橘家圓蔵 師匠亡くなるの報が…
圓蔵師匠というよりも「円鏡さん」のほうがまだなじんでいるかな。
自分が「落語の世界」にひきこまれたきっかけになったひとが「三平師匠」と「円鏡師匠」
子供ながらに「お笑い頭の体操」や「(たぶん)大正寄席」が好きで、テレビを見ているとどこかに必ず出ているくらいに“引っ張りだこ”だったもんな。
江戸っ子ちゃきちゃき、べらんめぇで畳み掛ける話は、いまでもなつかしく思い出します。
たしかどこかで聞いた「反対俥」なんて、もう止まらなくて止まらなくてオナカがいたくなるほど爆笑したっけ。
師匠との一番の思い出は紀伊国屋寄席での「くしゃみ講釈」
師匠が“まくら”でくしゃみにかかわる話をしていたら、自分がホントにその場でくしゃみが出ちゃって、もうさんざん“いじられちゃってさ”(もうそれだけで感激!!)
とにかく“売れっ子”円鏡さんから“円熟”した圓蔵師匠にいたるまで、自分と落語のかかわりあいには常に圓蔵師匠の名前がありました。
そんな「落語」の醍醐味を存分に教えていただいた偉大な師匠に合掌です。
圓蔵師匠というよりも「円鏡さん」のほうがまだなじんでいるかな。
自分が「落語の世界」にひきこまれたきっかけになったひとが「三平師匠」と「円鏡師匠」
子供ながらに「お笑い頭の体操」や「(たぶん)大正寄席」が好きで、テレビを見ているとどこかに必ず出ているくらいに“引っ張りだこ”だったもんな。
江戸っ子ちゃきちゃき、べらんめぇで畳み掛ける話は、いまでもなつかしく思い出します。
たしかどこかで聞いた「反対俥」なんて、もう止まらなくて止まらなくてオナカがいたくなるほど爆笑したっけ。
師匠との一番の思い出は紀伊国屋寄席での「くしゃみ講釈」
師匠が“まくら”でくしゃみにかかわる話をしていたら、自分がホントにその場でくしゃみが出ちゃって、もうさんざん“いじられちゃってさ”(もうそれだけで感激!!)
とにかく“売れっ子”円鏡さんから“円熟”した圓蔵師匠にいたるまで、自分と落語のかかわりあいには常に圓蔵師匠の名前がありました。
そんな「落語」の醍醐味を存分に教えていただいた偉大な師匠に合掌です。