あきお不定期日記

日常の思いついたことを不定期で書いてみたい。

狂っている日本社会

2007-08-31 01:01:04 | Weblog
 8月24日嫌な事件が愛知県で起こりました。ネットで連絡を取り合った3人が何の関係も無い見も知らずのお嬢さんを殺害しました。それもそのお嬢さんの自宅近くでです。7万円の所持金を奪い逃走しました。奪った金が7万だったので次の犯行を計画しておりました。犯人は捕まりました。調べでそのお嬢さんは殺さないでと懇願したそうです。そのお嬢さんの家庭は母一人子一人の家庭だったそうです。何ということでしょう。母親の気持ちを思う時、自然と涙が出るのは私だけでしょうか。ここ数年日本社会はガタガタです。こんな国になったのが悔しくて悔しくて。これが美しい日本といえるでしょうか。テレビで彼らが連絡していたサイトが紹介されそれを見ました。この種のサイト増えているとのことです。早急に規制するべきではないでしょうか。言論の自由は憲法で保障されていますが、それはあくまでも公序良俗に違反していないことが最低条件です。

 昨夜、奈良県に住む妊婦が体調が悪くなり救急車を手配。救急隊員が奈良県の産婦人科を探しましたが受け入れ態勢がなっていなく拒否されました。そこで、救急隊員は奈良県外を探しましたが9件目に大阪の高槻市の病院が受け入れるとのこと。その救急車は40キロ走り、途中で経四輪車との事故おまけまでついてその病院に運ばれましたが流産とのことでした。1年前も奈良県で産婦人科が関係ある事件でその妊婦は不幸にも死亡しました。1年前ですよ。その後、奈良県はどんな対策を取ってきたのでしょう。奈良県からは女性代議士が出ており、しかも少子化を止めるにはどうしたらよいかを考えねばならない職についています。彼女がおりながらなんて貧弱な奈良県でしょうか。舛添さんしっかり事実を把握し、国民に説明すべきです。あなたならやってくれると確信します。

 玉沢元農林大臣5重領収書使用。なんてことをするんだ。悪質極まりない。それも倫理委員会の幹部である。すぐその職を辞めるとのことである。この際国会議員もお辞めになっては如何でしょうか。

 兎に角狂っていますねこの社会。救世主早く出ないかなあ。

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信用金庫破綻事件を傍聴して

2007-08-28 06:54:53 | Weblog
 安倍第2次内閣が発足した。その前に自民党三役が決まり、派閥の長である麻生氏が幹事長に就任した。いよいよ天下獲りへの第一歩か。政調会長には塩崎前官房長官と並んで安倍氏の盟友石原伸晃氏を充てた。又、総務会長には派閥の長である二階氏が納まった。前回より重厚な党人事である。
 閣僚はこれまた派閥の長を主体に構成された。小泉氏と違って派閥均衡の組閣となった。でも、谷垣派からは谷垣氏を筆頭に一人も出ていない。首相批判を続けてきたのがこの人事で表に出た。
 舛添要一氏が厚生労働大臣として初入閣。民主党の長妻議員対策である。舛添氏は親が寝たきりで介護の必要があり頻繁に東京と親のいる九州を往復していた。介護の現場を熟知しており、介護行政に生かしてほしい。長妻議員との対決が見ものである。正に安倍内閣の目玉ではないだろうか。国会・委員会での議論が見ものである。もうひとつの目玉は前岩手県知事の増田氏を総務大臣に充てたことではないだろうか。改革派の知事であり、地方行政に詳しい人物である。地方重視を見せたかったのだろう。この組閣を見て思うことはお友達内閣は一応解消された。また、安倍内閣に物を言ってきた人を閣僚に登用し物を言わせなくしたのかまた私を批判しても内閣に入れます。といったパフォーマンスなのか。それは今後の閣僚の仕事で決まる。それにしても安倍さんまだ「美しい日本」を言ってはります。もういいだろう。

