北の旅人

旅行や、ちょっといい話などを。そして、時には言いたいことを、ひとこと。

2014GW「にっぽん丸」日本一周クルーズ⑭-まとめ

2014-06-19 10:03:38 | Weblog

5月6日 am10:00 東京晴海着。今回のクルーズは、まずまずの天候にも恵まれ、なかなか良い船旅だった。 

                                                                

今回の船旅で、良かった!と思ったのは、やはり素晴らしい人たちとの出会いだ。ゆったりした時間が流れているので、色々な人たちと話す機会があり、楽しい話や貴重な体験談などを聞くことが出来た。親しくなった87歳の男性は、とても80歳代とは思えない若々しさで、毎年1回はスイスアルプスなどのトレッキングに出かけるという元気さで、圧倒された。

そうかと思うと、1か月後には外国の大型客船で10日間のクルーズに出かけるという人も。また、イベントに出演した音楽家(ピアニストと声楽家)が、偶然、私の知人とも交流があってびっくりしたり、昨年参加した方々と再会したりと毎日が新鮮だった。

各寄港地では、郷土芸能などの披露や中高生たちのブラスバンド演奏などでの温かい歓迎、見送りにも感動しました。

さらに、定評がある美味しい3回の食事と夜食、一流のエンタティナーによる各種の船内イベントも充実していた。改めて記しておこう。

4/26 「カクテルパーティー 秋川雅史コンサート

4/27 「奏~Kanade~スペシャルコンサート」(若い女性4人のフルートカルテット)

4/28 「にっぼん丸ハウスバンド」コンサート

4/29 石見神楽(いわみ) 洋上公演

4/30 にっぽん丸寄席(三遊亭歌奴 ほぼ毎日) ビンゴゲーム

5/1   MASAO マジックショー」                         

5/2   ビンゴゲーム

5/3   仮装ダンスパーティー 江差追分日本一の披露

5/4   亀山勝男&勝子のザ・クラシック笑(ショー)

5/5  亀さんと一緒に歌おう!(昼間)

5/5   カクテルパーティー 千住真理子コンサート(バイオリン)

これらのエンターティメントは、いずれも素晴らしかったが、とくに、石見神楽(小中学生が演ずる伝統的な舞いには感動した。日本には、まだまだ知らない素晴らしいところがあり、また、それぞれの地域 に根差した伝統文化がある。これからも少しずつ歩きたいと思う。このクルージングは毎年行われているが、絶対お勧めだ。(完)


2014GW「にっぽん丸」日本一周クルーズ⑬-東京へ

2014-06-18 14:22:48 | Weblog

5月5日、今日は東京へ向けて一日中クルージング。

午前中は、昨晩の亀山のコンサートに続いて、 今度は皆で歌う時間に。多くの人たちと、久しぶりに大きな声で歌を歌った。歌声喫茶世代としては、何とも懐かしかった。誰もが知っている日本の四季の歌メドレーから、愛の賛歌、上を向いて歩こう、遠くへ行きたいなど16曲。気持ち良かった!

     亀さん企画オフィシャルサイト
 http://www.kamesan-kikaku.com


午後、「作りましょう」というイベントに参加。ハンドクラフトでコサージュを作る。夜のカクテルパーティーで使う。 

太平洋の金華山沖で、クジラが見られるとのアナウンスあり。急いで甲板へ。見事なダイビングが見られてラッキー!ただ、写真はタッチの差で間に合わず。



カクテルパーティー。番留船長による主なクルーの紹介あり。番留船長のトークは世界を回っているだけあって、色々な分野の話をユーモアを交えながら話してくれるので大変楽しい。

 ☆最後の夜のメインイベント
♪千住真理子コンサート

 

12歳でデビュー。日本音楽コンクール最年少入賞を果たす。慶應義塾大学卒業後、国内外で本格的に活動を始める。2002念秋、ストラディヴァリウス「デュランティ」と運命的な出会いを果たし話題となる。コンサート活動以外にも、テレビ、ラジオなどの出演や執筆活動、ボランティアなど社会活動など、多岐にわたり活動中。

彼女のコンサートも予想通り素晴らしいもので、アンコール!アンコール!の嵐。それに応える熱演に感動した!

