牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

クリスマスの平和を!

2005-12-25 08:32:27 | Weblog
クリスマス!おめでとうございます。
 イエス様が生まれた2005年前は、暗いくらい時代でした。ユダヤはローマ帝国の支配にあり、貧富の差は激しく、その時代を描いた文書などを読むと、現代の日本のことを書いているのではと、思わせられるほどです。

 社会の甘さ、不道徳、社会保障制度、没収に近い税金、中産階級の容赦のない崩壊、昔ながらの人間の美徳や節操や倫理に対する音実斜めに構えた姿勢、物質的な富の追求、宗教への無関心、票のために民衆に迎合する打算的な政治家、金融制度の衰え、賄賂、犯罪行為、混乱と恐怖をもたらす犯罪者の釈放、緊急事態の名の下に誘導されようとしている(平和憲)法改正、男性的な逞しさの喪失と人々の女性化、官公庁の公金の使い込み、借金、サラ金地獄、何でもありの風潮、不正や搾取の容認、毎週のようにろくでもない番組を垂れ流す文化的と自称する番組、善良で立派な人を軽蔑する人々の偏見。そして何よりも偶像を神として自分の都合の良いように、飾り立てる偶像神の数々。

 ユダヤ人は救世主・メシヤを待望し、ギリシャ人もローマ人も、心底では救い主を待ち望んでいました。
 その時代に救い主は、一人の処女マリヤを通してこの世界に来られたのです。これは主のなさったことだ!私たちの目には不思議なことである。詩篇118:23
 「おめでとう。恵まれた方。主があなたとともにおられます。こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたを覆います。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。・・・神にとって不可能なことは一つもありません。」
 御使いガブリエルのことばに、「ほんとうに私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように!」と、マリヤは答えました。
 クリスマスの出来事を読み聞くたびに、「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう!」と言うエリサベツのことばに、心からアーメンです。そして、今もそのようになれかしと信じます。
 神のことばは生きていて力がありますから、聖書の約束にアーメンと応答するとき、必ずみことばは実現し、神の栄光が輝きます。ハレルヤ!
第一に、わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
クリスマスの喜びは、神様を賛美しほめたたえる幸いです。一昨日、大雪の中を傘をさして散歩中、階段で10段ほど滑ってしましました。背中をダッダッとこすったので、寝るとき仰向けにできないほどでした。昨夜もうーんとうなりながら感謝します!と、それでも熟睡。朝4時ごろ、ヤベツの祈りの告白でスッキリと起き出しました。
同時に、「わが魂は主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます」との賛歌を口ずさんでいました。ハレルヤ!
マリヤの賛歌は大部分が旧約聖書の引用からです。マリヤは喜びと感謝を、みことばに託すことのできる人でした。マリヤ賛歌=マグニフィカートは、最も人間的に言えば悲劇的な出来事の中で歌われました。
身ごもることは女性にとって最高の喜びと言われます。しかし、マリヤの場合は特別でした。処女で身ごもる!現代的な未婚の母ではありません。特別に性的に厳しいユダヤ社会でした。婚約者のヨセフがマリヤを迎えなければ、石で撃ち殺される運命だったのです。
しかし、マリヤは処女妊娠と言う恐ろしい運命を、おことばどおりになるようにと、真正面から受け止めたのです。それを悲しい、仕方のない出来事としてではなく、最高の幸福として受け止めたのです。
救い主出産という仕方で、主の救いの業に仕えることは、何という幸いなことでしょうか。
あなたはクリスマスの今日、自分の運命をどのように受け止めていますか?
あなたもまたマリヤのように、いやマリヤ以上に救い主の業に連なる光栄に預かることができるのです。

 「主はこのいやしいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私を幸せ者と思うでしょう!」
 2005年後の今日もマリヤは世界中の人々から尊敬を受けています。アベ・マリヤの賛歌がささげられています。
 自分弱さや足りなさ、健康や学歴不足や、経済的な乏しさを嘆くのではなく、主が目を留めてくださった幸いを、心から喜びたいものです。
 「天の虫けら」がクリスマスに再版され、もう一度主の大きな救いにあずかり、主のご計画がわざわいを与えるものではなく、平安と希望と将来を与えてくださる大きな愛であったことを、深く味わっています。
 刺繍は裏から見ると糸くずの山です。表から見ると美しい風景が織り出されています。人生を恨みに思い,嘆き悲しみながら生きている人は、刺繍の裏ばかり見ているのと同じです。神の愛を信頼し、力ある方が私に大きなことをしてくださいました!と、神様の愛をしっかり受け止めてください。
 イエス様がこの世界に来られたのは、神の約束を確証し、神が愛の父であることを明らかにするためでした。
 また、大祭司として人類の身代わりとなり、ご自身を十字架の上にささげて、すべての罪や病、のろいや貧乏、死と滅びを取り除き、悪魔の業を滅ぼしてくださいました。
 十字架の上で死なれ墓に葬られましたが、3日目に死を打ち破り復活されました。そして、今も生きておられる救い主です。クリスマスは、イエス様の誕生を祝うときです。それは、イエス・キリストが昨日も、きょうも、いつまでも同じだからです。
 信じるならもはや何者も恐れることのない人生を生きることができるのです。
 なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。第一ヨハネ5:4-5

力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。その御名は聖く、そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。

 イエス様がこの世界に来られた!
それは人生が逆転するときなのです。新しい人生を体験できます。だれでもイエス様を信じるなら、新しい人生を歩むことができます。
私の兄は30歳近くまで、飲むウツ買うの三道楽どころか、十道楽以上の人生を大阪で生きていました。グデングデンに酔っ払ったまま、キリスト教会に入りました。しかし、その夜イエス・キリストを信じてすくわれました。
酔っ払ったまま「イエス様。信じます。私の心のお入りください。アーメン」
と祈りました。千鳥足で教会を出たのですか、180度の生まれ変わりを体験しました。今では、自分が救われ人生を変えられた教会で牧師として働いています。

 その逆転劇は個人の人生を変えるだけでなく、社会全体に影響を及ぼして行くのです。デボールーション!偉大な変革が日本に今必要としています。

主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、権力ある者を王位から引き降ろされます。
傲慢が日本社会に横行しています。自分さえよければという高慢。政治家も経済人も、教育界もマスコミの世界にも、宗教界にも余りにも心の高ぶっている者が多すぎる日本社会です。
神の前に悔い改め、へりくだって仕える社会になりたいものです。平和憲法が改正されようとしています。今こそ、日本は国際社会に平和憲法で仕えるチャンスなのに・・・。
いと高き所には栄光が神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々に平和があるように! クリスマスの祈りです。
 
低い者を高く引き上げ、飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。
主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになりました。

これはわれらの神の深いあわれみによる。
そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、
暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。
 
クリスマスに平和と愛が、世界中にあふれますように!アーメン。