牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

ストレスから平安へ

2005-12-21 08:11:40 | Weblog

 毎日、毎日いろんな事件が報じられます。情報が多いのはありがたいですが、殺人、火事、不正な出来事ばかりのニュースが、新聞やテレビの画面で踊っています。
 
 人間はなぜイライラや不機嫌、不平や不満に顔をしかめたり、病気になったり、死んだりするのでしょうか。
 原因はいろいろ考えられます。
 ハンス・セリエ博士は、次のように説明しました。
 「自動車は古くなったからと言って、急に動かなくなることはありません。
 部品のどれかが使い物にならなくなるから、動かなくなるのです。
 人間とても同じです。
 精神的にあるいは肉体的に、ストレスを絶えず受け続けると、身体のどこか大事な所がダメになって、いろいろと病気になり、果ては死んでしますと言うわけです」

 ストレスという語は、もともと物理学用語で、一つの系に加えられた緊張、圧力、張力という意味です。
 歪みを起こさせる反応、アクションです。語源はラテン語の引き締める、困らすなどからきています。

 一番高いストレスは、憎しみ、欲求不満、不安です。
 なぜストレスが起こるのか。多忙で競争的で不安な時代が、大きな緊張を強い、ストレスを増大しているといえます。

 しかし、ストレスを引き起こす直接的原因は、もっと身近なところにあります。
 たとえば生活環境の変化です。見知らぬ土地に引っ越すと、だれでも多少ともストレスを経験します。
 職場が変わる、学校が変わるときも、同じことが起こるのです。

 現実に日本社会は、ストレスに翻弄されています。そんな時代にクリスマスを今年も迎えます。
 イエス・キリストは、ストレスに対してどのようなことばを語ったのでしょうか。

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい」ヨハネ14:1

 「 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません」
                        ヨハネ14:27

 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。マタイ6:25-32

 ストレスから解放されて、平安な心で今日も過ごせるよう、祝福を祈ります。

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