あきお不定期日記

日常の思いついたことを不定期で書いてみたい。

明日から先生走る(師走)!!

2006-11-30 09:13:35 | Weblog
7時起床。もう11月も終わりですか。
明日から師走。心なしか道行く人々の気配も気ぜわしい。
ついに木村氏(和歌山県知事)が認めた。あんなにかたくなに拒絶していたのに。
やはり検察の厳しい追及に白旗を揚げたのであろう。
ここにきてまた宮崎県で不祥事。県NO3が逮捕となった。
知事は福島、和歌山と同じく頑強に否定している。前にも言ったように何も無ければと思うしだいである。
地方自治が荒れ放題。47都道府県を調べればかなりの都道府県で出てくるのと違いますか。これは氷山の1角であると報道する4大紙もある。
公平の原則からそういうことも必要かと思うが検察もこればかりにかかわれない。
要員が不足している。地方の時代といわれ地方自治が論議されその方向に向かうと思うが、その前に今までの地方自治の膿を出すことが必要だとおもう。
 27日3ヶ月のフランス料理研修を終え次男が帰国した。地中海に面したモンペリエにあるホテルにて研修をうけていた。料理は勿論、フランス語の研修も受けた。ボンジュール!日常会話も話せるようだ。
人口は24万人、魚が豊富な土地であり、フランス料理でも魚介類を主にした料理が多いのだそうだ。晴天の日が多く、本当に暮らしやすい土地だそうだ。フランスの人口は6000万人、国土は日本の何倍かである。広々としているそうだ。
午前中は9時から2時半まで働き、夜は7時から10時まで。午後は自由時間だとの事。週5日制で、6週間の夏のバカンスがあるとの事。給与体系は日本と同じくらいである。比較的おうような人々が多いそうだ。
再度若いうちに今度はパリに行きたいとのたまうのである。
インターネットが普及しているのでメールで事が足り、通信費も非常に安く(ただみたいなもの)連絡ができる時代になった。
話を聞いていて死ぬまでに訪ねてみたいなあと思った。地中海に向かって腹筋を思う存分膨らましカンツオーネでも歌いたいなあー。ああ、あれはイタリアか?イタリア、モナコにも近いところだそうだ。

12月からブログをもう一つ増やします。GOOで2つできないのでBIGLOBEにて開設します。「シニア行政書士のひとりごと」です。私の行政書士としての体験を中心に仕事の内容もふくめ綴っていきたいと思います。月2回程度の投稿になると思います。こちらのほうもよろしくご覧ください。

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復活! ディープインパクト

2006-11-28 01:07:33 | Weblog
 11月26日、東京競馬場をあの名馬が怒涛のごとく駆け抜けた。
あの冷静な武豊騎手は両腕を何度と無く天に突き刺すように上げさらに何度と無く万歳のしぐさ。よほどこの勝利がうれしかったのだろう。池江調教師の安堵の顔もテレビ画面に映し出された。12万人で破裂しそうな東京競馬場の興奮劇は今最高潮となった。
3時30分、11頭は一斉にスタート、最初からディープインパクトはどん尻につける。1コーナーから、2コーナー同じような状態が続く。テレビは緩めの展開であると告げる。3コーナーを曲がって直線に入る前、天才ジョッキー武豊の鞭がなる。温存した末脚を全開。躍動感あるすばらしい走りである。みるみるうちに前方の馬たちを抜き去る。ゴールめがけて一直線。ゴールでは2馬身の差をつけて優勝である。武豊との名コンビ。
 あの屈辱から2ヶ月。ディープはどんな思いで練習していたのであろうか。国と国との考えの違いからフランス凱旋門賞3着を剥奪された。本当に悔しい思いで今日まで来たのだ。何でやねん!空に向かって力の限りいななきたかったと思う。
ジャパンカップでそのうさを思う存分晴らした。
あと一回の出走を限りに天才名馬ディープインパクトは引退する。
私のような普段関心が無いものでも寂しさが増してくる。
感動の無い日本で、ディープの出現は久しぶりにしばしの間感動の世界に引き込ん
でくれた。ありがとうディープ。最後の走りは思う存分走って走って・・・・。
引退後は後継者が生み育ち、多くの2世が感動を与えてくれることを期待する。


