沖縄全戦没者の御霊に哀悼の誠を捧げます 合掌
(新聞報道より)
沖縄は6月23日(土)気温 太平洋戦争末期の沖縄戦から67年の「慰霊の日」を迎えました。
最後の激戦地となった沖縄本島南部の糸満市では、戦没者追悼式が行われ、沖縄県の仲井真知事は、戦争が残した基地の負担を軽減するよう改めて訴えました。
昭和20年の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦の末、犠牲者は20万人を超え、県民の4人に1人が命を落としました。
最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では、正午前から、遺族など5500人が参列して沖縄県主催の戦没者追悼式が開かれ、正午の時報に合わせて犠牲者に
1分間の黙とうがささげられました。
平和祈願慰霊大行進
沖縄戦最後の激戦地となった沖縄本島南部の糸満市では、遺族などおよそ800人が平和の尊さを訴える平和行進を行いました。
今年で51回目となる平和行進は、沖縄戦最後の激戦地となり多くの人が亡くなった沖縄本島南部から平和の尊さや戦争の悲惨さを訴えようと、毎年 「慰霊の日」 に行われています。
この日は、県内外の遺族などおよそ800人が糸満市役所前の広場から、戦没者の追悼式が行われる平和祈念公園までのおよそ9キロの道のりを行進しました。
以上一部を転載させて頂きました。
次ぎにTVから頂きました写真を{慰霊の日」の記録とさせて頂きます。
「平和の礎」 http://kouen.heiwa-irei-okinawa.jp/shisetsu-ishigi.html
国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ記念碑 「平和の礎」
石碑には今年36人の名前が新たに刻まれ、24万1167人になった。
平和の礎(いしじ)にお花を手向ける遺族
「平和宣言」 祖父の兄の気持ちに思いをはせた
「平和の詩」を朗読
5500人の遺族参列者 未来を担うお若い皆様による献花
戦争体験を語り継ぐために
当時赤ん坊だった110人の皆様が沖縄戦を伝えたい!と体験を寄せ合い 「慰霊の日」に合わせて 赤ん坊たちの〈記憶〉 を発行されました。
編集人のお一人でもあります古謝さんは当時11ヶ月だったそうですが「0歳ではあるんですけれども聞いた話が自分の魂の中に入った感じ」
「大事に見守ってくれた両親、地域、親戚、、姉たちにいま感謝しています。」とお話しされました。
そして、本の発行を戦没者に報告しようと「平和の礎」の前に皆様が集まられました。
手記を書かれる古謝様と手記の一部
感想を述べられる古謝様 出版された赤ん坊たちの〈記憶〉
代表者の大城道子様 「平和の礎」に参拝された編集者の皆様