牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

どこへ行くのか?

2005-12-02 08:29:55 | Weblog
 目標があると、楽しい喜びの人生を歩むことができます。
 ギリシャの哲学者アリストテレスは、「すべての人間は目標を求め続ける。成功か、または幸福を!」と言ったそうです。
 目標を持つとき、生きがいがあります。
 目標がないのはつらく寂しく、あてどのない旅をするようなものです。

 私は旧ソビエトをシベリア経由で、ひとり旅をしたことがあります。
 ノボシビリスクというシベリア最大の都市に、4日間滞在したことがあります。
 3日目にはもうすることもなく、ホテルを出て足に向くまま散歩をしていました。
 ノボシビリスクは、全長5,200キロの大河に面した百万都市です。乗船場まで行くと、今まさに乗合船が出航しようとしていました。
 何の考えもなく、乗船券を求めて飛び乗りました。
 ロシア語は読めない、話せないし聞き取りもできない。ダー(はい)とか
ニエット(いいえ)、スパシーボ(ありがとう)以外は何も分からない。
 船の行き先も分からず、どれだけ乗るのか、いつ帰るのかもわからない。
 ゆっくりと大河を下る船の上に4時間も、ボケーッと乗っていました。
 確かにスリルはありましたが、本音ものすごく心細く、心配でした。
 今、世界地図でオビ川を見るたびに、あの日のことを思い出し、目的も目当てもない行き当りばったりではいけないと自戒しています。

 目標がなければ人生は、ただうろつき回り、オビ川の上を漂うようなものです。
 自分がどこへ行くのかもわからないで、よろめき歩きどこへも行き着く所もない。いや地獄へ言ってしまう人生となってしまうのです。
 
 目標は命に空気が必要なように、成幸(成功という字をこう書くことにしました)した人はありません。
 「待ちぼうけ」という童謡があります。
  一度くらいはウサギがひっくり返ることがあるかもしれません。しかし、確立から言えばムリです。
 結局は荒れ放題の畑になってしまい、収穫も何もないままになってしまうのです。
 あなたがしようとすることなく、行こうと思うところに的をしっかり絞ることです。
 大切なことは、あなたがどこにいたとか、どこにいるとかではなく、どこへ行こうとしているかが大切なのです。

 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
 
 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。
 
 ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。ピリピ3:12-15