「ネットより」
先の大戦などによる本県関係の戦没者を追悼し、平和を祈念する千葉県戦没者追悼式が11月2日(火)千葉市中央区の千葉県文化会館で開かれた。
追悼式には遺族約500人をはじめ、熊谷俊人知事や県議ら約20人が参列。君が代を斉唱した後、祭壇に向かって拝礼、黙禱をささげ、代表者らが献花した。
「千葉県のHPより」
千葉県では、千葉県関係の戦没者(軍人・軍属等のほか戦災死没者も含む。)を追悼し、平和を祈念するため、毎年、千葉県文化会館において追悼式を実施しています。
追悼式は昭和29年から実施し、令和4年度で69回目を迎えましたが、 コロナ禍に規模縮小され約500余名の参列者により執り行われました。
●日清戦争以後の千葉県の戦没者 57,248名
(日中戦争以後ですと、約52,000名です。)
●一 般 戦 災 死 没 者 1,320名 (以上千葉県HPより)
犠牲になられました尊い多くの御霊に心からご冥福をお祈り申し上げます。 合掌
千葉県戦没者追悼式式典の様子をご紹介の千葉テレビアナウンサー 式典斎場
日清戦争以後の千葉県の戦没者及び一般戦災死没者の霊を悼む標柱 式 辞 千葉県知事 熊谷 俊人氏
熊谷 俊人知事は式辞でロシアによるウクライナへの侵攻に言及。「このような時だからこそ、改めて戦争の悲惨さと平和の尊さを深く心に刻み、その記憶を風化させることなく、次の世代に
継承することが私たちの責務だ」などと述べました。
大戦中に父親をニューギニアで亡くした千葉県遺族会 川島 義美副会長(81歳)は、「子供たちは戦争を知らないと思うので事実確認をしてもらいたい。二度と戦争をしてはならない」と強調。
その上で「戦争の経験を風化させないよう、遺族会の年配の方に小中学生に話をしていただきたいが難しい」と、高齢化で語り部の確保が厳しくなっている現状に懸念を示しました。
本年は1人おきに参列者の座席指定がありました 各市町村代表者によります献花が行われました
令和2年度・3年度の式典は各市町村の会長、副会長の出席のみに規模を縮小して開催されましたが、令和4年度は役員・一般会員まで人数を増やして開催されましたことに千葉市遺族会22名の
参列者の中に加えていただき3年ぶりに参列させて頂きました。
しかし、いまだコロナの収束を見ることができません今日に、参列者把握のためにはじめて座席指定がありました。又、斎場に供えられましたお花はコロナ禍の折に「お渡しすることができません」
のご案内にちょっと残念に思いました。
今年は戦後77年を迎えました。戦後生まれが90%とも言われます今日に多くの皆様には戦争の事実も遠く、記憶も薄れて参りました事と存じますが、私達遺児・遺族にとりましては長い間の
苦しみ、悲しみは何時までも鮮明に記憶されております。
世界では悲しい出来事が終りを見ることがなく続いておりますが、戦争で得るものは何もありません。一日も早い戦争の終結を願い、世界の永久の平和を祈る者です。
のですが、調べて見ましたら岐阜県の戦没者の慰霊式典は
毎年10月に行われていました。
今年も慰霊塔の前で300人が参加して開かれたようでした。
日清戦争から第二次大戦までの戦没者の供養塔が
護国神社の近くにあります。
戦争の悲惨さを語り継ぐ語り部がだんだんいなくなってきます。今の若者たちには「戦争の悲惨さ」を知ってもらいたいですね。
各県においてもコロナ対策を致しながらの開催に御苦労しておりますように聞いております。
3年ぶりの参列に「お久しぶり!」の笑顔にお会いできまして嬉しゅうございました。
又、先日の箱根の旅をA4、10ページにまとめてご一緒しました千葉市2名、
銚子市2名のお方にお渡しできましてホットしました。
千葉市の方は見慣れておりますが、銚子のお二方が喜ぶやら、ビックリ!するやらでした。
3年ぶりの参列に多くの御霊に哀悼の誠を捧げることができました。
コロナ前は県議会議員は全員、国会議員の秘書の皆様他の参列者が多く、
献花の時間がとても長かったのですが、今年はあっという間に終了いたしました。
いつもでしたら献花のおすそ分けを頂けるのですが今年はダメ!に皆さんが
あのお花はどうするのかしら?でした。