北の旅人

旅行や、ちょっといい話などを。そして、時には言いたいことを、ひとこと。

「1956」-14歳の心象風景⑦

2009-07-11 10:48:46 | Weblog

<作文>

           朝の光

                  (M・M)

M ! 母の呼ぶ声に目をさますと、すぐとびおきた。戸のすみから朝日がさしこんでいた。 きのうから降っていた雪が晴れ、野も山も銀世界のように輝いていた。僕はポケットに手を入れて立っていると風は顔をたたいて遠ざかった。朝、風は大変寒かった。

母のよぶ声に家へ入った。モヤモヤと立ちのぼるごはんの湯気、その向こうでせっせと母が茶わんにごはんを盛っていた。「いただきます」というが早いか僕はあたたかなごはんをほうばらせた。後から父もごはんを食べた。

家の前も雪の山になっていた。6時57分の汽車のきてきが聞こえてきた。鼻にしみるような寒さ、スコップに雪を入れ気合いを会わせて打ちこむ。手ぶくろには白い雪がついた。自然に流れでるあせがハンケチいっぱいにしみた。

 雪はねをおえて家の中へ入った。ストーブが赤々と燃えていた。手ぶくろをほして、やっとおちついた。窓からもれでる太陽の光が家一面を照らしていた。

              ☆         ☆

子供の頃の記憶では、冬は最高マイナス35℃位になった。そんな時は、風呂上がりのタオルを暖房がない部屋に掛けておくと、あっという間にパリパリになった。

笑い話だが、「おはよう」と言ったら、そのまま言葉が凍ってしまうと言うぐらいに寒かった。考えてみれば、建物の構造や暖房設備が今のように充実していなかったので、当然のことだ。

 雪は、多い時には2m近く積もった。そんな時は、2階建ての家の窓から出入りした経験がある。汽車やバスなどがストップすることが結構あった。スキーで登校し、校舎の周辺を除雪してから授業を開始するということもあった。

しかし、そんな邪魔者扱いされてきた雪も、今や「さっぽろ雪まつり」のように冬のイベントとしては世界最大と言われるまでに成長した祭りの主役だ。

冬の漁を拒むオホーツク海の流氷も、近年は大きな観光資源として存在感を示している。

物の見方を変え、活用の仕方を工夫すれば欠点が利点に変わることを教えてくれている。