あきお不定期日記

日常の思いついたことを不定期で書いてみたい。

日本列島夏本番!!

2008-07-21 16:35:25 | Weblog
 暑いですね。本当に暑い。大阪地方はこの連休36度の猛暑です。
この暑さで仕事の方もはかどらず、明日提出する申請書類4件の作成をしておりますが、このパソコンの部屋には冷房装置が無く、横にガラス戸がありそれを開けると淀川からの涼しい風が入ると思いきや36度に熱せられた温風がムーッと入ってきます。事務は隣りの冷房の効いた部屋で行っていますが、室温を22度に下げてもじっとしていても汗がにじんできます。
夜中でもこんな状態です。年のせいか毎年暑さが増してくるようです。
こんな状態の今日です。
明後日は地元の夏祭り。3年前より参加していますが、一日中子供たちが神輿を引き大人はご祝儀を頂戴に各戸を回ります。浴衣を着て、大きな袋に領収書と白墨を持ち、祝儀をいただいた家の前に白墨で○を描きあとで神輿がとまり、拍子木をうち、家内安全を祈ります。
日本各地でこのような場面が行われています。日本に昔からあった伝統とでも言いましょうか、良いことだと思います。
当地区の夏祭りのあくる日は日本の3大祭り天満の天神さんのお祭りです。大川いっぱいに繰り広げられます。25日は天神祭りが行われているすぐ目と鼻の先にあるエルおおさかであの浜田幸一氏の講演会があり小生も参加します。
どんなハマコー節が聞けるか楽しみです。
土曜の丑の日も真近です。今年は鰻はどんなものでしょうか。
8月2日から高校野球の全国大会が始まります。今年は90回記念大会で15日間、甲子園球場で熱闘が繰り広げられます。長野県地方予選で私が応援している松商学園も35回目の出場が決まりました。信時潔作曲の校歌が1度でも甲子園で聞けたらと今から期待しています。大阪府大会も今、真っ最中です。今年は記念大会で大阪から2校が出場できます。わが母校も久々に3回戦まで勝ち進んでいます。22日は4回戦です。相手はこのところ力を付けてきた高校です。野球は何が起こるかわかりません。懸命にボールに食らいついてくれることを願うのみです。
小生の願いは母校が一度でも甲子園に出場できることです。いつの日にか実現して欲しいものです。
8月の中旬には家内と恒例の青春18キップによる野次喜多道中です。
これが私の2008年の夏の計画です。
皆様方も、それぞれの楽しい夏計画を・・・・・。
暑中お見舞い申し上げます。
くれぐれもご自愛下さい。

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メジャーへのパイオニア野茂英雄ご苦労さんでした

2008-07-19 05:07:48 | Weblog
 日本球界のパイオニア野茂英雄がついに引退となった。まずは心からご苦労さんといいたい。メジャーへの挑戦者である。日本を追われるがごとくアメリカに行きあのラソーダ監督と出会いアメリカ文化と戦いながら多くの金字塔をたてた。その後イチローが、松井秀が、松阪がそして多くの日本選手がメジャーに挑戦している。その源を築いた大立役者である。マスコミ受けする表情や態度でなかったので損をしているところがあるが、アメリカに渡る時に悲壮な心構えであったらしい。
野茂の前には南海ホークスの村上投手がメジャーへの挑戦をしたが成功したとは言えなかった。「僕の成績がダメであれば、今後メジャーへの挑戦を希望する後輩たちの道が閉ざされる。後輩たちのためにも絶対この挑戦をものにしなければならない。」と思ったそうである。
 思い出す。あの、ドラフト会議。司会者伊藤氏の声、「第一回選択選手、近鉄バッファローズ 野茂英雄、新日鉄堺」。この声が9回ドラフト会場に流れた。すなわち12球団中9球団が野茂英雄を第一順目に指名した。9球団による運命の抽選は近鉄球団が指名権を獲得し、野茂はバファローズの選手となった。
その後の日本球界での活躍は勿論のこと、以前の社会人野球での活躍も目覚しかった。それがゆえにドラフトで9球団から指名されたのである。
 あの鈴木啓治監督との確執がなければメジャーリーガー野茂英雄も生れていなかったかも知れない。近鉄球団、マスコミをはじめ野球関係者は彼のメジャー挑戦には冷ややかな目を向けていた。そして冒頭に書いたように追われるがごとくアメリカに渡った。
 彼を待っていたのは自分の持っている基本を崩さなくてもいいアメリカ野球であった。あのトルネードはアメリカで受け入れられた。そして、投げれば右に出るものがいないフォークを武器に三振の山を築く。そして数々の栄光を手にする。
日本のメジャーリーガー挑戦に対する考え方ががらりと変わった。そして、今日の現象が生れたのである。
 また、あのラソーダ監督がいなければ野茂の活躍も違ったのではないか。親日家であるラソーダ氏は野茂を息子のように可愛がり育ててくれたと思う。これは野茂自身が一番よく知っているのではなかろうか。
もう一度見ておきたかったのはロジャーブルーのユニフォームを着て、トルネード投法でフォークを投げる野茂の姿である。しかしもう見れない。
野茂の現役生活はもう終わったのだろうか。

