北の旅人

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「1956」-14歳の心象風景<22>

2009-07-31 14:13:38 | Weblog

<作文>

                 救援物資
                            (K・K)

今年の北海道は冷害に当りました。私の家でも冷害に当って、今年の麦が取れるまで生活していけない有様です。ですから、私の家では現在、大変生活に困っていますが、父さんはT町の山へ働きに行きました。

又、年末などには、なんにも仕事が有りませんでしたので、私達はお正月が出来ないかと思いました。でも思い掛けなく冷害農家の人々に与えてくださいました救援物資と冷害農家に対しての救援事業が行われましたので、私達も立派に良い年を迎える事が出来ました。

私は救農事業に父母が働きに出かけましたので、その仕事の終わるまで学校をやすんで家の手伝いをしました。冷害になると私までが馬の草を切ったり、薪を切ったり外から内まで私一人の手に行き渡って来るのではありませんか。今でこそ、本当に心の中から苦労がしみじみわかりました。

また、救援物資には、古着とか鉛筆、ノート、お金などが送られて来て居ます。私の家ではお金が890円、古着が色々と沢山あたりました。其れからノート4冊、鉛筆4本などが配分されて来ました。

私は、この様にいろいろな品物を沢山送って下さった全国の皆さんのあたたかな心に対して何と云ってお礼をもうしあげれば良いのかと心から涙のでるような心持に成りました。また、この様な救援物資は北海道の町ばかりでなく内地とか色々な外国からも郵送されて居ます。

こうした私達北海道の冷害のために、色々な諸外国にも知れ渡り、私達の冷害に危機を救って下さいました心のあたたかい人を、私達はふかく感しゃしております。また新聞などにも、北海道の冷害に対しての品物が沢山送られて来ています。

私は、これらの救援物資に対して、世界の全国の人々は皆な兄弟のようにさえ思えてきました。又、スピーカーなどでは、私達の北海道が気になって、内地の方から暖かい言葉には、こんな声が流れてきました。「北海道の皆さん、お元気ですか。気をおとさずに、しっかり勉強して下さい」というような、はげましの声が送り出されて来ます。

こうして私達北海道をみてくださいます人は、誰かは知りませんが私は大変救援物資の皆様を心の底から感謝して居ります。

        ☆        ☆

1956年(昭和31年)の北海道大冷害は44年ぶりで、農業ばかりでなく不漁でもあったので、北海道全域にわたる被害額は396億円にのぼった。50年以上前の、この金額だから大変なものであった。

それを物語るように、娘の身売りが続出したとさえ言われる。後年聞いた話だが、当時のクラスには弁当を持って来られなかった仲間がいて、担任の先生が弁当を分けてあげたという。また、弁当箱にはコメは入っておらず、イモやカボチャだけという友達もいたのを覚えている。

冷害でなくとも、経済的にはまだまだ貧しい時代であっただけに、極めて深刻なものであった。今年の北海道も冷害が心配され始めている。収穫期を迎えた小麦が、この10年で最も不作になる可能性があるという。

それというのも、6月の低温に加え、7月の雨が多かったからだ。7月26日現在の統計をみると、札幌の7月の平均気温が19.3℃(平年より 1.2℃低い)、降水量が172ミリ(平年値118ミリ)、日照時間が65.5(平年値175.8時間)という状況だ。

全道的にみると、平均気温が2℃以上低いところがあり、降水量は平年の23倍、日照時間が34割しかないという具合。わが家にはクーラーがないが、夜などは、結構厚着して過ごしている。冷害などを吹き飛ばすような、夏らしい日が来ることを心待ちにしているところだ。