牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

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2013-03-28 08:04:41 | Weblog
恵みの今日の日 愛とやすらぎ
主イエスのいのちを そそがれ生きる
きょうも天国 へいあん豊か
ハレルヤアーメン 主をたたえつつ

楽しき祈りで 御霊の愛は
内より湧きでて 流れるように
恵みはあふれて 感謝と賛美
ハレルヤアーメン 主をたたえつつ 

主イエスの十字架 見上げるときに
罪とが赦され 聖なる行き方
やまいもいやされ すこやかに歩む
ハレルヤアーメン 主をたたえつつ
アーメン 


生駒聖書学院通信制神学生募集中

2013-03-27 10:31:22 | Weblog
Impossibilities Become Challenges!

Ⅰ列王記4:29 神は、ソロモン(生駒聖書学院神学生)に非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心とを与えられた。
ヨハネ16:13-14 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。

生駒聖書学院通信制を今年度から2年コース新設入学生募集中
入学資格=牧師&宣教師推薦状要。年齢、性別、国籍、学歴不問
入学金  5万円
月謝(一年)15万円前納のこと
以外にテキスト代や宿泊、スクーリング費は別途支払い
教会で学ぶ場合もそれぞれ入学許可を受け、月謝納入して学ぶこと。
講義内容(DVDと論文)

今年度14授業科目と各教授
人間学、創世記・アブラハム伝=榮義之院長
ベテル聖書研究(根本教義含)=前田副院長
旧約のキリスト=永井基呼教授 宣教学=飯田克弥教授     
ペテロ書=有賀喜一教授    大預言書=小平元昭教授
コロサイ書=為房晃夫教授   聖霊論=菅原亘教授
説教学=大川従道教授
ヨシュア記23:24あなたがたは、心を尽くし、精神を尽くして知らなければならない。あなたがたの神、主が、あなたがたについて約束したすべての良いことが一つもたがわなかったことを。それは、一つもたがわず、みな、あなたがたのために実現した。

牧師 榮義之 630-0243生駒市俵口町951 携帯090-1593-1269
E-mail; elimyoshi@kcn.jp ブログ;http://ibcelim.com/
ラジオ放送希望の声;ABCラジオ(1008kHz)毎週水曜朝4:35-45
種子島原人・輝きの人 http://genjin3.web.fc2.com/

葬りの備え

2013-03-27 08:08:10 | Weblog
 受難週の出来事は、ヨハネの福音書12章にも書かれ、「「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」(12:24)の有名な言葉が語られました。

12:1 イエスは過越の祭りの六日前にベタニヤに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。

12:2 人々はイエスのために、そこに晩餐を用意した。そしてマルタは給仕していた。ラザロは、イエスとともに食卓に着いている人々の中に混じっていた。

12:3 マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。

12:4 ところが、弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダが言った。

12:5 「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」

12:6 しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。

12:7 イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。

12:8 あなたがたは、貧しい人々とはいつもいっしょにいるが、わたしとはいつもいっしょにいるわけではないからです。

 高価なナルドの香油、300でなりとは、一デナリが一日分日当ですから、300日分もの値打ちある高価な香油でした。

 人生がお金だけの人にとってはムダに見える行為です。「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか」

一見、人のことを考えているかに聞こえる発言です。しかし、主イエス・キリストは、その発言の元を見られたのです。

「しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである」と、イスカリオテのユダの金銭感覚を指摘されました。

 キリスト教会の運営はすべて尊い献金によって行われています。大教団や大教会であっても、それぞれの自発的な献金、また十分の一献金や自由献金によって支えられています。教会がカルト的になると、その献金を私的に流用する問題もあります。最近聞こえてくる韓国の大教会の問題などは、その典型的な例だと思います。

 しかし、イエス・キリストの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐったような、謙遜な姿をみるとき、家は香油のかおりでいっぱいになったとあるように、素晴らしい影響を残すことのできる献金も多くあると思います。

 十字架にいのちまでも捨てて、救いの道を開かれたイエス・キリストへの純粋な思いからの愛の犠牲をしたいものです。

テモテへの第一の手紙 6:17 この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。

6:18 また、人の益を計り、良い行ないに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。

6:19 また、まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように。

イザヤ書53章より、受難週に賛美歌312番メロディで歌える詩です。



イザヤ53章より;

主イエスは悲しみ 病のすべて
良く知り味わい  十字架の上
すべてを背負いて いやしなぐさめ
新たないのちの  道を歩ませ

まことに十字架は 病といたみ
すべてをいやして いのち健やか
そむきの罪さえ  すべて背負いて
豊かな赦しで   救い神の子

十字架に主イエスは 悩み苦しみ
すべてを背負いて カルバリの道
重荷のすべてを  背負い解決
愛されしあわせ  ありがとう!感謝
アーメン

通信制神学生募集う

2013-03-26 19:33:11 | Weblog
Impossibilities Become Challenges!