 27日、午後から取材している相互信用金庫破綻事件の傍聴にいった。午前10時からの開廷であったらしい。この事件いつもなら午後1時30分から始まるのでそう思って午後からの傍聴となった。202号の民事大法廷である。被告側の弁護団二十数名である。すでに始まっていた。証人は破たん前の理事長である加茂野淳一郎氏である。私が奉職していたのは昭和40年代前半であるが仕事はご一緒したことはないが軟式野球部員(当時は信用金庫では強かった)でありその方で見聞きしていた。従って当時は名前はよく知られていた。この尋問で金融庁、日銀の検査、考査の姿勢が鮮明に出ているように思えた。日銀の検査は特に厳しかったようである。最後は日銀との当座取引の解消を求められた。金融機関にとって当座取引ができないとなるとお手上げである。
最後に元理事長が述べた言葉が印象深い。もう少し時間があれば再建できたと確信している。
 金融庁の金融行政は都市銀行も地方銀行も信用金庫も同レベルでの基準を策定した。これは大きな問題である。

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踊る阿呆に観る阿呆!!

2007-08-27 01:21:34 | Weblog
 23日、24日は我が町内会の一年中の最大のイベント「子安地蔵盆踊り大会」である。約2ヶ月前から会議を開き準備をすすめてきた。この盆踊りは「子供の安全と健やかな成長」を祈り毎年8月23日、24日に開催されている。盆踊り大会は全国各地でお盆時を中心に行われている。我が町内の子安地蔵盆踊り大会は少し違った趣がある。両日とも午後6時より住職の読経に始まり、町内会の子供さんによる数珠くりの行事がある。そのあと7時より10時まで盆踊りである。23日は午後8時半過ぎ猛烈なスコールがありそれ以後の踊りは中止となった。22日にお願いしていた大阪日日新聞社の記者から24日の夕刻取材に行くとの連絡が入った。小生が役員をしている間に一度取材をしていただきたかったのでそれが実現されることでよかった。それも希少価値の数珠くりを重点に取材するとのことであった。願ったり叶ったりである。
 24日の取材は数珠の現場を重点に取材し、その後、会長などへのインタビューだ。会長も「時の人」である。私も仲立ちをした関係上取材に同席した。
 このお地蔵さん安政時代に当地に建立され明治、大正、昭和、平成の時代を見守り続けてきた。特に終戦前の大阪大空襲ではこの付近はB29の直撃を受けあたりは焼け野原となった。昭和21年このお地蔵さんが瓦礫の中から発見された。奇跡であった。当時の住民の浄財で祠をたて再びこの地域の安全と安心を見守っている。そして感謝の意をこめて盆踊り大会が開催されている。
 会長の説明で私もひとつ賢くなった。そういえば会長は此花区の歴史研究会に参加している。
 24日の盆踊りは昨夜のようなスコールはなくスムーズにことが運ばれ無事終了することができた。小生も昨年に引き続き踊る阿呆になった。
 26日は朝早くから盆踊りの後片付けである。後片付けは早い。30数名が参加しての作業。見る見るうちに作業終了。会館に集まり冷たいもので喉を潤す。11時ごろまでかかると思いおにぎりを注文していたがまだ来ない。業者に連絡30分後に到着した。和気藹々のうちにお開きとなった。その後、会計の精算。各班長さんが集めていただいたお供えなどを精算する。これも約30分で終わり、午前中にすべて完了した。後は、集計をしデーターを作り9月8日の反省会に提出し承認を受ける。この作業は会計の私がせねばならない。
高校野球ではないが、来年又会おうである。

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高校野球観戦記?

