北の旅人

旅行や、ちょっといい話などを。そして、時には言いたいことを、ひとこと。

大露天風呂とインドカリーが魅力の「豊平峡温泉」

2007-09-29 17:10:03 | Weblog

先日、札幌の中心部から車で50分ほどのところにある「豊平峡温泉」に行ってきた。定山渓温泉の少し手前にある。ここの売り物の一つが大自然に囲まれた3つの大露天風呂。

なにしろ、源泉100%かけ流し湯だ。 日本には15,000軒の温泉施設があると言われるが、本物の温泉(薄めず、沸かさず、循環させずの天然温泉)は、10%ほどしかないというから、貴重な存在だ。入った瞬間は「ぬるい」と感じるが、上がった後は、いつまでもポカポカする。広々として、水車があり、夜はライトアップされているし風情は満点だ。もちろん、内風呂もある

もう一つのお勧めは、インド人シェフがつくる本格的な「北インド料理」。なかでも、最高のナンと一緒に食べるインドカリーは美味い!以前、デリーで本場のカリーを食べたが、はるかにグッドだ。また、農林水産大臣賞を受賞したという「十割そば」や「ジンギスカン」など、豊富なメニューを取り揃えている。

これからの季節は、近くにある豊平峡ダムの紅葉を楽しめるし、冬は30分ほどのところに国際スキー場、中山スキー場などがあるから、帰りに一風呂浴びるのもいい。ぜひ一度、訪れてみてはいかが。



おかしいぞ、死刑廃止論

2007-09-27 16:48:49 | Weblog
鳩山邦夫法務大臣が死刑執行のあり方について、「死刑執行を法務大臣のサインなしに、自動的にできるように、検討してみたい」と発言したことについて、色々な意見が出ている。執行順の決定方法について、「死刑確定順か、乱数表か」という表現をしたのは、どうかと思うが、死刑執行は粛々と進めればよいと思う。どの法務大臣が何人の執行にサインしたかとマスコミは書くが、改めて取り上げることでもない。

この鳩山法務大臣の発言に対して、死刑廃止論者である亀井静香代議士(死刑廃止議員連盟会長)が、「人の命を軽んじるようなことはいけない」とコメントしていたが全くおかしい。亀井氏は、もともと「人間の命や自然環境というものを大事にする社会でないと、それは健全な社会ではない」と語っているが、死刑を宣告された人間は、まさしく、尊い人間の命を奪った人間なのだ。この根本を忘れてはならないのだ。死刑は当然のことだ。

死刑廃止論者は、その理由を色々と言っているが、どんなことを言っても、死刑廃止の理由にはなりえない。廃止論者の主張は、おおよそ次のようなものである。

○ 犯罪者にも人権がある。

○ 死刑は残虐な刑である。

○ 死刑は国家による殺人である。

○ 死刑は懲役と比較して有効な手段でない。

○ 人の命を永久に奪い去る冷厳な死刑と無期懲役とでは、あまりに
 も差が大きすぎる。

○ 死刑は人命を軽んじる風潮と人心の荒廃を招く。

○ 人が人を殺してはならないのは、道徳の基本である。

○ 凶悪犯といえども、その命を奪うことがあってはならない。

○ 国家は国民の生命を奪う権利を持たない。

○ 死刑による明確な抑止効果が科学的に証明されていない。

○ フランスでは死刑廃止によって統計的に凶悪犯罪が減少してい
 る。
○ 免罪の場合、取り返しがつかない。

こうした主張を聞いていると、そのほとんどは被害者側の立場ではなく、加害者側の立場からの発想である。免罪ということは、もちろん十分に考慮しなければならないが、それ以外の主張は、常識では到底理解できない。ばかばかしい主張以外の何ものでもない。

理由もなく殺された人間はどうなるのか。その遺族の悲しみ、苦しみは、一生続くのだ。人の命を奪った者は、その時点で自らが人権を放棄しているのであって、死刑に罰せられるのは当然のことだ。光市の母子殺害事件の22人という大弁護団は、死刑廃止論者だと聞くが、あれだけの凶悪犯である。死刑は当然である。

国会議員としての品位を欠く田中真紀子氏

2007-09-26 15:38:52 | Weblog

最近、おとなしいと思っていたら、久しぶりにテレビに出てきた。相変わらず「あれが国会議員か」と疑いたくなる、下品極まりない田中真紀子氏。福田新総理を評して「今の瞬間が福田さんにとってはピーク。あとは転げ落ちていく。非常にプライドとコンプレックスがない交ぜになって出てくる方、発想が官僚的で冷たい人」と、こき下ろした。表現の自由が保障されている日本だから、批評・批判は構わないが、国会議員としての品位、女性としての品格は全くない。

安倍前総理の弁明記者会見についても田中氏は「バカげている。国会議員という職を速やかに辞するべきだ。それが日本のため。首相が決まったら、ヒョロヒョロ出てきて、どこまで見識がないというか、政治というものを心得ていない」と批判した。一面で、当たっている部分もあるが、貴方に、そんなことを言える資格があるだろうか。

200010月、北朝鮮による拉致被害者家族会が、北朝鮮へのコメ支援に反対して自民党本部前に座り込んだ時、田中氏は「50万トンじゃダメなのよ。100万トンでもあげればいい、外交にはタイミングが大事だ」と発言、家族会を怒らせた。