Ⅰ列王記4:29 神は、・・・・に非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心とを与えられた。
ヨハネ16:13-14 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。

生駒聖書学院通信制2年コース新設ご案内;お祈り応援願います。

入学資格=牧師&宣教師推薦状必要。年齢、性別、国籍、学歴不問
入学金  5万円
月謝(一年)125万円前納のこと
テキスト代は別途支払い

講義内容(DVDと論文)

今年度授業(14科目)と教授陣
人間学、創世記「アブラハム伝」=榮義之院長
ベテル聖書研究(根本教義含)=前田副院長 
旧約のキリスト=永井基呼教授 宣教学=飯田克弥教授     

ペテロ書=有賀喜一教授    大預言書=小平元昭教授
コロサイ書=為房晃夫教授   聖霊論=菅原亘教授
説教学=大川従道教授

御霊の導きで思いを与えられ、新年度より正式にスタートします。
願書申込=生駒市俵口町951 生駒聖書学院事務局
電話・Fax0943074-7622
メール;elimyoshi@kn.jp

天国と地獄の差は紙一重

2013-03-26 07:24:00 | Weblog
 人間は論争好きです。家の中でもが校や職場、政治の世界や国際社会でも、論争が紛争を解決することのありますが、論争が高じて戦争に発展することもあります。

受難週の今日は、イエス・キリストを何とか処刑しようと、論争が挑まれた一日です。マタイの福音書22章には、論争を挑まれたときの、論敵も驚く皇帝に税を納めるか否かの問答、復活についての論争が続い田一日でした。その見事なディベートに感動します。

 ヨーロッパやアメリカ社会は、教育の根底に聖書があるので、ディベート社会で国際会議などでの論議や交渉事などでは、相手を論じ伏せることを主眼としています。

 中国や韓国などでも論語的、あるいはその他の素養で論じるので、間違っていると分かっていても、まあまあ主義の日本の政治家や外交官はやり込められてしまうようです。

 論争についての聖書の言葉を引用します。

マタイの福音書6:6 イエスは彼らに言われた。「パリサイ人やサドカイ人たちのパン種には注意して気をつけなさい。」

16:7 すると、彼らは、「これは私たちがパンを持って来なかったからだ。」と言って、議論を始めた。

16:8 イエスはそれに気づいて言われた。「あなたがた、信仰の薄い人たち。パンがないからだなどと、なぜ論じ合っているのですか。

16:9 まだわからないのですか。覚えていないのですか。五つのパンを五千人に分けてあげて、なお幾かご集めましたか。

16:10 また、七つのパンを四千人に分けてあげて、なお幾かご集めましたか。

16:11 わたしの言ったのは、パンのことなどではないことが、どうしてあなたがたには、わからないのですか。ただ、パリサイ人やサドカイ人たちのパン種に気をつけることです。」

 
ああでもない、こうでもないと論じる私たちですが、イエス様は、「あなたがた、信仰の薄い人たち。パンがないからだなどと、なぜ論じ合っているのですか」と、そこに不信仰があると指摘されました。
 
テモテへの第一の手紙 1:5 この命令は、きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛を、目標としています。

1:6 ある人たちはこの目当てを見失い、わき道にそれて無益な議論に走り、

1:7 律法の教師でありたいと望みながら、自分の言っていることも、また強く主張していることについても理解していません。

 聖書は無益な議論に走らないように警告しています。ものすごい情報があふれている時代、
真っ直ぐに素直に聖書の言葉にアーメンと応答したいものです。

 十字架にいのちを捨て、全人類の罪や病、呪いや貧乏を、そして死と地獄への滅びを引き受けられた救い主を、素直にアーメン信じますと、心にお迎えする時、今も生きているイエス・キリストの救いを体験できます。理屈を越えた信じる信仰で、救われる恵みを体験なさってくださいませんか。

