あきお不定期日記

日常の思いついたことを不定期で書いてみたい。

信用金庫破綻事件を傍聴して

2007-08-28 06:54:53 | Weblog
 安倍第2次内閣が発足した。その前に自民党三役が決まり、派閥の長である麻生氏が幹事長に就任した。いよいよ天下獲りへの第一歩か。政調会長には塩崎前官房長官と並んで安倍氏の盟友石原伸晃氏を充てた。又、総務会長には派閥の長である二階氏が納まった。前回より重厚な党人事である。
 閣僚はこれまた派閥の長を主体に構成された。小泉氏と違って派閥均衡の組閣となった。でも、谷垣派からは谷垣氏を筆頭に一人も出ていない。首相批判を続けてきたのがこの人事で表に出た。
 舛添要一氏が厚生労働大臣として初入閣。民主党の長妻議員対策である。舛添氏は親が寝たきりで介護の必要があり頻繁に東京と親のいる九州を往復していた。介護の現場を熟知しており、介護行政に生かしてほしい。長妻議員との対決が見ものである。正に安倍内閣の目玉ではないだろうか。国会・委員会での議論が見ものである。もうひとつの目玉は前岩手県知事の増田氏を総務大臣に充てたことではないだろうか。改革派の知事であり、地方行政に詳しい人物である。地方重視を見せたかったのだろう。この組閣を見て思うことはお友達内閣は一応解消された。また、安倍内閣に物を言ってきた人を閣僚に登用し物を言わせなくしたのかまた私を批判しても内閣に入れます。といったパフォーマンスなのか。それは今後の閣僚の仕事で決まる。それにしても安倍さんまだ「美しい日本」を言ってはります。もういいだろう。

 27日、午後から取材している相互信用金庫破綻事件の傍聴にいった。午前10時からの開廷であったらしい。この事件いつもなら午後1時30分から始まるのでそう思って午後からの傍聴となった。202号の民事大法廷である。被告側の弁護団二十数名である。すでに始まっていた。証人は破たん前の理事長である加茂野淳一郎氏である。私が奉職していたのは昭和40年代前半であるが仕事はご一緒したことはないが軟式野球部員(当時は信用金庫では強かった)でありその方で見聞きしていた。従って当時は名前はよく知られていた。この尋問で金融庁、日銀の検査、考査の姿勢が鮮明に出ているように思えた。日銀の検査は特に厳しかったようである。最後は日銀との当座取引の解消を求められた。金融機関にとって当座取引ができないとなるとお手上げである。
最後に元理事長が述べた言葉が印象深い。もう少し時間があれば再建できたと確信している。
 金融庁の金融行政は都市銀行も地方銀行も信用金庫も同レベルでの基準を策定した。これは大きな問題である。

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