北の旅人

旅行や、ちょっといい話などを。そして、時には言いたいことを、ひとこと。

「1956」-14歳の心象風景⑧

2009-07-12 10:48:50 | Weblog

<作文>

         思い出          

   (H・T)

私は中学2年になってから色々な事がありました。 4月1日朝、学校へ行くと皆なうれしそうな顔です。私はうれしいような、いやなような気持ちがした。それは勉強がむずかしくなるからです。

そう思いつつ6月になりました。毎日毎日運動会の練習があり、6月20日朝6時の花火とともに運動会はすることになりました。あの時は朝起きてみると小雨がふっていたが、花火がなったので心配しながら学校へ行きました。

学校へ行くと先生がたが皆なてんてこ舞でした。お昼になると日本晴れのような良い天気になりました。運動会が終わり、又勉強が始まりました。7月22日はM町地区の運動会があリ、まもなく夏休みになりました。夏休みには家の手伝い、又勉強と毎日毎日やっていました。

 9月27日に、先生が29日に遠足だといわれました。「中学2年生はどこへ行く」と先生にきかれ、皆で相談しKへ行くことにきめました。29日は朝から良い天気でした。8時に学校を出発し神社のKさんの裏をKへ歩いて行きました。宿についてから風呂に入り、I山を見てから5時の列車にて帰って来ました。

それからしばらくたち、11月14日に学芸会がありました。14日は曇後小雨の天気でした。それから色々と試験があり、やがて12月25日ジングルベルの歌とともに第二学期が終わりました。そして31日除夜の鐘とともに1年も早過ぎ去りました。

1月1日に学校へ行き式を行ってから、家へ帰ってから皆で遊びました。そして、もう早三学期も始まります。中学三年生も目の前に見えるようです。今年こそは、しっかり勉強しようと思っています。   

                ☆        ☆

私たちの住んでいた町は、3,000人ほどの小さな町だった。それだけに地域の連帯感は強く、地域としての運動会は一大イベントだった。とくに子どもから大人までの混成で組む地区対抗のリレーは最大の呼び物で、応援団の熱の入れようは大変なものだった。リレーのメンバーに選ばれた選手は、ちょっとしたヒーロー扱いで、私も何回か選ばれたが緊張したのを覚えている。

こんな地域の雰囲気だったので、大人から子どもまで、顔見知りが多く、よく声をかけられたりしたものだ。振り返ってみると、「温かさがあったな~」と、つくづく思う。先日、51年ぶりの中学時代のクラス会で、久しぶりにふるさとに帰ったが、学校のグラウンドに立ったとき、そんなことを懐かしく思い出した。