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超不便生活

2006-11-26 01:02:07 | Weblog
数日前から風邪をひき熱っぽい日々が続いている。
10日ほど前、家内が風邪を引き状態がよくなったと思ったら今度は小生である。
私、熱に弱く36度で頭は朦朧、後頭部はがんがんする。
それでもこのところ新規の仕事の受注が相次ぎそれの調査などに大阪府、大阪市、法務局、府税事務所などを飛び回っている。事務所に戻ってもその整理などでバタバタ。
そんな折、金曜日夕刻、自宅兼事務所に戻り書類の整理をしていたところ、家内が帰って来、「あんた、えらいことやんか。チョットきてみ。」「なんや、なんや。」「これ気がつけへんかったん。」みると床の間の天井からポトポト音をたててしずくが落ちている。掛け軸もかなり濡れている。大変や、大変やと二人して2階へ駆け上がる。床の間の上がちょうどキッチン。表から見てもわからない。また、1階へ。床の間横の押入れの天井のところが、開けられるようになっているので、押入れのものを全部だし、脚立を使い天井裏をチェック。懐中電灯でみるが背が低いのでよく見えない。それでもかすかに音がする。家内が「水道管が悪いのんと違う。」私、「下水管やで。」とりあえず、止水栓止めようや。水道屋に連絡や。「もう業務終っています。明日朝1番に行きまっさ。」ということで水の供給は完全に断たれた。水の出ない生活。阪神淡路大震災以来である。
本当に不便です。煮炊きができず。お茶が飲めず。風呂が沸かせず。顔も洗えず。ひげもそれず。電気、ガスが正常でも、水が無ければあきません。やはり3つがそろってはじめて快適な生活ができるのですな。その中で人間が生きていくうえで1番大切なのは水ですな。つくづくおもう。土曜日水道業者がきて調べてもらうとやはり水道に原因があることがわかった。水道業者がきてキッチンをみてシステムキッチンでんな。おおごとでんな。月曜日午前中に工事しまっさ。それまでこらえとくなはれ。月曜まで長い超不便生活がはじまる。システムキッチンも善し悪しだなあとつくづく思った。
風邪と不便のダブルパンチをせをった生活がつづく。

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二枚舌は政治家の特徴か?

2006-11-23 11:50:49 | Weblog
昨日22日は年に1度の高校同期有志による歩こう会があった。
奈良で紅葉の名所「談山神社」から蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳を歩いた。
まさに大化の改新の後を辿った。
神社境内は朝NHK全国中継があったのを知ってか知らずか満員であった。
1日歩いた疲労感がとっても心地よい。したがって、ブログの投稿も遅くなった。

 一党のことであるので目くじらを立てることもないが、造反議員の復党問題が頂点に達したきらいがある。昨日中川氏と平沼氏がこの問題について会談した。会談は物別れ。中川氏が出した案がかなり厳しいものだとのこと。自民党も造反議員を復党させて来年の参議院選を今より有利に戦おうとしている。一方造反議員は復党するか、党籍を得ないと1,000万円の助成金が受け取れない。それも今年中にである。どちらも必死である。中川氏からでたきつい条件を造反議員はどう思っているだろう。踏み絵をさせられてまで復党するか。そこまでするのなら1000万円はどうでもいいといえるかである。郵政民営化で反対した度合いで変わってくるだろう。
私は思うにこの1000万円の政党助成金、無所属の議員にも渡るような方策がないものかと思う。本来議員は地域住民から選ばれており、たまたま自分と同じ考えを持っているものが党を作って、また今ある党に所属しているだけである。
党にがんじがらめに拘束されるような政治体制であってはならないと思う。
小泉さんは自民党を半分ぶっ壊した。それに国民は賛同した。そして選挙に大勝利した。復党問題が実現するとまたもとの木阿弥になってしまう。政治体制の進展などあり得ない。半分壊れた自民党は国民にうそをつくことになる。
小泉チルドレンも騒ぎ出した。政治家は使い捨てであるといった小泉さん、武部さん。大勝した選挙の前に言っていたことと正反対のことを言っている。前者が彼らの本音かもしれない。80人の皆様は小泉劇場の主役で新しい自民党を作っていってほしい。我々は君たちを最後まで守る。こういわれれば今の職場で充分でも意気に感じて職場をやめ選挙に出る。
イラクに核兵器があるとのことで軍事支援に乗り出した方が、危険地帯など私にわかるわけがないと大見得を切ったお方。
日本の指導者がこう2枚舌では、社会がよくなるはずがないと考えるのは私だけであろうか。押しなべて政治家はそういうきらいがある。

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高橋尚子さんもっとリラックスに

2006-11-21 00:03:41 | Weblog
11月19日日曜日、東京国際女子マラソン大会が開催された。
久しぶりに高橋尚子が参加するとのことでテレビ中継をみた。
雨の中のマラソン、そのうえ気温は10度。過酷なレースが予想された。
レースは土佐をトップに高橋が続く。帽子をかぶり俯きかげんに土佐にぴったりつく。27キロを過ぎたあたりから土佐が動いた。あの走りなら充分追いつけ追い越せそうな高橋の足が伸びない。雨は容赦なく激しさを増す。帽子を取り伸びた髪からしずくが落ちる。ゴールに近づくにつれ高橋の足は動かない。最後は3着でテープをきった。オリンピックで優勝したときの愛らしいキューちゃんはいなかった。悲壮感の塊のようなキューちゃんが、放心状態のキューちゃんがいた。
小出監督と袂を分かち独立してチームQを作った。その最初の大会が過酷なレースとなった。天候の状況などが違えばもっと違った答えが出ていただろう。
しかしQちゃんはプロである。どんな状況におかれても順応する日ごろの練習が大切である。今回はよい経験をしたのではないか。
テレビで見た限りでは悲壮感があまりにも出すぎて顔をそらせたくなる。
スイッチを切りたくなる。そのあたり土佐選手は苦しい走りの中にも見ていて応援したくなる雰囲気があった。
チームQは選手は高橋1人で後はコーチなど数人とのこと。仲間を作っての練習が必要ではないか。普段からもっとリラックス感を取り入れたらどうか。練習や生活に遊びの心を取り入れることも必要ではないか。
マラソンに対して真面目な高橋だから余計に思う。
再び、高橋尚子が明るく颯爽と駆ける日が来ることを願う一人である。

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