北の旅人

旅行や、ちょっといい話などを。そして、時には言いたいことを、ひとこと。

九州4日間⑧湯布院・山下清原画展

2013-06-30 17:04:17 | Weblog

 4日目、湯布院へ。時間があまりなく、今まで何回も来ているので、遠くへは行かなかった。

駐車場の向こうに由布岳(1583m)が。



楽しそうな店が並んでいる。

湯布院では、「放浪の天才画家、裸の大将」で知られる山下清(1992~1971)の原画展をやっていたので立ち寄った。山下清は九州に関する作品も多く書いているということで、それらを中心に展示されていた。

山下清の常設館(放浪美術館)は山梨県の茅野市にある。山下清は、夏になると涼しい信州に幾度も訪れては、大好きな諏訪湖の花火を見物して行ったという。そういえば、花火の作品を多く描いている。かつて、「裸の大将放浪記」を読んだこともあり、興味深く観てきた

      
                     (山下清公式HPより)

<山下清のプロフィール>

· 1922年 3月10日 東京市浅草区田中町に生まれる。
· 1928年 浅草の石浜小学校に入学する。
· 1934年 千葉県の養護施設「八幡学園」に入園する。
· 1940年 11月18日、突然、放浪の旅に出る。
· 1954年 鹿児島にて放浪生活を終える。
· 1961年 ヨーロッパ9カ国を訪問する。
· 1971年 7月12日 他界 (享年49歳)           (山下清公式HPより)

山下清の日記

 

 

湯布院にある金鱗湖。 (この項、完)

 

 

 


九州4日間⑦リゾートホテル「レゾネイトクラブくじゅう」

2013-06-30 11:00:25 | Weblog

3泊目は、九州の屋根・くじゅう連山の麓にある温泉付きのリゾートホテル[レゾネイトクラブくじゅう」。 阿蘇くじゅう国立公園の敷地内、標高865mの久住高原にあり、自然との共鳴がコンセプト。由布院駅より1日1本の送迎バスもある。ロッジ風の部屋、地元産の新鮮な食材を生かした美味しい食事、自然を舞台にした楽しいイベントなど、多様な工夫がなされている。



美味しい食事だった。

部屋には、こんな訪問者も。熱い夏に来るには絶好の場所だ。 


九州4日間⑥くじゅう花公園

2013-06-29 09:25:48 | Weblog

3日目、熊本城の後、「くじゅう花公園」へ。

ここは、阿蘇くじゅう国立公園内にあり、春から秋にかけて、20万㎡の敷地に年間500種300万本の花々を植栽している。平成17度「花の観光地づくり大賞」(日本観光地協会主催、国土交通省後援)を受賞している。ちなみに、16年度はラベンダー畑などて知られる北海道富良野市の「ファーム富田」が受賞している。

この公園の存在を知らなかったが、なかなか素晴らしい!

<参考>
 下の写真、富良野のラベンダー畑(2007・7・30)

 

 


九州4日間⑤天草・A列車で行こう・熊本城

2013-06-28 13:42:11 | Weblog

3日目、天草→A列車→熊本城。 

天草 四郎(あまくさ しろう)。江戸時代初期のキリシタン。 島原の乱の指導者とされている人物で、幕府の攻撃による原城陥落により自害したとされる。本名は益田四郎(ますだ しろう)。諱は時貞(ときさだ)。洗礼名は当初「ジェロニモ」だったが、一時表向きな棄教をしたためか、島原の乱当時は「フランシスコ」だった。一般には天草四郎時貞という名で知られる。本名については愛知時貞(えち ときさだ)という説もある。

昭和7年、上天草市松島町を訪れた、与謝野寛(鉄幹)、晶子夫妻が詠んだ歌が刻まれている。(合津のパールセンター)

天草の 島のあひだの夕焼けに 船もその身も 染みて人釣る(与謝野寛)
天草の 松島ここに浮かぶなり 西海のいろ むらささきにして(与謝野晶子) 

観光特急列車「A列車で行こう」は、平成23年10月からJR三角駅から熊本駅間で運行が開始された。A列車のAは、天草(AMAKUSA)と大人(ADULT)を意味しており、高級感溢れる大人の列車。車内には「A-TRAIN BAR」と名づけられたバーカウンターが設けられ、ジャズが流れるなど楽しい空間だ。