☆この後、三遊亭歌奴の落語、カジノを楽しんだ。

☆夜食(10:30~11:30)
「ビュッフェコーナー」
 稲荷寿司 ちまき カットフルーツ 香の物 日本茶 コーヒー 紅茶 
ウーロン茶 ジュース (今夜のおすすめ  月見うどん)

 


2014GW「にっぽん丸」日本一周クルーズ⑫-青森

2014-06-16 14:47:56 | Weblog

5月4日 7:00~

~和食~

若布と豆腐の味噌汁

開きキンキの火取り 卸し大根

岩石玉子

ささがき信田と青菜の煮物

ブロッコリーとハムの酢味噌和え

おから五目炒め

納豆、味付け海苔、香の物

    白粥 ②特選粥(ザーサイ粥) ③御飯

                  日本茶

                  (このほかに、洋風ビュッフェもある)

9:00 青森港入港。


港には観光案内所や名産品の販売所などが並んでいる。
弘前城の桜を観るツアーもあったが、以前行ったことがあり、今回はボランティアガイドさんとの「街歩きツアー」に参加。

青函連絡船だった「八甲田丸」。平成2年に鉄道連絡船ミュージアムとして、資料展示やイベント開催など多目的な場としてご利用されている。

青函連絡船は、1908年(明治41年)に鉄道連絡船として就航した比羅夫丸が青函連絡船歴史の始まり。以来、1988年(昭和63年)まで80年間にわたり、青森港と函館港を結んでいた。

青函連絡船最大の魅力は貨物車両を搭載する「車両甲板」で、鉄道車両が船を通じて海を渡ることは世界的にも大変珍しい事だった。

日本の経済発展に大きく貢献してきた青函連絡船は青森市と函館のシンボルだった。歴代55隻中、23年7ヶ月と現役期間が一番長かった「八甲田丸」を、ほぼ就航当時の状態に係留保存した貴重な施設。 

学生時代、ふるさと北海道と東京の行き来には必ず乗ったので、まさに「津軽海峡冬景色」の世界を思い出しながら眺めていた。

「青い海公園」の東端に「明治天皇御渡海記念碑」と書かれた碑と、すぐ側に「海の記念日発祥の地」という石碑が建っている。

1876(明治9)年,明治天皇が1か月半にわたって東北・北海道を巡幸された。随行者には岩倉具視(右大臣)・大久保利通(参議兼内務卿)・大隈重信(参議兼大蔵卿・木戸孝允(内閣顧問官などがおり、総勢200名以上だったという。東京→北関東→東北各県を回り、青森港から灯台巡視船「明治丸」で函館へ。視察後 7月20日に横浜港に戻った。

これを記念して 1930(昭和5)年に「明治天皇御巡幸及御渡海記念碑」が建立され,その周辺は公園になり“聖徳公園”と呼ばれた。1941(昭和16)年に,天皇が横浜に帰着した7月20日が「海の記念日」に制定された。

1990(平成2)年,「御渡海記念碑」の近くに「海の記念日発祥の地」の石碑が建てられ,明治丸の碇のレプリカが飾られた。
1996(平成8)年に“祝日法”が改正されて「海の記念日」は 国民の祝日「海の日」となり,2003(平成15)年に 7月第3月曜日に変更された。

奥州街道は江戸時代五街道の一つで、東京日本橋が起点で終点はさまざまな説がある。江戸時代初期に著された「幕府撰慶長日本図」によると、当時津軽藩の出張機関が置かれていた青森市安方地域が終点とされているという。

 
善知鳥(うとう)神社は現在の青森市が江戸時代まで、善知鳥村と言われたことから、こう呼ばれている。青森発祥の地。「うとう」は、昔ここに生息していた鳥の名前で、天然記念物。青森では見かけることは少なくなったが、北海道天売島などに多く繁殖している。

善知鳥神社は、志功の少年時代の恰好のあそび場だったという。ここには、何点かの作品が残されている。

                           
                                                                   
                                                                (棟方志功記念館HPより)                 
                                                             


