あきお不定期日記

日常の思いついたことを不定期で書いてみたい。

ホッと一息

2010-06-25 18:46:23 | Weblog
 6月25日(金)
 10日ぶりの投稿です。公私共に忙しく、また夜の仕事や会合が多く、帰宅すればバッタンキューの毎日でした。業務の方も、この歳になって新しい事案が多く、その新しい事案に向って挑戦しています。人生で初めて家庭裁判所による遺言執行人に指定されたり、遺言書の検認手続きに立ち会ったり、法定後見人の申し立てを行ったり、子ども手当ての不認定に待ったをかけたり、本当にいろいろな事案が持ち込まれています。その上、近くの跡地に有害化学物質に指定されている工場が進出してくるとの情報を得て、今、1人で許認可庁へ公開請求を行ったり、役所に出向いたりの毎日です。色々な会合のお世話もさせていただき、本当に休まるところを知らない行動が続いております。昨日も、FIFAサッカーの試合が未明キックオフとのことだったので、午後11時から仮眠をするべく布団に入ったところ、目が覚めたのが午前6時。ついにサッカーが見れなかったのは残念至極でありました。
日本が戦前の大方の予想を覆し、デンマークに勝って本当に良かったですね。運でしょうかね?決勝ラウンドでも、色気を出さず、ひたすらプレーしてもらいたいものです。あとは、運が左右します。
しかし、政治の話よりサッカーの観戦の方が楽しいですね。ギクシャクした政治よりか余程楽しく愉快ですね。
 その政治の話ですが、参議院選がスタートしました。先日も9党の党首が揃い記者会見をしておりました。日本をどのような国に持っていくのでしょうか。
経済で世界1位や2位と言われなくても良いから、憲法25条に規定されていることをまず実現して欲しいものです。経済で1位や2位というのは何か無理があります。また、そんなに長くは続きません。ささやかでも良い、楽しく充実した生活が送れる社会にしてほしいものです。
 先程、慌しかった1週間が終わり、帰宅しホッとすると、急に投稿したくなりました。
成るべく週2回の投稿に努力いたします。

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近江米のふるさとを歩く

2010-06-15 01:06:27 | Weblog
 6月15日(火)。中山道の旅。
 12日(土)、13日(日)の2日間で中山道を歩きました。今回は武佐宿(近江八幡)から愛知川宿、高宮宿、そして鳥居本宿まで23.7キロを走破。今回は平坦なコースで道案内もよく整備されていました。ただ、1日目の武佐~愛知川間9.8キロは炎天下でアスファルト道路の照り返しが強く、体力の消耗が激しく、大量の水分を補給しつつ神社、お寺の木陰で休み休みしながら歩きました。昼食もあまり喉を通らず、家からおにぎりを2つ持って出たのですが、家内と1個ずつで充分でした。案内本によると2時間半の行程であるが5時間ほどかかりました。この地の中山道は南に東海道新幹線が、北に国道が走りその間を中山道が通っています。愛知川宿に着くと和菓子屋さんがあり、和菓子を買い求め、口に入れると甘い味が口いっぱいに広がりつかれも吹っ飛んだようでした。特に和菓子屋では私達のためにお茶を用意していただきました。お茶とお菓子がこんなに美味しいと思ったのは久しぶりでした。一冊の本が並べてあり、よく見ると太田治子さんの著書でした。店主に聞くと、治子さんのご母堂が愛知川の出で、著者が小さい頃、ご母堂の愛知川の実家を訪れ、帰りにお土産にこの店の和菓子を持たせてくれたことがこの書物に書いてあるとのことでした。時間も4時になり、今日は愛知川どまりとし、宿を探すことにした。愛知川宿といっても昔のことで、今は宿は一軒も無い。和菓子屋の店主に聞くと国道沿いに一軒だけビジネスホテルがあるとのことで、数分歩きそのホテルのフロントに空き部屋があるかを聞くと、空いているとのこと。手続きを済ませ部屋に入ると疲れがどっと出て、シャワーを浴びるとすぐにバッタンキューとなった。7時ごろ夕食を済ませ、部屋に戻るとまたまたバッタンキューであった。余程つかれたのだろう。
 13日はどんより曇り今にも降り出しそうである。天気予報は昼過ぎから雨が降るとのことである。兎に角いけるとこまで行こうということになり、早い朝食を済ませ8時30分出発。高宮宿まで5.8キロである。今日は比較的涼しく歩きやすい。ところがこの間は名所、旧跡が多い。又十屋敷(藤野邸:日本で始めて缶詰を作る)、伊藤忠兵衛旧居(伊藤忠、丸紅の創始者)などを輩出した近江商人の発祥の地や数年前に有名になった豊郷小学校、小野小町の生誕地などがある。街道沿いにあるので中に入って説明を聞きながらの歩きで時間がとられた。中山道の両側には田園地帯が広がり、さすが近江米の産地だなあと思った。それにしても立派なつくりの家屋敷ばかりである。昼頃、高宮宿につく。少し、雨が降りだした。高宮宿に一軒だけある喫茶店に入り昼食。今日は昨日と違い体調もよい。次の宿場まで行こうということになり、鳥居本宿に向かって出立。やはり両側に広大な田園風景を見ながら7.8キロを走破。鳥居本駅から彦根まで近江鉄道を利用し、午後4時彦根駅に到着した。