 先週は出会っ田方々38名が、アーメン信じますと祈ってくださいました。集会に来られた方を入れると58名の方が、イエス様を心に迎えてくださいました。

  見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。(黙示録3:20)

  しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。(ヨハネ1:12)

 神の約束はことごとく、この方(主イエス・キリスト)において「しかり。」となりました。それで私たちは、この方(主イエス・キリスト)によって「アーメン。」と言い、神に栄光を帰するのです。(第二コリント1:20)

 16歳の時、種子島のキリスト教会でアーメンと信じて、その日に海岸でバプテスマを受けクリスチャンになりました。55年になりますが、救われて平安と感謝の日々を、今日もまた天国の一日です!と、歩み続けています。今朝どうぞその場で「アーメン。信じます。私の心にイエス様をお迎えします」と、お祈りください。祝福を祈ります。アーメン。

恵みの朝には 主イエスの愛が
聖霊とともに 豊かにそそがれ
平安よろこび 輝きあふれ
ありがとう感謝で 栄えの道を

この日も新たな  恵みといのち
よろこび楽しめ  神の子のさち(幸)
父なるみ神の   愛に守られ
ハレルヤアーメン 栄えの道を

ふしぎな平安 おそれは消えて
主イエスの十字架 主は今も生き
御霊の導き 迷うことなく
御国に着くまで 栄えの道を!
アーメン(賛美歌312番で歌えます)

あなたは今日、わたしとともにパラダイスへ

2013-03-25 04:48:27 | Weblog
 今週はイエス・キリストの受難と十字架の苦難を記念する週です。一昨日、学院の近くで遊んでいた子ども3人と会いました。こんにとは、と声をかけると春休みで楽しいし、5年生になるなどと、しばらく話を聞きました。

イエス様って知っている?と聞くと、キョトンとするのでクリスマスは?と言うと、近くにいた可愛い坊やが、十字架で死んだ人やでと答えてくれました。

 そう馬小屋に生まれ、良いことばかりしたのに、十字架で死んだのだと語ると、どうして?いろいろ話して、イエス様はほんとうの神様から、死んだけれども今も生きているし、アーメンとイエス様を心に来てもらえるから、イエス様に心に来てもらおうと、道端で4名で手をつないで新学年の祝福を祈りました。

 彼らと別れて坂道を犬を連れて散歩中の男性がいたので、初めての方でしたが犬を知っていたので、あいさつし声をかけると、少しびっくりされました。昨日の朝、礼拝に行く前にその犬のいる家を訪ねる思いが来たので、訪ねると昨日のご主人で向こうの方がびっくりなさいなさいました。

 和歌山が職場で土曜日に家に一日だけ帰る生活を長年継続し、今月退職予定の63歳で、握手をして祝福を祈り礼拝でした。礼拝に来ていた50代の男性に礼拝前に、イエス様を受け入れる祈りでともに集会でした。

 娘の送迎で大阪へ着き、教会隣りの古本屋さんに握手で挨拶し、祝福と健康を祈るとイエス様をアーメンと信じてくださいました。礼拝が終わり、以前から出席している50代の医者と握手で挨拶し、アーメンと信じてくれました。

 昨日は、珍しい?日曜日でした。50代の男性5名と握手をして祈り、4名がイエス様をアーメンと信じてくれました。

 アーメンと言えば救われるがモットーの毎日ですが、特にこの7日間は九州の出水市、熊本県、岡山市、広島市など初めて出会った多くの方々がアーメン信じますといのってくれました。

 受難週の今週、十字架と復活の福音を仕え続けたいと祈り願い、恵みの朝を迎え、今日もまた天国の一日です!感謝しますと、元気で生かされています。

ルカの福音書

23:39 十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」と言った。

23:40 ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。

23:41 われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」

23:42 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」

23:43 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」

十字架上での最後の七つの言葉

2013-03-24 07:19:40 | Weblog
今週は、ホサナの日曜日で、イエス様が子ロバの背に乗りエルサレムに入場した記念日です。
 エルサレムは今日、全世界から集まった聖地旅行者が、2000年前を再現するように、手に手にナツメヤシの枝を持ち、服を振りながらホサナ!ホサナの声を上げながら、行列していると思います。

