「サンドのお風呂いただきます」のテレビ放映をご存知の事と思います。
この度、「東大卒の紅白歌手と学生運動リーダーの愛のカタチ」に千葉県鴨川市の素晴らしい風景を望みながら歌手加藤登紀子さんと学生運動リーダーの藤本敏夫さんとの壮絶な結婚生活から現在の平穏なお姿までをTVから記録しましたのでご紹介させて頂きます。
山を下りながら自宅を眺める
現在は二女の藤本八重さんが歌手活動を行いながらご夫妻で農業をしてお住まいになっているそうです
取れたてのお野菜を使って素敵なカフェで二女の八重さんの手料理でお料理が振る舞われました
「お食事の後はご夫妻の愛の軌跡をたどられました」
昭和47年、 藤本敏夫 氏刑務所に収監される
獄中結婚をされました加藤さんと藤本さん 長女誕生にお喜びのご夫妻
この年に「レコード大賞・歌唱賞 」受賞の「知床旅情」 を熱唱 昭和55年にはお嬢様が3人になられました
藤本さんは昭和55年千葉県鴨川市へ移住を決意
藤本さんは1人で鴨川市にて農業を始める 加藤さんは別居を申し出て積極的に音楽活動を継続する
「農業を始めたご主人様との離婚危機を乗り越えて晩年のご夫妻様のお姿」
「ご主人様へ思いを込めた名曲をご披露されました」
ご主人様への想いを作詞・作曲されました「時には昔の話を」を二女の八重さんも同席してご披露くださいました
「ひげづらの男は君だね」藤本さんと初めて出合った時のお写真に当時の事が良いとは思えませんがと
「今でも同じように見果てぬ夢を描いて」この歌詞は特に愛おしそうにご主人様への想いを涙ながらに歌われました
「お風呂いただきます」の番組ですので最後はご主人様手作りの「サウナ」とお風呂ならず「水風呂」のご紹介でした。
サウナはマキを燃やしながら使用するそうです 加藤さんは1年を通して水風呂を楽しむそうです
ここでは写真を並べただけですが、千葉県鴨川市の自然豊かな山間に「鴨川自然王国」と名付けて生活を楽しまれておいでの加藤登紀子さんの素敵なお姿に出合いました事に
とてもラッキーなコーヒータイムを楽しむことができました。
第1次、第2次安保闘争、国会を人の波で覆い尽くした闘争。
参議院通用門の前でデモの犠牲になった東大生・樺美智子さん、人民の人民による国会を取り巻いた闘争でした。昭和35年?頃から始まった学生闘争は激しく、1970代まで続いた。
加藤登紀子・藤本敏夫氏らは、獄中結婚としてマスコミの話題になりました。
加藤さんは東大生5で歌手、藤本さんは鴨川にて自然王国農園を開き・・・・・・・。
藤本さんは亡くなったと聞いていましたが、農園のその後のことについては知りませんでした。
見落としました。
加藤登紀子さんは多分77歳くらいかと思いますが
とてもお若く見えますね。
話題多い方ですね。
とにかくすごい人ですね。
「サンドのお風呂いただきます」という番組知りませんでした。
こんな番組だったら見てみたかったです。
加藤登紀子さんの御主人が残された鴨川自然王国は何度か
テレビで見たことがありますが、いつ見ても素晴らしいですね。
30種類以上の野菜やお米を栽培されているそうですが
販売もされているのでしょうね。
お若い頃の加藤さん、知的でキリリとして素敵ですね。
お嬢さんが3人いたことは知りませんでした。
編集、大変だったでしょう?
愉しませていただき、ありがとうございました。
「東大生・樺美智子さんがデモの犠牲に・・・」↑の時は、学生たるものなぜ勉強せぬか?と怒りました。
浅学の身、恥ずかしいことに他人ごとだったように思います。
この度、加藤さんも「あの時のことが正しかったとは言えませんが・・・」と述べておられました。
TV番組で鴨川市での加藤さん物語放映を知り録画しました。
ご存知のようにTVからの写真撮影に、文字をまっすぐ撮るのが大変でしたが、
良い番組に出合いました。
何時もは雑談ですが、加藤さんの歌を聞くことができました事は幸いでした。
「編集、大変だったでしょう?」↑未熟者ですから大変です。
TVからの撮影に文字がまっすぐになるまで何枚も撮り直し、100枚以上シャッターを切りトリミングを繰り返しました。
鴨川市の紹介に急いで録画してゆっくり見ることができました。
お二人は壮絶な人生でしたが、ご主人様は鴨川市の自然をこよなく愛され、
楽しまれたご様子に千葉県人として嬉しく拝見いたしました。