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日本遺族通信 令和6年2月15日号 遺書・九段短歌・最後の「洋上慰霊」検討について

2024年02月18日 06時00分00秒 | 日本遺族通信


                                      令和6年2月靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌
 
  特攻隊員の馬淵哲男様がお兄様に「敵撃滅に笑って出撃す。」↑ 残念、合掌。 なんて愚かな事だったでしょうか。
  特攻隊の上官は自害したそうですが、不時着した元隊員がある回想に自害するくらいなら
「特攻機に搭乗すればよかったのに」と語っておられました。
  又ある記事に知った事「特攻隊と覚醒剤」別れの盃なるものに「覚醒剤」を混入させ「覚醒剤チョコ」が最後の食事になって飛び立ったという事実を知り、言葉にならない憤りを感じました。
  生き残ったある上官が昨今「戦争は回避できた」に「怒髪天を衝く」の言葉を覚えました。それでは何故、だれが戦争を開始したのか?とても残念です。


    千葉県〇〇 嘉子は今号で158首めの掲載を頂きました          最後の「洋上慰霊を検討」の記事に何とか参加をしたく健康管理に努めたく思います

  昨年11月から新選者決定に2年ぶりに再開されました九段短歌に4ヶ月間連続掲載は青森県の友人の田中 恭子様お一人のみの素晴らしいお歌でした。
  そして3ヶ月掲載は私一名に、11月・1月・そして2月号に多くの遺児の皆様が全国から投稿されておりますと思われます5名の中に加えていただきましたことに心から感謝を
  申し上げております。投稿は平成16年10月15日号に初めて過ぎし日のありて今在る幸を思ひつつ八月武道館にあり」でした。掲載頂きましてから19年目になります。
  この間3名の選者の先生の交代に3年半ほどの「九段短歌休載」がありましたが、今号で158首目になりました。200首まで頑張りたく思いますが?です。

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九段短歌で出会いを頂きました青森県の田中恭子様のご紹介 2

2024年02月08日 11時18分27秒 | 日本遺族通信

                   ペリリュー島からの手紙
                    執筆者

                                  「モノからたどる私の戦争」NHK青森編集部
                                 2023年12月04日 (月)

                            下記の映像・文言はネットより頂きました。

                   
                              田中 恭子様ののお父様が散華されましたペリリュ―島

                   
                                お骨のないお墓に参拝をされる田中 恭子様



             ある日、満州からペリリュー島に行くことが決まった?ことに冬服が送られてきました。大切な遺品ですと語っておられました


                                    素晴らしい筆跡のお手紙と拝見させて頂きました

                              
                           ご家族に心配をかけたくなく「安心あれ」の最後のお手紙と伺いました


                                お父様が操縦しておりました戦車は「むつ」と判明したそうです

                    
                                     ペリリュー等で行われております遺骨収集の様子 
                               
                                       旧日本軍戦車の発掘調査に期待

                            太平洋戦争末期に激戦地となったパラオ・ペリリュー島。
                      六戸町の田中恭子さんは戦車隊だった父を戦闘で亡くし、遺骨は今も見つかっていない。
           多くの兵士の遺骨が残されたままになっているこの島で、国はこのほど密林に埋もれた旧日本軍の戦車の発掘調査に乗り出すことを決めた。
            戦車内に遺骨が残っている可能性があるといい、田中さんは「遺骨が見つかれば日本で埋葬してあげたい」と調査の行方を見守っている。           
             田中さんの父将一さんが第14師団戦車隊指揮小隊長としてペリリュー島に渡ったのは戦闘が始まる4カ月前の1944年5月。

       家族には詳しい行き先を告げず、「何かあれば国が準備した『鉄のひつぎ』の中に入ることになるんだから、何も心配することはない」と話していたという。            

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九段短歌で出会いを頂きました青森県の田中恭子様のご紹介

2024年02月04日 20時50分42秒 | 日本遺族通信

 ペリリュー島からの手紙

「モノからたどる私の戦争」NHK青森編集部
2023年12月04日 (月)