 2000年前のエルサレムがそうでした。ところが救い主が来たと叫ぶ舌の根も乾かないうちに、その歓呼の声が、十字架に付けろ!十字架に付けろとの呪いの声に変わりました。

 ホサナの日曜日から5日目の金曜日(今年は3月29日が十字架の記念日)に、イエス様は十字架の上で、全人類の罪(原罪、とが、病、呪い、貧乏、永遠の死、すべての重荷や悩み)を背負って死なれました。

 福音書には、十字架上での七つのことばが記録されています


十字架上での七つの言葉

1. 父よ。彼らを御赦し下さい。彼らは何をしているのか自分でも分からないのです。ルカ23:34

2. まことにあなたに告げます。あなたは今日私と共にパラダイスへいます。ルカ23:43

3.「女の方。そこにあなたの息子がいます」「そこにあなたの母がいます」(ヨハネ19:26-27)

4.エリ、エリ、レマ、サバクタニ=わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。マタイ27:46

5. わたしは乾く。ヨハネ19:28

6. 完了した。ヨハネ19:29

7. 父よ。わが霊を御手に委ねます。ルカ23:46

 
 完了した=テテレスタイ(ギリシャ語)には、聖書の約束が完成した、完了したとの叫びです。
 
 ギリシャ語のテテレスタイは完了形です。

 完成した

 約束が成就した

 債務の支払いが完了した 

 十字架上でイエス・キリストが死なれたことにより、全人類のすべての罪(原罪から派生するすべての問題の全部が終わったのです。

 それは2000年前ですが、その時に終わったので、そのことをアーメン(ほんとうに真実です)と言うだけで救われるのです。

 16歳のときに十字架のメッセージを聞き、アーメンと信じ洗礼をその日に種子島の海岸で受けてクリスチャンになり、その日から救われた喜びの幸せな人生です。

 先週は、退院以来8カ月ぶりに初めての遠出で、鹿児島県出水郡長島町までいきましたが、奇跡の旅でした。それは握手した方々(タクシー運転手、喫茶店マスター、ホテルフロント女性や男性、くっこう売店やコンビニ店員、散歩中に出会った小学校教師、遊んでいる若者3人、遊んでいる上学生3人、新幹線の中で)七日間で集会以外で握手した35名の方が、アーメン信じます、イエス様を心に迎えてくれました。

 それはイエス様が、十字架の上でテテレスタイ!と、救いの道を開いてくださったからなのです。受難週、受苦日、そして31日はイースター(復活祭)です。

 十字架上に死なれたイエス・キリストは生きている真の神様です。アーメン信じます。私の心にお迎えしますと、お受け入れください。アーメン。

 イエス・キリストは昨日のきょうもいつまでも同じです(ヘブル人への手紙13:8)


恵みに生かされ  輝く笑顔
信じるさいわい 愛も豊かに
明るく告白  山さえ動く
主イエスの力で 天国の日々

主イエスの十字架 テテレスタイと
すべてを赦されて 神のことされ
豊かに祝され  歩みすこやか
とわ(永遠)のいのち受け 天国の日々

主イエスは復活  今なお生きて
変わらぬやくそく 共におられて
へいあん喜び  助けと守り
感謝と賛美で  天国の日々

賛美歌;いつくしみ深き友なるイエスは、のメロディで歌えます。

握手した人がアーメン信じますと祈る、不思議な7日間の旅

2013-03-23 04:11:35 | Weblog
アーメン!信じますの不思議な一週間

静かな夜にも 希望の朝も

友なる主イエスは そばにおられて

平安と守り    愛し支えて

すべてを祝して  しあわせ与う

久しぶりにパソコンを開きました。

 16日の朝、新幹線さくらで鹿児島県出水市まで4時間20分で到着。鹿児島県出水郡長島町で礼拝、熊本県上益城郡益城町、福岡県八女市、広島県福山市、岡山市を訪ね、昨日帰宅と言う強行軍でした。

 お祈りに支えられ、元気で今日もまた天国の一日です!感謝します。

 集会よりも散歩中やコンビニ、レストラン、そしてホテルのフロントなど、多くの出会いがありました。

 握手した方々がほとんど、アーメン。信じますとイエス様を心に迎えてくれました。今までもあった経験ですが、今回の初外出、しかも初遠出は不思議な一週間でした。

 手帳に記されたアーメン信じますと祈り、名前をフルネームで教えてくれた方々が、30名もありました。集会では20名の方が信じますと祈られたので、手帳を見て50名もあり、驚いています。

