狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

藤村全集

2010-01-15 21:35:53 | 日録
            

ボクは文学書の雑本を購い集めるのが好きだ。
だからパソコン室を兼ねたわが書斎(?)は、窓を切ってあるところ以外は書架と本がところ狭しと積み重ね散らかしっ放しである。
 訪問客から「これ全部読んだんですか?」と何回聞かれたことだろう。

常識的に考えて、漱石全集28巻全別巻1だけだって、これを読破するとなると、飯も食わないで朝から晩まで本にかじりついていたとしても、オレの読書力では、読み了えるには10年ぐらいは楽にかかるのではあるまいか。
そういう客には、
「殆ど読んだがね。」と真面目くさった顔で答えることにしている。

ボクは、以前何回かこのブログに「全集」本について駄文をエントリーしたことがあるが、不思議なことに島崎藤村の著書は、日本文学全集といった類のもの以外は、一冊も持っていなかった。
 購ったことがないのだから、読んだことのないのは当然である。
 
 10年ぐらい前になるだろうか、町内会グループと、また別の同好会とで、藤村文学記念館のある小諸市へ年2回も訪れたことがあった。
 館内の見学するのに、ガイドがあった方が良いだろうとのみんなの意見で、その場に当たって場内ガイドを有料で頼んだのだった。
 この時のガイドさんが、アルバイトで雇われている「掃除おばさん」のような小母さんで、われわれ一行を只道案内しただけで、何の説明も出来なかったのである。それが反って藤村記念館の存在をオレに浮き立たせた。
 売店で、新潮文庫を2冊ぐらい買って持ち帰った。
 それが、島崎藤村との出会いであった。
 添付写真は、町の図書館廃棄本を頂いてきたものである。
 島崎藤村全集第六、第十三、第十四巻 昭和24年~昭和25年発行 新潮社刊である。
 この内、第六巻は長編小説「新生」第1部と第2部だが、後は旅行記とエッセー集である。
第十四巻の方は、浅草だより(前・後篇)、飯倉だよりの2篇、筋書きのないドラマである。

短章が寄せ集まっていて読んで退屈しない。何処を開いても楽しく読むことが出来る。
 
     老 年
 老年は私が達したいと思ふ理想境だ。今更私は若くなりたいなどと望まない。どうかして、ほんたうに年をとりたいものだと思ふ。十人の九人までは、年をとらないで萎れてしまふ。その中の一人だけが僅かに真の老年に達し得るかと思ふ。

     孫の愛
 私はまだ孫の可愛さというものを経験したことがない。自分の子供のそのまた子供から初めて『おじいさん』と呼ばれた時の気持ちは、果たしてどんな深刻なものだろう。まことの『老年』は孫の愛から始まると言ってもいゝやうな気がする。遠い遠い『未来』の空がそこから明けかゝって来るもののやうな気もする。

 
藤村は71歳で死去したが、これらの「浅草だより」の初版は大正十一年九月五日発行とあるので、書かれたのは四十歳後半だろうと計算することが出来る。 


 

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
法華経 (ましま)
2010-01-23 20:30:30
諸の善男子、我、もと菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命、今猶、未だ尽きず。
              お釈迦様曰く
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妙法蓮華叫如来受領品偈 (tani)
2010-01-27 07:20:15
自我得仏来 所経諸劫数
無料百千万 億載阿僧祇
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paso 考究篇 (tani)
2010-01-27 07:36:30

広瀬先生御机下
懇切なる御教示有り難うございました。
早速今日買い物篭さ入れてみます。
成功を祈り有り難いお経を読誦しました。
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