#3 ペリリュー島からの手紙
ペリリュー島から送られた父親からの手紙

約80年前の太平洋戦争で、激戦地の一つとなったパラオ諸島にあるペリリュー島。
この島で戦った田中恭子さんの父・将一さんは当時、戦況が悪化する中でも家族を安心させようと、頻繁に軍事郵便で恭子さんの母親宛てに手紙を送っていたという。
このうち恭子さんが大きくなってから母親から渡された4枚の手紙が今も残されていて、恭子さんは父親との思い出がない中でも、この手紙を読んで、当時に思いをはせている。
以上はネット「六戸町 田中 恭子様」で検索しましたら、短歌も含めて多くのご活躍のご様子に出会いましたのでほんの一部ですがご紹介させて頂きました。

過去のブログを再度ご紹介させて頂きます。

天皇陛下・皇后陛下ペリリュー島慰霊の旅に感謝を 2015年04月13日 に綴ってありましたので、一部のお写真にて田中恭子様を再度ご紹介させて頂きました。
ペリリュー島慰霊のためにご訪問されました天皇、皇后両陛下をお迎えするために、平和を願う両国の旗1800本を持参されました青森県の田中恭子様のご紹介を  2015年04月11日 にさせて頂きましたが、
慰霊祭の折に、天皇・皇后両陛下にお言葉を頂き、感激にむせぶ田中恭子様のお姿をTVに拝見いたしましたので記念に納めさせていただきました。
こんなにも悲惨な激戦地のありましたことも新たに心にとどめ、天皇・皇后両陛下のお気持ちに感謝を申し上げながら二度と戦争のない恒久平和を祈りながらTVに  を向けさせて頂きました。 合掌

           天皇・皇后両陛下ペリリュー島慰霊の旅の動画    https://www.youtube.com/watch?v=cYfWRriXOcM


両陛下にご丁寧にお言葉を頂きました田中様の胸中はいかばかりでしたでしょうか 合掌

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日本遺族通信 令和6年1月15日号 遺書・九段短歌他

2024年01月20日 06時00分00秒 | 日本遺族通信


              令和6年1月靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌                             戦死者の日章旗が遺族に返還されました

           昭和13年1月に「小学校の最後として十分勉強せよ」と息子さんに送られましたお手紙を息子さんは何回もお読みになられたことと思われます。
                         このような悲しいお手紙を再び書くことがありませんように祈るばかりです。

          
    新年最初の日本遺族通信が届きました。九段短歌は全国から多くの応募者から5名のみの掲載は大変厳しく思いますが、お名前を公表させて頂きました青森県の田中 恭子様は大切な友人です。
    いつも素晴らしいお歌を投稿されてお出でのお方です。昨年11月から新選者決定に2年ぶりに再開されました九段短歌に3ヶ月間連続掲載は田中 恭子様お一人でした。
    そして2ヶ月掲載は私一名に、11月・1月号の5名の中に加えていただきましたことに心から感謝を申し上げております。

    1月19日(金)に届きました遺族通信は特別な思いで開封致しました。1月20日締切(当日消印有効)千葉市短歌大会に1月18日(木)投函、千葉市民展作品は1月19日(金)提出完了。
    市民展作品は書道の部へ「中務集」から170cmの用紙に1枚清書に約7時間(休憩時間を除く)を要しました。古典のかなは濃いめに書くことのご指導に墨の濃さを調節に約1時間、体調管理に
    努めながらひたすら書き続けることができました。そして1月19日(金)午後、先生に1枚選んで頂き、雅印を決め、押印の位置のご指導を頂き、晴れて提出完了となりました。
    審査結果は?ですが、期待は致しません。なぜならばこの年齢で健康に恵まれ、子ども達の励みにここまで書くことができました喜びで十分幸せを感じておりますからです。
    大地震により甚大な被害に遭われました多くの皆様を思います時、このような幸せな時間を与えて頂ましたことに感謝の他言葉がありません。

    書道教室からの帰り道、ホットして足取りも軽く帰宅しましたらポストに上記にご紹介の遺族通信が届いておりました。
    「九段短歌」に作品の掲載がありますようにと祈る気持ちで開封致しました。「千葉県 ○○嘉子」掲載ありでした。ささやかなことですが高齢者の私には「感謝」に大きな喜びの一日でした。

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日本遺族通信 令和5年12月15日号 遺書・九段短歌他

2023年12月18日 18時19分43秒 | 日本遺族通信


                               令和5年12月靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

                上記のお手紙を受領してから丁度1年後の戦死に、お母様のお悲しみはいかばかりでございましょうか。合掌
                  25歳の若さの戦死にご本人もさぞご無念だったことと思われます。残念です。戦争責任者を恨みます。
                  世界でも激しい戦禍に見舞われておりますが1日も早い停戦を望みます。世界の恒久平和を心から願います。

