あきお不定期日記

日常の思いついたことを不定期で書いてみたい。

全行政システムの改革を

2007-11-29 01:54:45 | Weblog
ついに守屋さん身柄拘束と相成った。某国立大学を卒業。国家公務員試験の上級職に合格、防衛庁に入り順調に出世街道をまっしぐら。防衛省の最高幹部まで上り詰めた。異例とも言える4年の長期に渡って事務次官を勤め、小池百合子さんとの差し違えでこの夏退官した。退職金も7千万円弱だとか。我々からすると夢のような羨ましい人生を歩んできた。こんな思い通りの人生歩んだ人なんてめったにいないだろう。それにしても4年は長かった。過去にこんな例は無かったとのこと。
在職中には夫婦揃っての接待ゴルフ三昧。1回30数万円のゴルフ旅行。ミシェランの三ツ星高級料亭での接待。守屋天皇はいよいよ自分の行動が判らなくなってしまい気がつくのが遅かったのだろう。かそれとも覚悟したのか。
奥様もかなりやり手の人だったらしい。某新聞には当の主人より手腕を発揮していたとのこと。主人のこと「坊や」と呼んでいたとのこと(Y新聞)。奥様も「身分なき共犯」として逮捕された。

 今後彼の供述によっては恐ろしい出来事が起こるかもしれない。しかし、ここで蓋をしてしまってはならない。検察は徹底的に膿を出し、日本国民は初心に還って未来に向かっての改革を行わなければならないと思う。防衛省だけの問題ではなく全行政のシステムを変えなければならない。その行動を今から始めなければならない。その中には日本独特の慣習・倫理感・道徳感も取り入れそれと現在にマッチしたシステムを構築しなければならない。都道府県・市町村も同じである。

 何回となく書いてきたが中国の指導者小平は亡くなる数年前から日本は50年後になくなるだろうといっていた。又、有識者の中には日本はアメリカの51番目の州であると発言している。こんなことにならぬよう願うばかりである。
 

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条例を研究しよう

2007-11-28 01:08:16 | Weblog
 過日、こんな話を聞き早速行動に移した。高校時代の友人4人でライブに行った時の話。H氏「65歳になったら上下水道料金の減額申請ができるの知ってるやろ。」私「へえ、そんなこと申請できるの。」H氏「君、行政書士やっとってそんなん知らんかったん。」私「うん、知らんかったわ。勉強不足や。」

 10日ほど前、区役所にいき案内係に事情を説明し、担当を聞くと水道局のサービスセンターに直接聞いてくれとTEL番号を教えてもらった。そしてすぐTELした。
家族全員記載の全部記載事項証明書と申請者本人の確認書類と認印をもってきて欲しいとの回答。丁度その時懇意にしている司法書士とバッタリ。「先生こんなん知ってる。」「いや、しらなんだ。」「大阪市の条例にあるらしいわ。これから手続きに行こうと思ってんねん。」「結果聞かせて。」そして全部記載事項証明書をその場で取り後の物も持っているのでセンターに向かう。既に申請書類は用意されてあった。担当者「この証明書に息子さんが記載されているのでダメとのこと。」
11月22日、次男がフランスで就職のため移転手続きを行った。
そして本日上記証明書などを取りサービスセンターに出向く。無事手続き終了。
1ヶ月1575円、年間18900円安くなる。

 大阪市民の皆様、該当される方は是非この制度は利用しましょう。我々は納税の義務を負っているが反対に法律・条例で定められた権利は行使しましょう。他府県の方もその都道府県・市町村毎の条例があります。一度その条例というものを勉強してみましょう。高校時代の友人H氏に感謝です。
     行政手続きのご相談・・・hira3@herb.ocn.ne.jp


 防衛省を舞台にした与野党の攻防も山場を迎えている。参議院外交委員会では12月3日に額賀財務大臣と守屋武昌事務次官の証人喚問をすることになった。額賀氏と守屋氏の対決が期待できると思っていたが、先ほどの報道では守屋氏への強制捜査が11月28日らしいとのこと。こうなると証人喚問での両氏の対決は不可能となった。額賀氏だけの喚問の公算が強くなった。これでは片手落ちである。会合に出席したかしていないかのところがうやむやになる。どちらが嘘をついているか見届けたいと思うのだが。守屋氏の身柄拘束は証人喚問が終わってからにしてほしいのだが。検察と行政との間で取引が行われたのか、それはわからない。