2007-08-24 05:51:03 | Weblog
 実は私、22日は甲子園にいた。前々からこの日は午後の仕事を空けるようなスケジュールを組んでいた。仕事が終わったのが1時半すぎ。すぐ甲子園に向かう。
駅から歩いていくと本日の入場券はすべて売り切れた外野席で観戦してほしいとの放送。入場券売り場のシャッターは閉まっている。仕方なく外野へ回る。外野の通路から入ると、まあよく入っている。こちらも満員である。回は4回。広陵が2点リードしている。一旦外に出て考える。このまま帰っても仕方ない。外野裏の喫茶店に入る。喫茶店ではラジオで高校野球の放送を行っている。アイスコーヒーを注文して喉を潤しながら放送を聴く。その後広陵が2点加点し4対0となった。久保投手甲子園で初失点である。広陵の優勝間違いなし。どちらも訓練されたいいチームである。閉会式は見たいなあと思い再び外野通路に足を運ぶ。通路にテレビが設置されていてみんなそれを見ている。回は8階の裏、ワンアウト満塁である。ワンストライクスリーボールからの5球目野村君が投げたアウトコースへのボール。審判の判定はボール。押し出しである。4対1になった。次のバッター副島君。本大会2本のホームランを打っている。甲子園で一番成長した選手ではないだろうか。
野村君が投げたインコースよりの球を振り切った。打球はレフトスタンドへ。周囲は一瞬静寂となった。次の瞬間「ええ、こんなことってあるの。」「なんでやねん。」と大騒ぎ。甲子園は何が起こるかわからない。本当に魔物がすんでいる。
佐賀北の応援団のすごい歓声が聞こえる。逆転満塁ホームラン。5対4となった。投手野村君、打者副島君にとって一生涯忘れられない一球となった。9回の広陵。ねばる。しかし、すでに勝利の女神は佐賀北に移っていた。万事休す。栄冠は佐賀北に輝いた。特待生のいない普通の公立高校が栄冠に輝いた。高野連も心のそこではほっとしているのではないだろうか。
89回大会はすべて終了。数々のドラマが繰り広げられた大会過去のものとなった。もう、秋の地方大会が始まろうとしている。来春の選抜大会の予選である。

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私の甲子園賛歌

2007-08-23 13:25:30 | Weblog
 大会歌「ああ栄冠は君に輝く」の曲が流れ、両校の選手が広い甲子園球場のグラウンドを一周する。空は晴れ、雲が湧き、猛烈な暑さが球場をてらしているが、爽やかな風が頬をなでる時、もうすぐ秋だと感じる。球場を埋め尽くした5万の観衆は過ぎ去った戦いの余韻に浸っている。どちらもが勝ってほしい、いや勝たせてあげたい試合であった。特待生問題で揺れた高野連。皮肉にも特待生が一人もいない公立の進学校が佐賀路に優勝旗を持って帰った。佐賀北は甲子園で強くなった典型であろう。甲子園が精神的にも、肉体的にも、技術的にも彼らを強くさせた。大柄の選手はいない。みんな細身の選手で本当にごく普通の高校生である。彼らのプレーは見ていて気持ちがよい。全力でボールに食らいついていく。全力でプレーする。何といい学校だと当初から思っていた。タイムで連例がマウンドへ行く時も、審判団に丁寧に挨拶をし、帰るときも挨拶する。気持ちがいい。
これに対する広陵は伝統校であり、躾もよく行き届いている。この学校も甲子園の常連校であるが傑出した大型の選手はいなく、よく訓練されたまとまったチームである。何か初々しさが残るチームである。5本の指に入る私の好きなチームである。
わずかの隙に佐賀北に勝利が微笑んだ。実力は正に伯仲だった。もう一本優勝旗があったらなあと思ったのは私だけであろうか。
それにしても佐賀北は甲子園でいろいろな体験をした。こんなに多くの体験をした学校は他にあるだろうか。ランニングホーマーをはじめ、宇治山田との引き分け再試合。あの帝京との死闘と劇的な勝利。今日の優勝戦の大逆転満塁ホーマー。胸にジンと来るものばかりである。
 高校野球の真髄を見せてくれた両軍選手に心からお礼をいいたい。先日亡くなられた大の高校野球フアンの阿久 悠氏がご存命ならばどんな詩を書かれただろうか。いえることは両軍選手への感謝の詩ではなかっただろうか。
 89回大会は終わった。秋風が甲子園を包むだろう。猛暑だった関西にも秋が訪れる。

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