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弛んだ日本国

2008-07-15 00:26:51 | Weblog
やっぱり洞爺湖サミットは福田政権浮上のきっかけにはならず、益々下落した。
それよりサミットの位置づけを考えねばならない時期に来ている。世界のレベルが上がりG8だけでは済まされなくなった。特に環境などは先進国と発展途上国との考えにかなりの格差がある。これはしょうがないことで、またアメリカを始めG8はみんなの意見を抑えられなくなった。このサミットが始まったときには巨大大国アメリカの影響力と指導力は強いものがあった。その時とは全く違う状態が起きている現在である。その意味でサミットに代わるものを創るか国連を強化するしかないだろうと思う。
 その福田政権であるが、政権発足依頼最低の支持率となった。少し前に書いたようにそろそろ政権交代があるのではないか。今のままでは選挙には勝てないだろう。先が見えてこない政治である。何もかも中途半端なところに来ている。
物価は上がる一方であるがその施策が何も見えてこない。依然として世の中は乱れ今まで予想もしていない事件が起こっている。子供たちの未来を託している教育者が犯罪行為に走る。食の業者は平気で消費者を騙す。倫理観もあったものでない。
国も地方公共団体もも徐々に出さず、膿を一度に出したらどうか。そんな年を作ったらどうか。
 テレビ業界もそうである。同じ時間帯に同じような番組ばかりでどのチャンネルを回しても同じことをしている。また、人生経験も薄い、その道の知識の無い勉強不足のお笑い芸能人がさも悟りを開いたようなコメントをする。サスペンス劇場は昔の番組を再放送する。全然進歩が無い。テレビ業界の危機ではなかろうか。
もっと味のある、考えられる番組を作れないものだろうか。今の視聴率至上主義では無理だろうなあ。
 本を読む人が減少しているとのことである。昔から読み、書き、そろばんと言われた。読むことがおろそかになると書くこともおろそかになる。読書に親しむことを推進すべきである。
 いずれにしても日本全体が努力もせず何か楽な方へ流れていっているような気がする。
日本の危機がそこまで来ている・・・・。

