あきお不定期日記

日常の思いついたことを不定期で書いてみたい。

真に国民の為に汗をかく国会議員の出現を

2012-11-18 16:05:53 | Weblog
11月18日(日)
 14日の党首討論で野田首相は突如自民党安部総裁に印籠を突きつけた。近いうちにが突如として発せられた。安部さんも戸惑った様子。野田さんの提言には即断できず党へ持ち帰った。国民の生活が第一の小沢さんの質問もトーンダウン。この時点では野田さんの勝ちか?
 16日、万歳、万歳の嵐で衆議院は解散した。12月4日告示。16日投票も決まった。
16党が出来たが、日本維新の会に太陽の党が吸収15党となったが告示までに増減がありそうである。女性議員主体の党まで出現。こんなに多くの党が出来れば選挙民が大変である。党を認知させるには衆参あわせ5人の国会議員が必要で、政党助成金、委員会質問権が与えられる。矢張りルール改正が必要ではなかろうか。
 解散により22人の国会議員が引退表明した。永年よきにつけ悪しきにつけ国民が選んだ国会議員である。自民党では森善郎元首相、福田康夫元首相、中川秀直氏、古賀誠氏、民主党では羽田孜元首相、渡部恒三黄門、中野寛成氏公明党では坂口元厚相など党や内閣の重鎮達。
こんなに多くの引退議員が出たのは過去に記憶がない。時代の変化を感じる。
森元首相など解散議会が終わり、議場の出入り口で中々外に出ようとしない。寂しい思いがよぎったと思う。
 ただ、一人例外がある。次の選挙には立候補しないと大見得をきり、その後切った見栄を覆したYH元首相。あの沖縄普天間の発言で日本国の格付けを落とした(?)張本人である。その後の行動も軽い軽い。自分の行動に責任感がない。議員生活から足を洗い。他の途につくべきではないでしょうか。選挙民の常識を期待しよう。
 選挙に向け各党はマニフェスト作りに大童。公明党は既に出来ている。民主党が前の選挙前に掲げたマニフェストの達成率が他党やマスコミで大きく取り上げられている。
勿論、政権の座についたからにはマニフェストに基づいて、その実現に向かって政治を行わなければならない。しかし、100%達成せよとのことになると?である。世界は日日動いている。また、予想だにしなかった問題が発生することもしばしばである。日本国一国では対応できない問題が多々発生する。その最たるものが海外においては経済の異変であり、国内においては3・11である。必要なのは途中で大きな変化が起こったら国民に判りやすく説明し、マニフェストの修正も行うべきである。国民への説明が足らない。
 今度の選挙は自民党と民主党の政権交代になるのか、第3極の台頭がどの程度になるのか。そのことによって日本はどのように変るのかが問われる選挙である。
政党乱立の選挙戦。わかり難い選挙戦。その中にあっても我々選挙民は冷静に判断し、よく分析し投票行動をしたいものである。

 

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中学時代の恩師のお見舞日記

2012-11-11 18:18:01 | Weblog
11月11日(日)
 先日、中学1年と3年の担任であったN先生のお見舞いに行った。2度目のお見舞いである。
 8月に暑さのためか家の前で転倒され、救急車で病院に運びこまれたとのこと。左頭部と首、左膝を打たれたとのことであった。最初のお見舞いではベッドに伏しておられていたがお元気なご様子であった。3週間ほど前、先生の近くに嫁いでいる同期の女性から、肺炎を併発されているとの連絡があった。小生、すぐにでもと思ったが、症状は安定しているのでとのいことで数日前に2回目のお見舞いとなった。
 丁度、リハビリにいくときであったので、リハビリをしながらのお見舞いである。心配していた肺炎も良くなっているようだ。会話も普通どおりできる。ただ、利き手の右手の機能がかなり弱っている。左手を添えないと動かせない。上腕部の力が入らないとのこと。齢80を有に超えているので体力も衰えている。血気盛んで熱血漢溢れた若き時代の姿からは想像がつかない。懸命にリハビリに励んでいる先生をみて胸にこみ上げてくるものがあった。 
 このN先生は僕の人生を作ってくれた一人である。中学1年で新聞部に入部することをすすめられ、ガリ版で原稿を書きローラーで印刷。この経験が学生時代、社会人でも大いに生かされた。信用金庫奉職(7年)時代では、与信業務の稟議書作成を一手に任され、支店長が本店に出す報告書の代筆を任され、内勤4年間の勤務評定は常にA(支店で3名)で、昇給及びボーナスも他の同期より高かった。パソコン・ワープロがなかった時代の行政書士で役所の担当者も素晴らしい字を書きますねと何度もお褒めの言葉。ガリ版に鉄筆で書きまくった経験が役立った。
 また一年時の11月にN先生の母校関西大学の学園祭を新聞部で見学に行った。見るもの全部が目に見張るものがあった。12歳のこの時、関西大学に入りたいと思った。大学受験時、志望大学は関西大学法学部1本とした。一浪後の受験も関大法学部一本であった。無事関西大学法学部に入学、4年間は勉学(?)に、クラブ活動に、友達作りに一番充実した学園生活をおくることが出来た。
いま、生涯現役で法律に関係する行政書士の業務が出来ているのはこのN先生が原点である。
先生の定年退官を記念して小生が音頭をとりお祝い会を開催した。その後、先生を中心としたN会をつくり、数年ごとに懇親会を開催している。
 約1時間半のお見舞い。昔の若き時代のことを思いながら帰途についた。


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