青森県観光物産館「アスパム」。青森県の観光、物産、郷土芸能などを総合的に紹介する情報発信基地。

ちょうど津軽三味線の演奏時間に間に合い、30分間聴くことができた。やはり生演奏はいい。津軽三味線の名人・高橋竹山のお弟子さんが弾いていた。ちなみに、北島三郎が歌う「風雪流れ旅」のモデルは、高橋竹山だ。

17:00 郷土芸能「ねぶた囃子」に見送られて青森港を出港。

 

亀山勝子&法男のザ・クラシック笑(ショー)

 
 
今夜のメインイベントは、クラシックジャンルを越え、エスプリの技と粋な"音のあやとり"を展開する今まで見たことも聴いたこともない小粋なパフォーマンスショー!
名曲に別の曲をからめ、紡ぎ出すスリリングなドラマ。クラシックか演歌か…直球か変化球か…粋か野暮か…見せます、聴かせます、笑わせます、泣かせます。
この夫婦~何だか妙に面白い…。(船内新聞のプログラムから)

♪早春賦類似メロディーメドレー
♪早春賦1番…知床旅情…春へのあこがれ
♪琵琶湖周航のうた…愛のよろこび…モルダウの流れ…
♪歌のつばさ…北上夜曲…早春賦2番…早春賦3番で仕上げ

☆昭和初期歌謡曲エレジー(全5曲クラシック仕立て)
♪君恋し…ショパンプレリュード風
♪影を慕いて…シューベルトセレナーデ風
♪水色のワルツ…ショパンワルツ風
♪リンゴ追分…ベートーヴェン月光風
♪ここに幸あり…バッハプレリュード風

ざっと、こんな感じでお二人のトークもなかなか面白い。
音楽を通じて多彩な社会活動を展開しているお二人のコンサートは、楽しくもあり、「にっぽんの心」を大事にしていこうというメッセージも発信している素晴らしいコンサートだ。お二人とは共通の知人がいることが分かりびっくり!全国どこででも気軽に公演するというので、ぜひ一度聞いてもらいたい。

☆亀さん企画オフィシャルサイト
 http://www.kamesan-kikaku.com

 


2014GW「にっぽん丸」日本一周クルーズ⑪-函館五稜郭の桜

2014-06-15 12:41:30 | Weblog

5月3日、松前から函館へ。予定が変更になって帰りは函館港からとなったため、予定にはなかったが満開の桜咲く五稜郭に立ち寄った。昨年は、同じ時期にきたが天候不順のため蕾のままで、みんながっかりしたが、今年は素晴らしかった。
       

                               
           (上下写真:函館市公式観光情報HPより)

五稜郭は、北方防備の目的で造られた、日本初のフランス築城方式の星型要塞で国の特別史跡。幕軍と官軍の最期の戦いである箱館戦争の舞台となった。

 徳川幕府の命を受けた蘭学者武田斐三郎が設計を手掛け、1864(元治元)年に完成した。かつて、海軍副総裁・榎本武揚率いる旧幕府脱走軍と、新政府軍が激しい戦闘を繰り広げた場所として知られている。

 4月下旬から園内のソメイヨシノが一勢に咲き誇る花見の名所でもある。

 五稜郭タワー展望2Fにある新撰組副長・土方歳三の青銅像(ブロンズ)

☆ 以下は、タワーからの写真。

箱館奉行所。日本の北辺防備の拠点として設置された江戸幕府の役所。
幕末から明治維新にかけての舞台となった。2010年(平成22年)、可能な限り建築当時の材料・工法を使用し、庁舎の1/3の規模を復元。

 この日の夜、船内では「仮装ダンスパーティー」が開かれ、思い思いの衣装で楽しんでいた。 


2014GW「にっぽん丸」日本一周クルーズ➉-松前の桜

2014-06-13 13:59:10 | Weblog

  5月3日 江差からバスで松前へ。日本海沿いを走って、およそ90分くらい。 


            松前町一の老舗旅館で昼食。(HPより)

          ☆松前ならではの藩主料理、美味かった。(HPより)

  あわび飯

(松前の名産蝦夷アワビを使った炊き込みごはん)