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大学校友会の定時総会は無事終了

2008-07-13 19:33:46 | Weblog
 昨12日(土)は、2年前から支部長をしている出身大学校友会の支部総会であった。午後6時から福島区のホテル阪神で行われた。4時に会場へ行き準備に取り掛かった。5時半頃から来賓や会員が集まりだした。
 小生支部長2年が終わり3年目となる。ホテル阪神は阪神タイガースがいつも利用しているところである。数年前の優勝ビールかけもこのホテルの地下駐車場で行われた。また、納会や、新人のお披露目、監督の交代などの時にはいつもここを使う。今年は成績もよくもう優勝は決まったようなもので、ホテルも雰囲気が明るい。
 6時少しして総会が始まった。今年は会員の中に2名の藍綬褒章受章者と1名の 大阪市民表彰者が誕生した記念すべき総会であった。3名の会員に心ばかりのお祝いを差し上げた。
 司会者は副支部長をしているH氏。司会者マニュアルを作成し、当日渡していたのであるが、マニュアルどおり行かない。最初から来賓の紹介となった。幹事長のO氏から小生にシグナルが飛ぶ。当方も彼に困ったような表情をする。
ただ、この司会者はあちこちで司会の経験をしているので最後はうまくまとめてくれると思っていたのでさしたる心配もしていなかった。彼の司会をよく見ているが最後はまとめている。しかし、最近は少ししつこくなったようである。第一部の総会は30分の余裕しかない。議案の審議は一括で上程し5分で終了したが約10分のオーバーとなった。2部の懇親会との間10分の休憩を5分にし開宴。
昨年始めた「癒しのコンサート」が好評で今年はフルート演奏を楽しんでもらった。フルートの音色、本当にいいですね。心が洗われます。女性の可愛いフルート奏者が5曲演奏してくださった。何れもどこかで聞いた曲であった。
 現役応援団も3名参加していただき若いときに還って学歌、応援歌、逍遥歌を心行くまで歌った。我が母校の学歌は早稲田、明治と共に日本の3大学歌といわれている。作曲は山田耕筰である。また、逍遥歌は関西では我が大学にしかないと記憶する。応援団の指揮の下、肩を組み歌うのである。
今年も大きな行事の総会が終わった。小生の任期はあと1年。楽しさをモットーに支部活動を運営していく。一年後には新しい執行部にバトンタッチすることも表明した。

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苦い経験の公務員採用試験

2008-07-11 18:03:10 | Weblog
 大分県で大変な事件が起こっている。県教育長と校長ら5人が逮捕された。
校長の一人なんか自分の娘を教員にさせるために教育長に200万円を贈ったとのことである。過去何十名もの若い教員希望者がこれらの者の悪質な行為で教員になる夢を挫かれたと思うと残念でならない。お金を渡したとか貰ったとかでは済まされないことである。県会議員も、国会議員も係っているとの報道も出だした。しかし、これは大分県だけのことであろうか。教育行政を扱っている文科省は全国の実態調査を行うべきである。
このことでは小生も苦い経験がある。このことが無ければ小生の人生も変わっていただろう。どちらが良かったかは別にして・・・。
 小生は公務員を目指していた。大学3回生になると司法試験研究会や公務員受験研究会の会員を募集していた。小生は公務員に興味がありかなりの倍率であったがその研究会に入会を許された。40名の構成である。確か毎月テストがあり、その出来具合もまあまあ良い成績だった。この研究会の指導教授は行政法の権威で確か大阪府の行政委員も務めておられた。4回生になってすぐの研究会でこの指導教授は我が大学の学生特にこの研究会の学生はどの役所の採用試験でも一次試験にとおればまず採用されます。と言われた。今はどうか知らぬが当時は6月に国家公務員上級試験があり、7月から8月にかけて都道府県・市町村の地方公務員の一次試験が行われる。小生は兵庫県の某市と大阪府の某市を受験することにした。大阪府・大阪市とこの某市の一次試験日が同じ日であった。兵庫県の某市は初任給が一番高かった。この年は20名の採用とのことであった。受験者は600名。30倍の倍率である。一次試験で25名が合格する。その25名に入ったのである。あの先生がおっしゃるとおり一次試験に合格したのでもう某市にお世話になると思い込んでいた。
したがって大阪府の某市も一次を通っていたが二次は受験しなかった。そして二次試験は面接。あたりさわりの無い数質問が終わった。8月は就職活動も何もしなく学生生活の最後の夏を心行くまで楽しんだ。9月中旬、某市から通知が来た。採用通知だと思い封書を開けると補欠採用になっているではないか。愕然とした。小生と同じに受けた友人は採用された。あの先生の言葉を疑った。補欠採用は1年の間有効である。しかし待っていてもと思い就職先を探したが9月ではほとんどの企業が採用試験を終わっている。就職課の採用試験掲示板を見ても信用金庫ばかり。そのひとつの信用金庫をうけそこに決まったのである。後で聞くと合格者の何名かが議員や職員の引きがあったみたいである。
 今、この問題が起こりあの当時の苦いことをを思い出したのであります。

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