狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

七草粥

2010-01-07 13:39:38 | 日録
            

財務相辞任を聴きつひたすらに愛づ糟糠の七草の粥 谷人
 
 拙宅の七草粥の特徴は、粥の中に「焼き餅」を挿入する独特(?)の作りである。これは嫁いできた糟糠のひとの実家の家風を引き継いできたと思われるが、割合賞味するに足る。
 粥だけをアップして撮って見たが、見栄えしないので今朝の食膳の全体像にした。ここにある「たくあん」は山形の寒村(寒いという意味)育ちのもので市販のものではない。
 この「餅入り粥」は全国に共通する点の有無を、広辞苑でひいてみたら、「七草」の派生語として
《正月七日に、春の七草を入れて炊いた粥。後には薺または油菜のみを用いた。菜粥〈[季]新年〉と簡単な記述のみである。

 漱石全集の置き場に窮し、書架の配置換えを考えざるを得なかった折、これも滅多に開いたことのない「世界大百科事典17」平凡社で調べてみることになる。ただしこの事典は1967年版の古典であり、替わった記述になっている可能性も考えられる。

春の七草をいれた炊いた粥を七草粥といい、正月7日に食べるならわしがあり、年中行事の一つになっている。七草粥の習俗は、古く万病をのぞくといい、正月のはじめての子(ね)の日に、山野に出て小松をひき、若菜をつんであつものにして食べた子の日の遊びにはじまるという。正月7日を人日(にんじつ)とし、この日に七種の菜であつものを作り、これを食べる風は、古くから中国でも行われており、その影響だ考えられる。正月7日は、江戸時代には五節供の一つと定められ、若菜節、七種の祝、七種の節供などとよんだ。当日は将軍以下七草粥を食べ、諸候は登城して祝儀を言上した。また民間では、当日の朝七草粥を食べる外、六日の夜から七種ばやしといい、小さなおけの上にまな板をおき、若菜をたたいてはやした。
七草粥の習俗は現在も広い地域に行われているが、若菜を入れた雑炊をたくところも多い。現今のように新暦の正月7日では、若菜の手に入らぬ土地も多く、この日使用する若菜も限られている。
東北地方ではセリとタラノキの芽、和歌山地方ではナズナだけを用いるが、新潟県ではニンジン、ゴボウ、ダイコン、クリ、串柿などにタラノキの芽を七草としている。
京都北部地方では6日を若菜迎えとよび、この日七草粥に必要な菜を用意し、6日の夜たたく。七草をたたくのは6日の夜か7日未明で、一般には
〈七草なずな、唐土の鳥と、日本の鳥と、渡らぬさきに……〉唱えすりこぎまたは包丁でたたいてはやす。たたいた菜は粥に入れて七草粥とし、神に供え家の者も祝う。七草粥の唱え言は、豊年を祈る鳥追行事にも結びついている。→秋の七草(江馬三枝子)

 即ち「餅入り粥」には触れていなかった。年々この美食(?!)も廃れて行くと思うが、わが家でも恐らく吾ら一代きりの行事になるであろうことは必定である。

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2 コメント

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七草粥自賛 (tani)
2010-01-08 09:47:15
ましま様御机下
貴重なT.B.ありがとうございます。
つられて、財務相辞任の事実だけを詠んで繕いました。
わが町では2月久しぶり無競争から三つ巴の選挙戦になります。
ご3方とも熟知の間柄で、懇意に願っているので、迷っています。
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辞任 (ましま)
2010-01-09 19:48:26
正月明けのニュースに寄せて

藤井さん七種粥がよく似合う 塾頭
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