「九段短歌」
 いつも九段短歌にお心を寄せて頂きまして御礼を申し上げます。
 1年10ヶ月ぶりに11月からようやく再開されました。
 しかし、今までの半数の5名の掲載に厳しくなりました。
 残念ながら今月は掲載頂けませんでしたが命ある限り
 戦死の父を偲んでまいりたく思っております。 
 今後とも九段短歌にお目を通して頂きたく宜しくお願い申し上げます。
 

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日本遺族通信 令和5年11月15日号 遺書・九段短歌11月号に1年10ヶ月ぶりに掲載されました

2023年11月17日 16時04分58秒 | 日本遺族通信


                               令和5年11月靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

    亡くなられてお出でと思われますお母さまの夢を見ましたと、「お墓参りして下さい」と最後のお言葉になりました勝谷 茂様のご冥福をお祈り申し上げます。
    お子様は御三方お出でと伺いましたが皆様ご立派に御成長されました事と念じております。ご遺族の皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。


  九段短歌が1年10ヶ月ぶりに掲載されました。千葉市 嘉子 が私の作品ですが「鳥海」と軍艦名が記されましたことに最後に軍艦名を書くことを命令されました事と思っております。
「鳥海」は昭和19年10月25日レイテ沖海戦に敵艦上機の攻撃を受けて沈没し、乗艦者960名全員がレイテ沖に永久の眠りにつきました。

  九段短歌は投稿からこの度で156首の掲載を頂きましたが、200首まで頑張りたく思っております。                         

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日本遺族通信 令和5年10月15日号 遺書・パラオを調査の件・九段短歌11月号から再開の件

2023年10月16日 21時03分16秒 | 日本遺族通信


                        令和5年10月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

「可愛い四人の子供達よ」↑ 「私が帰る頃には・・・」↑ 父親の愛情あふれますお手紙に奥さまのお喜びは・・・と思いますと残念無念!戦争は悲劇です。
   戦後、兄弟姉妹は大変ながらもお互いに助け合って立派に成長されました事と願っております。お母さにもきっと沢山の親孝行をされましたことも念じております。
 兄弟姉妹の皆様は私よりも少し先輩と存じますがご健勝にてお過ごしの御事と案じております。

 
待望の九段短歌が11月号より1年10ヶ月ぶりに再開の報告です   悲劇のガドブス島?これからネットに学びます。戦争は悲劇です。世界平和を願って散華されました多くの皆様に合掌

「ガドブス島の位置」

「ガドブス島」はペリリュー島の北部にあり、当時は橋でつながっていた。爆撃と艦砲射撃で橋は破壊されてしまったが、今でも橋脚は残っている。ガドブス島には当時、飛行場と弾薬倉庫が存在した。 

「シベリア抑留」から帰還された方が頂いてまいりました朝顔の種をまき、咲いた朝顔に「シベリア朝顔」と名付けて広めておりますと言う種を友人から頂き、今年から育て始めました「シベリア朝顔」
2種類の最後のお花を添えさせていただきました。合掌

 


            2種類の「シベリア朝顔」は厳しかった猛暑にも耐えて10月17日の本日まで美しく咲き誇り、道行く近隣の皆様に鑑賞して頂きました    

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日本遺族通信 令和5年9月15日号 遺書・硫黄島遺骨収集・九段短歌再開の件

2023年09月22日 15時58分07秒 | 日本遺族通信


                           令和5年9月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌 

         若いお方の故郷の思い出を語られるお気持ちに悲壮感は感じませんが、残念!どうぞ安らかにとお祈り申し上げております。

硫黄島遺骨収集派遣団の皆様大変な地域での遺骨収集の作業にお疲れ様でございます。

九段短歌再開予定の件は8月号にしばらくぶりに予告されましたので早速送付して、9月号を心待ちにしておりましたが、残念!まだ掲載されませんでした。
選者の先生も決定されましたことに何月号より掲載とはっきり報道してほしいと思っております。

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日本遺族通信 令和5年8月15日号 遺書・洋上慰霊実施の件・九段短歌再開の件・半藤一利企画展等

