あきお不定期日記

日常の思いついたことを不定期で書いてみたい。

新党造り華やか

2010-04-23 01:03:14 | Weblog
 4月23日(金)
 日本では2大政党は育たないのだろうか。
このところ雨後の竹の子のように政党及び会派が出来ている。国会レベルの政党だけならまだしも地方議会の有志も新しい政党や会派が出現している。
特に、自民党を離党し新しい政党を出現させている。総理大臣にしたいトップの舛添氏がついに自民党を離党した。つい20日ほど前に与謝野氏がその前に鳩山邦夫氏が離党したばかりである。特に与謝野氏は永年自民党の重鎮として、主要閣僚を経験し、少なからず自民党に貢献した議員である。後に残った顔ぶれでは何か心もとない感じがする。戦後の日本を支えてきた自民党もついに解党寸前の状態になった。
国民の期待を一身に受けて登場した民主党も、ごたごた続きである。こんな時に、結束して頑張らねばならない自民党がこんな状態では、国民は何をすればよいのだろうか。
考えてみれば本当に日本は自由の国である。言論・思想は自由で、自由に発言できる。
あまり自由がはびこり社会が徐々に乱れてきている状況にある。自由をはきちがえ、自由を謳歌しているように感じてならない。その証拠に社会が乱れきっている。
言論の自由、思想の自由が大手を振って歩いている。そして、日本がどんどん違う方向へ走っているような気がする。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いよいよ佳境に入る裁判

2010-04-15 04:15:19 | Weblog
 4月15日(木)
 4月14日、厚生労働省の元女性局長の公判が行なわれ、大阪地裁に傍聴にいった。
朝10時から傍聴する予定であったが、本来の許認可の仕事があり、その仕事を朝一番に済ませ裁判所に着いたのは11時少し前であった。法廷内はほぼ満員の状態。空いたところに腰を下した。前回の副検事の証人尋問が行なわれていた。3名の裁判官による尋問。その後、もう一人の取調べ副検事への証人尋問が昼食をはさんで行なわれた。公判検事による質問にはすらすらと答えるが、弁護側や裁判官の質問にはなんか頼りの無い自信が無いような答弁が続く。2人目の副検事など、弁護側の質問があるたびに公判検事の方をちらちら見る。裁判長があまり検察官のほうを見ず前をみて答えなさいと注意される始末。また、城西弁護士からチラッと検事のほうを見ていましたが何かあったのですかと質問される。かなり検察官との間に打ち合わせが行なわれているのだなあと思った。主任弁護人からも何回ぐらい打ち合わせをしたのかと聞かれる。4,5回ありました。本日の公判の直前にも打ち合わせをしましたと答弁。
 午後3時からいよいよ被告人質問に入った。村木厚子さんが法廷に立つ。主任弁護人からの主尋問。彼女の職歴から質問。そして、彼女の公務員としての心情について述べる。
 大学(高知大学)の指導教授から国家公務員は翻訳者だといわれた。すなわち国民のニーズ、願いを法文化させ実現することである。至言である。彼女は公務員に誇りを持ち、常に国民の目線で仕事を続けてきたつもりであるとも答えた。常に、静かな落ち着いたまたはっきりした声で答弁していた。主任弁護人による主尋問は続く。朝8時過ぎ大阪地検に出頭、否認のまま午後5時過ぎ逮捕となった。取調検事は貴方は拘留10日間と更新10日間そして起訴されますともうそのときに彼女に告げた。そしてその検事は「私の仕事は貴方の供述を変える事です。」といったとのことである。
 本日の公判の最後に、彼女は泣いた。それは、否認調書にサインする時検事が「罪の重さについては、執行猶予がつけばたいしたことではない。」といったと証言した時である。本当に腹を立てた。こちらは30年積み上げてきた信用は崩れ、国家公務員として思い描いていた人生をめちゃくちゃにされようとしている。検察の世界と我々の世界との考え方のずれが大きい。といった時だった。午後5時がきたので本日の公判は終了となった。被告人質問は続く。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜の母校で有意義な一日

