毎日、毎日いろんな事件が報じられます。情報が多いのはありがたいですが、殺人、火事、不正な出来事ばかりのニュースが、新聞やテレビの画面で踊っています。
人間はなぜイライラや不機嫌、不平や不満に顔をしかめたり、病気になったり、死んだりするのでしょうか。
原因はいろいろ考えられます。
ハンス・セリエ博士は、次のように説明しました。
「自動車は古くなったからと言って、急に動かなくなることはありません。
部品のどれかが使い物にならなくなるから、動かなくなるのです。
人間とても同じです。
精神的にあるいは肉体的に、ストレスを絶えず受け続けると、身体のどこか大事な所がダメになって、いろいろと病気になり、果ては死んでしますと言うわけです」
ストレスという語は、もともと物理学用語で、一つの系に加えられた緊張、圧力、張力という意味です。
歪みを起こさせる反応、アクションです。語源はラテン語の引き締める、困らすなどからきています。
一番高いストレスは、憎しみ、欲求不満、不安です。
なぜストレスが起こるのか。多忙で競争的で不安な時代が、大きな緊張を強い、ストレスを増大しているといえます。
しかし、ストレスを引き起こす直接的原因は、もっと身近なところにあります。
たとえば生活環境の変化です。見知らぬ土地に引っ越すと、だれでも多少ともストレスを経験します。
職場が変わる、学校が変わるときも、同じことが起こるのです。
現実に日本社会は、ストレスに翻弄されています。そんな時代にクリスマスを今年も迎えます。
イエス・キリストは、ストレスに対してどのようなことばを語ったのでしょうか。
「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい」ヨハネ14:1
「 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません」
ヨハネ14:27
だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。マタイ6:25-32
ストレスから解放されて、平安な心で今日も過ごせるよう、祝福を祈ります。
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