2023年08月18日 06時00分00秒 | 日本遺族通信

                           令和5年8月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌 

                 若いお方の御覚悟の詩に悲壮感は感じません。残念!どうぞ安らかにとお祈り申し上げております。
                   昭和19年のレイテ沖海戦に「鳥海」と運命を共にしました父が浮かんでまいりました。


             終戦70周年記念洋上慰霊でお世話になりました「にっぽん丸」が懐かしい!是非もう一度実施して頂きたいと願っております

                    戦没者遺児による慰霊友好親善事業 終戦70周年記念洋上慰霊に参加して

                        日     程  平成28年3月1日(火) ~ 10日(木)
                        参 加 資 格  海域戦没者の遺児 
                        参   加   者  44都道府県から 289名 (内千葉県参加者9名)

                            終戦70周年記念洋上慰霊に「にっぽん丸」にお世話になり参加させて頂きました思い出の一部

   平成28年3月9日(水)気温  グアム アプラ港に入港して午後 4時~「全戦没者追悼式」を行いました
 
                「全戦没者追悼式」                            参加者289名の遺児の皆様 

 
     お世話になりました「にっぽん丸」 (友人が撮影より頂きました)               船長様に頂きました大切な一枚です 
    


 令和4年1月15日号に155首目を掲載頂きましてから後の    「歴史探偵」と自らを称し激動の昭和史と正面から向かい合った作家 半藤 一利氏の遺稿・遺品などが
 長い休載にもう投稿は出来ないものとあきらめて居りましたが、    令和4年に昭和館に寄贈されました。半藤 一利氏の足跡をたどる特別企画展が開催されております。
 この度の「九段短歌再開」の記事に励みを頂きました。     
 今後200首の掲載を頂けますまで学びたく思っております。

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日本遺族通信 令和5年7月15日号 遺書及び慰霊友好親善事業参加者募集の件

2023年07月20日 06時00分00秒 | 日本遺族通信


                      令和5年7月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

「君国のために死す。死として是位(これくらい)名誉な死が又とあり得やうか・・・」↑  25歳のお方がお父様にあてた遺書ですが今のお若い皆様、「君国」のことば・意味を
 ご存じでしょうか。毎日ニュースを見聞きするたびに、お若い皆様の行動に目を覆いたくなりますことが多すぎると思います昨今です。
 今年は、78年目の終戦日を迎え、過去の恐ろしい戦争を知る・語る者がだんだんいなくなっておりますが、今を生きるお若い皆様、どうぞ命を大切に真面目に生きて頂きたく
 懸命に生きて参りました老婆からの切なる願いです。

 

  

「参加費などについて」
 1.参加費 10万円
 2.集合場所まで及び解散場所からの交通手段は自己手配、移動に係る交通費、宿泊費などは自己負担となる。
 3.実施地域、期間などは、相手国の情勢や交通機関、コロナなどにより変更、延期、中止となる場合があるので了承願いたい。
   また、参加者の高齢化を考慮し、看護師が同行する。
 4.青年部付添者の補助は遺児の参加費からではなく、旧戦域での旅行費用(実費)に対する補助となる。
 5.マーシャル・ギルバート諸島地域は、申込締切が実施予定日の4ヵ月前となる。

「九段短歌について]
    今号には再開の記事がないばかりでなく「選者の先生が決定するまで休載」の記事さえ消えてしまいました。
    短歌を詠みます事に戦死の父への思いを慰められております者としましては残念!一抹の寂しさを覚えております。
    選者の先生が一日も早く決定されますことを心待ちにしております老いた遺児の一人です。

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日本遺族通信 令和5年6月15日号 遺書及び理事会報告の件

2023年06月18日 06時00分00秒 | 日本遺族通信

     
                         令和5年6月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

              「充分覚悟は出来ております」「時間も無く思ふやうにも書いて居られないから、これくらいにします。」
                    最後と思われますお手紙にご家族皆様のお悲しみはいかばかりでございましょう。

                お言葉の一言一言に哀しみがこみあげて参ります。残念です!心からご冥福をお祈り申し上げます。



              
     
       戦没者遺児の高齢化により実施から35周年、令和7年をもって「慰霊巡拝」を終了。最後の「洋上慰霊」を戦後80年、令和7年に実施予定とされました。
                   「洋上慰霊」実施決定がなされましたら健康に留意して何とか最後の慰霊に参加したく思っております。  