 

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人生を楽しもう

2007-11-27 11:00:36 | Weblog
 11月26日。朝9時、とある銀行で依頼者と待ち合わせ。協同組合の設立後の銀行口座の開設方法につき打ち合わせに同行した。「創立総会議事録お持ちですか。」と女性行員。「議事録は認証のため大阪府に提出してあります。発起人が未押印のコピーは持ってきております。」と当職。「それで結構です。印鑑はお持ちですか。」と行員。「組合の印鑑は現在作成中です。」と当職。横から依頼者(代表理事)が個人の銀行印ならもって来ています。」「それで結構です。身分を証明するものお持ちですか。」と行員。依頼者「運転免許証持ってきています。」。「今日口座開設できますが・・・。」と行員。方法変わったものである。
まだ認証も受けていない、登記も終わっていない法人に対して普通預金口座の開設ができるのだ。こんなケースで口座の開設はしてもらえなかった。考えてみれば普通預金など銀行にとってリスクはほとんどない。今日は打ち合わせに行き、登記完了後の取引についての書類をもらいに行ったのに、口座開設までしてくれる。それも預金0円でである。

 12時から吹田市で行われた大学のクラブのI先輩の葬儀に参加した。心筋梗塞で24日朝亡くなった。73歳とのこと。前夜家族と夕食もし団欒もし来年の2月には一家で旅行をしようと楽しく語られていたそうだ。その翌朝息を引き取ったとのこと。先輩とは年代も違うしパートも違い懇意な先輩ではなかったが、忘れえぬ先輩であった。OBになってOB合唱団で少しの間ご一緒した。I先輩はOB合唱団の主的存在であった。トップテナーで美しい声の持ち主である。最近まで練習に参加されていたようだ。演奏会を聴きに行くと最後に「ブラボー」の甲高い声がする。I先輩である。私、先輩のことをブラボー先輩と名づけていた。
 会場は音楽を愛した先輩らしくソフトに緩やかに「千の風になって」や「昴」の名曲が流れていた。ご冥福をお祈りする。 合掌。

 このところ知人の訃報によく接する。やはり大学時代のクラブの先輩が4月に亡くなっていたり、中学時代の同期が亡くなったり、歳のせいであろうか。昔は自分に限って死ぬことは無いと思っていたが知人が召されていくのをみるとやはり自分もいつこの現実がやってくるのかと思うことが多くなってきた。神のみぞ知るこの最期まで人に迷惑をかけず人生を楽しく過ごしたい。と思う今日この頃である。
 
 

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歴史探訪ー古代ロマンを訪ねてー

2007-11-26 01:11:20 | Weblog
 11月24日。家内から言われて自転車で5分の神経外科へ行く。土曜日であるのか非常に混んでいる。問診票を書き待つこと30分。医者にこのところの症状をいう。CTしようかとのことになり又10分待つ。脳の検査初めてである。6分で検査終了。写真現像10分の後診察室へ、「大丈夫です。綺麗ですは。」と10枚ぐらい撮った写真を見ながら説明を受けた。一安心である。その後高血圧について質問を受け最近いびきがすごいですといえば、先生「息が止まることありますか。」。私「寝ている間のことわかりません。」先生「家族の方何もいってませんか。」私「家内が呼吸不規則のときあるよといってます。」先生「検査器貸すので2日間家で検査して。」と借りて帰り検査中である。

 それにしてもCT検査で脳の中非常に綺麗に写りますなあ。また。ちゃんと左右対称になってますなあ。身体って本当にうまくできてますなあ。特に脳の構造大したものですなあ。病院で感心することしきり。