また、200310月、拉致被害者の家族が日本に帰ってきた時、田中氏は「拉致家族の子どもは北朝鮮で生まれたから、本来なら北朝鮮に返すべきじゃないですか?その辺のところを、蓮池何とかさん(お兄さんのこと)は、よく考えてください」と、のたまった。この、北朝鮮の拉致問題一つをとっても、田中氏に国会議員としての見識はあるのか、政治というものを心得ているのか、この言葉をそっくりお返ししたい。

 マスコミにも一言いいたい。「真紀子節がさく裂!」「真紀子氏毒舌」などと、面白がって取り上げるのは止めるべきだ。政策や未来を語るのならまだしも、ただただ政治家個人を口汚く批判するような政治家を登場さるのは、マスコミとしての品位が疑われる。政治家や政界を批判するのはマスコミの役割だというのは分かるが、マスコミの影響力を考えれば、「マスコミの構造改革」も必要な時期にきている。


いいですよ、さっぽろ羊が丘展望台

2007-09-25 11:46:22 | Weblog

クラーク博士の銅像で知られる「さっぽろ羊が丘展望台」に行ってきた。知人に誘われ「ダッタン新そば祭り」をのぞいてきた。「北海道ダッタンそばの会」が主催し、今年で5回目。新そばの試食、販売、手打ち体験コーナーなどがあり大変賑わっていた。

チベット自治区、内モンゴル地区、ネパールなど2000㍍以上の山岳地帯で栽培され、少数民族の「いぞく」が主食としている。ここでは、生活習慣病の発生率が低く、健康長寿な民族だと言われている。 中国では、昔から漢方薬として胃腸を丈夫にし、気力を増すとして用いられていた。今も北京の薬局などで糖尿病の漢方薬として売っている。

日本でも、TVで血液がサラサラになると紹介されたりしている。そばばかりではなく、クレープ、パン、ビール、焼酎、お菓子類もあるから、食べてみる価値がありそうだ。今は、北海道や東北で栽培されるようになってきたが、これからはもっともっと栽培されていくのではないか。


クラーク博士の像

ところで、クラーク博士像は生誕150年を記念して1976年に建立されたものだ。ウイリアム・スミス・クラーク博士は、明治9年に札幌農学校(現北海道大学)に教頭として迎えられ、わずか8か月だったが、開拓精神の礎を築いた功積は大きい。北海道開拓使が残した大きな遺産は札幌農学校だったと言われる。

クラーク博士は英語、植物学を教えたほか、学校運営全般にも関わった。札幌農学校には、多くの校則があったが、「校則は一つでよい」と言い、「Be gentleman!」(紳士たれ!)と、教えたという。技術や知識を習得する前に、「一人の人間として育つ」ということを強調し、「自由、独立、人間尊重」を教育方針とした。

 最初の卒業生は佐藤昌介(後の初代北大総長)ら16人。二期生には、内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾、町村金弥などがおり、クラーク博士が蒔いた種は、130年以上経った今、日本全国いたるところで花を咲かせている。のみならず、北大は教育・研究の分野において、アジアの拠点、世界の拠点を目指してウイングを大きく広げている。

現代の社会風潮を見るにつけ、われわれは、クラーク博士の「開拓者精神」「大志」「紳士」といった教えを、今一度思い起こしてみる必要がある。青年だけに限らず、特に、政治家、経済人などリーダーたる人間には、強くその言葉をかみしめてもらいたい。


「恋の町札幌」の歌碑

なお、羊が丘展望台には、このほかに、「北海道日本ハムファイターズ誕生記念碑」(選手・監督・コーチのサインと手形)があ.るし、石原裕次郎が歌った「恋の街札幌」の歌謡碑もある。緑あふれる丘からは、札幌ドームをはじめ道都・札幌の町が一望できる。


驚いた!安倍総理の辞任表明

2007-09-12 17:30:41 | Weblog

驚いた!安倍総理の突然の辞任。しかも、辞め方が、あまりにも異常だ。
今まで、何回か安倍総理のことについて書いてきたが、辞任会見を見ていても、的確な判断力を完全に失っていることが歴然としていた。

8/11に、「安倍総理のリーダーシップに疑問」というブログを書いたが、やはりワンテンポ決断が遅かったのだ。参院選に大敗したときに、素直に引責辞任すべきだった。駄々っ子のように続投宣言し、テロ特措法に「職を賭して」と決意を見せていたのは何だったのか。国内における政治空白のみならず、日本の国際的な信用低下は測り知れない。

この上は、自民党が日本のリーダーを選ぶ条件をしっかりと見極めなければならない。若くて国民的人気があれば良いというものではないということを、よくよく反省してもらいたい。どの世界でも、トップは孤独であり、それに耐えていかなければならないし、難局にあっても冷静な判断力がなければならない。

安倍総理の応援団を自称する自民党議員が、「安倍さんは優しすぎたかもしれない」と発言していたが、一国のリーダーたるものは、国家・国民のためには「非情でなければならない時」もあるのだ。ただ単に、「いい人」だけで選んでもらっては、困るのだ。数々の大臣の失言・不祥事に対する安倍総理の対応の不味さは、そうしたことにも大きく起因しているといっても過言ではない。

一方、民主党と言えば、まだまだ政権を任せられるほどの力はない。テロ特措法に関しても、頑なに反対しているが、今の国際社会の中で、日本が生きていくためには応分の国際協力をしていかざるを得ないのだ。最早、「一国平和主義」では通用しないのだ。民主党も、そのことを大前提に考えなければ、政権交代を叫ぶ資格はない。

まさに、今は「疾風怒涛の時代」だ。
自民党も民主党も、真に国家・国民のための政治を忘れないでほしい。