はよくない アンパンマンがアニメ化され、人気が出た時、私は六十歳を過ぎていた。人生は終わりの方も意外と面白い やなせたかしさんが亡くなられた。94歳だった。アンパンマンが1969年にシリーズになり、1988年にアニメ化されて放送されて1000回を超える。手のひらを太陽に 歌の作詞者も、やなせたかしさんである。多治見市のマスコットキャラクター、うながっぱを2008年にデザインした。民話のカッパと名産の鰻を合わせたゆるキャラだ。知立市の公式ソング、知立はともだち 知立をともだちと読む を作った。ご冥福を祈る。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 878 主張性が見え隠れする を、例題にしている。コラムの解説は、主張 と、~性 の結びつきを、結びつかないとする。そうかなぁと、思ってしまう。確かに、例に上がっている、断言、約束、命令には、~性がつかないかな、と思って検索すると、約束性 命令性 は中国語でヒットした。それで、主張性、は、かなり使われている様子がある。その主張性を、成長がともなって現れる主張のことのようである。英語訳のあるところだから、概念としてその分野で用いられている。幼児の主張性と協調性となると、何ら違和感がないから、これはあり得る表現である。見えかくれする という言い方などは、ぴったりのようだ。はたして文例がどの文脈で用いられたかがわからないので、例によって、使われているのを誤用だとして決めつけるような論理はなかなか、そうだというわけにはいかないだろう。コラムで作られた論理はまあ良いとしても、あてはめるにはいたらない。
. . . 本文を読む
雅言収攬、雅語音声考がごおんじょうこう という書物があって、雅言、雅語があることを知る。それに対しては俚言集覧という書があり、雅言と俚言が対比するかと思ってしまう。雅語に対しては俚語ということがあるとして、俚言に導かれる。それは俚び言 さとびごと となって、さとび という語に、みやび があることに気づく。雅はみやびである。みやびとさとびと、言い換えれば、都風 みやこぶり と 郷ぶり である。雅言はそのような対照で用いられるかと思うが、少し様子がある。都ぶりというのは、中央のことであったし。郷風というのは、地方のことであったから、都に対する田舎としてみると、それはどこであるかとなる。都の周辺はどこまでも、どこでもそうであるからだ。また都風は郷にあって目立つので聞き耳を立てることになるが、変わらず、都にあってはいなびたことだと、方言は聞き捨てられる。それを俚言集覧とした後世にはわかることであって、時代が下ると明らかになることもあったのだろう。ただ方言に対する意識は、方処、方処を知ることが、みちのくや、さきもりなどの知るところであった。 . . . 本文を読む
議調査をすることで語彙量を得る。語彙調査は計算機処理が進んで大規模に行われるようになった。1950年代に語彙の考え方を新たにする動きとなった。はじめは国語研究所により雑誌90種の調査、新聞3紙の調査など、それぞれ1年分を対象とした大規模なものである。その結果、日常使用の語数がおおよそ4万語であることがわかって、それは単位、資料の取り方で、またサンプリングであったので、その後にさまざまに計数されることになるが、その結果はおおむね統計値によって変わらない。国語辞書に収録された語数がその当時の編集で約5万語をもつものであったので、小型国語辞書の役割は果たされていたことになる。いまその辞書は中型になると百科事典的な性格を帯びて約20万語に及ぶ語数を収載するので日本語の語が増えたかのような感があるが、実際に、小型辞書は7万語を超える語数となっている。それには片仮名語や新語の範囲を広げて辞書の役目を編集しているので、これからも小型でありながら増える傾向にある。 . . . 本文を読む