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菅内閣誕生

2010-06-06 19:15:39 | Weblog
 6月6日(日)
 菅内閣が誕生した。
 4日の衆参両議院で第94代の内閣総理大臣に指名された。
 鳩山・小沢ラインから菅・枝野ラインとなった。最終的な党役員人事や組閣は8日までに 行い8日中に天皇による任命となる。はじめ、小沢氏は4日中に党役員人事・組閣を終え 任命まで修了との指示を出していたが、菅総理が拒否し、時間を置くことになったらし  い。ここにも、小沢色を払拭したかったのが伺える。
 「小沢さんに少し静かにしてもらいたい。そのことが小沢さんにとっても、民主党にとっ ても、日本にとってもいいことではないか。」と述べたことについて小沢氏はどう思って いるのだろうか。4日の夜の小沢グループの会合で小沢さんは9月の民主党代表選挙を焦 点にあてているような発言をしている。
 菅代表は就任挨拶でノーサイドといった。テレビを見ていて彼の言葉は本心だと思うが、 色々な考えを持っている民主党の議員達はどう解釈したのだろうか。そのあとのもれ伝え られる情報では官房長官に小沢氏と一線を引いている仙石氏をあて、幹事長には菅氏の側
 近からも反対されている反小沢の急先鋒枝野氏をあてるそうである。親小沢の山岡国対委
 員長も代わるそうである。
 相手であった樽床氏も善戦した。知名度が全然無いゆえに前回の郵政選挙では落選してい
 る。大阪の人間でもあまり知られていないが、選挙区に行くとあちらこちらにポスターが 張ってある。政治に関心を持っている大阪人であれば知っている人が多い。小生には地味
 な感じがする政治家だと思っていた。国立大阪大学を出て、松下政経塾で政治を学んだ。
 選挙には負けたが、立派な立候補表明だったと思う。民主党は一丸とならなければならな
 いと訴えた。菅さんより迫力があった。
 菅さんのノーサイドと樽床さんの民主党の団結。これが実行されれば民主党はうまくいく
 のだと思うが、議員の中には策士が一杯いるのでなかなかそのようにはいかないだろう。
 しかし、いってもらって初めて国民に繋がる政治が出来るのである。
 それにしても自民党はその任務が終わったような気がする。鳩山さんの方が参議院選挙が 戦いやすいといいながら何の対策も講じない。早い機会に内閣不信任案を提出したら良か
 ったのに。不信任案が否決されれば鳩山内閣は存続する。そうして選挙に突入すれば1
 0%台に落ちた内閣支持率では民主党の票はかなり落ちたと思う。自民党は本当に老獪な 先を見れる政治家が少なくなった。
 今週は菅内閣の顔ぶれが揃う。とりあえず期待をしよう。


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