 煮物

(当時から油揚げなどは保存食として食されていました)

 クジラ汁

(松前では今でも正月はどこの家庭でも作ります)

 寄せ豆腐

(北前船で運ばれてきた上方地方の食文化)

 けいらん

(昔でいうデザート。東北の南部地方から伝わった料理)

 にしんと数の子

(子孫繁栄を祈って)

 松前漬け

(女将の作った自家製でするめ。こんぶはもちろん松前産、お水は大沼横津岳の天然水、お塩は熊石産海洋深層水使用)

いくらのしょうゆ漬け

 

 果物

(その時代は大変貴重な果物)

 にごり酒

 

 

  予想通り、桜は満開だった!


  松前の桜は、250種1万本といわれ、長い期間、桜を楽しめる。あちこちから
  「わぁ、綺麗!」の歓声が上がっていた。高校生たちが、一生懸命にボランティアガイ
  ドを務めていた。

松前家の初代藩主・松前慶広がこの地に築城したのは、1606(慶長11)年のこと。
その後の火災や修築などを経て、十七世藩主・松前崇広は1849(嘉永2)年7月10日、外国船の出没に備え津軽海峡の警備強化を図るため、幕府から築城を命ぜられ、城主大名になった。

設計は当時の三大兵学者の一人である高崎藩の市川一学に一任。
一学は海防上から福山は無理であり、箱館後方の桔梗野にある庄司山付近に築城するよう上申しますが、藩士たちは移転を好まず福山館を拡大して築城することになった。
5年の歳月をかけ、1854(安政元)年9月に完成した松前福山城は、旧式築城では日本最後のもの。後に、国宝に指定されたが、火事で焼失した。

現在の城は、1961年(昭和36)に再建されたもの。(松前町観光奉行HPより)


  椿も同時に咲く。

  桜史料館もある。

  北国では、色々な花が一斉に咲き始める。

  お城に桜も良く似合う。改めて感動した。

 松前の桜は本数も品種も多く、城内の広さと相まって素晴らしい風景が広がっていた。

 

 

  

 

 

 


2014GW「にっぽん丸」日本一周クルーズ⑨-江差

2014-06-11 13:46:23 | Weblog

5月3日 9:00江差沖へ。通船により上陸するも、波が高くツアーに参加する乗客を降ろし、「にっぽん丸」は、急きょ函館港に寄港 することに。


江差港。


歴史の香り高い江差らしい出迎え。


「いにしえ街道」と呼ばれる通り。江差は明治の初めまで、北前船によるニシン漁とその取引と檜財交易で栄えた。その当時の建物(問屋蔵、商家、町屋、社寺)が海岸線沿いの下町に多く残されていた。これら、歴史的建物を後世に伝えるため、「歴史を生かすまちづくり事業」を進め、平成16年に街路事業が完了した。

情緒あふれる個性的な街並みへと変わった。

マンホールの蓋。オランダ製軍艦「開陽丸」、かもめ島の瓶子岩、カモメと日本海 「江差」の名入り。 

5月3日限定版の観光案内チラシ。この日のイベントや、観光客への「おもてなし」案内など、きめ細かな心配りが素晴らしい。

京の香りを残す鰊御殿「横山家」。200年以上の歴史があり、漁業、商業、廻船問屋を営んでいた。今の建物は約60年前に建てられたもので、北海道文化財に指定された。ニシン漁全盛期当時の生活用具などが陳列されている貴重な建物の一つ。

江戸時代には3万人(現在は8,500人)の人口を有し、「江差の五月は江戸にもない」といわれ、商業の町、文化の町として繁栄を極めた。民謡の王様「江差追分」や伝統芸能、生活文化など有形、無形の遺産が数多く伝承・保存されている。

 



                                                                                         (つづく)

 

 


