北の旅人

旅行や、ちょっといい話などを。そして、時には言いたいことを、ひとこと。

飛鳥Ⅱ・神戸ルミナリエ

2009-12-27 15:06:52 | Weblog

一度は乗ってみたいと思っていた飛鳥Ⅱのクルーズに参加してきた。横浜-神戸のワンナイトクルーズ(横浜16:00発 神戸着翌日15:00)だったが、夜半に台風並みの低気圧に遭い、風速2030mでかなりの揺れ。私は大丈夫だったが、妻はダウン寸前。「船は、これを最後にしたい」と、すっかり弱気に。

神戸では、ルミナリエを見学。これは素晴らしい! 言うまでもないが、阪神・淡路大震災の鎮魂と追悼、そして街の復興を祈って1995年から開かれているもの。1週間で約400万人が訪れる。土・日は大混雑で2時間位並ぶこともあるとか。われわれは、ウィークデーだったのでスムーズに見ることができた。

          500,142トン 全長241m 全幅 29.6m 乗客数800名
          乗組員数約470名 客室数436室

            横浜を出港して間もなく、きれいな夕陽が

                 風が強くて、人影なし

           クリスマスバージョンで、楽しいイベントがいっぱい



神戸のルミナリエは、言うまでもなく、阪神・淡路大震災の鎮魂と追悼、
   街の復興を願って1995年から開かれている。2週間で約400万人が訪れる



今年のテーマは、「光の抱擁」。街中に、長さ130m、高さ20m、幅22mの
  光の芸術は見事。この作品は、イタリア人のヴァレリオ・フェスティと、神戸
在住の今岡寛和氏の共同作品



京都の知恩院にも立ち寄る。
          この近くの祇園での京懐石は、さすがに美味かった。
とくに、野菜のお寿司はグッド!

 



清水寺近くの三年坂を散策

 


1956-「14歳の心象風景」<35>

2009-12-05 14:23:23 | Weblog

<作文>
          
スキー大会 
                       (M・H)

いよいよと、スキー大会も近づいてきた。明日は出来ないが残念だ。今年のスキー大会は、今までよりも、ずっと広くなり、すべる所も大分出来る。僕は冬のスポーツで何よりもすきなのがスキーである。

僕は学校へ入学する前からスキーをやっていた。今では大分うまいと、自分でもつくづく思う。2月21日のスキー大会は全部出場する。だいたい、僕の予想では、学校、学年別として、まず長距離は1位をとれると思う。回転は2位だろうと思う。飛躍は3位あたりだろうと思う。直滑降は、これも3位あたりだろうと思う。

だいたい予想はしてみたが、気候のぐあいによって、そのスキー、そのスキーの滑り方が大分ちがう。又、「スキーろう」のぬりかたによってもちがう。昨年は、全部3位しかとれなかったが、今年こそはがんばって良いせいせきをとりたいと思う。

スキー大会に出場するのも、あと2回、そう思うと非常にかなしくなる。この2回を、あっといわせたいほどの記録をだしたいと思う。当日は一生懸命がんばりたいと思う。


1956-「14歳の心象風景」<34>

2009-12-04 16:59:08 | Weblog

<作文>
             冬の音
                      (M・M)

「また今日は零下何度と、今日は今年になっての最低の温度でした」などというラジオや新聞で聞いたり見たりして、本かく的な冬がやってきたことが感じられます。

街の洋品店には冬物のオーバー、ジャンパー、手袋、セーター、足袋、首巻など冬に関係のふかい物が、今日この頃が見られます。雪のスポーツであるスキー、スケート熱は全国でも大変なもので、その事を耳にすると、一段と冬だなあと感じられます。

また、今年は冬山に登山をするのが流行している反面、遭難する人も何だか急に多くなってきて、僕にはわざと遭難しに行っているようにさえ思われます。遭難した人の親は本当に何ぼ泣いても泣ききれないでしょう。

せっかく苦労して今まで育ててきて、やっと役に立つようになってから、ぽっかりと死なれては今までの苦労が水のあわになるばかりでなく、それがもとで親の方まで悲しみのあまり病気になったり、その他、色々の障害を与えるような結果を引きおこすようになります。こういう事は、冬でなければ見られないようなことです。

冬は寒く、とかく家に引っ込みがちですが、雪に親しみ、雪を利用して北海道の長い冬に楽しみながら愉快に過ごしたいものです。ところが、今は暦の上では、立春。もうすでに春になっているのですが、ここではまだ春は遠いようです。

ピン、ピンとはねあがる水樽、月夜の雪、きしむ下駄の音など、冬のきびしい寒さをあらわしているようです。又、窓ぎわにさがるツララなどは、何ともいわれない冬の感じです。

            ☆         ☆

 50年以上前に、「親雪、利雪」の必要性に着目していることに驚く。確かに、「さっぽろ雪まつり」が始まったのが1960年(昭和25年)だから、そんな空気が出始めていたのだと思う。

第一回の「さっぽろ雪まつり」は、札幌市・札幌観光協会が主催し、地元の中高生が6基の雪像を作った。会期は1日たけだった。それが、今では、約290基の雪像がつくられ、7日間で200万人以上が訪れるまでになった。冬のイベントとしては世界的なもので、外国からも4万人以上がやってくるという。

私たちも、中学一年生のとき、校庭に大仏さんの結構大きい雪像をつくった記憶がある。今や、北海道では、多くの市町村で、雪像、氷像が冬まつりの目玉として観光客などにも喜ばれている。


1956-「14歳の心象風景」<33>

2009-12-03 09:31:29 | Weblog

<作文>
           
  スキー
                     (Y・M)

ぼくは、昨日、かぼうせん(火防線)にスキーを乗りに行った。ぼくが、かぼうせんの近くへ行くと、バ、バ、バ、と音がしているので、早く行ってみると、根っこを切っている音がした。

ぼくは、それを見てから滑降のコースを、ちょうじょう近くからすべってきた。そして、中腹頃から、すべってくると、先生やO君たちがかえって行った。ぼくは1回ころんだ。そして、登って行ったら中学1年のK君や、O君たちが来ていた。

それから、ぼくとO君は、ジャンプをやった。そして、はかってみたら、O君のほうが、ぼくよりも50㎝位飛んだ。ぼくは、手が冷たくなったので帰った。帰る途中、冷たかった手が、だんだんぬくく(あたたかく)なってきた。

そうして、長屋の近くの坂で、すべっていたら、S君やM君の弟が「どこへ行ってきた?」と聞いたから、「かぼうせんへ行ってきた」といったら、「もう1回行ってくるべ」といったので、ぼくは「もう、けっこうだ」と言いました。そして、その坂で1時間位すべっていました。すると、妹が「ごはんだよ」とよびに来た。ぼくは、帰ってすぐ、ごはんをたべた。食べてから作文をかいた。そして、弟達と碁並べをして遊んだ。