狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

痛恨碑

2007-04-07 12:03:53 | 怒ブログ
これは村に建っているの「忠魂碑」である。揮毫は元帥伯爵東郷平八郎花押とある。
こんな小さな村に、東郷元帥揮毫の忠魂碑があることを証明しようと、アップ撮影してみたが、判りづらぃ画面となってしまった。主題を「痛恨碑」としたのは他意があったわけではない。「キー」の打ち間違えである。この忠魂碑の裏面には日露戦役で斃れた数名の方々の、戦没年月日と戦域が刻まれている。
10数年前までは、村の老人会などが、清掃のボランティアをしていたらしいが、今は何処で管理清掃しているのか、時節柄雑草の繁茂はなかった。



明らかに「忠魂碑」の打ち間違えではあるが、「痛恨碑」の方が、戦没者への慰霊の意味を込めて修正しなかった所以である。   合掌

最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
正解ですな (aqgel)
2007-04-08 09:27:55
昨日この画面をチラット見た時に、忠魂碑としないで、痛魂碑としたのは、さすがに貴兄と思ったんですが。痛魂碑が正解ですよ。
我々が子供の頃から、「天皇陛下万歳」と言って死ぬ者は居なかったと聞かされていましたからね。「天皇陛下万歳」と言えるような気力の残っている者は、その殆どが、生き残ったそうですからね。
死んで行った兵たちは、息も絶え絶えに、涙を浮かべて、親や兄弟、故郷を思って、声を発することもなく死んで行ったわけですから。
「痛魂碑」が、正解ですよ。
返信する
恨も正解 (aqgel)
2007-04-08 09:59:57
どうも生来、オッチョコチョイで、魂じゃなくて恨でしたね。
しかし、やはり「恨」の方も正解ですよ。
志願で軍に行った者も、徴兵で軍に行った者も、敵の弾に当たって死ぬ時は、万斛の恨みを呑んで、死んで行ったんですからね。
返信する
お礼 (tani)
2007-04-08 13:53:04
わざわざご丁寧にすみません。
この傍に戦後建てた「忠霊塔」があって、この村が昭和20年6月10日のB-29の爆撃で、死亡した16名の名前も戦死者とは別に、台座の横に刻まれています。
返信する
石像物 (ましま)
2007-04-08 21:05:02
野仏にしろ板碑にしろ写真に撮るのはむつかしい。それが満足に撮れれば、土門拳ですね。合掌。
返信する
野の仏 (tani)
2007-04-09 08:52:42
この「忠魂碑」まだ雑草に覆われませんが、まさに「野仏」に類する碑かも知れません。
若杉慧「野の仏」には巻頭の新しく加えられたカラー図版4点のほか142点の写真図版が収められていますが、忠魂碑に類するものは載っていませんでした。そうですー、戦争で亡くなった兵士は神様なのです。

家畜供養塔(安芸)
の碑文です。
『吾々の為に亡くなった家畜の供養のため之を建つ』
『子孫繁昌墓』2点何れも〝巨根〟を背負ったお地蔵さんでした。
返信する