              「九段短歌」について
               今号には再開の記事がないばかりでなく「選者の先生が決定するまで休載」の記事さえ消えてしまいました。
               短歌を詠みます事に戦死の父への思いを慰められております者としましては残念!一抹の寂しさを覚えております。

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日本遺族通信 令和5年5月15日号 遺書・大学生が九段会館訪問・硫黄島における遺骨収集

2023年05月16日 16時53分51秒 | 日本遺族通信

     
                       令和5年5月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

            最初に「遺言状」と書かれましたお手紙に奥様をはじめ、ご家族皆様のお悲しみはいかばかりでございましょう。
               お言葉の一言一言に哀しみがこみあげて参ります。残念です!心からご冥福をお祈り申し上げます。


     大学生が遺族会を学ぶために九段会館を訪問されました            硫黄島において遺骨収集を行ってくださいます団員

      残念!九段短歌再開の文字は見つかりません。

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日本遺族通信 令和5年4月15日号 遺書及びインド・コヒマ南方・テニアン島西ハゴイ地区での慰霊祭

2023年04月18日 07時00分00秒 | 日本遺族通信


                     

                        令和5年4月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

                     ご両親様のお悲しみはいかばかりでございましょう。
          お言葉の一言一言に哀しみがこみあげて参ります。残念です!心からご冥福をお祈り申し上げます。

      

 

遺児と申しましても平均年齢は82歳を迎えました。戦死の父への慰霊の旅も年々困難になってまいりました。一人でも多くお元気なうちにそれぞれの地に参加されますことを願うものです。

私はおかげさまで1回目は 2000年12月のフィリピン慰霊巡拝に想いを寄せて  初めて参加させて頂きました。

        2回目は 戦没者遺児による 慰霊友好親善事業20周年記念 「洋上慰霊」 に参加して   (平成)23年3月5日~16日中に3.11に出会いました)                                  

        3回目は 戦没者遺児による慰霊友好親善事業終戦70周年記念「洋上慰霊」に参加して   (平成28年3月1日~10日)
        
        尚、3回目は参加できないと思っておりましたところ、応募者が少なく千葉県遺族会より推薦を頂き有り難く参加することができました。                           

「九段短歌」について
 今号にも再開の記事がないばかりでなく、「選者の先生が決定するまで休載」の記事さえ消えてしまいました。
 短歌を詠む事に戦死の父への思いを慰められております者としましては残念!一抹の寂しさを覚えております。

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日本遺族通信 令和5年3月15日号 遺書とマリアナ諸島の遺骨収集

2023年03月16日 20時49分00秒 | 日本遺族通信


                           令和5年3月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

             お言葉の一言一言に哀しみがこみあげて参ります。残念です!心からご冥福をお祈り申し上げます。


        上記、マリアナ諸島のグアム島、サイパン島の各地及び硫黄島南部落付近を中心に遺骨の発見に今も尚、延々とご尽力いただいております。

      今号には九段短歌につきましてお詫びも、説明も記載が無く、とても残念に思っておりますが、一日も早く九段短歌の掲載開始を願っております。

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日本遺族通信 令和5年2月15日号 遺書とパラオでの調査・他(九段短歌は休載) 

2023年02月20日 18時19分59秒 | 日本遺族通信


                 令和5年2月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌                 上記の件 1年1ヶ月の休載に残念!

「国家の為、私は喜んで母の許に参ります。」↑  お母様は既にご逝去されておいでの事と拝読させて頂きましたが、お若いお方の戦死に残念に存じます。

マリアナ・パラオ諸島の戦い(ネットより転載)は、太平洋戦争中に日本軍アメリカ軍の間でマリアナ諸島パラオ諸島をめぐり行われた戦闘である。

太平洋方面では連合軍の反攻により日本軍は後退が続いていたが、日本が『絶対確保を要する圏域』としたマリアナ諸島、パラオ諸島にも連合軍は進攻を開始した。
これは最終目標の日本本土進攻に向けて新たな基地を確保するためで、島を防衛する日本軍との間で熾烈な戦闘が行われた。また、海上でも大規模な海戦が発生した。

              

                   天皇・皇后両陛下ペリリュー島慰霊の旅に感謝 2015年04月13日のブログより

                           天皇・皇后両陛下ペリリュー島慰霊の旅の動画    https://www.youtube.com/watch?v=cYfWRriXOcM

 

              パラオ諸島の島々                              日本の国旗とパラオの国旗

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