熊本城へは何回か来ている。3年前に訪れた時は、桜が少し残っていた。

http://blog.goo.ne.jp/goo1942_december/e/810911de5a2744631e2589dcd7f9489c

 

 

 

 

 


九州4日間④グラバー邸・大浦天主堂

2013-06-27 15:44:13 | Weblog

2日目、九十九島クルージングの後、長崎のグラバー邸へ。
スコットランド人、トーマス・ブレーク・グラバーが、この丘に建設したのは1863年。長崎は、その4年前の1859年に横浜、函館とともに開港され、異国に夢を追い求めてやってきた商人や新しい日本を目指した幕末の志士たちが集った。その面影を残す歴史の舞台だ。

大浦天主堂は、カトリックの教会堂で、1865年(元治2年)に建立された日本最古の現存するキリスト教建築物。正式名を日本二十六聖殉教者堂という。日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられている。1953年(昭和28年)に国宝に指定された。



グラバーの胸像。

クラバーの妻ツルが使っていた夫人部屋の廊下の天井には、窓のない隠し部屋がある。グラバーは、倒幕派の薩摩半、長州藩などに肩入れし、国禁を犯し自分の船で薩摩の若者をイギリスに密航させたり、長州へ大量の武器を売ったりしていた。グラバー邸には、そんな幕末の志士たちが出入りし、密談を重ねていたのだろう。

3年前にも来ているが、近くの風頭公園、亀山社中にも立ち寄った。

http://blog.goo.ne.jp/goo1942_december/e/0778b7211a5ce7c946582df7288d198f

グラバー邸の後、島原湾クルージングをし天草へ。

 


九州4日間③九十九島クルージング

2013-06-26 09:59:27 | Weblog

2日目、ハウステン-ボスから九十九島クルージングへ。
九十九島は、佐世保港の外側から北へ25kmにわたり島々が点在する海域のことで、島の密度は日本一といわれている。

九十九(くじゅうく)とは数がたくさんあるという意味で、実際の島の数は208。
また、小佐々町・鹿町町・田平町の海域を「北九十九島」、佐世保市周辺を「南九十九島」と呼び分けており、北九十九島は、岩肌が厳しく、男性的な景観の島が多く見られが、南九十九島は、優美で女性的な島々が多いのが特徴。

心地よい潮風に吹かれて、気分爽快!

 

 

 

 

 

 


九州4日間②ハウステンボスー100万本のバラ

2013-06-25 12:48:18 | Weblog

2日目、ハウステンポスの朝。ホテルアムステルダムの庭。

ちょうど、この時期は、100万本のバラ祭りの最中だった。

アジア最大級のバラ園といわれるだけに見事なものだった。
バラの館、バラの広場、バラの宮殿、バラの運河、グランドローズガーデンの五大バラスポットがあり、その香りとともに大いに楽しめる。

9:30には、ここを出発しなければならなかったので、色々なアトラクションを楽しむまでの時間はなかったが、一度は見ておいてよいところだ。

 


九州4日間①ハウステンボス・御船山楽園・有田ポーセーリングパーク

2013-06-24 09:21:08 | Weblog

5月24日~27日、「A列車で行こう」彩りの九州10の味覚めぐりと絶景の九十九島クルージング4日間」のツアーに参加。

 

佐賀県武雄市にある「御船山楽園」は、国登録記念物(名勝地関係)。江戸時代後期、第28代武雄領主・鍋島茂義公によって造園された。春には20万本のつつじ、3mもの平戸つつじが30mにもわたって群生している。2000本の桜並木や、樹齢200年の「大つつじ」、170年の「大ふじ」などが庭園内を彩る。

 つつじなどの見ごろの頃。

有田ポーセーリングパーク(世界の陶磁器をて展示したテーマパーク)。庭園・有田焼体験工房・登り窯・展示館・飲食店・お土産品売り場などの施設があり「酒・器」のテーマパークとなってい。

 

パークのシンボル「ツヴィンガー宮殿」。右ウィングでは、世界的に名を知られる「有田焼」の江戸時代から明治の最盛期までの作品を展示。左ウィングは、各種パーティ・イベントなどの催事に利用できるようになっている。