2014GW「にっぽん丸」日本一周クルージング⑧-酒田

2014-06-10 13:16:49 | Weblog

5月2日 9:00 酒田港入港。
大獅子、小獅子、太鼓の演奏などで出迎えを受ける。


鳥海山(1100m)ドライブコースのオプショナルツアーに参加するも、山はまだ雪の中。しかも雨まじりで何も見えず。 

温泉宿泊施設「游楽里」で昼食。そして温泉も楽しむ。薬いらずの湯として知られているという。

この施設の1Fにある資料展示コーナーでは、ビデオや写真パルネが見られる。晴れれば、素晴らしい風景がみられる。

名作「おしん」の舞台でもある。

山形県遊佐町にある「16羅漢岩」。全く知らなかったが素晴らしい。 

吹浦海禅寺21代寛海和尚が、日本海の荒波で命を失った漁師諸霊の供養と海上安全を願って、1864年に造佛を発願し、地元の石工たちを指揮、5年の年月をかけて明治元年22体の磨崖仏を完工した。
 16の羅漢に釈迦牟尼、文殊菩薩、普賢の両菩薩、観音、舎利仏、目蓮の三像を合わせて22体。これだけの規模で岩礁に刻まれているのは日本海側ではここだけといわれ、歴史的にも貴重な資源。未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選。

お別れ。酒田光陵高校吹奏楽部のみなさんの演奏に見送られて。(17:00)

夜は、ビンゴゲームやカジノを楽しむ。

 


2014GW「にっぽん丸」日本一周クルーズ⑦-金沢

2014-06-09 09:55:56 | Weblog

5月1日、10:00 金沢港入港。
金沢は何回か訪れているので、ゆっくりしたスケジュールで過ごす。近江市場までシャトルバスが出るというので、出かけてみる。

       近江町市場は290年の歴史を有する。(写真 HPより)

 
         金沢市の台所、約170店舗が建ち並んでいる。


「にっぽん丸」の独自企画スタンプラリーを楽しむ。ゴールの後、地元の皆さんが手作りした郷土料理「治部煮」(じぶに)と、地元の銘酒が振る舞われた。ただし、私は下戸なので、残念!

昼食(2F メインダイニング)

グーラッシュスープ

海老のニューバーグ にっぽん丸スタイル

イタリアンサラダ イタリアンドレッシング

にっぽん丸特製パン

ヨーグルトプリン ベリーソース

~お飲物~
コーヒー、エスプレッソ本日の紅茶(ダージリン・オレンジペコ)

バトントワラーの皆さんによる華やかなパフォーマンスなどで、お見送りを受ける。

          夜のイベントは、マジックショーを楽しむ。

 

 

 


2014GW「にっぽん丸」日本一周クルージング⑥-世界遺産・石見銀山

2014-06-08 14:37:00 | Weblog

4月30日、8:00 温泉津港に入港。ここからは、通船に乗り換えて温泉津の街へ。10分ほどで、岸壁に到着。

一本釣り漁の基地港として有名。かつて、石見銀山の積出港として栄え、北前船が出入りした温泉津港は美しいリアス式海岸の入江の億に開かれた天然の良港。季節風の影響が少なく波静かで、水深も深く大型船も楽にに入港できる。


船内では、島根県太田市長や前夜に石見神楽を舞った小学生らによる歓迎セレモニーが行われた。



オプショナルツアーに参加し、大森の街並み散策へ。石見銀山内は車両乗り入れが制限されており、すべて徒歩での観光となるので、約3時間コース。なので、短いコースに。

石見銀山は、戦国時代から大正12年まで約400年間採掘が行われ、17世紀初めの最盛期には、約20万人が住み年30~40トンを産出した。その間戦国大名による攻防争奪が行われたり、徳川幕府の直轄地の天領として徳川氏の財政を潤したが、銀の枯渇により閉山となった。

人々の生活の中にも、戦いに敗れ死んでいたもの、過酷な坑内作業で短い生涯を送ったものなど悲しい歴史の他、享保の大飢饉をさつまいもの移入により飢餓者を出さなかった代官の話などが残っている。多くの史跡を残すこの地を、世界遺産に登録するための運動が進められ、2007年に登録された。

街並みに配慮した、珍しい木製の自販機。

石見銀山で栄えた商家・重要文化財「熊谷家住宅」。
寛政12年(1800)、街並みの大火で類焼し、翌年に建てられた。それ以降、土蔵などを増築し、明治元年(1868)に屋敷が整った。


