牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

どん底だ!

2013-03-02 06:09:51 | Weblog
昨夜、遅く受け取ったので転載です。

「どん底だ!」 
と言っていられる間は、
まだどん底ではない。
(シェイクスピア)

「どん底だ!」 
と言うことがよくある。
けれども、もっと深い底がある。
「もうこれ以上のどん底はない!」 
と言うことがある。

けれども、もっともっと深い底がある。
「どん底だ!」 
と言っていられる間は、
本当のどん底ではない。

本当のどん底に落ちたら、声も出ないのではないか。
どん底という意識もなく、ただうめくだけではないか。
声も出ずただうめくだけのどん底。
死を覚悟し死を待つだけのどん底。

パウロは度々このようなどん底を体験した。
石で打たれて死んだこともある。
何度も鞭で打たれて牢獄につながれた。

しかし、パウロは死んでも生き返り、
鞭で打たれ牢獄につながれても神を賛美した。そのどん底で、イエスと出会い、最も深いイエスとの交わりを体験した。

ある時は、第三の天にまで引き上げられて、本物の天国を見た。
言葉ではとうてい表現できない天国のすばらしさを体験した。

そのような体験をもとに、パウロは仲間たちに手紙を書いた。
このパウロの獄中書簡は、新約聖書の大半を構成している。

「どん底だ! もうダメだ!」 と思ったその時から、
人間の業ではない、神のみ業が働かれるのだ。

「どん底に落ちたら、その底を掘ればいい」
と養老猛司氏は言うが、
本当のどん底に落ちたら、その底を掘る力もない。

ただ神を仰ぎ助けを叫ぶのみである。
世界で最底のどん底に落ちた方、
それはイエス・キリストである。

イエスは何一つ罪がなかったのに、
我々の罪の罰を身代わりとなって受けて下さった。
最もむごたらしい十字架の磔の刑を受けたうえに、
一瞬ではあるが、父なる神にも見捨てられてた。

けれども、そのどん底において、
イエスは何もできなかったが、
死んで地獄に落ちたイエスを
父なる神は復活させてくださった。

これこそ、どん底における史上最大の神のみ業である。
なぜなら、イエスの死と復活を信じる人の罪は赦され、
その人には永遠の命が与えられるからである。

申命記

33:27 昔よりの神は、住む家。永遠の腕が下に。
あなたの前から敵を追い払い、『根絶やしにせよ。』と命じた。

33:28 こうして、イスラエルは安らかに住まい、ヤコブの泉は、穀物と新しいぶどう酒の地をひとりで占める。天もまた、露をしたたらす。

33:29 しあわせなイスラエルよ。だれがあなたのようであろう。主に救われた民。主はあなたを助ける盾、あなたの勝利の剣。あなたの敵はあなたにへつらい、あなたは彼らの背を踏みつける。」