 ハウステンポス入場口。

入場口近くにある「ホテル オークラ」

ロケーションはハウステンボスの中心
宿泊したのは園内にある唯一のホテル、「ホテルアムステルダム」。

華やかな電飾パレード。

3Dプロジェクションマッピング(建物の壁に映像を投影)。

 夜は、賑やかに「仮面舞踏会」なども開かれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2013「にっぽん丸」で、GW日本一周⑩ー横浜へ

2013-06-20 13:26:36 | Weblog

10日目、終日クルージングを楽しむ。一路、横浜へ。



操舵室の見学。

航海中、何回も聴いた[三遊亭 萬窓」の落語独演会。

窓外に浦賀水道が(東京湾入口)。

横浜港へ。

この10日間、船が大きく揺れることもなく(一度だけ妻が酔いそうになったが)、快適な船旅を楽しむことができた。妻は船酔いしやすく、5日間ぐらいが限度と言っていたが、これで自信がついたのか、10日間までなら大丈夫そうと言うようになってきた。

かつては、バスや列車の旅が多かったが、最近は船旅が中心になりつつある。船旅は乗ってしまえば、身軽で遊んで歩けるし、終日、退屈しないように各種のイベントが行われるようになっている。ディナーや趣味などの場を通して、全国各地から参加している方々とも出会う機会が多く、ゆっくり話をする時間があるので楽しいものだ。

今回は、東京、京都、名古屋、横浜、山形、新潟の人たちと知り合い、知らない世界の話などを聞かせてもらい、話が弾んだ。手品の得意な方は、その技を披露して皆を楽しませてくれた。こうした皆さんとの出会いが、旅をより充実させてくれる。 

これまでの船旅でも、色々な人たちと出会ってきた。

日本で唯一人の「指画」画家

切手絵作家

「日本百名山」を踏破した御夫妻

私たちが新婚時代を過ごした所に住む女性

83歳で「にっぽん丸」の世界一周に参加した女性

知り合った皆さんとは、その後も何らかの形で交流を続けているケースが多い。
今後も、こうした旅を続けていければと思っている。(完)


2013「にっぽん丸」で、GW日本一周⑨ー函館

2013-06-19 13:02:40 | Weblog

8日目、9:00 最後の寄港地・函館港に入港。一日停泊。
乗船客は、いつもはGW中に満開となる五稜郭の桜を期待していが、寒い日が続いたため全くの蕾でがっかり! 北の旅人は何回も行っているので行かなかったが、一番の観光スポット函館山の夜景は人、人、人で 、ゆっくり観られなかったという。

北の旅人は、大学受験の浪人時代に同じ下宿で一番の仲良しだった友達と20年ぶりぐらいに会って、短時間だったが、コーヒーを飲みながら昔話をしてきた。

函館山。

北海道坂本龍馬記念館(函館市末広町  三輪貞冶館長)。

龍馬の夢の一つに「北海道開拓」があったことは、よく知られているが、龍馬自身は、その夢実現を目前にして凶刃に倒れた。しかし、龍馬の甥・坂本直が慶応4年、新政府が設置した箱館府の権判事に任命された。龍馬が夢みた蝦夷地開拓を目指したが、旧幕府軍の攻撃により青森へ撤退させられた。のちに箱館府に再び勤務したが、明治2年、高知へ戻った。また、龍馬の甥・坂本直寛が、明治31年、空知の浦臼町に入植し、キリスト教をバックボーンしとした新しい農村社会をつくろうと幅広い活動を展開し北海道の開拓に尽力した。

下水道の絵蓋には、函館ならではのものが。

函館山の麓の坂道。

観光案内所・函館市市歴史写真館となっている洋館。

 

9日目。9:00 函館港出港、函館名物「イカ踊り」で見送ってくれた。

「にっぽん丸」のスタッフも、イカ踊りの法被でサヨナラ。

この夜、クルージング最後のカクテルパーティー。

この夜の服装は、フォーマル(結婚式に出席する時のような服装)。

ディナーの会場。(メインダイニング 瑞穂)

ビンゴゲームを楽しむ。