熊谷家の室内。

                               龍源寺間歩。(しまね観光ナビより)
      1715年に開発された代官所直営の坑道で、大久保間歩に次いで長く600mもある。

                                                             (石見銀山史料館の展示より)

夜のエンタテイメントは、三遊亭歌奴の落語(毎日のように聞くことができる)ゲームで楽しむ。




 


2014GW「にっぽん丸」日本一周クルーズ⑤-上五島

2014-06-07 11:44:57 | Weblog

 4月29日9:00、上五島 青方港に入港。

上五島国家石油備蓄基地(長崎県南松浦郡しん上五島町)。
「浮遊式海洋構造物(洋上タンク方式)」による世界で最初の洋上石油備蓄システムをとっている。

このシステムは、防波堤によって平穏な泊地を確保し、貯蔵船を並列に配置して各貯蔵船を防油堤で囲むもの。貯蔵船1隻あたりの貯油能力は世界最大の88万kℓ。5隻合計では440万kℓで、日本の石油必要量の7日分を確保している。。

「有川羽差太鼓」保存会の皆さんが、勇壮な演奏で出迎えてくれた。

「羽差」とは、有川は昔、鯨組によって栄えたが、その鯨を命がけで捕る男たちを「羽差」­(はざし)と呼んでいた。その男たちの鯨捕りの一部始終を音と振り付けで太鼓芸能­として作りあげられたのが「有川羽差太鼓」。



青砂ヶ浦天主堂。
丘の上に立建つ煉瓦造りの聖堂。明治43年に建立され、現在は3代目。カクレキリシタンとして信仰を守り続けた信者たちが、300年に及ぶ禁教令の廃止(明治6年)とともに建てた教会は29ある。五島には、寛政9年(1797)から、信仰の自由を求めて約3千人が移住したといわれる。

頭ヶ島天主堂。
信者たちが、自ら切り出した砂岩を積み上げて造った全国でも珍しい石造りの教会堂。明治43年に着工、大正6年に完成。


信者たちが、自ら切り出した砂岩を積み上げて造った全国でも珍しい石造りの教会堂。明治43年に着工、大正6年に完成。

キリシタン墓地。
弾圧の中で強く生き延びた信者たちの歴史を物語っている。日本の墓地にある石碑と同じ形状のお墓だが、石の上にはクルスが添えられている。いろとりどりの花に囲まれる墓地は、町内の29ヵ所ある教会とともにある


世界遺産登録を目指して、バスの車体にも。

海童神社(かいどうじんじゃ)は、上五島の有川郷船津地区の応護島に鎮座する神社。鯨の顎骨を使用した鳥居があることで有名。船乗りなどの水難防止を願う。


寒い中、上五島高校ブラスバンド部の皆さんの素敵な演奏で見送りを受けた。


「ありがとう!上五島のみなさん」

出港の時間になると、続々と街のみなさんが集まってきた。町の広報や回覧板で、船の入港などのスケジュールが知らされているという。
この、温かい「おもてなし」の気持ちに、感動した!

道路の途中でも、見送ってくれる人たちが。これは、凄いことだ!

いつまでも、いつまでも見送ってくれた。

<石見神楽 洋上公演>

夜、8:30~9:30、この日のメインイベントは、石見(いわみ)地方を代表する伝統芸能『石見神楽』。民族芸能として演舞されるリズムは、石見人の気性そのままに、大太鼓、小太鼓、手拍子、笛を用いての囃子で演じられ、見る人を神話の世界に誘い込む。

この日演じたのは、土江子ども神楽団の小3~中3までの子どもたち。この神楽団は、300年の歴史を有するというから大変なもの。演目は、『恵比寿』『大蛇』を1時間にわたり、休みなしで熱演。まるで、松竹大歌舞伎を観ているような実に素晴らしいものだった。今回のクルーズでは、このあとも、様々なイベントがあったが、ベストスリーに入るぐらいの内容だった。


子供たちが蛇の中に入って演じている。(石見神楽HPより)

 
熱演した子供たちとの記念撮影の時間。素顔の子どもたちの、何とあどけない表情だったことか。 

今日も中身の濃い一日だった。