 熊本県八代駅でタクシーに乗りました。体格の良い運転手でしたが糖尿になり数年前に脳梗塞手術をしたとのこと。私も小脳梗塞で昨年7月にと言うと、同病相憐れむで目的地に着き、お金を支払い握手をして健康を祈りました。牧師にあったのも神様の導きと言うと、喜んでアーメン信じますと、イエス様を受け入れる祈りをなさり、胸を叩いて今日からここにとほほ笑んで走り去りました。

 みんばほんとうの幸せを求めています。しあわせをお祈りしましょう。そしてイエス様を心にお迎えするように語りかけて見ましょう。こんかいそのことを痛感する旅でした。イエス様もう全人類の罪を贖い、すべての問題を解決してくださいました。十字架と復活の福音を世界中に、日本全国に伝え続けましょう。

黙示録
3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
 


幸せ満ちる天国の一日

2013-03-22 07:17:00 | Weblog
昨年7月以来、初めての遠出でした。16日(土)新大阪まで送ってもらい、鹿児島県出水駅に12時半に着き義弟に迎えられ水俣市民病院へ見舞い、ホテルキングへチェックインでした。ここは温泉があり、風呂嫌いですがゆっくりでした。
17日は(日)義弟が8時半に来てくれ、義姉夫妻といっしょに長島へ。島といても橋で渡れるので、出水市から40分くらいで長島町のエクレシア福音キリスト教会へ到着。歓迎され礼拝後は楽しい会食を終え、再びホテルキングへ。夜は卒業生夫妻に迎えられ楽しい交歓のとき。
18日(月)~19日(火)は熊本駅前の東横イン宿泊で、卒業生牧師とあったり、濱田龍郎記念館を阿蘇まで連れて行ってもらったり、福祉作業所など充実した時でした。
20日(祝)八女市で祈りと交わりや、食事で夜に岡山駅前の三井ガーデンホテル泊。
21日(木)教会訪問や、兼六公園など案内され、夕方に福山市へ、卒業生の娘たちが大学合格、進級や小学校卒業などでお祝いのときでした。本来なら今朝は帰宅してブログを書いているのですが福山市でも一泊し、午前中に帰宅予定です。一週間の旅で、出会いがあったり、旧交を暖めたりの楽しい時を与えられありがとうございます。
きょうも(今週も)また天国の一日でした!感謝します。

静かな夜にも 希望の朝も
友なる主イエスは そばにおられて
平安と守り    愛し支えて
すべてに栄えて  しあわせ満ちる

恵みの朝には   真実絶えず
いのちに生かされ 輝き進む
流れのほとりの  植木のように
すべてに栄えて  しあわせ満ちる

日ごとなすわざ  祝され成功
恵みと愛とは   豊かにあれば
みことば信じて  口ずさみつつ
すべてに栄えて  しあわせ満ちる

詩篇
8:1 私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。あなたはご威光を天に置かれました。

8:2 あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。

8:3 あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、

8:4 人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。

8:5 あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。

8:6 あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。

8:7 すべて、羊も牛も、また、野の獣も、

8:8 空の鳥、海の魚、海路を通うものも。

8:9 私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。

すべてに栄えて

2013-03-21 09:03:18 | Weblog
21日(木)教会訪問や、兼六公園など案内され、夕方に福山市へ、卒業生の娘たちが大学合格、進級や小学校卒業などでお祝いのときでした。



静かな夜にも 希望の朝も

友なる主イエスは そばにおられて

平安と守り    愛し支えて

すべてに栄えて  しあわせ満ちる



恵みの朝には   真実絶えず

いのちに生かされ 輝き進む

流れのほとりの  植木のように

すべてに栄えて  しあわせ満ちる



日ごとなすわざ  祝され成功

恵みと愛とは   豊かにあれば

みことば信じて  口ずさみつつ

すべてに栄えて  しあわせ満ちる



詩篇

8:1 私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。あなたはご威光を天に置かれました。



8:2 あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。



8:3 あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、



8:4 人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。



8:5 あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。



8:6 あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。



8:7 すべて、羊も牛も、また、野の獣も、



8:8 空の鳥、海の魚、海路を通うものも。



8:9 私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。