牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

寒波襲来とクリスマス

2005-12-23 08:13:01 | Weblog
朝は自動車を動かせたが、午前中は全くだめ!
 我が家のガレージは急坂の上にあり、下へ留めていたがやはり動かせない。
 朝一番で散髪をしてもらおうと出かけたが、停電で店は真っ暗。やってもいいけど水で頭は洗えないので・・・。
 そのまま雪の中を歩き始めたが、階段で雪に足を取られ10段ほど滑り落ち、頭を打って瘤ができ、夜も背中から打ちつけた左腕にかけて痛みが続き、今朝は何とか大丈夫。
 全国では700人ほどがケガをしたとニュースは報じている。今日の奈良は昨日より6度高い温度とのこと。
 明日のイブは幸い良い天気になりそうだ。

 自分の長所やプラス面に注目するなら、ストレスやプレッシャーに押しつぶされずに、平安と感謝の心で生きることができます。
 先日、病院に見舞いに行った時、待合室で3人の男性と出会い、「ハレルヤと歌いつつ」を差し上げたら、パラパラとめくりながら、クリスチャンですか。感謝すればですか。感謝か?その通りだね!と3人3用の受け答えをしてくれました。
 どこでもできるだけイエス様のことを伝えたいと思っています。

 「天の虫けら」が売り切れ再版になったので、ご希望の方にクリスマス・プレゼントしたいと思います。
 106ページの著書ですが、生い立ちから56歳までの歩みを綴った自叙伝です。

 今日の午後、学院教会では子供クリスマスと、中学生クリスマスが行われます。
 東大阪エリムでは午後子供クリスマス会を行います。

 明日24日〔土〕午後7時より、生駒聖書学院チャペルでクリスマス・イブの礼拝。各エリムの聖歌隊や劇など、イエス様のお生まれを賛美歌と聖書の中で祝います。

 25日(日)午前10時 生駒聖書学院教会=礼拝と祝会
        〃  富雄キリスト教会= 〃
        〃  東大阪エリム=   〃
      午後2時  大阪エリム=    〃
      午後5時半 堺エリム      〃
 ぜひ、お近くのキリスト教会へ。エリムキリスト教会へお出かけください。

ルカの福音書
  1:26 ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。
1:27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。
1:28 御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
1:29 しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
1:30 すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。
1:31 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。
1:32 その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
1:33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」
1:34 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」
1:35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
1:36 ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。
1:37 神にとって不可能なことは一つもありません。」
1:38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
  

カミナリに雪。学院は雪に包まれて・・・

2005-12-22 08:39:09 | Weblog
 昨夜、大阪の集会の帰りに物凄いカミナリ。途中何回も物凄い音。雨の中を第二阪奈の生駒トンネル(約6,000メートル弱)を抜けると雪と思ったがまだ氷雨。
 寝る前に窓の外を見たら、雪に変わり振り続け、朝起きたらうっすらと積もっていた。
 娘を駅まで送りかえってくると大降りになり、瞬く間に聖書学院全体がすっぽりと真っ白な雪に包まれている。
 ニュースでは鹿児島市で歴史的10センチの積雪と報じていた。このまま降り続ければ生駒も10センチになるかもしれない。
 今日は訪問の予定もあり、まず車は使えない。どうしようか?と考えながらの朝です。

 ストレスの三悪は、憎しみ、欲求不満、不安とのこと。その最大の原因は人間関係から生じます。どんなよい環境の中でも、人間から逃れることはできません。
 一番くつろぎやすい家庭が、ストレスの温床になっていることも多く聞くことです。
 職場のストレスも人間関係。隣近所とのトラブルも・・・。

 しかし、ストレスの原因と思われるものを取り除いたら、解決するかと言うとそうでもないようです。
 ストレスの本質的な問題は、実は本人に自信がないために起こることが極めて多いと言われています。
 自信喪失とストレスの関係は、たいへん密接です。自信ゼロの状態に置かれれば、だれでもストレスはいやでも高くなります。
 
 ですから、ストレスの問題は職場を変えたり、仕事を投げ出したりするという外面的なことで解決することはできないのです。
 いろんなストレス解消法が提言されていますが、ポジティブな人生観を養わない限り、一時的な気休めに終わり、また新たなストレスに襲われるのです。

 ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。
 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。
 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。
          第一ペテロ5:6-10
 

ストレスから平安へ

2005-12-21 08:11:40 | Weblog

 毎日、毎日いろんな事件が報じられます。情報が多いのはありがたいですが、殺人、火事、不正な出来事ばかりのニュースが、新聞やテレビの画面で踊っています。
 
 人間はなぜイライラや不機嫌、不平や不満に顔をしかめたり、病気になったり、死んだりするのでしょうか。
 原因はいろいろ考えられます。
 ハンス・セリエ博士は、次のように説明しました。
 「自動車は古くなったからと言って、急に動かなくなることはありません。
 部品のどれかが使い物にならなくなるから、動かなくなるのです。
 人間とても同じです。
 精神的にあるいは肉体的に、ストレスを絶えず受け続けると、身体のどこか大事な所がダメになって、いろいろと病気になり、果ては死んでしますと言うわけです」

 ストレスという語は、もともと物理学用語で、一つの系に加えられた緊張、圧力、張力という意味です。
 歪みを起こさせる反応、アクションです。語源はラテン語の引き締める、困らすなどからきています。

 一番高いストレスは、憎しみ、欲求不満、不安です。
 なぜストレスが起こるのか。多忙で競争的で不安な時代が、大きな緊張を強い、ストレスを増大しているといえます。

 しかし、ストレスを引き起こす直接的原因は、もっと身近なところにあります。
 たとえば生活環境の変化です。見知らぬ土地に引っ越すと、だれでも多少ともストレスを経験します。
 職場が変わる、学校が変わるときも、同じことが起こるのです。

 現実に日本社会は、ストレスに翻弄されています。そんな時代にクリスマスを今年も迎えます。
 イエス・キリストは、ストレスに対してどのようなことばを語ったのでしょうか。

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい」ヨハネ14:1

 「 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません」
                        ヨハネ14:27

 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。マタイ6:25-32

 ストレスから解放されて、平安な心で今日も過ごせるよう、祝福を祈ります。

スッキリ晴れて、凍てついて・・・

2005-12-19 09:23:17 | Weblog
朝からスッキリ晴れて気持ちのよい日です。
 昨日は雪が融けず、タクシーで奈良市の富雄キリスト教会の礼拝に行きました。家内と娘と3人で出かけたので、バスと電車で行くのとほとんど変わらない金額(2,000円)でした。
 早く着いたので、教会学校の時間、上の部屋でゆっくり主を待ち望むことができました。
 富雄キリスト教会の日曜礼拝は、1回だけの参加。来週のクリスマス礼拝は学院教会で・・・。終わり次第富雄のクリスマス食事会だけに参加予定です。
 午後2時は大阪エリムのクリスマス礼拝・祝会。
 夕方5時半は堺エリム。
 24日(土)夕7時より、生駒聖書学院チャペルでイブの礼拝。聖書学院は駐車場が広くチャペルも大きいので、みなさん参加しやすいと思います。

 空は晴れ渡っていますが、我が家は日当たりが余りなく、急坂の上にあるガレージ前が、しっかり凍てついて怖くて、車を出すことができません。
 頭から入庫しているので、バックで下りるのですが、スグ下が崖になっていて車止めもなく、滑ったらそのまま崖下にという場所です。
 今日は融雪剤を捜してみようと思っています。土曜日は売り切れでしたが・・・。

ペテロの手紙第一
 1:5 あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現されるように用意されている救いをいただくのです。
1:6 そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、
1:7 あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。
1:8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。
1:9 これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。

楽天主義者の信条

2005-12-18 06:52:06 | Weblog
金曜夜の雪が残り、昨日、融雪剤を買いに行ったが、生駒市内の店には一袋もないとのこと。午前中に全部売り切れたそうです。
 礼拝のため夕方残っていた雪を大汗を流しながら撤去したが、地面はしっかり凍っており、ガレージからバックで車を出す勇気がない。
 今朝はもっとしっかり凍り、神学生が歩く道だけ砂を撒いてくれたので、滑らないで出かけることができそうだ。
 雪の多い地域の方々は、大変だろうなと思う雪の日だった。昨日は堺市まで入院している方を見舞い、タクシーと電車で出かけたが、自宅から堺市駅まで1時間だった。案外近いのでびっくりした。
 
 楽天主義者の信条(クリスチャン・D・ラーセン)

1.何事にも心の平安をかき乱されないほど強くなることを信じる。
2.出会う人々と、健康、幸福、繁栄について語り合えることを信じる。。
3.すべての友人が、自分は何かよいものをもっていると感じられるように、手助けできることを信じる。
4.すべてのことのよい面を見つめ、すべてのことが働いて益になることを信じる。
5.最善のことだけを考え、最善のことだけのために働き、最善だけを期待し、最善の愛に生きることを信じる。
6.自分の成幸(功)のために努力すると同時に、他の人の成幸(功)のためにも情熱を傾けることを信じる。
7.過去の失敗を教訓に、明日はより大きな達成を成し遂げることを信じる。
8.人には常にやさしく接し、出会うすべての生きるものに、ほほえみかけることを信じる。
9.自分を成長させるために時間を用い、他の人を批判する暇などなくなることを信じる。
10.悩みを持つには大き過ぎ、怒るには高貴過ぎ、恐れるには強固過ぎ、
問題に支配されるには幸福過ぎる人生を信じる。

詩篇
1:1 幸いなことよ。
 悪者のはかりごとに歩まず、
 罪人の道に立たず、
 あざける者の座に着かなかった、その人。
1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、
 昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
1:3 その人は、
 水路のそばに植わった木のようだ。
 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
 その人は、何をしても栄える。

1:4 悪者は、それとは違い、
 まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。
1:5 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、
 罪人は、正しい者のつどいに立てない。
1:6 まことに、【主】は、正しい者の道を知っておられる。
 しかし、悪者の道は滅びうせる。
 

雪が降り続く生駒の朝

2005-12-17 07:36:54 | Weblog
 一昨日夜、雪が降りました。急坂の上にガレージがあるので、昨日は車を下ろすことができず、今日晴れたら明日の礼拝のために、下に置こうと家内と話ていました。
 今朝の目覚めとともに外を見ると、何と大雪で学院全体が真っ白!
 種子島にいたときは雪もふらず、晴れた日には屋久島の雪にすごい憧れを感じ、「雪よりも白く」なりたいと思ったものです。
 幸い高校生のとき、種子島のキリスト教会に出席し、イエス・キリスト様が十字架の上に死なれたとき、人間のすべての罪を贖ってくださったことを知りました。
 聖書もキリスト教的知識もありませんでしたが、私を愛して十字架に死んだということに感動しました。
 母は私を限りなく愛してくれていました。私が9歳のとき、自分の病に勝てず37歳で死にました。
 好きだと言ってくれるガールフレンドもいましたが、私のために死ぬなどということはありません。
 イエス・キリスト様の十字架の愛に感動し、「イエス様。死んじまう。私の心にお入りください」と祈り、その日にクリスチャンになりました。
 雪を見るたびに、49年前のあの日を思い出し、感謝にあふれています。
 また、クリスマスが近づくとき、そのキリストの十字架の愛を、すべての人に知ってもらいたい!
 そして、ひとりでも多くの方が、「アーメン。信じます」とその救いを体験し、天国へ行くことができるよう祈っています。祝福を祈ります。

*アーメンとは、真実。ほんとうです。と言う意味です。

 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。
 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ローマ5:5-8


大寒波襲来!

2005-12-16 08:29:55 | Weblog
 今朝のニュースは、全国に寒波襲来と報じています。大雪による事故、死者11名も・・・。この時期における雪は珍しいとのこと。原因はシベリアからマイナス36度の寒波が襲来するので、北日本は土曜から日曜にかけて大雪だそうです。

 「問題は止まれという合図ではなく、新しいチャンスを切り開く好機!」

 では具体的にどのように解決すればよいのでしょうか。

 第一に、問題をじっくり考えることです。

 子どもが小学生のとき、試験の答えを間違えるので、問題をしっかり読んでいるのかと聞いてみました。
 何と、ほとんど問題をよく読まないで、ざあっと問題を見るとすぐ答え?を書いて、教室を一番に出ているとのこと。
 問題をよく読まないで正解が出せるはずがありません。問題が難しくなればなるほど、しっかりと問題を理解することが大切です。
 いろんな角度から考えることも大切です。
 考える時間は、問題によっては数分間でよいときもあれば、数時間、あるいは数日間かかることもあるでしょう。
 問題の本質は何か?
 主要な原因は? 特徴は?
 いくつかの問題をからみあっているのではないのか?
 なぜ問題と言えるのか?
 問題に関係しているのは誰か?
 どんな事柄が関係しているのか?
 その他、もろもろのこと?

 どんな問題でもその内部には、多くの特徴、人間、機能、物事、状況がからみあっているので、その一つ一つを解決しても真の解決にはなりません。
 確かに応急処置は必要ですが、根本的解決にはなりません。

 第二に、問題解決の目的は何か?
 問題解決の目的をはっきり把握しておくと、首尾一貫した態度で、問題を解決することができます。
 問題を解決することによって、どんな成果を期待しているのか?
 解決するとどうなるのか?
 首尾一貫した行動をとるためにも、目的をしっかり書いておくこともいいと思います。

 第三に、情報収集をすることです。
 問題についての事実を集めたり、他の人の意見なども聞き(聞き過ぎないように心しながらも)、情報が十分集まれば、解決の兆しが見えてきます。
 必然的に、問題解決への自身が湧いてきます。
 問題・解決目標・自信・問題解決へと向うことでしょう。

 第四、幾つもの解決方法を考え、書き出してみることです。
 収集した情報を、できるだけたくさん集め、書き出すことです。多ければ多いほど良い。 
 少々、突飛過ぎると思っても、どんな解決方法も一応は検討してみる価値があります。

 最後に、行動の方針を決めて、実行することです。
 多くの場合、問題だ!問題だと騒いだり、人に不平・不満をぶつけたりする場合が多いことです。
 問題を抱え込まないで、考え込まないで、問題を解決する人になりましょう。
 自分の問題だけでなく、まわりにいる人々の問題解決を手伝う人になれたらいですね。

 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。第一コリント10:13(新改訳)

 あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。(新共同訳)
 

生駒にも雪が・・・

2005-12-15 21:44:22 | Weblog
生駒駅を降りると、雪が降り始めていました。いつもだと3000歩歩いて帰るのですが。傘もなくタクシー乗り場へ。いつもはたくさんあるタクシーが一台もなく、5分ほど待ちました。
 運転手の方に聖書学院へと言うと、タクシー行けますかね?あそこは山で坂が急ですから・・・。ともかく行ける所まで行ってください。何とか帰りました。門から家までは急な上り坂なので、足元が滑りそうで、踏みしめ踏みしめでした。
 雪の多い所は大変だろうなと思いつつです。明日は天気になるでしょう。

詩篇

51:1 神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、
 あなたの豊かなあわれみによって、
 私のそむきの罪をぬぐい去ってください。
51:2 どうか私の咎を、私から全く洗い去り、
 私の罪から、私をきよめてください。
51:3 まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。
 私の罪は、いつも私の目の前にあります。
51:4 私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、
 あなたの御目に悪であることを行いました。
 それゆえ、
 あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、
 さばかれるとき、あなたはきよくあられます。

51:5 ああ、私は咎ある者として生まれ、
 罪ある者として母は私をみごもりました。
51:6 ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。
 それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。
51:7 ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。
 そうすれば、私はきよくなりましょう。
 私を洗ってください。
 そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。
51:8 私に、楽しみと喜びを、聞かせてください。
 そうすれば、あなたがお砕きになった骨が、
 喜ぶことでしょう。
51:9 御顔を私の罪から隠し、
 私の咎をことごとく、ぬぐい去ってください。

51:10 神よ。私にきよい心を造り、
 ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。
51:11 私をあなたの御前から、投げ捨てず、
 あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。
51:12 あなたの救いの喜びを、私に返し、
 喜んで仕える霊が、私をささえますように。
51:13 私は、そむく者たちに、
 あなたの道を教えましょう。
 そうすれば、罪人は、あなたのもとに帰りましょう。

51:14 神よ。私の救いの神よ。
 血の罪から私を救い出してください。
 そうすれば、私の舌は、
 あなたの義を、高らかに歌うでしょう。
51:15 主よ。私のくちびるを開いてください。
 そうすれば、私の口は、
 あなたの誉れを告げるでしょう。
51:16 たとい私がささげても、
 まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。
 全焼のいけにえを、望まれません。
51:17 神へのいけにえは、砕かれた霊。
 砕かれた、悔いた心。
 神よ。あなたは、それをさげすまれません。

どんな事態が起こっても

2005-12-15 07:09:45 | Weblog
 バージニアは夫を不慮の自己で亡くしました。彼女はそれを不運とあきらめないで、有能なタイピストとして事務能力を身につけ、すぐ避暑としての仕事に着きました。
 彼女にとってすべてが順調に進んでいたある日、突然、指先に痛みが走りました。
 皮膚が崩れる重い病気が、タイプするたびに悪化していたのです。
 病院で診断の結果、両手の指を数本切断しなければならないとの診断でした。
 ロバート・シューラー牧師は、信者である彼女をどのように励まそうかと、考えながら手術後の彼女を見舞いました。
 病院のベッドで、真っ白な枕の上の顔はほほえんでいました。包帯を巻いた両手が、毛布の上に痛々しく置かれていました。
 彼女は言いました。
 「私がいつも考えていたことは、もしタイプが打てなくなったらどうしようかと言うことだけでした。
 でも、牧師様。今すごく感謝しているのですよ。礼拝で聞いた説教で励まされました。
 一つのトビラが閉じてしまう度に、きっともっとすばらしいトビラが開かれることを確信しています」
 手術から2ヵ月後、彼女は原価分析ができることから、会社からコスト・アナリストの仕事を与えられ、タイピストだったときより高い給料で働き続けることができたのです。

 問題は止まれと言う合図ではなく、気をつけて進め! 新しいチャンスを切り開く好機なのです。
 問題や思いがけない事態に出会うとき、自分を惨めに思ったり、挫折させてはいけません。それらは解決するためにあり、あなたは乗り越えることができるのです。

コリント人への手紙第二

4:7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。

4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。

4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。
4:11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。
4:12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
4:13 「私は信じた。それゆえに語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。
4:14 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。

4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。

4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。


年齢を弁解壁にするな

2005-12-14 08:12:02 | Weblog
もうこの年ですから・・・。まだこの年ですから・・・。
 問題を解決するのに、ちょうど良い年齢なんてありません。
 今が一番よい時期なのです。
 「あなたにとって一番良いと思った年齢はいつでしたか」と聞かれた高齢の女性は、「今です。今が私にとって一番良い年齢です」と、ニッコリほほえんで答えました。
 まったくその通りです。今が一番よい年齢なのです。

 第一に、現在の年齢を積極的に見ることです。前方に新しい未来を常に見つめていれば、熱意と情熱は自ずから湧いてくるものです。
 クリスチャンは、天国にまで続く永遠の命をもっているので、さらに年齢に関係なく希望に輝く人生を生きることができます。

 第二に、何歳であれいつも人生における最良の時と機会が残されているのです。たとえ病床であれ、末期がんを宣言されていても・・・。

 第三に、私の最良の時はこれからなのだと、前向きに考えることです。
そしてあなたがほんとうにしたいことに備えることです。
 具体的な目標を立てるとともに、最終的にどこへ行くのか。死んで終わり、地獄へ行くのか天国へ行くのかを、はっきり知っていることにより、生きることは力となり喜びとなります。

イザヤ書
40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。
  【主】は永遠の神、地の果てまで創造された方。
  疲れることなく、たゆむことなく、
  その英知は測り知れない。
40:29 疲れた者には力を与え、
  精力のない者には活気をつける。
40:30 若者も疲れ、たゆみ、
  若い男もつまずき倒れる。
40:31 しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、
  鷲のように翼をかって上ることができる。
  走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

ヨシュア記
14:6 ときに、ユダ族がギルガルでヨシュアのところに近づいて来た。そして、ケナズ人エフネの子カレブが、ヨシュアに言った。「【主】がカデシュ・バルネアで、私とあなたについて、神の人モーセに話されたことを、あなたはご存じのはずです。
14:7 【主】のしもべモーセがこの地を偵察するために、私をカデシュ・バルネアから遣わしたとき、私は四十歳でした。そのとき、私は自分の心の中にあるとおりを彼に報告しました。
14:8 私といっしょに上って行った私の身内の者たちは、民の心をくじいたのですが、私は私の神、【主】に従い通しました。
14:9 そこでその日、モーセは誓って、『あなたの足が踏み行く地は、必ず永久に、あなたとあなたの子孫の相続地となる。あなたが、私の神、【主】に従い通したからである』と言いました。
14:10 今、ご覧のとおり、【主】がこのことばをモーセに告げられた時からこのかた、イスラエルが荒野を歩いた四十五年間、【主】は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。
14:11 しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。
14:12 どうか今、【主】があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。あの日、あなたが聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があったのです。【主】が私とともにいてくだされば、【主】が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう。」
  14:13 それでヨシュアは、エフネの子カレブを祝福し、彼にヘブロンを相続地として与えた。