あきお不定期日記

日常の思いついたことを不定期で書いてみたい。

メジャーへのパイオニア野茂英雄ご苦労さんでした

2008-07-19 05:07:48 | Weblog
 日本球界のパイオニア野茂英雄がついに引退となった。まずは心からご苦労さんといいたい。メジャーへの挑戦者である。日本を追われるがごとくアメリカに行きあのラソーダ監督と出会いアメリカ文化と戦いながら多くの金字塔をたてた。その後イチローが、松井秀が、松阪がそして多くの日本選手がメジャーに挑戦している。その源を築いた大立役者である。マスコミ受けする表情や態度でなかったので損をしているところがあるが、アメリカに渡る時に悲壮な心構えであったらしい。
野茂の前には南海ホークスの村上投手がメジャーへの挑戦をしたが成功したとは言えなかった。「僕の成績がダメであれば、今後メジャーへの挑戦を希望する後輩たちの道が閉ざされる。後輩たちのためにも絶対この挑戦をものにしなければならない。」と思ったそうである。
 思い出す。あの、ドラフト会議。司会者伊藤氏の声、「第一回選択選手、近鉄バッファローズ 野茂英雄、新日鉄堺」。この声が9回ドラフト会場に流れた。すなわち12球団中9球団が野茂英雄を第一順目に指名した。9球団による運命の抽選は近鉄球団が指名権を獲得し、野茂はバファローズの選手となった。
その後の日本球界での活躍は勿論のこと、以前の社会人野球での活躍も目覚しかった。それがゆえにドラフトで9球団から指名されたのである。
 あの鈴木啓治監督との確執がなければメジャーリーガー野茂英雄も生れていなかったかも知れない。近鉄球団、マスコミをはじめ野球関係者は彼のメジャー挑戦には冷ややかな目を向けていた。そして冒頭に書いたように追われるがごとくアメリカに渡った。
 彼を待っていたのは自分の持っている基本を崩さなくてもいいアメリカ野球であった。あのトルネードはアメリカで受け入れられた。そして、投げれば右に出るものがいないフォークを武器に三振の山を築く。そして数々の栄光を手にする。
日本のメジャーリーガー挑戦に対する考え方ががらりと変わった。そして、今日の現象が生れたのである。
 また、あのラソーダ監督がいなければ野茂の活躍も違ったのではないか。親日家であるラソーダ氏は野茂を息子のように可愛がり育ててくれたと思う。これは野茂自身が一番よく知っているのではなかろうか。
もう一度見ておきたかったのはロジャーブルーのユニフォームを着て、トルネード投法でフォークを投げる野茂の姿である。しかしもう見れない。
野茂の現役生活はもう終わったのだろうか。

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