2010-04-06 00:34:20 | Weblog
4月6日(火)
 4月4日の日曜日、母校関西大学で校友相集いスプリングフェスティバルが開催された。
毎年4月の第一日曜日、校友に学園を開放される。大阪府吹田市にある学園は昔は千里山遊園地であった。しかも昔は桜の名所であった。この遊園地を軸にして拡張され現在の広大な学園になった。学内も整備され、桜の木も沢山植樹され、桜花爛漫の学園となった。毎年この日はよく雨が降り、肌寒い。しかし、今年は空は晴れ渡り、桜は満開。模擬店も出現し、桜の下でビールを片手に弁当をひろげ、語り合うのに恰好の場である。小生が所属している支部も今年は参加することとなった。参加者4人は11時母校に着いた。卒業してから母校を訪ねたことが無い先輩も同行。懐かしい、懐かしいの連発である。よく、この機会を作ってくれたと感謝された。昭和初期のお生まれである。もう、80にとどいている。お元気である。出張販売している生協の弁当、お茶付で600円。安い。内容も充実している。昔の学食のことが思い浮かぶ。素うどん15円、定食80円の時代である。
午後1時からは校友歓迎セレモニーである。緑の芝生のグラウンドに真っ赤な絨毯が敷かれ、白いスタンドには校友やその家族で満員である。応援団吹奏楽部によるファンファーレでセレモニーが始まった。日本の3大学歌といわれている「自然の秀麗」を斉唱。その後、校友会長、理事長、学長の挨拶があった。バンクーバーオリンピックで各国記者に有名になった紫紺の聖旗が翻っている。
理事長は昨年から今年にかけ活躍したアメフト、高校サッカー、バンクーバーオリンピックでの関大人の活躍を披露。スタンドから割れんばかりの拍手、拍手。最後に土曜日に甲子園の選抜で優勝した沖縄興南高校の理事長が関大出身であると披露しまたまた拍手喝采である。応援団チアガールの演舞や吹奏楽部の演奏があり、逍遥歌を歌いセレモニーは修了した。
こうして母校での一日は終わった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国会議員のていたらく

2010-04-03 10:37:23 | Weblog
 4月3日(土)
 議決の際に、隣の人に代わってボタンを押す。それも10回。
こんなハプニングが、国会の議決で行なわれた。その張本人は自民党参議院の若林議員。昔、大学生のころ代返ということが行なわれた。
この議員さん、記者会見では魔が差したと述べ、国会議員を辞職した。夏には国会議員を辞める予定であった。すなわち7月の選挙には出馬しないとのことであった。本人にとっては2ヶ月ほどやめる時期を早めたことである。国会という神聖な場所でこんな破廉恥な行為を行なったこと自体が問題である。本人は自分の考えで行なったとのことである。魔が差したでは済まされない。1回や2回ではまだしも回数が10回である。本当に自分だけの考えでやったのだろうか。隣の青木氏も記者の質問に頼んでいないと怒り心頭であった。
民主党がていたらくな状態の時に、自民党は頑張らなければならないのに、民主党と同じようなことを行なっている。自民党離れの様相は留まるところを知らない。あの与謝野氏までがついに離党とのことである。党首討論で谷垣総裁は青筋を立て、頭部の血管が膨れ上がるほど興奮して、鳩山さんを追及しているのを見ているとチャンネルを切り替えたくなる。
こんな時にこそ団結しなければならないことは素人でもわかる。それが何故出来ないのだろうか。国民のことを思っての政治活動をしていないからだ。
鳩山邦夫氏、与謝野馨氏が自民党を去り、舛添氏もかといわれている。こんな党運営をしておれば自民党の解党も時間の問題である。一番可愛そうなのは国民である。
党内で自分のことしか考えていない議員が多い。国民がいまどうやって生き延びようかと真剣に考えている時に、国権の最高機関に所属し、国民の公共の福祉の増進に寄与すべき議員たちがこんなことではどうしようもない。
早く、何とかして欲しいと願うのは私だけであろうか。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一人では出来ない地域運動

2010-04-01 23:24:49 | Weblog
 4月2日(金)
 あれからもう一年が過ぎた。
 3月30日、あの運動を行なった7人のサムライが大阪桜橋のとあるカラオケルームで落ち合った。昨年の2月5日から26日まで、昨年3月27日で既に決まっていた地元のバス停留所の廃止を阻止する運動を展開した。そして、地域住民の熱い声援もあり成功した。
その停留所は何事もなかったかのごとく存在している。この一年間、杖をついた老人からありがとうの言葉をいただき、見知らぬ人から頭を下げられる。某市会議員からはよくやりましたなあ、粘りがありますなあ、などのお言葉を頂戴してきた。
誰からともなく一度会いましょうとのことになり、実現した。最高年齢83歳、一番若いのが小生で68歳。皆さん第一線をひかれ、ある人はカラオケ三昧、ある人は将棋に懲り、又ある人は釣り三昧。現役は小生のみである。最高年齢の元自治会長など数日前からソワソワし夜もろくろく眠れなかったらしい。昨年、手術をされ、体重もかなり落ち、声も弱々しかったが、久しぶりにカラオケで声を出したのか、帰り際には目が生き生きとし、歩く姿も軽やかである。もう一度自治会長したらどうですかとひやかされていた。他のみんなも歌が上手である。また、最近の歌謡曲をよく知っている。小生などレパートリーが少なく、また昔の歌ばかりである。恥ずかしい限りであった。
3時間で会は修了した。次回は忘年会をしようとのことで、散会した。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする