牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

どんな事態が起こっても

2005-12-15 07:09:45 | Weblog
 バージニアは夫を不慮の自己で亡くしました。彼女はそれを不運とあきらめないで、有能なタイピストとして事務能力を身につけ、すぐ避暑としての仕事に着きました。
 彼女にとってすべてが順調に進んでいたある日、突然、指先に痛みが走りました。
 皮膚が崩れる重い病気が、タイプするたびに悪化していたのです。
 病院で診断の結果、両手の指を数本切断しなければならないとの診断でした。
 ロバート・シューラー牧師は、信者である彼女をどのように励まそうかと、考えながら手術後の彼女を見舞いました。
 病院のベッドで、真っ白な枕の上の顔はほほえんでいました。包帯を巻いた両手が、毛布の上に痛々しく置かれていました。
 彼女は言いました。
 「私がいつも考えていたことは、もしタイプが打てなくなったらどうしようかと言うことだけでした。
 でも、牧師様。今すごく感謝しているのですよ。礼拝で聞いた説教で励まされました。
 一つのトビラが閉じてしまう度に、きっともっとすばらしいトビラが開かれることを確信しています」
 手術から2ヵ月後、彼女は原価分析ができることから、会社からコスト・アナリストの仕事を与えられ、タイピストだったときより高い給料で働き続けることができたのです。

 問題は止まれと言う合図ではなく、気をつけて進め! 新しいチャンスを切り開く好機なのです。
 問題や思いがけない事態に出会うとき、自分を惨めに思ったり、挫折させてはいけません。それらは解決するためにあり、あなたは乗り越えることができるのです。

コリント人への手紙第二

4:7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。

4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。

4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。
4:11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。
4:12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
4:13 「私は信じた。それゆえに語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。
4:14 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。

4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。

4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。


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