 夜11時50分いびきの検査器具をセットして就寝。寝かかったところフランスへ旅立った次男から電話との声に起こされ受話器を取る。今か今かと待っていた電話である。「無事ついた。道中空港の関係でかなり遅れて到着した。」とのことであった。こちらも一安心。それにしてもフランスからの電話よく聞こえますね。すぐそこでしゃべっているようです。これも不思議のひとつです。

 11月25日(日)。連休も最終日だ。大阪レクレーション協会のハイキングに家内と参加した。毎月行われている行事で、今回は大阪府高槻市にある継体天皇陵と古墳群を中心にしたハイキングであった。継体天皇は58歳で即位され82歳でこの世を去られた。26代目の天皇である。今この継体天皇陵(太田茶臼山古墳)が熱い。この陵の近くにある古墳の発掘調査が始まっている。どうやらこちらが継体天皇陵ではなかろうかとのことである。規模もこちらの方が大きい。この調査如何では日本の歴史が大幅に変わる可能性を秘めている。考古学の専門家だけでなく関心を集めることになるかもしれない。まだまだ古代の歴史には謎が多い。

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次男の門出

2007-11-24 16:48:44 | Weblog
 11月23日(祝)、我が家は早朝から慌しかった。次男がフランスのホテルのレストランに就職するためフランスへ旅立つ日である。
 
 昭和50年7月生まれの32歳。京都市にある公立大学の農学部を出、大学院へ行くことなく(親は行ってほしかったのだけれど)京都の料理学校(フランス料理専攻)で一年勉強し、京都大学近くにあったフランス料理店にシェフ見習いとして就職。鴨川店や東京大学構内にある駒場店や本郷店に5年間お世話になった。どうしても一度フランスへ修行に行きたいとの思いが強くなりお世話になった店を辞め一昨年からフランス語やフランス料理の勉強をし、昨年9月から11月までの3ヶ月地中海にあるモンペリエのホテルで修行し帰国した。やはり本格的な修行を希望し、今年2月に10日間就職試験をフランスまで受けに行った。合格通知はすぐに来た。ただ労働許可書とビザが下りるまで時間がかかった。労働許可書・ビザが下りるまで6ヶ月ぐらいかかると思われたが労働許可書は先月、ビザは2週間前にやっと下りた。それから次男は慌しい毎日を送っていた。傍で見ている我々も気がせき、長期に息子を海外に出す不安で血圧は上がるし、家内は睡眠不足。

 出発日が23日と決まったが数日前から不安は最高潮に達した。小生は飛行機が苦手なためそのことへの不安が一番だった。小生、前日は不安なときの神頼みと申しましょうか大阪天満宮・街の氏神・お墓・すぐ近くのお地蔵さんに行き彼の道中・就職先での無事を祈った。朝7時、私共夫婦と息子は善哉とお茶で当分の別れの儀式と相成った。あれも言おうこれも言おうとしたが言葉が出ない。がんばってこいよと昨日大阪天満宮で貰ってきたお守りを渡すのが精一杯だった。高校時代の友人が自動車で関西国際空港まで送って行ってくれるとのことで7時30分関空へ向け出発した。この連休小旅行でもと考えていたがそれは後日に延ばすことになった。

 11時30分になると関空方面の空を眺めた。フライト時間は12時間とのこと。途中シンガポールで4時間の待ち合わせ。ドゴール空港へは日本時間の24日午前3時30分ごろとのことである。夕食時も今頃どのあたりだろうか。テロは無いだろうか。とか、いらん心配が頭を駆け巡る。本や新聞を読んでいて同じ行を何度と無く見ているだけである。午前2時こちらの疲労も頂点に達した。仏壇に手を合わせ寝ようとしたが、脳の中が締め付けられ鳴っているようで中々寝付けない。
 目を開けると午前7時。昨夜のことを家内に言うと脳神経外科へ行っといでとのことであった。テレビのスイッチを入れても別に報道はない。息子からのメールも、通信もない。無事に行けたのかなあ。

 3年から5年息子はフランスの人となる。健康に注意し、折角人生をかけての選択をしたにであるから大きな収穫をもって帰国して欲しい。彼が帰国するまでこちらの身が持つかが心配である。親の手からだんだん離れていく。寂しい限りだが、これも世の習いである。

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